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「なぜ茶髪はダメ」と聞かれたらどう答えますか。
私自身はダメとは思っていないのです。ただ社会的に認知されていません。なので説明が難しいです。
私は茶髪は社会意識の中でまだ、異質なものとされ、それで、排除されているのではないかと思っています。スケープゴートと同じ原理です。異質なものを排除して秩序を守るということです。
しかし、「なぜちゃ髪はダメ」の答えにはなっていません。
どうぞ、いい考えをおしえてください。

A 回答 (32件中11~20件)

tomikou0000さんへ



印象というのは大切ですよ(^^;
というか、営業を全くわかってないと思います。

本質が良ければ買うかもしれませんが……真面目そうな外見の人が売るより販売率は落ちると思います。

赤い髪の営業が家に来たとして、その人を雇っている会社を信用するでしょうか?
また、その人が紹介している商品が本当に良いものであると判断するでしょうか?
ありていに言うと詐欺かも?と思われるのではないでしょうか?

tomikou0000さんが言うようにその人のバックグラウンド(商品だったり、実績だったり、会社だったり)を調べることは重要です。しかし、逐一調べ上げることは面倒です。
そこで一つの判断材料として人の外見を見るわけです。

人がまず判断する場合、何にしても外見を見ます。
外見を見ることでその人の人となりを見、そのバックグラウンドを想定するのです。
外見がだらしない場合、その人の人となりを疑われることになり、ひいてはその人の後ろにあるものすら疑われることになるのです。
少なくとも金髪鼻ピアスの医者は実績が確かでもちょっと怖いです(というか、実績そのものがでっち上げかもとか思うかもしれない)

さらに言うなら、相手が少しでも営業の知識があろうものなら、「赤い髪のの営業」=「信用できない」と判断されると思います。

医者の例で話してみましょう。
医者は沢山います。
その中で名医と呼ばれる人が数人います。
数人の中で誰を選びますか?
1)真面目そうな外見の人
2)大学病院の医者=大学医学部教授
3)赤髪、鼻ピアスの人
普通の人は1)2)は選んでも、3)は選ばないのではないかな?

まずは外見からということですよ。(当然、中身はもっと重要ですが)
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営業の話を忘れてました。



>その会社の信用を印籠のように使うものではないと思いますがいかがでしょうか?
>じっさいあなた自身赤い髪になんの偏見もないようでしたら、
>会社をバックに信用させる必要なんてないと思いますけど。
>あなた自身が信用される自信があるのでしょうから。

営業の話ですよね?
営業って自分の会社の「商品」を売り込むんですよね。
だから別に、印籠とかって言うのではなくて、
「この会社の商品について、売込みにきました」というアピールです。
いくらmo-さんの言う「社会的信用のある」見た目でも、
怪しい会社名だったら取り合わないじゃないですか。
そういうことを言ってるんです。
会社がしっかりしていて商品もしっかりしていれば、営業として問題ないじゃないですか。
買ってもらえるかどうかは、その商品の良さだし、その良さの説明しだいだと思いますから。
いくら営業の人の見た目うんぬんをがんばったところで、ダメな商品は売れませんよ。
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>重病で手術するときに執刀医が金髪や赤い髪に鼻ピアスだったからあなたはそれでもいいですか?


>重大な事件で弁護士を依頼するとき弁護士がそういう外見だったら
>あなたはその人に自分の命や人生を預けられますか?
>私なら預けたくないですね。
>もちろんそうういう外見であっても腕が確かな人はいるでしょうけど、印象の問題ですよね。

そんな重大な事を、最初の『印象』だけで決めるのですか?
僕は決められません。
どういう医者か、どういう弁護士か、経歴なんかを先に見て決めます。
見た目なんて、二の次です。どうでも良いです。
「○○の権威」なんて聞けば、見た目なんかに関係なくその人に頼むと思いますけど。
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再度mo-です。

またまたtomikou0000さんに。それと他の方へも全く関係ないわけではなく、この件の原点のような気がするので。

>ちなみに僕が営業に回されたら、この赤い髪のままでや>るけどなぁ。
>この方が、お客さんに覚えてもらえそうな気がするか>>ら。
>バックにある会社がしっかりしていれば、名刺出せば信>用されると思うけど。

こう考えていらっしゃる時点で、あなたはまだ社会と言うものがわかっていないと思います。たしかに赤い髪の営業マンなんていないでしょうから覚えてはもらえると思います。しかしそれがいい意味でかどうかは別問題です。あなたは気づいていらっしゃらないかもしれませんが、あなたが赤い髪で営業していることでバックにある会社はしっかりしていても、あなたがいることで逆にバックの会社まで信用なくすことおわかりになりませんか?

