
古い東京大学の現代文の過去問から論述3問です。
(1)Aとあるが、筆者が「生き方の美学」と呼んでいるのはどのような事柄か(60字程度)
(2)Bとあるが、どういうことか。「喧嘩において弱者には分がある」理由も含めて説明せよ。(120字程度)
(3)Cとあるが、ここでは具体的にどのようなことを意味しているのか。(60字程度)
「意気」や「意地」は、「一種の反抗心」であり、「すべての強いものに向って張られた」ものであった。弱者が強者にたいして、ときには自虐的ともいえるほどの自己犠牲と忍耐を見せること――たとえば、自分のわずかの所持品を質にいれて貧乏人を救い、強欲や金持の鼻をあかせる、といったような行為――が「意気」なのであり、その弾力的精神が「張り」というものであった。こんにちでも「男の意地」といった語法はのこっているし、また「意地がきたない」「意気地なし」などの語法も日常会話のなかでしばしば使われている。
「意地」が立つの立たないの、といったことはこんにちの合理主義からみれば、まことにとるに足らない問題であるかもしれぬが、江戸の零細民たる「江戸ッ子」にとっては、それは人生における重大な問題であった。いったん「意地」が立たなければ憤死する――、それほどまでに、A(こうした生き方の美学はかれらにとって切実であったのだ)。そのことは、芝居や講談のなかで象徴化されて、かぞえきれないほど多くの事例をのこしている。
喧嘩は勝てばいいというものではなく、一定の美的基準をみたしたうえで勝つことが理想なのであった。美的でない勝利は、すくなくとも日本の喧嘩ではいっこうに価値をともなわないのである。そこにくわえて、いわゆる判官びいきという心性がある。きれいな敗北者は、衆目のみるところ、最高の英雄なので、したがって、みごとな勝利をおさめるというのは至難のわざでもあったのだ。
そういう文脈からいうと、B(日本文化のなかでは、喧嘩において弱者に歩がある、という奇妙な逆説さえ成立しそうなのである)。強者が弱者に勝つのはあたりまえ。その勝敗をはじめから覚悟のうえで、「意気」で弱者が強者に挑む――、それが美的なのである。挑まれた強者がそれに応じて弱者をつぶせば、その強者は憎まれものになる。そうかといって、敗北すれば軽蔑される。いずれにしても、強者は身の処しかたがきわめてむずかしいのである。日本文化のなかでのあらそいは、このような社会美学のゆえに、きわめて複雑な様相を呈するのだ。
喧嘩の美学に関して、もうひとつ注意しておいてよいことがある。それは、直接的な暴力行為に先行して、まず口論で勝を制することがのぞましい、ということだ。要するに武闘よりも文闘ということにでもなろうか。そして、喧嘩の場合では、それはタンカというかたちをとる。「江戸ッ子」のタンカというのは、要するに、「ベランメエ」である。「金のしゃちほこを横目で睨んで、水道の水を産湯に使い、おがみづきの米を食って日本橋のまん中で育ったチャキチャキの江戸ッ子」とみずからを名のり、喧嘩となると「わりゃあおれを馬鹿にするな、悪くそばに寄ると、大どぶへ浚いこむぞ、鼻の穴へ屋形船を跳込むぞよ、口を引ッ裂くぞ…」と、手あたり次第に悪態をつく。これらはいずれも芝居の文句だが、当意即妙に悪口のかぎりをつくすレトリック――、それがまず要求されたのだ。
元来、タンカというのは「痰火」と書く。風邪をこじらせてのどに痰がつまり、そこが熱をもって不快な状態――、それが文字どおり「痰火」なのである。この症状にたいして漢方医が薬を処方し、それによって治療することを「痰火を切る」といった。そこから転じて、わだかまっていた気持をはき出す、あるいは言いたい放題言ってしまうことをタンカを切る、というようになった。心理学的にいえば、一種のカタルシスである。そんなふうに口が達者でポンポンと悪態をつく能力をもっているのが喧嘩の名人というものであった。こんにちでも、さまざまなあらそいの場面でレトリック能力が、かなりの程度まで状況を決定していることは、経済的によく知られている事実である。
とはいうものの、江戸の人間たちにそれだけの達者な表現力がそなわっていた、とはかんがえられない。多くの江戸ッ子は、「おいら江戸ッ子だい」と力んでみせはするもののそれからあとは、落語の登場人物たちとおなじく、おおむね絶句してひとこともいえなくなってしまうのが実態であったろう。そして、そのもどかしい気分を解消させてくれるのが芝居であった。
じっさい、江戸中期以降の庶民の劇場芸術として開花した歌舞伎は、しばしば劇中にあらそいや喧嘩の場面をつくりあげ、そこで主人公たちがよどみなく悪態を名台詞にのせてしゃべりまくる、という演出をとった。観客たちは、おそらくあ然として、あるいは恍惚としてその名調子に聴き入ったにちがいなく、主人公たちのその悪態でC(心理的な代償満足を経験する)こともできた。また、その台詞をおぼえることで、じっさいの喧嘩の場面に応用した人物もいくらかはいたにちがいない。現実生活と演劇の世界とのあいだには相互交渉があり、それは、こんにちの生活とマス・コミとの関係についてもあてはまる一般原則だが、江戸時代の生活と芝居の関係は、現代のそれより、はるかにこまやかであった。そこでは、芝居が喧嘩の台詞から作法にいたる美学を民衆に教え、また民衆の生活を美的に昇華させる役割を芝居が担ったのである。
まえにのべたように、喧嘩は一種の演技であった。そして、その演技力のなにほどかが芝居とかかわりあっていたとするならば、喧嘩の美学は、多分に劇的であり、それじしんの作法を創出することによって、ひとつの文化を形成していた、といってさしつかえないであろう。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
文中に書いてありましたね。
A(こうした生き方の美学)、B(日本文化のなかでは、喧嘩において弱者に歩がある)、C(心理的な代償満足を経験する)ですね。
解答例
(1)「意気」や「意地」などの「一種の反抗心」を「すべての強いものに向って張る」事により、弱者が強者にたいして、ときには自虐的ともいえるほどの自己犠牲と忍耐を見せること。
(2)強者が弱者に勝つのはあたりまえ。その勝敗をはじめから覚悟のうえで、「意気」で弱者が強者に挑む事が美的とされた。挑まれた強者がそれに応じて弱者をつぶせば、その強者は憎まれものになる。しかし、強者の敗北は軽蔑の対象である。いずれにしても、強者は、弱者に対して、その勝ち方に対して、不利な立場にある。
(3)歌舞伎などの芝居の喧嘩の場面で主人公たちがよどみなく悪態を名台詞にのせてしゃべりまくる名調子に聴き入り、実際の喧嘩で、ひとこともいえなくなってしまうもどかしい気分を解消させる事。
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