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他人や社会、国家のために、献身的に進んで命をささげていくような自己犠牲の精神を持つことが、果たして豊かな人間関係につながっていくのでしょうか?

A 回答 (6件)

うーん。

私は反対です。自己犠牲も限度があります。電車の座席を譲る、自分のお小遣いで困らない範囲を寄付する、などは適切かとおもいます。どれもその場限りで済むものだからです。しかし質問文には「命を捧げていく」とあります。こうなると話は別です。

ここまでの犠牲を払えば、当然、それを向こうが償ってくれるはずだ、そうでなければ理不尽だ、ということになります。自分でなければ遺族がそう思うでしょう。一家の大黒柱を失ったら、残された奥さんや子供はどうなっちゃうでしょう。しかし、こうなると補償金とて、容易ではありません。命を捧げてもらった側も、潰れてしまいます。

施す側も、施される側も、自律できる範囲で留めることが必要かと思います。
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この回答へのお礼

とても参考になりました!
ありがとうございました!

お礼日時:2016/10/15 10:38

命を捧げていくような精神を持つことは、命を捧げることとは別の事なんですね?命を捧げたら人間関係は0になりますもんね。



精神を持つだけって
ふりしてるだけ
絡んでくる人は増えるかも
うん、増えないかも
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当然です。

自己犠牲の精神というか、周囲のみんなが豊かになることを命を掛けてでも優先して行動する人がいなければ殺伐とするでしょう。
時として、そういう行動ができない人や敵に対しては果敢に戦う姿勢も必要な場合があります。
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この回答へのお礼

よくわかりました!!

お礼日時:2016/10/13 07:47

世のため人のためという精神が本物であれば、数は少ないでしょうが


同じ志の人達と、深い友情が築けるでしょう。

それは、とても豊かな人間関係であると言えると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!!

お礼日時:2016/10/13 07:47

今、あなたの周りにある衣食住、ほとんどの物が世界中から


やってきている物=世界中の人々と助け合って生きているの
です。
「他人や社会のため」というのは、実は自分のためなのです。

ただ、人類が分業化の発達において、そうした自己の生命の
社会的拡張を把握できる認識の深まりを怠り、自己チューな
意識のまま社会性のコースを走らせるための“馬車馬の目の前
のニンジン”であるお金や出世を発達させ、意識は「お金を
もらうためにイヤイヤ働かされる」ものに堕し、行動はお金を
奪い合う弱肉強食の擬似ジャングルと化したのです。

「自己犠牲」ではありません。「自己実現」です。
自己の可能性を社会的拡張の中に見出し、利他と利己の統合
された自律的社会行動=愛による助け合いとしての社会を
実現する事が、「豊かな人間関係につながる」のです。
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この回答へのお礼

詳しく説明していただきありがとうございます!

お礼日時:2016/10/12 21:44

ただの鴨になるだけです。

世の中、自分の事しか考えない人ばかりなので、人のために何かするとなればいい鴨になります。全て奪われて終わりです。人のために何かすると言うのは、あくまで会社や組織、チームのなかで誰かが認めてくれるという前提があっての行動です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
難しく考えてました。

お礼日時:2016/10/12 18:13

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