哲学カテで回答数が一番の質問が「人を殺してはいけないのは何故ですか」
というものでした。
回答数があまりにも多いので一部しか読んでいません。
ハーバードのマイケルサンデル教授の公開された講義の中に「殺人に正義は
あるか」というテーマのものがあり、あれこれ仮定を想定し学生に答えさせ
大変面白い講義を行っています。
私はこれまでこの問題に対する答えで、腑に落ちるものに出会ったことがほ
とんどありません。
改めて問いたいと思います。
1、人を殺してはいけないのは、何故ですか?
2、こんな「自明」に思える問題の答えがなかなか出てこないのは何故ですか?
A 回答 (54件中21~30件)
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No.37
- 回答日時:
>ごく最近ですね、いろいろなことが腑に落ちてきたのが。
だから、今頃になってものを考えるのが楽しくて仕方がないんです。とんでもなく奥手の私です。
いやー、同年代かと勝手に思っておりましたが、他の方のお礼欄を拝見して、お年が書いてあるところがあり、私よりかなり年上なのだとわかり、恐縮しておりました。考えるのが楽しくて仕方がないとは、羨ましいことです。奥手ということはないでしょう。回り回って、考えが深まっているのだろうと思います。
人を殺す云々は、難しいことですね。昔、読んだ漫画には、善も悪も、清濁併せ吞むのがカッコイイ(=成熟の証)というような主張がありました。今の私は、ご質問の問いについて清濁併せ吞んだ状態ですが、カッコイイも何も、生きていくにはそうする他ないじゃん、というのが実感です。それを喧伝するようなものでもないなと思うのです。
しかし若者にとっては、自分が社会に根を張って生きていきたいか、生きていきたくないか、というところにもあるのでしょう。殺人を犯すとあまりに大きなペナルティが課されます。しかし若者がもし、生きていけなくてもどうでもいい、と思えば、理屈で考えて「正しい殺人」なるものを実行してしまうこともありうるでしょう。若者に生きていく場を与えることが、年上の責務だと思うのです。
例えば、殺人を犯して村八分になったら困ると思わせるためには、家族とか、恋人とか、友達がいれば事足ります。将来なりたい職業があれば、そこに向かって邁進するでしょうから、脇見もしません。若者が「殺人をして何が悪いのか?」と言っているということは、それだけ、彼は抽象的な世界に生きているということです。現実に引き戻してやるのが、年上の役目でしょう。
ただまあ、現実は実質的に若者を搾取していることが往々にしてあります。ひどい搾取の仕方をするか、上品な搾取の仕方をするか、いろいろありますが、搾取には違いないなあと思うのです。そして搾取しないと、上の世代はやっていけないわけで、「後ろめたいなあ」と思っている時点で、私もまだまだ「青い」わけです。「ルールに則ってやっているだけで、私は何も悪くない。みんなやっていることだ、知った話か?!」と言えるようにならないと、腹黒い大人としての成熟になりません(爆笑)。
質問の趣旨とは外れたかもしれませんが、2に関連するかもしれないということでご容赦を。
「清濁併せ呑む」という言葉を最近なぜか頻繁に聞きますね。
この言葉はいつだれが言い出したのか知りませんが、どうせ昔の政治家が
自分の悪事を誤魔化すのに使ったのじゃないかと思っています。
考えてみれば、人は誰でも大人になれば生きてゆくのに、うまくいかない
ことも当然多いわけですから、濁水も併せのまざるを得ないわけで、「曲
がったことが大嫌い」という堅物でも結構飲んでいると思います。
それで、清酒と濁酒を併せのんで腹を消毒だあ、なんていってもできるわ
けもなく、皆腹黒くなってゆくわけです。
No.34
- 回答日時:
>こんな「自明」に思える問題の答えがなかなか出てこないのは何故ですか?
