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奇跡を信じる、価値って、あるんですか?

奇跡を起こす=運命に勝つ=不老不死を得る?

奇跡ってなんですか?

運命ってなんですか?

A 回答 (10件)

奇跡を信じる、価値って、あるんですか?


      ↑
信じていれば、希望や期待が出来ますから、
絶望しないで済みます。
そういう意味で、価値があります。

しかし、デメリットもあります。
奇跡なんてのは、簡単に起こるものではありませんから、
そんなモノを信じていたら偉い眼にあいます。

差し引き、デメリットのほうがはるかに大きいです。
そういう意味では無価値です、というか、害悪です。


”奇跡を起こす=運命に勝つ=不老不死を得る?”
     ↑
死に物狂いで頑張れば、奇跡を起こせるかもです。

心形刀流という剣術の流派がありますが、それの
極意に
「行き詰まったら死に物狂いになって頑張る」
てのがあります。


”奇跡ってなんですか?”
   ↑
常識では起こるとは考えられないような、不思議な出来事。


”運命ってなんですか?”
   ↑
この世は偶然の積み重ねで出来ています。
結果が出て、原因から遡って考えると、あたかも
一つの物語のように思えることがあります。
これが運命です。

つまり、運命など存在しない、ということです。
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No 10,12,13


をあわせて考えてみましょう。

N:Aさんが奇跡が起きているかを確かめない状況の効用
T:Aさんが事象が起きていることを確認しようと行動し、かつ確認できることによる効用
F:Aさんが事象が起きていることを確認しようと行動したが、確かめられないことによる効用。

これらは、完全に個人の価値観ですから、これを問題にしたり、変えようとすることに合理性はありません。

問題は、p:Aさんが事象が起きていることに遭遇することに割り振る主観的確率です。
Aさんが事象が起きていることに遭遇する客観的確率をp*とします。

p*T+(1-p)F < N

なら、確かめる行動を起こさないことが合理的ですが、主観的確率pが客観的確率p*よりはるかに高かったため、

pT+(1-p)F > N

となり、確かめる行動にでれば、合理的判断が欠如していたということになります。

逆はどうでしょうか。客観的確率p*では

p*T+(1-p)F > N

であるのに、主観的確率pが客観的確率p*よりも極端に低く

pT+(1-p)F < N

でるので確かめる行動にでなければ、合理的判断が欠如していたということになります。
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No12の記号の説明だけ、もっと正確に書きます:



N:Aさんが奇跡が起きているかを確かめない状況の効用
T:Aさんが事象が起きていることを確認しようと行動し、かつ確認できることによる効用
F:Aさんが事象が起きていることを確認しようと行動したが、確かめられないことによる効用。

確かめることのコストがかかるのですから、F<Nが妥当な仮定です。起きていることが確かめられればうれしいので、N<Tも妥当な仮定です。
(F<N<Tと仮に仮定してみます。)
p:Aさんが事象が起きていることに遭遇することに割り振る主観的確率
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No9 「価値観の問題」をさらに詳しくみていきましょう:



一般に奇跡と思われていることが、奇跡でなく、ある人々のまわりでは、頻繁に起きていることがあるとします。その人々にとっては、頻繁に起きているのですから、信じる信じないの問題ではなく、起きることは事実です。

そのことが起きることは奇跡で確率がとても小さいと思っている人をAさんとしましょう。

Aさんにとって、そのまわりでは頻繁におきている人々を探して、起きていることを確かめるには、時間や労力などの、コストがあかかります。Aさんはそれでも、確かめたいと判断するのか、判断しないのかは、究極的には主観の問題、価値観の問題です。

このAさんの問題を分析するには、期待効用仮説による行動分析が、簡単でわかりやすいでしょう。

記号を導入します;

N:Aさんが奇跡が起きているかを確かめない状況の効用
T:Aさんが事象が起きていることを確かめることによる効用
F:Aさんが事象が起きていることを確認しようとしたが、確かめられないことによる効用。確かめることのコストがかかるのですから、F<Nが妥当な仮定です。起きていることが確かめられればうれしいので、N<Tも妥当な仮定です。
(F<N<Tと仮に仮定してみます。)
p:Aさんが事象が起きていることに遭遇することに割り振る主観的確率

Aさんが奇跡が起きていることを確かめることの期待効用は
pT+(1-p)F
これが
N
より大きければ、確かめるように行動するということになります。
pTが十分大きければ、pT+(1-p)FはNより大きくなるかもしれません。

効用N,T,Fは主観的、確率pも主観的ですから、結局は確かめたいと判断するのか、判断しないのかは、究極的には主観の問題、価値観の問題ということになります。
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No10の訂正です:



なお、不確実なものは、起きる確率を間違えて判断すると、何でも害になります。つまり、不確実なものが害になるのは、合理的判断の欠如ということになります。

例えば、地震が起きることとします。日本では、地震が起きる確率は小さくても確率が正です:

おきえると信じないことは合理的判断の欠如。
小さい確率でもおきえると信じることが合理的。
明日ここで確実に起きると信じることは合理的判断の欠如となります。

地震ではなく、確率が小さくても正であるような奇跡としても同様です。
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なお、不確実なものは、起きる確率を間違えて判断すると、何でも害になります。

つまり、不確実なものが害になるのは、合理的判断の欠如ということになります。

例えば、小さくても確率が正である地震とします:

おきえると信じないことは合理的判断の欠如。
小さい確率でもおきえると信じることが合理的。
いつでも起き得ると信じることは合理的判断の欠如となります。

地震ではなく、奇跡としても同様です。
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>奇跡を信じる、価値って、あるんですか?



人の価値観の問題。だから、客観的にどうこうとはいえない事柄です。
つまり、質問者さんは「価値」という言葉を使うことで、すでに答えを持っているのです。
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ないです。



奇跡とは、自分の予想に反していた現象です。
運命とは、自分の予想です。
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順序を変えて回答をいたします。



>奇跡ってなんですか?

・通常では起こり得ない事。通常の概念では考えられない事。


>運命ってなんですか?

・運命とは、その人の持つ定め。通常は人間の意志では変えられないと言われています。
仏教上では、『業』という概念がありますが、この業が命(生命)に宿る事を宿業と言い、宿業からの様々な現象化をとらえて『宿命』と言います。運命と宿命とは似たような概念ですが、宿命は人間の意識により変換する事が出来ます。また、この宿業を持った命(生命)が原因となって、自身の身体や環境との関係を『依正不二』と言います。


>奇跡を信じる、価値って、あるんですか?

・先ず一つに、信じなければ奇跡は起きません。逆に、『何としても助かりたい(助けたい)』や『どうにかしたい』等の必死な思いから奇跡は起きる場合はあります。起きる事が稀であることから『奇跡』という事もあるでしょう。実際に奇跡と思われている事は、世の中には多く存在していると思いますよ。何が言いたいかといえば、『奇跡が起きるのはあなた次第』ということです。
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奇跡はただ「待つ」もの。

運命は自らで「変える」もの。
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