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虚無とは何か、自分の実在とは何か、自分さえ生き残れば後はどうでも良い廃退主義が、日本を汚染していないか?

A 回答 (2件)

#1の者です。



>今現在の目的意識のなさ無意味なヘイトスピーチだけで
>喜んでいるのを見て、幸福とは無縁、幸福の共有等夢の又夢。

夢の実現を阻害しているのは、そうやって諦めているあなたです。

 社会というのは、本質的には助け合うために集まっているものなのに、分業化の発達=市場の拡大において、そうした自己の生命の社会的拡張をフォローするだけの認識の深まり(自律的生)を怠り、お金や出世といった“馬車馬の目の前のニンジン”によって、自己チューな意識のまま他律的に社会行動をとらせる(お金をもらうためにイヤイヤ働く)方法をとってしまっているのです。
 その結果、実質的には助け合っていながら、意識は弱肉強食の疑似ジャングルと化してしまっています(生きる喜びを目指して生きていたのが、いつの間にか苦痛から逃げるだけの生に堕す)。

 我々の身の回りの衣食住の多くが海外からやって来ているように、人類はもはや社会的生命であり、個人の肉体性よりも集団としての能力が淘汰の対象となっている。
 人類は本来、認識力の発達により環境に即応して行動を変化させる事で、自然淘汰による遺伝的な変化という速度の遅い方式によらず、環境への適応や多様化による分業を可能にする事で繁栄した。
 こうした認識の発達による後天的な適応&組織化という「ヒト型進化」だけが進化の方向性ではないのは、同じく自然界に繁栄しているアリ、ハチなど遺伝的な先天的な形態の多様化&条件反射行動の複雑化&による組織化を可能にしている「アリ型進化」によって明らかだ。

 ところが近代になって、工業化による大量生産の市場の拡大&分業化において、その個々の生命性の社会的拡張を認識する事で自律的に社会行動をとらせる労を惜しんで、お金や出世といった“馬車馬の目の前のニンジン”によって他律的に社会性のコースを走らせる方式をとったため、生命にとって生きる事そのものである労働を「お金をもらうためにイヤイヤ働く」ものにしてしまった。
 これはつまり、認識力の発達に基づく「ヒト型進化」の総本山である人類でありながら、歯車人間に堕してしまう「アリ型進化」への分岐に入ったという事なのだ。

 もし、このまま「アリ型進化」をとるならば、無意識=肉体的増殖指向=生産量の最大化として、生命本来の“生きる意志”はルールやモラル、常識や組織といった社会的なシステム進化の上に転嫁され、インターネットは歯車を使うための情報収集&命令系統となって、人は他律的に操られる歯車として、中枢コンピュータで処理された物質的な最大生産性に向けてコントロールされる機械群の一部のパーツとなる。
(その果てに人は非効率な機械として淘汰される)
 もし「分岐」を元に戻って「ヒト型進化」に復帰するならば、意識=精神的充足指向=充足量の最大化として、精神的活性化の乏しい単純労働から機械化し、人は達成感を感じる情報統合的な頭脳労働&創造的作業に集約し、インターネットによって需給をつなぐ物質(=お金)を再び助け合いとしての情報に還元し、それにより社会生命的自覚(他我愛)を促して自律的社会行動=助け合いとしての労働=生きること自体による充足=最大充足を可能にする。
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この回答へのお礼

幸福追求にヘイトスピーチが、必要ですか?確かに韓国サツカーなどではナショナリズムを入れて良いことは無い、害ばかり。ある程度成長を諦めても、ゆとりが必要では、無いですか?

お礼日時:2017/06/01 13:31

物質に「目的」はありません。


つまり一次的には、普遍的な共通目的はありません。
しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に普遍的な進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、個体に「生きる事」を目的とするよう導くのです。

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力×寿命)に収束します。

さらに社会性の発達において、その個体の充足量の最大化は、その社会全体の総和の最大化となります。
各個体が、全体の充足量の総和の最大化を図る時、社会全体の最大効率化が可能になり、それは個体の意志として誰しもの最大充足を可能にするのです。
ただし、社会とは多様化による分業を前提とし、根源的な「全体の充足量の最大化」としての統一は、個々の活動の多様化を阻害しない。
つまり「人それぞれ」でもあり、その集合の調和(社会生命的自覚化による意志の社会的延長)において、目的(幸福)の共有ともなるのです。
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この回答へのお礼

意思充実した地域国はあるでしょうが、最近の若い子供達は生きる目的もなく朝鮮人や中国人にヘイトスピーチを浴びせる。何のためヘイトスピーチで問題解決が出来ると、しかしながら、退廃や無気力の調和、今現在の目的意識のなさ無意味なヘイトスピーチだけで喜んでいるのを見て、幸福とは無縁、幸福の共有等夢の又夢。

お礼日時:2017/06/01 11:28

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