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悪口とは何か?

何らかの理由で相手を憎んだ時に、その人の非を責める言葉である。
それを、私なりに以下のごとく分類してみます。

1 相手から何らかの理不尽なあるいは侮辱的な言動を受けた時に、反射的に
相手を責める言葉を発すること。
これを「喧嘩」と言い、悪口ではあるけれども許されるものとする。

2 相手の言動を、自分の価値観に照らし、著しく悪いと判断できたときに、「
それは間違っている」と指摘すること。人の価値観を否定することにもなるわ
けですから悪口といえると思いますが、「善意」の発露であるので、これも許
されるものとする。
善意での指摘は、相手に良い影響を与えることもあるでしょう。

3 自分の利益が損なわれるという理由から相手を憎み、なきものにしようとす
る意図から行われる、策略的な悪口。
あるいは、自身の自信のなさ、心の虚しさを紛らわせるために行われる悪口。即
ち現代的「いじめ」です。
これこそが、人を追い詰め、苦しめる、ある意味物理的なもの以上の「暴力」で
あると思います。

もちろん「3」が問題なのですが、これはやっている本人さえも、何らかの理由
をつけて、「だからこの人が悪いのだ」という意識でいるでしょうから、気が付
くことさえないし、法で裁くこともまず無理でしょうから、実に由々しき問題と
いえると思います。

さて、皆さんはどのようなものが本当の「悪口」だとお考えでしょうか?
そして、悪質な策略的で狡猾な悪口である「いじめ」に対処するにはどうしたらよ
いかとお考えでしょうか?

A 回答 (25件中1~10件)

誰かが悪いと感じたら、悪口です。

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この回答へのお礼

4分後のご回答ありがとうございます。

大切な点でしょうが、気を付けないといけないと思います。

お礼日時:2016/10/05 00:14

聞いた人が不快に思ったり傷付いたりしたら悪口だと思います。


いじめは、まず周りに相談します。ですが恐らく解決しないでしょう。その場合は、
いつか見返してやる、いつかお前らよりうんと幸せになってやるから見とけ!!位の気持ちで、生きていけばいいと思います。
大丈夫です、味方はちゃんといるので、その人を大事にしてください。リアルじゃなくったって、こういう場所にいるかも知れませんよ。
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この回答へのお礼

例えば、女性が傷ついているとき、相手の男性が悪くなることが
多いと思いますが、そうでないときもあるでしょう。
いじめは、周囲に相談したところでなかなか難しい現状があるよ
うで。

いずれにしても、繋がりだと思います。うわべでなくて、人間と
して「生」の繋がり。

心優しいご回答ありがとうございます。☺

お礼日時:2016/10/05 00:36

いじめと言うのは恐ろしいもので 一人対多数になって一人が死ぬほど苦しむ。



これが多数対多数になると抗争、戦争になる。戦争の愚かさを知っているものならば

その様な行為が如何に人間を苦しめてきたか省みるべきだと思う。

シリアでもやってる ベトナムでも朝鮮でもやった不幸のどん底を繰り返す行為だ。
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この回答へのお礼

一般的にですが、日本人の目的観は低いですよね。

太平洋戦争中、陸軍と海軍は極めて仲が悪かったらしい。
お互いに「敵」だと公言していたといいます。
これが日本人だよね。

だから、ハルさんとか私の目的観が正視眼だと言いたいのです。

お礼日時:2016/10/05 02:04

こんばんは、ニャンポコさん。



格好悪くノコノコと這い出してきてしまいました(苦笑)


上記3つの「悪口の定義」に多少の疑問があります。

1、は言ってみれば「売り言葉に買い言葉」といった場面ですね。或いは「思わずカッとなってしまう」いづれにしても持続的・継続的なものではありません。

2、は「批判」ではあるけれど「悪口」とはいえないと思います。

>人の価値観を否定することにもなるわけですから悪口といえると思いますが、「善意」の発露であるので、これも許されるものとする。

「悪意の発露」こそ「悪口」の定義でしょう。
わたしはこうしてニャンポコさんの「悪意の定義」にある種の疑義を申し立てているのですが、少なくともニャンポコさんを侮辱しようとして発言しているわけではありません。無論「善意」でもない。ニャンポコ説「A」に対して、「B」説を対置して互いに検討しましょうということです。

