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○○の人な心理ってどういう心理ですか?という質問を良く見かけますが、○○な人の心理とつく質問の場合、気に入らない人についての心理の質問が多いみたいです。

不思議な事に純粋に好奇心を感じてする有意義な質問とタイトルのような質問には何かオーラが違う気がします。
個人的な見解ですが、 考えれば分かるような浅い有意義ではない質問だとしても、回答者に「教えてください」といって自分の思うような回答を言わせてるような気がするのです。

私は何を知りたいのかといいますと、
共感しあいたいがためにわざわざ質問サイトを使って遠まわしなやり方で共感を得ようとする。

この事は割りと意識的だけでなく無意識的に行われやすいのでしょうか?

共感を得たいという欲が強いために、「共感できる回答待っているぞ」と意識的に思いながら質問する事だけでなく、
質問サイトを媒介して共感を得ようとする行為は無意識にでもやってしまうのか?という事です。

自己承認欲とか意識とか無意識について調べているので質問させてもらいました

A 回答 (4件)

ココに「これは、どういう心理なのですか? または、疾病といえるのでしょうか?」という質問があります。

 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9083115.html
この質問文からは、質問者が、単純に質問しているのか、共感できる回答待っているぞという願望によるのか、は判読し難いと思います。ただこの質問者のコメント「憎む、、ということは、劣等感の現れなのでしょうね。→ご回答ありがとうございます」「負の感情のやり場に困るので、相手を憎んだり、変なやつ扱いしたり、だめ出ししたりするんだと思います→愛の裏側は憎しみ、ついつい忘れるんですよね」「本当にどうしようもない人をみてしまった時は、どうしようもありませんけど→私のストレスは半端ではないと思います………と思うほどの感情の高ぶりを覚えたりしましたが、今は落ち着きました」「人間はこうあるべきだ、と決めつけてはいないでしょうか。いろんな人がいていいのですよ→そんな呑気な事を言っている場合ではないですよ」を読むと、冷静な状況分析や合理的判断を求めているのではなくて、感情的、気分的なコミュニケーションの場を期待しているように思います。自分に共感してくれる投稿だけを求めているのではなくて、貶したり、否定したり、だめ出ししたり、誉めたり、優しさを認めたりという雑談的な応答を気楽にする場を楽しんでいるのではないかと思います。

「~~~なことをするヒトの心理って」という切り口が、解釈次第というよりも、「(受け止め方・感覚次第)である」「客観的で絶対的な見解はあるわけがないテーマだろ」「私は+++と感じるけど、、、、」ですし、「(ある個別の状況下で見聞・確認された特定のできる人物に関わるものではない) 曖昧だけどもこれで十分に話題に出来るじゃないか、そのようなことについて、面白い話をしようよ」というスタンスを示しているのかもしれないです。

心理学のテーマでもないし、ある具体的な案件についてでもなくて、気楽で感覚的な話題を提示して、それをきっかけに多少なりとも投稿が続いてくれるのを期待しているのだと思います。 そうした投稿の中には、普段の実生活でリアルの会話が乏しくなって、何となく気分が塞がる感じを覚えているヒトが、「心理」「○○をする男」「▽▽な女」「~~しているヤカラ」を(酒の肴)のように抜き出して話題の出発点にしているというケースが多いのではないかと思います。
もちろん中には、自分の正当性を確認するものとして共感的投稿を期待している質問者、孤立不安や世間からズレてしまっていないかを不安に感じて自分に共感や同調あるいは声援をしてくれるのを期待したり、交際相手や同僚の非を声高に明言するような投稿を求めているケースもあるのだと思います。
内容に具体性が乏しい(○○の人な心理)を投稿してくるケースは、無聊をなくすための行動であることが多いと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

感情によるコミュニケーションを取る事が怠惰な気への効率的な刺激の満たし方なのかなぁとおもいました。

お礼日時:2015/10/19 00:30

その質問者さんの書き方にもよりますが・・・



「背中を押して欲しい」って気持ちが表れている場合があります。
おそらく80%~90%は自分の中で決めているんだけど、あと一歩を踏み出せない。私はそんな時、内容が良ければ背中を押すような回答をしています。

