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今みても明治以降の日本の歴史より徳川幕府の時代のほうがずっと長いです。
となると自分自身や親が武士や殿様だった人がたくさんいた当時は、一時的な流行でこうなってるだけで再び殿様が元の椅子に座って自分もまたお仕えすることになるのだろうと、楽観か悲観かは分かりませんけど考えている人は多かったのですか?

A 回答 (3件)

明治や大正の頃は江戸時代にまたすぐ回帰すると


信じる元武士は居たんですか
  ↑
ハイ、明治のころはそういう人が多かったと
いわれています。

明治政府は、薩摩・長州・土佐・肥前4藩の藩主に
「版籍奉還の建白書」を出させます。
「すべての土地・人民は天皇のものであり、私有すべきではない」
として、版と籍、つまり領地と領民を朝廷に返上させたのです。

4藩が版籍奉還に同意した理由は、
「与えるべきものは之を与える」という一文にありました。

実は、徳川幕府では将軍が交代するたびに支配権を幕府に返上させ、
改めて幕府から公布するという手続きが取られていました。

そこで藩主たちは、今度は天皇を中心とする新政府が、
幕府に代わって支配権を与えると思っていました。

有力藩にならい、およそ260の藩がなだれを打って
版籍奉還を申し出ました。
これによって藩主は「知藩事」という新政府から任命された
地方行政官になります。

しかし、知藩事たちが当然与えられると信じていた
支配権は再交付されませんでした。
土地と人民は天皇の元に置かれたままとなり、
新政府が実質的な支配権を持つことになります。

こうして、新政府は藩の力を弱めようとしました。

つまり、明治政府は皆を騙していたわけです。

大正時代になればさすがにそのように考える
人はいなかったんじゃないですかね。

ちなみに、新撰組の「斎藤一」や「永倉新八」
は大正時代まで生きていました。
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佐賀の乱のように、元武士の利益のために旗揚げした人たちもいましたが、どれも規模が小さくて、すぐに鎮圧されたようです。


 殿様クラスは爵位で妥協。中級武士は、公務員として採用されれば我慢。
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幕末って1853年のペリー来航から1869年に戊辰戦争の終結まで16年かかっていて、


明治政府として廃藩置県が1871年でようやく幕藩体制が解体され、1872年にグレゴリオ暦を採用して暦まで変わって、元に戻しようがなくなるまで、なんだかんだ足掛け20年かかっている決して一夜革命ではないのです。そして明治時代は45年続く。

為政者が変わろうとさほど生活が変わらない百姓と違い、現役世代の一時代のほとんどの期間ですし、戦争まで駆り出されて政治に振り回された武士や殿様には、いつかはお家再興の悲願や恨みはあったとしても、現実的には日常生活自体から変わってしまって、自分の代では戻しようがない感覚の人が多かったでしょう。
なにより身分体制がなくなって経済的にものすごい好況でしたから、稼げば稼ぐだけ儲かる成り上がりの時代に、元の社会システムに戻そうとする人は、力がなさすぎるテロリストなので。
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