3、につづいて、4もあるのではないかという考えです。


>自分の利益が損なわれるという理由から相手を憎み

ということは、この場合「相手」の力、その存在を、ある程度「脅威」として認識しているということになりますね。しかしジャイアンはのび太の存在を「脅威」あるいは「自分の地位」を脅かしうる存在と考えているでしょうか?ジャイアンは単にのび太をいじめて愉しんでいるのでは?

ジャイアンがのび太をいじめるときに

>自身の自信のなさ、心の虚しさを紛らわせるために行われる悪口。即ち現代的「いじめ」。

という意識があるでしょうか?

つまり「悪口」には、自己(この場合自分の属する集団をも含まれる)への絶対的な自信、肯定と、その背後にある他者軽視、否定というケースもあるのではないかと思うのです。

この場合

>これはやっている本人さえも、何らかの理由をつけて、「だからこの人が悪いのだ」という意識でいるでしょうから、

というよりは、むしろ

「だからわたしは正しい(=間違ってはいない)のだ」というある種の自己信仰があるのでしょう。
その支えになるのが例えば「学歴」であったり「所属している集団の社会的地位」であったり、「過去の実績」
であったり、または単にナルシシズムであったり....

ニャンポコ「悪口説」3では「憎しみ」がポイントになっていますが、
それに加えた4では、憎むほどの関心は持ってはいないが、自分より劣った者として、いわば愚弄・嘲弄してなぶって愉しむといった感覚ではないかと考えています。

>悪質な策略的で狡猾な悪口である「いじめ」に対処するにはどうしたらよいかとお考えでしょうか?

3の

>自分の利益が損なわれるという理由から相手を憎み、なきものにしようとする意図から行われる、策略的な悪口。

これはなんとなく大きな組織での権力闘争といった様子で、双方が共に「パワー」を持つ存在だと考えられます。

>自身の自信のなさ、心の虚しさを紛らわせるために行われる悪口。即ち現代的「いじめ」です。

この場合は「おおきな抱擁(包容)」が必要に思えます。絶対的に信頼を寄せることができる存在が必要ではないでしょうか?

問題はジャイアン的に「万能感」を持った人たちでしょうね。彼らはそもそもこの社会での「成功者」ですから、そういう人たちが弱者をいたぶることを止められる方法ってあるのかな、と懐疑的です...
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この回答へのお礼

こんばんは。

回答の内容に触れる前に一言。

まあ、この質問はあなたと話すことが目的の一つだったのです。
面倒なんで、あまり気を遣わず話しますが、

私がよくわからないのは、なぜあなたがそんなに自分を責めるかなということ、あなたの
癖のようですけれど。

合わない人がいて、苦手になったから「ブロック」した。特に変わったことではないですよね。
私は一人だけですがいます。独特の理屈っぽさが嫌で「ブロック」しています。それで万事終了
でいいのではないですか?

そのあとに、その人がどんな質問を立てようが、個人的に何を言おうが気にしては‥‥
気にしちゃうのは今の若い人みたいですね。

私はそれほどネットにハマっていないし、心臓に少々毛が生えているので、まず気になりません。
あの方は私がここに参加した一年三か月前からずっとあの調子ですよ。ハッキリ言ってあきれ返
っていますよ。「ばかじゃねーの」ってね。

あなたの繊細な心を分かっているとは言いませんけれど、あなたと話したい人は幾人もいるわけ
ですから、これからも楽しまれたらどうでしょうか?
尤も私が喧嘩を売って不快にさせてしまうかもしれませんが。

おっと、遅くなってしまったので、つづきはまた明日。

お礼日時:2016/10/05 02:40

「力の単位」として



1ジャイアン=10のび太

と言っていいでしょう。理論的にはのび太に10人の味方がいればジャイアント渡り合えるわけです。
けれどもそこにはドラえもんというまた物理的・腕力的なパワーとは違った力を持った存在がいるわけです。