たとえば「○○商事です」とか「○○銀行です」とそういう頭で来られたら「はぁ?」「なんだこの会社」って思われると思いませんか?つまり会社全体があなた一人のために信用も失うんですよ。会社の信用と言うのはバックにあるものではなくて、社員一人一人で築きあげるもので、その会社の信用を印籠のように使うものではないと思いますがいかがでしょうか?じっさいあなた自身赤い髪になんの偏見もないようでしたら、会社をバックに信用させる必要なんてないと思いますけど。あなた自身が信用される自信があるのでしょうから。

もっとわかりやすくいうと、重病で手術するときに執刀医が金髪や赤い髪に鼻ピアスだったからあなたはそれでもいいですか?重大な事件で弁護士を依頼するとき弁護士がそういう外見だったらあなたはその人に自分の命や人生を預けられますか?私なら預けたくないですね。もちろんそうういう外見であっても腕が確かな人はいるでしょうけど、印象の問題ですよね。

他の皆さんはどう思われますか?
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>社会的信用って言う意味が違うような気がします。


>別に安定した職業っていう意味でもないですよ。

mo-さんのいう「社会的信用」ってどういう意味ですか?
僕は「ちゃんとした仕事をしている」って意味だと思っていたのですが。
だから「フリーターはよくないから、ちゃんと就職しろ!」って言うんじゃないの?
というか、逆に「社会的信用のない状態」ってどういうのを言うんですか?
僕は髪を赤くしてからずいぶん経ちますが、この髪で困った事は何一つないですよ。
これって社会的信用があるからなんじゃないのかなぁ?

>髪を染めて営業すればいいのでは?

僕もそう思います。ただ実際やっている人がいないだけです。
上司にそういう偏見を持った人がいるんじゃないのかな。
「そんなんだから、営業成績悪いんだ!」とか言う人が。
(営業部の内情は分からないので、何とも言えませんが)
実際、仕事にマイナスだったら、普通やめますよね。
成績伸びていたら、問題ないんじゃないの。

ちなみに僕が営業に回されたら、この赤い髪のままでやるけどなぁ。
この方が、お客さんに覚えてもらえそうな気がするから。
バックにある会社がしっかりしていれば、名刺出せば信用されると思うけど。
話してる中身がなってなかったら、それはもちろんダメでしょうけど。

※suyasuyaさんを無視しているみたいになってしまってごめんなさい。
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tomikou0000さんへ、偏見ではありませんよ、それを世間では常識というのではありませんか?社会的な信用のある職業をしてらっしゃるそうですが、職業はそうでも髪を赤くしているあなたは社会的な信用ありそうですか?


あなたと口論するつもりではないんですが、メーカーのエンジニアは社会的信用のある職業なんでしょうか?きちんとした会社の社員ではあると思いますが、社会的信用って言う意味が違うような気がします。別に安定した職業っていう意味でもないですよ。
なぜあなたがこの回答をしたのかわかりません。自分は社会的に信用のある仕事に就いているけど、髪を赤くしているぞ、だからそんなことは関係ないっていう意味でしょうか?だとしたらなぜあなたの会社の営業マンはちゃんとしてるんでしょう?髪が赤くても社会的信用があるのならその営業マンもきちんとする必要ないんじゃないですか?髪を染めて営業すればいいのでは?
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mo-さんの回答にちょっと偏見を感じました。


>いわるゆる堅い仕事といわれている社会的信用のある職業ではないはずです。

僕は髪を赤く染めていますが、大手電機メーカーでエンジニアをしています。
堅くはないかもしれませんが、れっきとした「社会的信用のある職業」です。
うちには茶髪や長髪の男性が沢山います。服装も自由で、ほとんど私服です。
仕事内容と、見た目は全然関係がないからです。仕事できればいいじゃないですか。
もちろん、お客さんと会う営業の人なんかはスーツですよ。
同業他社でもこういうところがほとんどですよ。


そういう偏見を持った人が世の中にまだまだ沢山いるから、「茶髪禁止」なんていうんですよ。
実際、理由がちゃんと言えなかったりするじゃないですか。
理由なんかないんです、嫌なものはいやなんです。という人が世の中にいる事は事実です。
だから、やめとけって事なんでしょうね。それが理由になるのかな?
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私はこの質問を見て今も昔も変わらないのかなと思いました。

私の時代は食堂禁止、映画館(別に18才未満の映画ではなく学校の許可が必要)は父兄同伴でなければ禁止、不純異性交際(単に女性徒と外泊しただけ)は退学、当然頭は丸刈り、喫茶店等は先生の監視下に入り要注意学生。しかし先生の見えないところで女性徒はスカ-トの襞の数を変えたり男性徒はせめて靴下(白を赤)か、学帽(被る義務あり)に趣向を凝らすぐらいが楽しみで結構楽しんでいました。社会人になれば背広のズボンはストレ-トは禁止で折り返しのズボン。今の時代は個性の時代だと言いながら全て同じでならなければいけない時代なのかな。私も息子が学生の時に言っていたのは髪は清潔に、髪を染めても手入れが悪い為に半分茶髪で半分黒は駄目(私も若いときはアイパ-をかけていましたが御金が続かず止めました)。前置きが長くなりましたが茶色、紫、何でも良いのではないでしょうか。本人が駄目だと思えば止めると思います。そんなことまで後生大事にいちいち言うほうがおかしいと思います。但し私は映画が好きで先生(日曜日に先生が映画館に監視に来ます)の目を逃れて色々な名画を見ましたよ。
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子供たちに言い聞かせるとなると、親や大人たちの視点からの話では反感を呼ぶこととなるでしょう。

