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質問です。

科学技術の発展は、これまで人間一人ひとりの生活を快適にしてきましたよね。これからも。

そこで思ったのが、

「快適・豊かさが増した分だけ、受動的になったり、何もしなくても全て<科学がやってくれる>という思考が出来上がる。つまりダメ人間になってしまうのではないか」ということです。

快適さ・豊かさ・楽さ、と人間性の退化は表裏一体なのでは? ということです。

AIや高性能ロボットが進化したら尚更だと思います。

どうすれば人間性が退化されない科学との付き合い方をしていけば良いでしょうか??

A 回答 (14件中1~10件)

進化=淘汰は、生きる機能を有する単位に対して働く。


即ち、人類はもはや社会的生命であり、個人の肉体性よりも集団としての能力が淘汰の対象となっている。
ゆえに肉体的な進化は、これまでほどは進まず、社会的な要素(政治体制、法規、教育etc.)に対して作用するようになっている。
しかし、だからといって政治や宗教の描く将来像が具現化するかというと、そうではない。
人為的に何をしようと、社会内においても淘汰が働き(それに抵抗しようとしてもその集団自体が淘汰されて全体の方向は変らない)、存続力の強化への方向性(進化)は保たれる。

人類は本来、認識力の発達により環境に即応して行動を変化させる事で、自然淘汰による遺伝的な変化という速度の遅い方式によらず、環境への適応や多様化による分業を可能にする事で繁栄した。
こうした認識の発達による後天的な適応&組織化という「ヒト型進化」だけが進化の方向性ではないのは、同じく自然界に繁栄しているアリ、ハチなど遺伝的な先天的な形態の多様化&条件反射行動の複雑化&による組織化を可能にしている「アリ型進化」によって明らかだ。

ところが近代になって、工業化による大量生産の市場の拡大&分業化において、その個々の生命性の社会的拡張を認識する事で自律的に社会行動をとらせる労を惜しんで、お金や出世といった“馬車馬の目の前のニンジン”によって他律的に社会性のコースを走らせる方式をとったため、生命にとって生きる事そのものである労働を「お金をもらうためにイヤイヤ働く」ものにしてしまった。
これはつまり、認識力の発達に基づく「ヒト型進化」の総本山である人類でありながら、歯車人間に堕してしまう「アリ型進化」への分岐に入ったという事なのだ。

もし、このまま「アリ型進化」をとるならば、無意識=肉体的増殖指向=生産量の最大化として、生命本来の“生きる意志”はルールやモラル、常識や組織といった社会的なシステム進化の上に転嫁され、インターネットは歯車を使うための情報収集&命令系統となって、人は他律的に操られる歯車として、中枢コンピュータで処理された物質的な最大生産性に向けてコントロールされる機械群の一部のパーツとなる。
(その果てに人は非効率な機械として淘汰される)

もし「分岐」を元に戻って「ヒト型進化」に復帰するならば、意識=精神的充足指向=充足量の最大化として、精神的活性化の乏しい単純労働から機械化し、人は達成感を感じる情報統合的な頭脳労働&創造的作業に集約し、インターネットによって需給をつなぐ物質(=お金)を再び助け合いとしての情報に還元し、それにより社会生命的自覚(他我愛)を促して自律的社会行動=助け合いとしての労働=生きること自体による充足=最大充足を可能にする。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

大変勉強になりました。

お礼日時:2017/01/22 22:30

psytex1さん(№13)の回答をみて、思いました。



インターネットという環境が"グローバル的人間性"を育てるのではないかと。

ここ哲学カテが一向にすたれないのも、人間性ある故と思います。

人間性、も変化・進化するのでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/01/22 22:29

何もしなくても良いと考えるのが、ダメ人間とは思いませんが、「人間性」ってのは、何か決まったものがあるんでしょうか?


本当に退化しているのかが、わからないですよ。(歴史的には、なんらかの学問的や思想的なものを表現してきたのは、有閑階級です)
<科学がやってくれる>と言うより、「他者がやってくれる」と言うのが、問題なんじゃないですか?
AIや高性能ロボットにさせる事は、人間がしなくてもできる事でしょう?
ならば、人間がしなければいけない事を考えれば良いだけです。
科学自体は、何かの色がついているわけでは無いです。(それは、現象を理解する方法でしかあり得ません)
それを応用するのは、人間ですよ。
快適さ、豊かさ、楽さを追求するのは、本質的な「人間性」でしょう?
それがいきついてしまったら、その先が無いと言うのは確かですね。
ただ、そこまでは、まだ、至っていません。
また、それに対するリスクが正しく認識されていないならば、それを認識する必要があると言う事でしょう。
認識しても、リスク回避の方法がなければ意味がありませんから、そのようなリスク回避の方法を考えるのが、実践でしょう。
現代が、そのようなリスク回避の方法を持っていないならば、それを作る必要があると言う事です。(これは、個々人の問題でもあり、社会的な問題でもあります)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/01/22 22:30

№10のご意見は、大変興味深いと思います。



アメリカの青年たちのことを、肌で感じることはできませんが、日本の青年たちにも
書かれてあるような傾向を私は感じています。

しかしそれは、この20年で先進国の中で一番経済成長が小さいーつまり貧乏ゆえにみ
みっちくなった(笑)ことが一番の原因であって、時代を変革する潮流になりうるのか
どうかという思いは強いです。

