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動物愛護のためのベジタリアンについて質問です。

僕の学校の友達にベジタリアンがいて、彼は肉食は動物虐待だと言います。

僕はその考えに強い嫌悪感を覚え、色々と反論をしたのですが、彼に説得されたり倫理学の本などを読んだりするにつれて、段々と彼の主張が正しいのかもしれないと思うようになってきました。

これから百年も経ないうちに今行われている畜産は、黒人差別と同じように人類の負の歴史として語られるようになると彼は言います。

日本でベジタリアニズムはあまり広まっていませんが、皆さんはどう思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 家畜は殺されるまでに色々と酷いことをされるようで、例えば牡牛などは痲酔もせずに睾丸を切り取られるそうですよ。

      補足日時:2017/02/17 19:46
  • 間違いました。
    「習慣的じゃなくても」です。

      補足日時:2017/02/17 19:58
  • 僕は肉が好きなので、ベジタリアンになりたいわけではないんです。

    ただ彼が言っていることが正しいような気がして、肉を食べるときに罪悪感を感じるんです。

    なにかベジタリアンに対する反論はありませんかね?

      補足日時:2017/02/17 20:03

A 回答 (22件中1~10件)

ベジタリアンの栄養バランスの取り方が広く知られるようになれば日本でも広まると思う。

最新の知見に基づく倫理が日本に回ってくるのはヨーロッパ、アメリカの数年~数十年おくれているのが常。
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質問の趣旨が「ベジタリアンを論破したい」と言うなら、それは無理だし個人の自由なので好きにさせてなさい。

逆に「肉を食う人を論破したい」と言うのも、日本のような自由な国では無理です。

その友人の影響で肉を食べるのに罪悪感を感じて、あなたもベジタリアンになるならそれでもよいです。

ただ、食育としてベジタリアンの食生活を考えると、肉は発育にきわめて重要な栄養が詰まっていますので、その代わりになる食品を確り食べるようにしてください。



質問の趣旨が「ベジタリアンの友人がベジタリアンの思想を押し付けてきてうんざりします」というものでしたら、僕が何を食べようと個人の自由。あなたが植物しか食べないのはそれも個人の自由。
これでこの話は終わり。


もしあなたがベジタリアンを論破したいなら無理です。ベジタリアンの思想や行動も、犯罪で無い限り個人の自由です。勿論ベジタリアンも、肉を食べる個人の自由を侵害してはならない。自由を侵害する自由は犯罪になる場合が多いし道徳的にも好ましくないので、基本的にはしないほうがよい。



もしもこの問題を抜本的に解決したいならば、肉のおいしさと栄養価を再現した人工食品を発明し、しかも価格が天然の肉よりも安いと言う状態を実現する事です。それがこの問題の解決であって、他人に肉を食わせない事が解決ではありません。そこを勘違いしてはいけない。
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反論はないね~。


むしろ、こういう動画↓を見ると、可能ならわたしもベジタリアンになりたい。
【閲覧注意】
気の弱い方、これから肉類の食事をされる方などは、見ないほうが良いかもしれません
http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/13/undercov …
幸か不幸か、人間は記憶する能力と共に忘却の能力も付与されているようで・・。
どうなってるんだか。
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NO12です。

追記します。

家畜の肉を食べて生きることは、植物だけを食べて生きるよりも多くの植物を犠牲にします。家畜を育てる過程で、家畜に大量の植物を食べさせるからです。
そうなると、植物の命を考えても、人はベジタリアンになるべきだと思いませんか?
 ↑
全く、思いません。
何故、「植物の命の犠牲」の「数」を考慮する必要が、有るのでしょうか?
「犠牲」にする以上、数の多少は、意味がありません。

命が大切だ、と言うなら、「飢え死に」すべきです。
「犠牲の数が少ない。」事に、何の意味があるのか?

それを「五十歩百歩」といいます。


それとベジタリアンはキリスト教的で、肉も野菜も食べるのが仏教的だというのは間違いです。
大乗仏教では肉食を禁じています。
そのため日本では明治まで肉を食べる文化はありませんでした。
 ↑
だれも「肉も野菜も食べるのが仏教的だ。」とは言っていません。
再度読み返してください。

「生かされている。」と言う考え方の事を言っているので、誤解の無いように。

何故、肉を食べることがいけないのか?
それには、その方々の思う「理由」があるのでしょう?