力に対抗するために昔から取られてきた方法は「連帯」です。

とはいえ、10人の味方も、ましてやドラえもんなどどこにもおらず、力もなく孤独に生きているわたしやハルさんのようなものも少なくはないのです。
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この回答へのお礼

つづきです。

「人の非を責める」ということを、まとめて「悪口」と定義をして「3」を
際立たせようとした試みでもありました。

「1」の「喧嘩」ですが、相手によっては長引いて、長期戦になり「3」に繋がってしまう
こともあるでしょうから、これも気をつけねばならないと言えるでしょう。

「2」ですが、善意であり、「教育的指導」であったとしても、いわゆる「価値観の押しつけ」
になってしまう側面があり、そこを考えてみようとしました。
また、自分の価値観が正しくない場合、善意が何ら価値を持たないということにもなると考え
ました。

「4」についてですが、ジャイアンは身体は大きいけれど、心に弱いところのある子ではないか
と私は思います。彼が、将来会社を興して成功したならば、包容力のある男に成長するのでは
ないかと思います。
たたき上げの社長などは、陰湿な弱い者いじめなどはまずしないと思うんですね。問題は「木っ
端役人」根性。

こういう根性を持った人間は、長いものには巻かれ、保身的で、実は気が小さい。だから、陰湿な
弱い者いじめをし、「なんて自分は頭がいいんだろう!」って、うっとりしたいんでしょう。唾棄
すべき存在です。

>大きな抱擁、絶対的信頼を寄せられる存在が必要

その通りだと思います。そういう資質のある子供たちはいると思うのですが、おそらくいじめられて
排除されているのではないでしょうか。

お礼日時:2016/10/05 09:39

例えばわたしが社会人のサークルに入っているとします。

12名のサークルです。
10名とは友好的に関係を持てているけれど、後のふたりとどうしても合わない。
その時10:2の割合で、そこに残るか?そこを去るかはわたしにとってはとても重大な問題なのです。
仮にそれが20:1の割合であっても、わたしの精神状態に悪影響を与えると思えばそこを去らざるを得ないのです。
ですからわたしは35歳の時、今から23年前に社会との関係を絶ったのです。
無論その時にはわたしの味方は家の外にはひとりもいませんでしたし。

イングマル・ベルイマンの『野いちご』(1957)の中に

"I lost my way among empty street..."
「わたしは、人気のない通りで道に迷ってしまった」
というセリフがあります。人は人と共にしか生きられないのかもしれないですね。

社会から離れて、人気のない道で、方角を見失ったのです。

最近の若い人は知りません。わたしはテレビを観ないし、ラジオも聴かないし。
第一スマートフォン・フォビアのわたしは彼らとは決定的に違いますよ。(フォビア - phobia ) = ~ぎらい、恐怖症。


↓これはわたし?自分でもわからない。路に迷っているから。
「悪口は暴力である」の回答画像6
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この回答へのお礼

この写真、心に刺さりますね。何か子供のころを思い出す。

G.Rさんは、自分のことを正直に語りますよね。私もそうです。
聞かれもしないのに無防備に自分のことをあからさまにしゃべってきました。
なんでだろうって考えたら、一つは自信があったのだと思いました。

私は、マンガ大好き少年で、手塚治虫も好きでしたが、横山光輝も好きで、な
かでも三国志の劉備、関羽、張飛のああいう濃い関係に憧れましたね。極道に
近いですよね(笑)。
自分はそういう濃い関係になれる中身を持っている人間であるという自信だっ
たんですね。でも、中身もなかったし、それを求める人もいなかった。
そして、自信を失い(しかし消えていなかった!なぜか)かなり寂しい思いをし
ました。

私が完全に自信を失わず、道に迷うことがなかったのは、憧れる人がいたから
だと思うんです。彼の話しをずっと聞いていたからなのだと今しみじみ思います。

義兄弟は側にいなくても亡くなった人でもいいんじゃないかと思います。

G.Rさんは「路に迷っている」ってことは、探しているってことですよね?