とはいえ、嘆いてばかりいても仕方はありません。「文化」は確かに変化していますね。
よーく観察してゆこうと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

はい。前を向こうと思います。

お礼日時:2016/12/18 12:22

米国在住です。



人間性の退化されない、化学との付き合いを、次世代の若者たちは、すでに見つけて、実践しているように、私は感じます。聡明な人たちが率先して、凡人は、何となく居心地がよさそうなので、それに従っているようです。

millenialsというのは、1980年から2000年に生まれた若者で、それ以前の、例えば私のような、硬直した物質主義者とは、価値観を異にしています。

彼らは、

自意識が高い
仕事のために自分の時間を犠牲にしない
お買い得品を買うのを誇りに思う
車や家などは、借りる、あるいはシェアするもの

私たちのように、一生懸命働いて、大きな家を建て、素敵な自動車に乗り、老後に旅行など楽しむために、せっせと貯金をする、あくせく感が全くありません。

それは、彼らが生まれてすぐに、コンピューターテクノロジーに接し始め、その功罪を、身をもって知っているからだと思います。テクノロジーは、利用するものであって、人間性は、それを超越したものである、という真理を、身をもって実践している人が多いように思われます。

アメリカで起こることは、何年か後に、日本に輸入されるようなので、日本でも、もう、そんな潮流が起こっているかもしれません。いかがでしょうか。
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この回答へのお礼

私も1990年代に生まれた者でありまして、

>自意識が高く、仕事のために自分の時間を犠牲にしない。お買い得品を買うのを誇りに思い、車や家などは、借りる、あるいはシェアするもの

と考える一方で、

>一生懸命働いて、大きな家を建て、素敵な自動車に乗り、老後に旅行など楽しむために、せっせと貯金をしようと現実的に考えております。

コンピューターテクノロジーは確かに便利ですけど、将来が不安です。
アメリカでの流行が日本に輸入される何年後も楽しみであり不安です。

お礼日時:2016/12/18 12:21

やはりデジタル(科学・豊さ)とアナログ(自然・人格)の併用が大事でしょう


どちらかに偏重しないようにする事ですが、これが非常に難しいのです
人間はとかく偏重し易いので色々な諸問題が起きています
例えばマイカーに乗るのは豊かですが毎日出勤に使うのは贅沢でしょう
日曜日や臨時時に使うのが良いのです!何でも両方を併用するのが理想です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

私っも、両方をバランスよく併用することが大切だと感じました。

どちらか一方だと破綻してしまう可能性がありますので。

お礼日時:2016/12/18 12:18

何かを得れば、何かを失うのです。



例えば文字です。

文字を発明して、人間の記憶力は退化しました。

文字が無ければ、暗記せざるを得ず、詩や唄にして
他者に伝えるしかありません。
そこでは、風のささやき、小鳥のさえずり・・・
森羅万象が音楽だったのです。

文字の発明により、人間はそうした能力を失い
ました。

しかし、文字の発明により、意思、思想、情報、知識、
技術の蓄積、伝達か効率的になり、現代のような
物心とも豊かな時代を築くことが出来たのです。




どうすれば人間性が退化されない科学との付き合い方を
していけば良いでしょうか??
   ↑
原住民などを近代化せず、隔離保存することですね。
そして、その原住民とのコンタクトを欠かさない。
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この回答へのお礼

何かを得るには何かを失う。

これもこれで苦渋の選択ですよね。

お礼日時:2016/12/18 12:17

現代人が手に負えない極めて難しい問題の一つだと思います。



厳しい自然から人間を守り快適に過ごしたいという欲望。
物欲という欲望。
肉体的、頭脳的労働を軽減させたいという欲望。

これらの人間の欲望を刺激することにより膨大な市場を作り、大企業が科学技術を集結させ
経済が成り立って、また文化を作っているわけですから、この文化の外で生きるということ
は難しいことです。

使わない能力は退化しますから、すでに直観力、想像力などの能力は著しく退化していて、
身体的諸能力も、思考力も、知らず知らずのうちに退化してゆくに違いありません。

自然と触れ合うとか、運動をするとか、脳トレをするとか、方法はあるでしょうが、危機感
自体もなくなってゆく気がします。
30年後に同じ質問をしたら、どんな答えが返ってくるでしょうか?

科学自体は善でも悪でもありません。その使い方が問題だと思います。つまり、「文化」自
体の方向の転換が必要だと思います。

極めて難しい問題なので、多くの人の知恵を集結させ、問題解決に向かわねばピクリとも動
かないでしょう。
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この回答へのお礼

>科学自体は善でも悪でもありません。その使い方が問題だと思います。

この一文には大変共感しました。

使う我々人間の問題ですよね。

お礼日時:2016/12/18 12:16

何を進化させたいのか、何を退化させたくないのかです。


不要なら退化させたらいいし、必要なのに退化するのは怠惰だから。

AIや高性能ロボットを多用しても、自分が頭脳を使い身体能力も維持するよう努力すれば退化しません。
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この回答へのお礼

なるほどですね。

お礼日時:2016/12/18 12:14

>科学技術の発展は、これまで人間一人ひとりの生活を快適にしてきましたよね。



という前提の根拠はなんですか?

少なくともわたしはそうは感じていませんのでお聞きします。
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この回答へのお礼

人と人との直接の会話が減ってきたことですかね。

ノートパソコン、4kテレビ、最新家電、電気自動車とか

ですかね。

お礼日時:2016/12/17 02:01

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