しかし、そんなもの、勝手な価値観の押し売りでしかない。
ベジタリアンが何を考えようが、それは自由ですが、「それが真理である。」と
言った発想、それを正しい事として、他人に押し付ける発想が、西欧的だと
言っています。



「人間は生かされている」という考えは僕も同感です。
しかし、だからといって好きなだけ生物を殺しても良いことにはならないんじゃないでしょうか?
生きているだけで他の生物を殺さざるを得ない。でもだからこそ、出来る範囲で殺す生物を少なくするべきだとは思いませんか?
 ↑
誰が、「好きなだけ生物を殺しても良い。」と言いました?
人間は、満腹になれば、それ以上食べれませんよ。

「出来る範囲で殺す生物を少なくするべきだとは思いませんか?」
 ↑
全く思いません。
そんな暇が有ったら、生かしてくれた生命の供養でも、考えた方が良い。

その他:
ご相談者が高校生とは、到底思えませんし、ベジタリアンではない人間とも
全く、思えません。

他の方へのお礼も、内容は、可なり偏った「ベジタリアン」のそれです。

最初から、正体を明かして、ご質問されるべきでしょう。
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この回答へのお礼

犠牲にする以上数の多少は意味がない、という考えは明らかな間違いだと思います。
オスカーシンドラーという人がいました。彼は第二次世界大戦中にナチスによって殺されるはずだった1200人ほどのユダヤ人を救いました。ナチスによって殺された人間は600万人以上いたそうです。そう考えればシンドラーのやったことは微々たることです。ユダヤ人すべてを救うことは当然できませんでした。
あなたの言うように、どのみち殺すのなら数の多少は意味がないという理屈が正しいのなら、シンドラーのやったことも意味はなかった言うべきでしょう。
しかし、自分がその1200人の中にいたらと想像してください。そう考えれば、数を減らすだけでも意味があると思えるはずです。

お礼日時:2017/02/18 16:30

NO.14です。



なるほど菜食主義を強要するというお話ではなく
できうる限りで動物の苦痛を減らそうというお話であれば、
とても素晴らしいことだと思います。


ただ、動物の苦痛を減らすことを目的として、菜食主義を勧めるというのは
現状を変える動力にはなりえない、ということをきちんと考える必要が
あるでしょう。

ユダヤ教徒の話を持ち出すまでもなく、人の行為を強制しようと
することは、むしろ逆効果でしかなくなってしまいます。
菜食主義のような穴のある(つまり、解釈によって成り立ち、
できうる限り、という限定を付けざるを得ない)考え方では
見ての通り、反論・反発の方が多いですよね。


本当に動物の苦痛の除去を目指すのであれば、
微生物はしょうがないと切り捨ててはダメです。
そういった妥協の基準を一つでも設定してしまえば、
あとは基準の妥当性に議論が集中してしまうのですから。

動物に苦痛を与えるのが問題なのですから
自然死した動物は食べても大丈夫ですよね。
質問者さんが脳死した動物は苦痛を感じない、と考えているのであれば
脳死した動物や、脳幹を持たない動物も食べて大丈夫ですよね。
これらを根拠とするならば、
方法論が菜食主義である必要はまったく無いのです。

(私個人としては脳死に関しては表現方法を失っただけ、
と考えているので、食べちゃまずいと思うんですけど。)


目的はどこにあるのでしょうか?

動物に苦痛を与えないようにすること?
動物に苦痛を与えない自分に満足すること?

自己満足にとどまらないのであれば、
まずはきちんと有効な手立てを考えて設定した方がいいと
アドバイスしてあげればいいんじゃないでしょうか。
菜食主義で救われる動物は、残念ながら1匹たりともいないのです。

目的が単に自己満足だよ、ということであれば、後は
ああ、立派な心掛けだねー
とでも言ってあげれば満足するんじゃないでしょうか。
そして、それに付き合う必要はまったく無いと思うのです。
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この回答へのお礼

ベジタリアンがただの自己満足に過ぎないというのは疑問です。
食肉の消費量が減少すれば、需要も減るわけですから、生産量も変わると思います。
事実ドイツでは既に人口の約10%が主に動物愛護の観点からベジタリアンになっており、それだけでも相当数の不幸な家畜が減っているようです。

お礼日時:2017/02/18 16:10

ベジタリアン。


良いじゃないですか。あなたが友達の説明に納得した。という事も良いと思います。
どんな思想も自由です。自分が信じる思想を実行すればいいんです。
ただ、人間も必死で生きてますからね。安い畜産肉でも食べなければ生きて行けない人も居ます。ベジタリアンって意外とお金がかかります。畜産は人間が生きる為に生み出した知恵です。
誰だって自分が生きる為に他の動物が悲惨な目に遭っていると考えるのは嫌ですよ。なるべく罪を作らず生きて死にたい。そう思ってます。
肉に対する罪悪感も森林伐採に対する罪悪感も原発に対する罪悪感も同じことです。
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動物も動物を食べているので、


動物を守るために動物を食べるべきだ。
(生態系のバランスをこそ「保護」すべき)
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この回答へのお礼

現在流通している食肉は人工的に育てられた家畜です。
生態系とは無関係です。

お礼日時:2017/02/18 12:29

動物は虐待になるけど、植物は虐待に


ならないのですか。

植物だって痛みを感じているかもしれません。
事実、そうした研究もあります。

どうして植物はOKで、動物はダメなんでしょう。

それに動物だって他の動物をむごたらしく殺して
食べています。

熊などは捕らえた獲物をもて遊ぶことが
確かめられています。
猫もです。

それにそうした動物愛護を主張するひとは
カリスマ性がある動物とか、愛らしい動物しか
対象にしません。

どうしてでしょう。
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この回答へのお礼

植物には思考・感情・中枢神経系が存在せず、植物は感覚を持ちません。植物は痛みを感じず、自分自身が生きることを望むこともありません。一方、動物には感覚・思考・感情が存在しており、自分自身が生きることを望める存在です。
脳死は人の死として、脳死状態に陥って植物人間になった人からの臓器移植が認められるようになったことからも明らかなように、生物学的に生きている生物の命を奪うことがいけないのではなく、意識(心)を奪ったり、苦しめたりすることを人間はいけないのと思うのではないでしょうか?
実際あなたも草むしりをするようには動物を殺せませんよね?