子供の立場に立って、ではいったい何が問題なのか、を理解させないと難しいですよね。

1.染色・脱色剤の毒性について
茶髪にする薬剤の毒性が指摘されています。皮膚を通して発ガン性物質が体内に蓄積されることが可能性として上げられていますがいまのところはっきりとは研究結果が出ていないもようです。学校としては子供の健康を害する可能性のあるものを見過ごしには出来ません。

2.自由=責任
「○○の自由」なんて言葉が氾濫していますが、これは自分に責任が取れる人間がすることです。もしそれをするに当たって自分でトラブル処理が出来る、社会的に責任が取れるならいいが、まだ未成年の子供です。例えば、「Aさんが茶髪にしてBさんにその染色剤を薦めて、Bさんがそれで茶髪にしたところ薬剤が合わず髪の毛がハゲてしまった。」場合。Bさんは自分でしたことですが、薦めたAさんの責任にしたいでしょう。AさんはBさんが自分で決めてやったことだからとBさんの責任にしたい。Bさんの親はそもそもそんなことを許している学校や薬剤の会社の責任にしたい。一つのトラブルでこのように責任を求められた場合対処できないのであればそれを最初から許可したり推奨したりするのは無責任と言うものです。大人ならまだしも子供にはまだその判断能力が完全に備わってはいないし、未成年であるがゆえに責任能力が少ない。そういう自分たちの立場をよく理解すべきです。

3.前の回答にも書きましたが、学校は我慢を勉強する場でもあります。学校でしっかり我慢を勉強しておかずに社会に出ると大変なことになります。学生は学校の校則などにおいて守られている部分がありますが、社会に出ると各機関において規則はあるもののそれを守る守らないは個人の自由です。しかし、先にも書いたとおり社会からはねだされてもそれは自分の責任なのです。社会には校則以上の大量の目に見えないルールが存在するのです。学校は勉強も大事ですが、卒業後スムーズに社会に出られるよう手助けをする場でもあると思います。校則は学校内をまとめるための大人の立場だけのルールではなく、愛の鞭でもあるのです。

4.前にかかれている方々がおっしゃる通り、犯罪や非行から生徒を守る、というのはとても理にかなった好感の持てる表現ですよね。

以上は建前ではなく、一人の人間の親として学校や先生方に望むことでもあります。
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学校と社会では話が違ってきます。

あなたは学校での話を想定しているのですね。
なぜなら社会では「茶髪」だろうが「入れ墨」だろうが何をしようと自由だからです。しかしこの自由にも制約があります。というのはやるのは個人の自由だが、それを受け入れてくれる環境(場所)とそうでない環境(場所)があるということは事実です。例えば私が今日茶髪にしたとします。その茶髪を非難することもやめさせる事も誰にもできません。しかし私は明日出社すると同時に職を失うでしょう。
もちろん茶髪でもいい職にはありつけるかもしれません。でもそういう職がいいか悪いかは別にして、そういう仕事とは銀行マンでも、役人でも、警察官や裁判官でもないでしょう。いわるゆる堅い仕事といわれている社会的信用のある職業ではないはずです。私はそういう仕事に就いていたいから、それを失うのがいやだから茶髪にしません。環境に受け入れてもらうため自分の自由を犠牲にして集団に属しています。
でもどうするかは個人の自由なんです。ただそれを受け入れてくれる環境があるかないかの違いだけで・・・。

さて話が長くなりましたが、学校の話にもどります。学校では生徒全員が学校に受け入れられているわけです。受け入れられている以上そこにはそれなりのルールや暗黙の了解的規則があります。(たとえそれが明言化されていなくても)ですから受け入れられている以上そこは何でも自由(フリー)ではありません。もし自由をとおしたいなら学校という枠から外れればいいだけの話です。つまり学校とういう組織に属している以上限られた自由しか認められていないのは当然の事だと思います。制服だってあるし、朝は何時までに学校に来るだとか、いろいろな決まりごとがありますよね。「そんなの俺の勝手だ」じゃ集団がなりたたないでしょう。
ここが学校と社会の違いです。社会はそれを受け入れてくれる社会もあれば、そうでない社会もあります。でも学校は受け入れてくれる学校なんてないでしょう。枠は一つだけです。
人間はあくまでも自由ですが、それを受け入れる集団とそうでない集団があるのです。その集団に属したければそこでも規則を守るべきでしょう。これが答えです。
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