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自殺とはそんなにやめるべきことなのでしょうか
私は自殺したいと思う
苦しいのに生き続ける意味とはあるのでしょうか
住む場所も働く場所さえもない人は絶望ではないのでしょうか

A 回答 (14件中1~10件)

一部の幼児たちがいうんですけど、生まれてきたくて生まれてきた。


そして、自分の人生の苦難を決めてくるって。
それを乗り越えて、成長するために、生まれてくるんですって。
それが本当だとしたら、今の絶望を乗り越えるためにあなたは生きているんです。


あるリサイクルショップを立ち上げた社長がいるんですけど、一文無しになって住むところもなく、もちろん仕事もなくなったときに、捨ててある冷蔵庫を拾って、修理して売ったんです。その後それなりに裕福になったようです。
絶望しかないわけではありません。

自殺したいという人は、無になると思っていますが、あの世があるという考え方の人もいます。
あの世がある場合、自殺したからと言って、楽になれるかどうかはわかりません。
本当の寿命の年齢まで、魂が何度も自殺を繰り返すんだという人もいます。
何が正しいかは死んでみないとわかりません。

死んで楽になれるかどうかわからないのに、無責任に死を勧められません。
でも、生きていれば挽回のチャンスはあるかも、ということは言えます。

死んで楽になれなければ、もう死ねません。
そういうリスクも踏まえて考えればいいと思います。
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自殺するほど、根性も勇気もありません …


どうやって、生きていこうかと悩んでいます。

でも、目が覚めたらこうして、今日も生きてますので
なんとかなるもんだと、思っています 。
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私も自殺を考えています。


悪いことではないと思います。
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自殺したければすれば良いです。


但し、その事によって貴方以外の人に手間や迷惑などを一切掛ける事も無く、何処にも貴方の記録も無く誰にも貴方と言う存在の
記憶が無いと言う事で有ればの事ですが。
その様な方法は未だに誰も見いだしても居ませんがね。
その様な方法が貴方にあるのならどうぞ自殺して下さい。
誰にも手間や迷惑を掛けないのですから、その方法も表に出る事は有りませんし貴方が探される事もありませんし、
自殺体が発見される事も絶対ありませんからね。
ここに投稿した時点で条件の一つは既に崩れていますが。
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自殺をすると、あなたが自殺をしたせいで他の人も自殺をします。


だいたいはあなたが大切に思ってる人です。
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引き留めてほしいのであれば、引き留めます。



死なれたら迷惑する人って自身が考えている以上にいるんですよ。
迷惑にならないように生きてください。

とりあえず…
何がしかの労働で稼いだお金を社会に還元して税金払って生き続けてください。(マジで)

「いやいや、死んで他人に迷惑を掛けたいんだ」
と言うのであれば、グダグダ言う必要なんかない。
…だろ?
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・死後の後片付けが犯罪レベルで周囲の迷惑。


 どうしても死にたいなら、所持品は全て処分するか現金化し、警察に通報してくれる人を雇い、死後の対応を全て記載した文書(法要等を希望するならその費用も)を残し、死体があがらないように火山の火口に飛び込むくらいのことはして欲しい。
・死んで楽になる保証はなく、また死なない方がマシだったと思っても戻ってくることはできない。
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死にたいという人間が嫌いです。


更に嫌いなのは、死刑になりたかったから、
などと言いながら、無関係の人を巻き込むもの。

私は、二度自殺未遂をしました。
一度目は首吊りで二回目はガスで。
縄がほどけて助かり、
ガスは車に充満する前に人に見つかって、
またそういうときがくるのかもしれません。
ただあの苦痛を思い出すと、震えます。

やめるべきこととは思えません。
その人の悩みはその人にしかわからない。
何をしたって、鬱屈としていて
一日一日が辛くてたまらないのですから。

今は仕事をできていますが、
別に心境に変化があったわけではありません。
せめて、生きているうちに
ここまで育ててくれた親に恩返しをするだけです。
これが自分の生き甲斐なんでしょう。

人間は環境だとか、働けないとか、そういったことでは絶望はしません。
生きようともがいて、疲れ切ったときに絶望するんだと思います。
介護疲れで親子が心中する事件のように。
育てた親を思えば、涙が出ますが。
せめて死ぬなら、人に迷惑をかけないように。
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お気楽ですからね、後始末もさせられた者にとっては怒りを感じて迷惑でしたし。

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第三者が自殺を止める意味は、「生きる意味があるから」ではありません。


自殺は何度でもやり直せますが、死んだら二度と生き返らないからです。

私の目の前に自殺志願者がいるとして、それを止めるのがもし間違った選択だったとしても、その志願者は私のいないところで自殺をやり直すことができます。ですから、私の過ちは取返しのつくものです。

ですが、もし「自殺を止めずに見過ごす」のが間違った選択だったとしたら、既に死んでしまった人を生き返らせることはできず、したがってその過ちは取返しがつきません。

ですから、その自殺志願者に無関心かつ無責任な第三者が取りうる選択は、常に「自殺を止める」がベターです。これは、自殺志願者の気持ちは関係ありません。単純に、「止める・止めない、どちらが取返しがつくか」というだけの問題です。


私はこの点が理解できないのですが、「私は生きていてはいけないのか」と社会に問うことをやめ、人にも社会にも絶望した人が、どうして今度は「私は死んではいけないのか」と人や社会に問うのでしょうか。

その人の生に無理解であった社会が、その人の死については急に態度を変え、理解ある姿勢を取ったりするわけがありません。生に無理解だったんですから、死に対しても無理解に決まっています。

しかし、世の中には「死にたい」という人を支援する団体はありませんが、「生きたい」という人を支援する団体はそれなりにあります。まだしも「生きたい」ということについてのほうが、社会も人も手助けしてくれると思いますよ。何せ、生きたい人が生きる手助けをしても善行にしかなりませんが、死にたい人が死ぬ手助けをしたら道義的にもまずいし、何より犯罪です。

自殺について、他者の理解が得られない理由はそういうことです。「生きること」についてよりも遥かに他者の理解は得られにくいですよ。

もし、他者の理解が欲しければ、生きる・死ぬは一旦脇に置いておいて、ご自身の絶望の内容について話すことをお勧めします。それならば、人は聞いてくれますし、理解を得ることも可能だと思いますよ。誰しも、私自身も、そうなる可能性のあることですから。
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