それに、家畜の肉を食べて生きることは、植物だけを食べて生きるよりも多くの植物を犠牲にします。家畜を育てる過程で、家畜に大量の植物を食べさせるからです。
植物の命を考えても、人はベジタリアンになるべきなんです。

それと、他の動物がすることと、人間の道徳は無関係です。
例えばオランウータンのオスはメスをレイプしますし、ゴリラは自分の子供を殺します。
しかしだからといって人間はそれらをしていいとはなりませんよね?
だから他の動物がやっているからといって、人間はしてはいけないことは存在するんです。

お礼日時:2017/02/18 12:46

うんこは食べてもいいんですか?



私はベジタリアンを名乗る人にはこう聞くことにしています。
・・・いや、ちょっと真面目な話ですよ?




肉食動物のうんこは肉だからダメ?
草食動物が食べたうんこはどうでしょうか?
実はうんこには大腸菌群が付いていますよね。
微生物はいいんですか?

え?脳幹の有無が問題?だったら試験管で育てた脳幹の無い生物は?
脂肪吸引で吸い取った脂肪はOKなんですか?
身近なところでは鶏の無精卵はどうでしょう?
ニワトリさんは毎日卵を排泄(誤字ではなく)しなければならないのです。
もうちょっとマニアックに、髪の毛ならOKですかね?
さらにマニアックな層は死肉を好むそうですが、
老衰や事故死した動物なら、動物虐待ということには
ならないですよね。

ベジタリアン(というおおざっぱな言葉)に統一された
規則は無いでしょうから、この答えは人によって違うでしょう。
人によって違う。これが重要なことです。





もちろん、罪悪感そのものを否定する必要はありません。
ペットの犬肉が食べられないということもあるでしょう。
私も子供のころ乗っていた馬を思い出してしまうので、
馬肉を勧められても、ちょっと引いてしまいますし。

とはいえ、一見もっともらしく見えても
これは経験に基づく嗜好に過ぎません。
カメムシの匂いを嫌なものとして育った私が、同じ臭い成分の
パクチーを食べられないような程度の話なのです。

繰り返しになりますが、罪悪感(すなわち、単なる他人の嗜好)
を否定する必要は、実は全くないのです。
それは人によって違うのですから。





これを踏まえた上で、将来的にベジタリアンという単純化された
言葉が支配的立場になることは絶対に無い、と断言します。

個人の経験に基づく嗜好を単純化し、
道義的な絶対の基準として語ったとしても、
前後の背景が抜けているので、そこには解釈の余地が残る。
(つまり、うんこはいいの?という解釈の余地が!)

同様の経験を持つ特定の層以外には、特殊な嗜好が
共感を得ることは無いのです。そしてその必要もありません。


旧約聖書には有名な『反芻し蹄の別れた動物のみ食べられる』
がありますが、このほかに『血を食してはならない』というのがあります。
これを厳格に守っていたユダヤ教徒は、完全な血抜きをした肉のみを
食することを教義とし、キリスト教徒の調理する
肉を食べることは無く、食卓を共にすることを拒否し、
自らを善として、他者をけなし続けて、
最終的にはどうなったか?
自分たちが嫌われ差別されるようになってしまいました。



現代のベジタリアンは間違いなくこの過去の道を辿っています。
そして、ベジタリアンが食事の都度絡んでくるというのであれば
うっとおしいことこの上ないでしょうが、気を付けなければならないのは
もちろん逆もしかりということ。


結論としては、反論する必要は無い!ということです。
相手の食事の嗜好にケチつけてたら相手からも同じように
思われるのですから。
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この回答へのお礼

それでもやはり、人間は生物学的に生きている生物の命を奪うことよりも、意識(心)を奪うことをいけないと考えるのではないでしょうか? それは脳死は人の死として、脳死状態に陥って植物人間になった人からの臓器移植が認められるようになったことからも明らかです。

もちろん人間は生きているだけで他の生物(例えば微生物)を殺さざるを得ません。しかし、だからといって好きなだけ生物を殺しても良いことにはならないんじゃないでしょうか?
友人いわく、ベジタリアニズムは相対論なんだそうです。
生物を好きなだけ殺すか、全く殺さないか、ではなく、出来る範囲で殺す生物を減らそうという意識で実践しているそうです。

お礼日時:2017/02/18 14:35

昆虫食があります。


結構うまいらしい。
ヘルシーでもある。
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