私って、入り込み過ぎ?

お礼日時:2016/10/06 00:29

訂正



>35歳の時、今から23年前に社会との関係を絶ったのです。

ごめん、18年前でした(汗)
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「アホかお前は。



猿だと思え。
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この回答へのお礼

なんだ、あんたか。

相変わらず、楽してるな。

もう来なくていいよ。

お礼日時:2016/10/05 08:42

(あ) 表現の自由・言論の自由が 基本です。

これは 無条件にです。
自由とは そういうものです。但し書きがついてもです。

(い) その上で問題をいま ふたつ取り上げます。

(う) 自由な発言を阻む場合・あるいは 自由な発言の内容を或る決
まった内容(いわゆるクウキとして流れているもの)に誘導する場合。

(え) これは 広く社会的な力学のしからしめるコトであり情況です。

(お) 細かくは触れませんが かなしいかな 権限を持っていたりす
るところの上位の者・つまり力学じょう強い者に対して 下にあって弱
い者は 家族の者とともに食っていかなければならないとき 膝を屈し
て従います。

(か) つまり 表現――生活という自己表現――の自由があってもで
す。チカラ関係について よいわるいは いま触れません。

(き) あと もう一つだけにしますが 対等な関係にある者どうしで
ある場合 そうであっても《脅し》という圧力をかけられたときには 
その当座は屈服します。

(く) もともと 無効な意志行為ですので 《なかったことになる》
のですが その起きたコトが消えてなくなるわけではありません。

(け) たとえば おれは人間の人間たる核としての心に異常をきたし
ている・また希死念慮の状態にもあると言って 相手と話をすすめるの
は 弱者をよそおった脅しです。

(こ) よく言えば いじめに対して 精一杯の抵抗を示しているとも
見られないこともないのでしょうが 基本としてやはり自己表現の自由
をみづから放棄している。と言わざるを得ないでしょう。

(さ) 趣旨説明における(3)の場合というのは 《自棄(やけ)を
起こしている》という単純な場合が ひとつ考えられます。

(し) 相手の存在を互いに受け留めるということ・あるいは互いの意
見を ひとまづ飲み込みおのれの精神の胃袋でしっかりと消化するとい
うこと こういう・人間としての社会人としての基礎が出来ていない。

(す) というところから ヤケを起こし 片っ端から自分の気に入ら
ぬもの(つまり 相手の文章)を何とかして削除しようとヤッキになる。

(せ) 気にくわぬものは 削除するのだという原始心性のなせるわざ
です。

(そ) 人間になりなさいと言ってやるのが 正解でしょう。さもなけ
れば ほろびなさいと。現代人は そこまでの基礎体力があります。
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この回答へのお礼

久しぶりのご回答を頂きまして、恐縮しております。

表現の自由、言論の自由は基本中の基本で、もちろん異論はございません。

社会的強者に社会的弱者が従わざるを得ない、ということにつきましては
異論がございます。
民主主義を成長させるために、社会的強者を「公僕」という認識に変化させ
てゆくべきであると思います。

次の点につきましても、異論がございます。
彼は、殊更に自身の障害のこと等を述べているように見えますが、私なりに
考えました結果、大変筋の通った話しであると理解しています。

彼は、自分を見失っていると述べています。自分を再び見出すために社会との
接点が必要である。しかし、リアルでは難しいのでネット社会で、ということ
必然的になる。おそらく主治医の指示ではないでしょうか?

彼にとって「合わない人間」の存在は、彼の精神的バランスを崩すものであると
述べます。
このことは、他人には分からないことです。一般的には「我儘」なのですが、こ
れは、彼に合わせることが社会的には正しい態度であると思います。
精神的障害を持った自我とは、大変に危険性を含んだものであるからです。

お礼日時:2016/10/06 01:18

日本家屋は土足厳禁である。


友人・知人が土足で入室した。
苦情・文句を述べた。正しいのか。
正しいのである。
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この回答へのお礼

すみません。何言ってるか分かりません。

お礼日時:2016/10/05 10:17

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