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「相互利用補充関係」が認められた場合には共同正犯における正犯性が認められる、とする立場がありますが、その立場は、①共同正犯を正犯と位置付けるが、②共同正犯の正犯性は直接正犯や間接正犯の正犯性とは異なる、という理解でよろしいでしょうか。
 また、この見解における43条本文の「実行」は未遂犯の分岐点である実行の着手時期を基礎づける概念であると同時に、直接正犯や間接正犯の正犯性を基礎づける概念なのでしょうか。それとも、43条本文はあくまで未遂犯の分岐点のみを規定した条文として理解し、60条や61条1項が直接正犯、間接正犯及び共同正犯の正犯性を基礎づける「実行」となるのでしょうか。
 このあたりは、同じ正犯の中でも何を基準にして間接正犯と共謀共同正犯とを切り分けるのか、共謀共同正犯と幇助犯や教唆犯とをどのようにして切り分けるのか、間接正犯の実行の着手時期をどのように考えるのか、等難しい点が多くて困ります。
 共同正犯は直接正犯や間接正犯と比べると正犯性が弱い一方共犯性をも備えており、位置づけが難しいです。
 上記の見解と異なり、正犯性を一義的・統一的に理解した上で共同正犯は思い切って共犯として位置付けて、共同意思主体説として説明してしまえば共謀共同正犯の説明として筋は通るし悪くないとも思っています。練間事件との整合性も必ずしもつかないわけでもないと個人的には思っています。

A 回答 (3件)

要するに、①正犯と共犯の区別の問題と、②実行の着手時期の問題が分かればいいわけです。

そこを踏まえて以下。

①正犯と共犯の区別が特に問題になるのは、(共謀)共同正犯と狭義の共犯です。間接正犯と共謀共同正犯の区別は普通問題になりません。なぜなら、意思連絡があるかないかで明確に区別できるからです。
 それで、特に共謀共同正犯と幇助犯との区別はしばしば実務上も問題となるところですが、自己の犯罪とする意思があったか、重要な役割を果たしていたか、といった観点から区別するのが判例ですね(もっともどちらの要素を重視しているかは議論の余地あり)。
 例えば、ABCが強盗を共謀し、ABが被害者の反抗を抑圧して財物を強取する役を、Cが運送役と見張り役を行なったが、CはABに協力しなければ殺すと脅されていやいや参加していたとします。この場合、もしCが運送役等をしなければ犯行ができなかったとなると、Cも強盗の遂行に重要な役割を果たしたとして正犯として初段されても良さそうですが、脅されていやいやながら参加していたことから「自己の犯罪とする意思」がなかったとして強盗の幇助として処断されるかと思います。他方で、重要な役割を果たしたことを重視してやはり共同正犯として処断する考え方も、まあ、あるでしょうね。

 なお、共謀共同正犯と教唆の区別は、正直よくわかりません。多分検察官もよくわかってないでしょうね。というのも教唆は犯意を有していない者に犯意を生じさせて犯罪を実行させる犯行形態ですが、「この犯意を生じさせる」は犯罪の意思連絡をしているとも考えられるわけで、すなわち「共謀」と評価できるからです。そうすると教唆犯は全て「共謀」共同正犯で補足できてしまい、現実に日本では教唆犯として起訴される事件は極めて稀で、代わりに共謀共同正犯として起訴される例が大多数です。

② 実行の着手時期の問題
 単独犯での実行の着手時期は、実質的危険説が一応判例、通説ですよね。間接正犯の実行の着手時期についてもこの実質的危険説が使えるわけです。例えば、医師Xが患者Vを殺害するつもりで、事情を知らない看護師Yに毒薬入りの薬を渡して、YがVに薬を飲ませて殺害させた、という事案を考えます。看護婦Yは、(1)職務上、医師の指示に従う義務がある、(2) 事情を知らない(つまり規範的障害がない)、といった事情から、薬を渡されれば機械的にVに薬を投与する危険性が大ですから、Xの利用行為(Yに薬を渡す行為)自体に、死亡させる現実的または具体的危険のある行為として、実行の着手を認めることができるわけですね。

補足
>>上記の見解と異なり、正犯性を一義的・統一的に理解した上で共同正犯は思い切って共犯として位置付けて

思い切るも何も、共同正犯も広義の共犯です。ただし「正犯」ですから犯罪結果に一次的責任を負う地位にもある、ということです。
 なお、共同意思主体説は、共同意思主体なる法人ないし組合のようなものを観念して、その法人の責任を個人に問う、という理論です。確かに特別法などでは法人の責任を事業者個人に問うものもありますが、刑法ではそのような規定はありません。学問的考察としては面白いかもしれませんが、現行の刑法の下では採用するのが難しい理論ではないかと思います。また、仮に60条の「共同して実行」に含めて解釈できるとしても、依然として正犯と狭義の共犯の区別の問題等は残るわけで、必ずしも魅力のある説ではない気がしますね。

長くなったので一回切ります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>要するに、①正犯と共犯の区別の問題と、②実行の着手時期の問題が分かればいいわけです。

私の質問の仕方が不明確でした。①正犯と狭義の共犯の区別、②直接正犯・間接正犯と共同正犯の区別、③広義の正犯性を基礎づける「実行」、直接正犯及び間接正犯の正犯性を基礎づける「実行」、共同正犯の正犯性を基礎づける「実行」、実行の着手時期を基礎づける「実行」のそれぞれの意義と根拠規定です。

