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【無欲の幸福論に異議を唱えたい】

本当の幸福は無欲であることという教えに反論したい。

「幸せは無欲にある」というのは大きな間違いである。

物を欲しがらなければ、物を欲しいが経済面、資金力で買えないと思うこともない。

心が空虚であれば、物欲も湧かないので常に心は満たされた状態。

その地位、身を置かなければ去ることもない。

得るものなければ取り払うものもない。

完全に心のミニマリストですが、これって本当に幸せなのでしょうか?

お坊さんは物欲がないというが、車に乗っているわけで、修行した身でありながら、物欲を消し去ることが出来なかった修行半ばというか挫折して修行の身から落ちた人間が説法を説いているのが現代。

車で乗り付けて説法を説くなど、笑えてしまう。

地に足を付き、足で運んでなんぼの世界。

数をこなすのでは檀家は少なくて良いが数より質。

本当の教えを説く坊さんは少ない檀家からのお布施で生活すべき世界においてなんたる体たらくだと思えてしまう。

お坊さんがテレビで「本当の幸福は無欲であること」と言うほど笑える話はない。

本当の幸福は無欲であることという解はこの世の解ではないと思う。

間違った解をさぞ誇らしげに、自分も体得してもいないのに、人生の幸福は無欲であるべきだと言うのは間違っているので、世間に広めないで欲しい。

詐欺師だ。

当の本人が無欲でないのに何が無欲だ。

こんな教えがこの僧の得た修行の境地とは泣ける。

道、1ミリどころかマイナスで後退している。


テレビに出る前に修行をやり直せ。

A 回答 (1件)

お釈迦様は、不幸の源泉は我欲だから、我欲を


取り去れば、幸せになれる、と説いています。

しかし、御指摘の通りで、そんなこと出来る
人間など存在するとは思えないわけです。

また、我欲を取り去って、それで果たして
幸福になるのか、も大いに疑問です。
我欲の無い人間など、機械と同じです。
ロボットです。
ロボットに幸福などあるのでしょうか。

だから、現実の仏教では、念仏を唱えるだけでよい
とか、坊主の袖に触れればそれで可だ、というような
妥協策が出され、それが宗派となって
表れています。

ワタシは次のように考えています。

我欲を取り去るなど不可能である。

お釈迦様だってそんなことは理解しているだろう。

だから、我欲に執着するな、少しでも減らすよう
努力しろ。
そうすれば、幸福に近づくことが出来る。

このように解釈しています。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2016/12/19 11:36

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