の答えは
>私はこれまでこの問題に対する答えで、腑に落ちるものに出会ったことがほとんどありません。
の中にあると思うけれど
逆に聞くならなぜあなたは腑に落ちないのか
あなたの腑は何を求めているのか
あなたがそれをきちんと自覚できるなら、それに見合った回答も出せるのではないだろうか
№26のお礼欄に書きましたが、何が腑に落ちなかったかと言うと、
地球あるいは宇宙規模の「命」がなぜ「国家」より下の位置にある
のかということでした。
今回たくさんの回答をもらって考えて、五臓六腑に染みわたる答えを
得ましたよ。実に簡単なことでした。真実は単純ですね。
そこにたどり着くために、御託をたくさん並べないとならなかったわ
けです。
No.33
- 回答日時:
ご見解をありがとうございます。
死刑の是非あるいは戦争の当否などなど 実際の具体的な問題については
なおまだわたしには成見がありません。あいまいなままです。
感じたことをつづります。
★ (№27お礼欄) ~~~~~~
我々人間は、自分の命を最高に尊いものであると思っているということに
異論はないと思います。
誰もがそうであるから、この意識は共有されていると言えるでしょう。
~~~~~~~~~~
☆ たぶん その《生命や人間存在のとうとさ》を推し出す場合は 思想
と見なされるでしょうね。
思想こそが 哲学を現実の具体的な事柄について応用したものですから
むしろ当然です。当然なのですが その反面でそこまで踏み出すと 党派
をつくるといった問題にもなります。
★★(№20お礼欄) 私は死刑廃止の流れはあくまでヒューマニズムの
思想故であると思います。
☆ とは あなたの発言です。
つまり いまここでのわれわれの作業は 死刑ないし死刑廃止の根拠は何
かを問い求めることではないか。とは思います。
早い話としては 《生命の尊厳 あるいは 一人一人人間存在の掛け替え
のなさ》をめぐっては 《われわれ人間は 誰もが 自分がかわいい》と
いった無難な線で表現しておくとよいかも分かりません。
哲学として・迂回路として そうなるのではないかという意味です。
★ ~~~~~~
戦争あるいは死刑執行を「正義」とするならば、自分の存在よりも国家の
存在の方が尊いということになります。国民は国家に従う存在ということ
になります。
そこには、人間の真の自律、真の自由がないということになると思います。
~~~~~~~~~
☆ この議論の立て方も 思想としてだと思われます。哲学としては 人
間の自由とは何かから始めなくてはならないのでしょう。
もっとも次のように迂回路を通っての議論も成されています。:
★ ~~~~~~~~
>そしてそれは 国家なら国家という社会形態における共同自治のあ
り方として司法権力にみんなでゆだねた制度なわけですが
委ねはしましたが、支配されてはならない、こちらが主人なのだから。
~~~~~~~~
☆ トマス・ホッブズの全面的な委任説に対して ジョン・ロックでした
かが展開した議論だと思います。
自然本性なる存在におけるいわゆる自然法が 自由の問題として すでに
成り立っているのだという――これも 思想っぽいですが――理論〔の想
定〕だと思います。
自然本性に霊我(アートマンないしブッダター)がやどる または 神の
霊がやどるといった想定から始めるなら それは神の法――永久法――で
すから 《自然法》は ここから導かれるという理論だと思います。
ちなみに ふつうの法律は 自然法からみちびかれており 人定法とよば
れます。
★ ~~~~~~~~~
>今度は その国家どうしとしての共同自治にとって 互いのあいだ
の問題を解決するために最終的には 物理的なチカラをもってこれに
あたる(つまり戦争で結着させる)ということ
本当に共同自治にとっての問題解決のためなのかを、見極めるべき。
~~~~~~~~~~
☆ という公論をみんなが展開していくことだと同じく考えます。
あるいは迂回路としては 人間の社会形態が そもそも国家というかたち
を採ることがふさわしいのかどうか。この主題にもかかわっているのだと
思います。
わたしは 気が早いので すでに大政奉還を吠えつづけていますが 現実
の歩みは むつかしいものだとも思います。というより 想像つかないと
も見られます。
私としても自分の思想をポンと出すことには、若干の後ろめたさのようなものは
ありますが、
哲学の議論としては、マナー違反なのでしょうか?
また、党派を作る、つまり、味方も敵も作る、ということでしょうか?
まあ、そうでしょうね。
仰ることは分かりますが、日本の社会において(特に現在)ズバリ物申すことがとて
も重要だと思っております。空気に合わないことは自然に排除されてゆくからです。
踏まえるところは踏まえて、しかし「対話」ですからあまりルールにとらわれたく
ないですね。
隠されたものは腐る
明らかになったものは腐らない
だから 隠されたものを暴き出しなさい
それが腐らないように
ブッダの言葉ですが、これは私の大事な行動規範の一つです。
今の日本の社会の中では、下手をすれば抹殺されるような考え方です。
ですから上手にやってゆかないといけませんし、ルールにとらわれていると
埒があきません。
No.32
- 回答日時:
#24です。
>尊厳を感じるのが人間として「普通」だと思います。だから、殺すなんて
とんでもない、というのが人間の正常な感覚でしょう。
:
こういう幻想を捨てきれないために、いつまでも事件や戦争がなくならないわけ。
この論理でいくと、尊厳を感じられない場合は「殺してもいい」ということになってしまうよね?