>間接正犯と共謀共同正犯の区別は普通問題になりません。なぜなら、意思連絡があるかないかで明確に区別できるからです。

共同正犯を正犯として位置付ける場合、両者の区別は容易ではありません。
いわゆる支配型の共謀共同正犯の限界事例を念頭に置いています。
昭和58年9月21日決定では、12歳の養女に対して日ごろからたばこの火を押し付けたりドライバーで顔をこすったりして自己の意のままに従わせていたような関係がある場合に、同養女に命じて寺などから金員を窃取させた父親を窃盗の間接正犯としています。
これに対して、12歳10か月の息子に指示・命令して強盗をさせた母親を強盗罪の間接正犯ではなく、共謀共同正犯とした平成13年10月25日決定があります。
学説としても、大塚仁教授の優越支配共同正犯は間接正犯と区別を付けることができるのかどうか、等も念頭に置いています。少なくとも意思の連絡では区別がつきません。雑なイメージですが、支配性が強い場合には間接正犯になり、少し弱まると共謀共同正犯になるのかと。

間接正犯については①間接正犯は正犯である、②間接正犯において正犯として処罰されるべきものは利用者である、③正犯性を基礎づけるものは「実行」である、④よって、「実行」は利用者の行為に求めるべきである、というロジックがありますので、仮に実行の着手時期について被利用者にあるとする場合には、正犯性を基礎づける「実行」と実行の着手時期を基礎づける「実行」とを矛盾なく説明しなければなりませんね。この説明が面倒なので、私は単純に説明できる利用者基準説が好きなのですが、43条の「実行」を実質的危険と理解した場合にも本当に法益侵害の危険が利用行為にあるのか違和感はあります。

>共同正犯も広義の共犯です。

確かに共同正犯を共犯として位置付けた場合には、狭義の共犯と共同正犯との区別が問題になりますよね。

お礼日時:2017/05/28 11:30

つづき



1. ②直接正犯・間接正犯と共同正犯の区別
なるほど、58年判決と平成13年判決の事案を念頭に置かれていたのですね。確かに58年判決などは意思連絡の有無だけで説明をするのは難しいですね。おっしゃる通りです。
 しかし、少なくとも今日においては58年判決と13年判決の区別基準は比較的明確で、結局 利用者が行為(結果を含む)を支配していたか否か、言い換えると、被利用者が単なる道具にすぎないのか否か、という観点から判断されています。
 もちろん判例は「道具」という言葉は使っていませんが、例えば13年判決要旨の「A子(利用者でBの母親)の指示命令はBの意思を抑圧するに足る程度のものではなく、B(注 被利用者 12歳) は自らの意思によりその実行を決意した上、臨機応変に対処して強盗を完遂し・・・」という部分は明らかに、Bが単なる「道具」なのか否か、という判断を根底においています。その上で、Bは単なる道具ではなく、従って指示をしていたAは間接正犯ではない、とされたわけですね。
 
2. ①共同正犯と狭義の共犯の区別
 これは説明しましたので(自己の犯罪とする意思や重要な役割を果たしたか、という観点で判断)割愛します。

3. ③広義の正犯性を基礎づける「実行」、直接正犯及び間接正犯の正犯性を基礎づける「実行

あの、これも結局 正犯と共犯の区別の問題、あるいは1.の共謀共同正犯と間接正犯の区別の問題と同じなのでは? どういった事案を想定されているのでしょうか。


4 ...実行の着手時期を基礎づける「実行」のそれぞれの意義と根拠規定です。

この「実行の着手」という言葉は普通未遂犯が問題になる事案で使われます(ただ一連の行為が問題になる場合も使われますが)が、これは未遂犯における実行の着手時期に関する質問でしょうか? そうではなく、もし正犯性を基礎づける行為/事由は何か、という質問に係るものでしたら、既述の通りです。
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書き忘れ


間接正犯と利用者基準説の問題

>>私は単純に説明できる利用者基準説が好きなのですが、43条の「実行」を実質的危険と理解した場合にも本当に法益侵害の危険が利用行為にあるのか違和感はあります。

そうですね、特にこの「違和感」は未遂の成立時期が早すぎる、との批判に通づるわけですね。例えば以下の事案。
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case 1
ある病院では医師Xが看護婦Yに15:00ころ患者Vに対する薬αを処方し、通常αはVが就寝する前の22:30頃に服用される。医師XはVを殺害するつもりで事情を知らないYに15:00頃毒薬βをαと偽って渡した。ところが、医師Xは途中で怖くなり、15:30頃Yにβを破棄するよう指示してことなきを得た。

case2
case1の事案で、 22:30分ころ、Vはβを飲もう手に取った。いつもの通り水で溶いて口に含んだが、そのとき微かな異臭に気づきすぐに吐き出して事なきを得た。
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さて、上のcase1で、利用者基準説をとると、Xには殺人の実行に着手したものとして、殺人未遂罪(199条 203条)の罪責を負う事になりそうだが、流石に、未遂犯の成立が早すぎないか?という疑問が当然提起されるわけですね。
 そこで、実質的危険説は、15:00に、XがYにαを手渡した時点では、実質的危険は無い、として未遂犯が成立しない(つまり実行の着手なし)、と説明する事になりそうですが、しかし15:00に手渡した時に実行の着手が無い、とすると未遂犯が認められそうなcase2では、いつ実行の着手があったのか、説明に窮する事になるわけです。

 ただ、これについても説明の仕方はあるわけですね。もちろんcase2では15:00の時点で実質的危険が認められ、従って同時点で実行の着手が認められる、と強弁するのも一つの手ですが、他にも考え方はありますよね。
 私が説明してしまってもいいのですが、基本書にも載っていると思いますし、少しご自身で考えても良いでしょう。(少し外に出てきますのでまた後ほど)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/11/19 23:31

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