悪い「気」を感じる ”共感してよ” の質問には関わらないようにしています。 他に時間を掛けたい良い質問が沢山ありますから。

以前、何かのコラムにありましたが、マザーテレサは良く○○集会に呼ばれたそうです。
参加するかしないかは、
 ・「○○反対」系の集会には絶対参加しない
 ・「○○賛成」系の集会には参加するようにしている
という内容でした。

単純に、「原発反対!」はダメで、「原発の代わりの○○エネルギーについて考えよう」みないなのはOK。

心理についてなら、私の中ではこれに似た感じが基準です。

的外れだったら、ごめんなさい (^-^;?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

後押しをしてくれる事や準備としての質問も有意義なのだなぁとおもいました。
参考になります。

お礼日時:2015/10/19 00:32

おじさんです。


「共感しあいたいがためにわざわざ質問サイトを使って遠まわしなやり方で共感を得ようとする」
→そういう人は時々いますね。
「この事は割りと意識的だけでなく無意識的に行われやすいのでしょうか?」
→ほとんどは無意識ではなく意図的に投稿していますね。
何故かといいますと、最初の質問では分らないのですが、自分の意図と違う回答に対してどのようなお礼コメントをするかで分ります。
最近では、社会カテに安保法制に関して博識ぶりを披露していた投稿者がいました。
自分の考えと違う回答者を軒並み誹謗中傷していました。
「自分はあなたと次元が違う」などと豪語していましたが、どんどん通報され、削除の嵐でした。
そして、ついに姿を消しました。
意見が違う人を罵倒するなど、一般社会でも、このサイトでも通用はしないでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
<最近では、社会カテに安保法制に関して博識ぶりを披露していた投稿者がいました。
自分の考えと違う回答者を軒並み誹謗中傷していました。

確かに少し意見が食い違うぐらいでその人を見下すという事は強烈な意識が働いていそうですなぁ・・・・・・・

お礼日時:2015/10/10 19:19

>質問サイトを媒介して共感を得ようとする行為は無意識にでもやってしまうのか?という事です。



おっしゃるとおりで、そうした無意識がある確率は高い、とお考えになって良いと思います。
理由は極めて簡単で、一般的に人は、自分の考えは間違っていない、と思いたがるものだからです。
むろん、どちらか判定がつかないため質問するわけですが、じゃあ、どちらの答えが返ってきても良いか、というと、そうでもないでしょう。
【できるならば】自分の考えに同意する回答であって欲しい、と(無意識的に)考えるのは、ある意味で止むを得ないという気がします。

なぜかというと、自分の考えに同意してもらえるということは、
・今まで自分のやってきた方向は間違いではなかった。(過去)
・今の自分のやり方で間違いはない。(現在)
・今の自分のやり方で今後も間違いはなさそうだ。(未来)
のように、すべての時制において、自身のアイデンティティを是認されたような安心感を得ることができるからなのでしょう。
自己変革によって、さらなる向上を目指したいと本気で考えている人であれば、そうした誘惑に打ち勝つ必要性を認識しているため、必ずしも同意を求めるためだけに質問することは少ないと思います。
精神の柔軟性及び強靭性の問題なのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

アイデンティティの確率を求めるという点について回答してくださりありがとうございます。

実を言うと私自身がタイトルのような共感を求める方向性を求めた質問を無意識にやる時がありました。(くれぐれもしないようにきをつけているのですが・・・・・)

質問してから「これは質問するほどの事ではないのでは?質問する以外に答えを見つける方法はいくらでもあった。」と思う事があるのです。

共感を求めるような行為を自分ではちゃんとした質問をした気になっているのです。
ひょっとして自己承認欲等の人付き合いに関するよくは無意識下にも強力に働きやすい欲なのかなぁとおもいましたので、自分以外の人もこうなのか?と確認をするためこのような質問させてもらいました。ありがとうございました。

お礼日時:2015/10/10 19:14

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