相模原障害者施設では、尊厳を感じられないという理由で19人の障碍者が殺されたのは記憶に新しいところでしょう。
そして、アメリカは自国民の尊厳を守るため、シリアに巡航ミサイル50数発を打ち込んだばかり。
世のありとあらゆる事件は、そして戦争も、それを引き起こす当事者が、自らの尊厳を守るために日夜生み出し続けているものだ。
尊厳とか言い出す前に、だれの尊厳について自ら語ろうとしているのか、ということに思いを致す必要がある。
基本的に、だれも殺したくて殺す人はいないのですよ。#24でも述べましたが、想像力を付与されてしまった人間としては、自分に近い形態の生物を殺すのは、ストレスにならざるを得ないから。
殺していい、なんて思う人は基本的にいない。しかし、それでも殺してしまわざるを得ないような状況に追い込まれる種類の人たちがいるわけ。
尊厳たらなんたらというありもしないものを守らにゃならん、という(ひとりよがりの)意気込みが、あらゆる悪の、もっともたちの悪い根源であるという点に気づいたほうがよろしいでしょう。
>この論理でいくと、尊厳を感じられない場合は「殺してもいい」ということになってしまうよね?
№23の回答を読んで考えましたところ、「人を殺してはいけない」という
感覚が芽生えるのは、法律の存在は勿論あるでしょうし、「自分に置き換
える」という人間特有(だろうと思う)の心理もあり、さらに、相手の中に
何か尊厳を感じるから(あなたの言う高尚な理由ですよ)だと、私は思う。
と、私は書いています。ですから、尊厳を感じられないから殺していいという論理にはなりません。
相模原の障碍者施設の事件では、障碍者に尊厳を感じないから殺したのではなく、障碍者が無用・無駄な
存在と思うから殺したのだというのが、世間の思潮だと思います。
アメリカがシリアにミサイルを打ち込んだのは、自国民の尊厳を守るためではなくて、アメリカの経済、
もう少し言えば特定の産業の利益保持のため、と見るのが社会の通説だと思います。ここでの「尊厳」は
いかにも「こじつけ」に思えます。
世間のありとあらゆる事件は、たいてい感情のもつれが原因であり、戦争は特権階級の利益のために起こ
すものではないでしょうか?
「尊厳」は大義名分たりえるとは思いますが。
また、「尊厳」は普遍的な人間の命の尊厳と言うのが私の主張です。
「正義」と同じで、普遍的でない個々の正義・尊厳を主張すればぶつかります。その「ぶつかり」こそが
悪の根源と言えるわけで、「正義」とか「尊厳」の概念そのものが悪の根源ではないと思います。
No.31
- 回答日時:
昔、少年Aの事件で、この問いが社会全体で改めて考えられましたねえ。
新聞や思想系の雑誌が特集を組んで、著名人に原稿を依頼していました。私が昔、手に取ったものだと、お題にルールが一つついていました。子供から「人を殺してはいけないのなぜか」と聞かれたら、子供が社会で教えられたことに疑問を持ち、自分の頭で考えるようになり始めた自立の一歩として喜びつつ答えよう、とありました。私もことあるごとに考えました。今では正直、簡単に納得しております。人を殺してしまうと、社会的なペナルティが大きく、私の手に負えなくなってしまいます。故に殺しません。しかし子供にこういうことを言っても納得はしないでしょう。ペナルティなんて糞食らえ、もっと本質的なところで、何がどうしてダメなのかを教えろ、と言うかも知れません(子供の頃の私はそう思っていました)。
なぜ動物を殺しているのに、人間はダメなのか。なぜ戦争では殺していいのに、個人ではダメなのか(ドストエフスキーには、一人殺せば犯罪者だが、千人殺せば英雄、なんていう言葉を作中人物に言わせておりました)。あるいは経済的な搾取によって実質的に死に追い込んでいるのに、なぜそういう人は罰せられないのか。労働搾取、パワハラ、いじめなど、様々なものが社会にはあります。
三つめの問題は最も大きなものです。こういうことをやると、あの人潰れてしまうよなあと思っても、「仕事」という名前になるや否や、多くが許容されてしまいます。金銭的なやりとりがあれば、当人が納得していたとみなされ、自己責任だと言われてしまうでしょう。社会には、「殺す」ということをめぐって、思想的に一貫しないことが実に多くあるといえます。
まあ結局のところ、「人を殺してはいけないのはなぜか?」という問いは、人殺しが問題なのではなく、これを問うことによって社会の根幹の矛盾を浮き彫りにし、向き合うことになるのです。そして「お前は間違っているぞー。この人殺しめ!!」と告発して、正義の味方をやっていたら、世を渡れません。場合によって、都合の良い回答を出していかないとならないわけです。
社会経験豊かな方のご回答、という感じで、仰ることよく分かります。
