
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
中国は日本文化の師匠でした。
文字だって中国からの輸入品です。
平安時代の公文書は、漢語でした。
昔の教養人というのは、中国の歴史や
文学に詳しい人を意味しました。
清少納言の次の逸話はあまりにも有名です。
中宮(定子)様 が「少納言よ、香炉峰の雪はどんなでしょうね」
とおっしゃったので、御格子を あげさせて、
御簾を高く巻き上げたところ、(定子様は)
にっこりとお笑いになる。
「A そういうことは誰でも知っているし、歌などにも詠むけれども、とっさには思いつきもしませんでした。
B やはりあなたは、中宮様にお仕えする女房としては、
ふさわしい方なのでしょう」 と言う。
中唐の詩人、白居易の『白氏文集』に出てきます。
平安時代の貴族は広く漢詩を愛読していたのでした。
「 遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、
香炉峰の雪は簾をかかげてこれを看る 」
つまり、舶来品ということで有りがたいとか
重い意味があったのだと思います。
それが習慣になって残っているのでは
ないですか。
師匠が欧米だったら英語表記になって
いたかもしれません。
早速のご回答ありがとうございました。
かって中国は先進国であったため、中国からの
<舶来品ということで有りがたい>
という意味があり、現代まで残っているのですね。歴史の気まぐれによっては、
<英語表記>
もあったかもしれないのですね。
No.4
- 回答日時:
そのような習わしが日本に根付いていると理解しておけば良いのではないでしょうか。
他でもなく日本がそうなのだ、と。ご回答ありがとうございます。
確かに
<そのような習わしが日本に根付いている>
のでしょうが、なぜ、根付いているのか、知りたいのです。

No.2
- 回答日時:
質問の主旨は↓でしょうか。
>質問は、元号は、なぜ日本の古典から引用せずに、中国の古典から引用するのですか?
回答
1:元々大陸の制度だったから。
2:江戸時代は、思想=儒学 なので学者はそれらの古典(漢文)の知識が普通にあった。大政奉還以降も政治はそれらの武士や学者が担っていた。
質問の「目的」は↓でしょうか。
>日本には、価値ある古典が無い、という理由でしょうか?

早速のご回答ありがとうございました。
1.元号は、元々大陸の制度を文化的輸入したのですね。
2. 社会の基本思想が儒学であり、それを現代も引き継いできたのですね。
No.1
- 回答日時:
長い伝統を持ち、しかも今では使わないため意味も変動することが無いからです。
元号に込める意味を遙か後世まで残そうと思ったら、そういう死んで厚みにある
言葉が相応しいのです。
極端な話、年号に、AKBとか「きゃぴきゃぴ」とか使った時、その寿命は何年持
つと思いますか?どう意味が変化するかも。
日本の古典は、価値物が無いのではなく、歴史があまりにも浅いというだけです。
早速のご回答ありがとうございました。
<意味も変動することが無い>
から、中国語から引用するのですね。日本語は、
<歴史があまりにも浅い>
という弱みがあるのですね。
この質問をしてから考えていましたら、次のを気ずきました。西洋では、新しい言葉を作る際に、ラテン語や古いギリシャ語から引用することがありますね。日本語にとって中国語は、ラテン語などのようなものなのですね。
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