私は子供のころは「なぜなぜ坊や」ではなかったようです。
疑問を親に矢継ぎ早に質問するのではなく、胸に抱いてじっくり考える
子供だったようです。
何か気になると、じーっといつまでもながめて、考えるというより瞑想
しているという感じで、おそろしくスローだったことを覚えています。
若い時は、物事の本質にしか興味はなかったものの、それを追及する力が
足りなかった気がしています。
ごく最近ですね、いろいろなことが腑に落ちてきたのが。だから、今頃に
なってものを考えるのが楽しくて仕方がないんです。
とんでもなく奥手の私です。
No.30
- 回答日時:
No15です。
> 自然法という概念は私は大変有益なものだと思っていますが、
> 残念ながら現在では「法」として認められていません。
> また、立法権は国会が持ち、大衆は直接かかわることができません。
> ですから、哲学あるいは哲学的なことを大衆が興味を持ち、そ
> の中で考えを進めてゆく、ということが一番の近道ではないか
> と思っています。
上記は大変がっかりです。
自然法のことを全然理解されていないし、
人の回答をちゃんと読んでいるようにはとても思えません。
表だけで中身がなにもない印象を受けました。
付き合って損した感じです。
以上です。
No.29
- 回答日時:
自分が殺されたくないからである。
病的な思い込みでない限り人は殺されたくないと思うものである。お前らはとことん頭が悪いな。
お前らはとことんである。言ってもわからないな。
No.28
- 回答日時:
この問題は、殺人と人を殺す事の違いを理解する必要があります。
殺人は法律用語で、日本の場合は殺意が立証され、非合法な人殺しを行った場合に、殺人となります。
例えば、殺意はないが飲酒運転により人を殺してしまった。この場合は非合法な人殺しですが、殺人ではありません。
例えば、やむ終えず警察官が容疑者に発砲。容疑者は死亡。この場合は、警察官は人殺しですが、合法的な行為と認められれば罪には問われませんし殺人にもなりません。
何故、殺人は絶対駄目で、人殺しは場合によっては許されるのか。
これは、法による正当化がなされているかどうかの問題です。
この質問は、「人は絶対に殺してはならない」という前提に立っていますが、それ自体が間違いです(教育の観点では正しい)
人は殺しても良い場合はあります。(一般人で、その場合に出くわす事はまずありえないが)
法による正当化がなされている人殺しは、やってもよいのです。
そして、その法は誰が作るか。それは議会で政治家が議論し、採決をします。
その政治家は誰が決めるか。それは私たち有権者です。
これはつまり、人を100%絶対に殺さない社会は理想だけど、そうも行かない場合もあるよね。
と言うのを皆で話し合って、今があるという事です。
人権とは、手段であって目的ではありません。健全な社会の構築には人権の尊重が大事です。と言う意味であって、人権を守る事が社会の目的ではありません。健全な社会の構築のためなら、一部の人権を制限しても良いのです。(学校では教えてくれませんが、これが事実です。)
そしてその「一部の人権の制限」とは、誰が決めているのか。
それは、有権者です。
*
法とは、国内法などの強制法のほかに、国際法などの慣習法や合意法があります。それらの法として合法かどうかと言う意味が、私の言う「法による正当化がなされているかどうか」です。
例えば、「法律さえ作れば一部の人種を根絶する事も許される」と言う場合があるとします。しかしこれは、国内法では合法でも、完全な国際法違反なので、私の言う「法による正当化がなされているかどうか」と言う意味では、法的正当化はなされていません。
勘違いする人が多いので、強調しておきます。
まず、この質問は、人を殺しては絶対にならないという前提に立っておらず、
人殺すことが悪いことであるという意識を人間が共有しているであろうという
前提に立っております。
お答えにおいて、国内法の合法・非合法という点のみを理由とされているよう
です。
国家そのものの正当性とか正義とか、あるいは「法」のそれを思索することが
私は哲学だと思うんですね。
勿論、国家そのものが正義である、とするのも一つの思想ですが、それは大衆が
国家に支配されるという思想に他なりませんから、賛同できません。
>そして、その法は誰が作るか。それは議会で政治家が議論し、採決をします。
その政治家は誰が決めるか。それは私たち有権者です。
この論調ですね、あたかも「お前らが選んだのだから文句言うなよ」と言わんば
かりに聞こえるから嫌ですね。そして、文句言ったら新しい「治安維持法」で逮
捕されたらもっと嫌ですね。
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