プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

よく、未成年者が犯罪を起こすと 少年法もあってか、処罰ににしても 成人よりも手心を加える傾向があります。しかし、中学生にもなれば、十分に善悪の判断はできるのではないでしょうか?
例えば ↓にあるのは イジメが引き起こした悲劇です。

"A 君は B君たちから執拗且つ悪質な虐めを受けていました。度重なる暴行だけでなく、女子生徒の目の前で自慰を強要させられたり、ゴキブリを食べさせられる言う普通の人なら死んでも絶対にやりたくないようなこともさせられました。大怪我をさせられたこともあり、多額の現金もゆすられていました。一時は自殺まで考えたほどです。しかし、ある時、大問題を起こしてしまいました。というのはB君の両眼をボールペンで突いて失明させてしまったのです。刑事的はA君がが中学生であること、執拗で悪質な虐めに遭っていたこと、学校内で起きたことなどを考慮して不起訴になりましたが、B君の両親から「何ていうことをしてくれたんだ。今まで私の息子がお宅の息子を虐めていたことは謝るが、それにしてもやりすぎじゃないのか?私の息子は一生暗闇の中で生きなければならないんだよ。この責任はどう取ってくれるんだ。」
と言われ 1億円の賠償金を請求されました。しかし、元々悪いのはB君の方だし、A君が相手を常習的に虐めていたのならともかく、立場的には逆なので 1億円というのは法外と言わざるをえません。
事件当時、B君はA君の喉元にナイフを突きつけ暴行していました。警察の見解では片目に関しては正当防衛の余地があるが、本来はもう片目に関しては過剰防衛の疑いがあるそうなのです。そして、B君も殺人未遂の疑いは否定できないそうなのです。。(しかし、それはさっきも書いたように状況を考慮して不起訴になっています。) 背景には「常に殺すぞ」と脅していて、おまけにA君が大切に飼っていた猫までも殺傷しており、これはA君の心の支えだったペットの生命までも奪うという極めて悪辣な行為のにみならず、殺人予告とも解釈されうるというものでした。 さらにB君はA君の妹に性的暴行を加え 猥褻写真を撮りネットに流すというこまでやっていました。"


この場合、世間的には A君に同情しがちになるかもしれません。
しかしながら、A君も だからと言って行きすぎはいけないと思います。
A君はB君に違法した事をやられた時点で法に訴える事は出来た筈です。
未成年であっても少年院にぶち込む事も出来なくはありませんよね?
ここで、A君は限界まで我慢し、最悪の目には目を歯には歯ををやってしまった訳ですよね。
残念ながら今の日本にはそう言った仕返しで体罰を与えていいという法律は有りません。法の下に平等という法律が有りますから法に訴えるしか無かったのです。中学生ならその辺りの法律は習っているはずなんですが、なので苛めの定理で正当化してもA君にも過失はあったと判断されるかと思いますが。そういう事件が学校で起こったって事はA君は学校へ来ていたと思われます。そうなると学校は噛み砕いた言い方をしますがそれに類似する法律は教えているはずですから、回避の方法は取れたはずですよね。

ですから、ペットを殺傷されたり、妹に暴行された時点で警察に被害届を出すなり刑事告訴するなりすれば良かったのです。学校でのいじめの事実を口止めされていたとしいたとしても、ペット殺傷に対しては被疑者不祥でも刑事告訴出来たはずです。
従って、この場合、そこまでAを追い詰めた、という責任はあるにせよ、Bが両目を失明していることを考えると、Aの方がより重い賠償責任を負うと考えられます。

そこで質問ですが、みなさんは このケースにおける A君の判断能力について どう思いますか?

A 回答 (6件)

前提に勘違いがあると思います。



法と言うのは、法則や性質が連鎖して生じる現象を表す概念です。

自然法則とか、物理法則のようなものを指します。

これらが当事者にとって不利益に感じるか、利益に感じるかは別にあります。

法を理解し、どの様にアプローチするかは個人の判断により、その結果は誰も制御が出来ません。

例えば、手作りの飛行機による飛行実験をする事も出来ます。

これがどの様な成り行きに成るかは、

多様な法則の連鎖と本人のアプローチにより変わるわけです。

そこから得られる結論以外の利益も罰もないのです。


人間の関係においても法則があると古来から考えられています。

私たちは”これら”を体験し学習をしていくしかないのですが、

体験し学習したことを活用するチャンスが奪われることもあります。

私も子供の頃の遊びで何度か死にかけた事があります。

運よく生き延びたときは、本当に運が良かっただけだと実感しました。

体験する前と後では、心そのものが変わっています。

「どうしてあんな事を考えていたんだ。とんでもない。二度とやるもんか。」


法則が連鎖し、一つの道筋が出来てしまい、誰がやっても必ず同じ結果になるものがあります。

(例えば、コンピューターのプログラムなどもその様な仕組みから出来ています。)


だと言う事は、

人の人生における成功も、人の人生における不幸も、

必ず既出のパターンがあり、ほぼ同一の経緯を辿り、ここから逃れられないはずです。

(必ずがっかりする。または、どうしても成功してしまうという流れがある)

その人が自由に選べる部分は、規定のパターンを選ぶもっとも初期の段階でしかなく、

本人が気付かずに選んでしまえば、

その途中で軌道を変える事はほぼ不可能なはずです。


長く生きていれば、友人、隣人、其の他の噂も多く耳に入ります。

そして自分の体験と重ねて類似性を見つけることが出来るでしょう。

「どうしてそうなったんだ? どこで変えれたんだ?」

とじっくりと考えることがあるはずです。

もしこれ(パターンからは逃れられない)が本当であれば、

相当大昔から気付いている人がいたはずです。

そして、それほど確定的であるならば、現在でも通用するはずです。

自然法則や物理法則は、人類の寿命程度の期間では変わりませんよね。

法と呼べるものが、

それくらい永続的に安定しているのならば、

人間関係から生じる法も同じくらい永続的なはずです。


と言う事は、学び分析し、対策を練り、効果を試し、これを改善していけるはずです。

私たちは、宗教や道徳(これらは考え方や教えですが)から答えを知る事が出来ます。

これらは、

「体験してしまったら、二度とそれを活かすチャンスを与えられないものがあります。

 イッカンノオワリ、って既出パターンを集めてみました。

 多くの人が不条理な人生を送り、実験結果として一生を捧げてしまいました。

 是非、後世の方は同じ間違いをしないように、ここだけは気をつけてください。」

と言うものなのです。


イジメがエスカレーションし、段々と酷くなるのだとしたら、

一度イジメに成功してしまうと、

本人には制御が出来ず、

そうなっていくと言う性質があるということです。

これから逃れる、または防止するには、その最初の段階で失敗するか、

その様な発想を持たないようにするしかありません。

また、こうした流れに乗った人を救うには、一定時間自由を奪わないといけません。

そうしませんと正常に戻らない性質があると言うことです。


私たちが犯罪を憎む理由は、その結果に対して驚いているからです。

当事者の心理や経緯を知らないため、

「どうして、そんな酷いことをしたんだ。損をすると分かっていたはずだ?

 まてよ、それでも存在すると言う事は、自分がそうなるかもしれないってことじゃないか?

 いやだいやだ。アイツは特別なケースなんだ。だから自分は大丈夫なんだ。

 アイツを消してくれ。あると思うと怖いんだ。」

という恐怖からです。

ですので、そこに至る流れを知り、その防止のポイントを知り、

自信が持てる様になると怒りも消えていきます。

「だから言ったじゃないか。いや、言ってないか。まあいいか俺じゃないし。」



同時に、この流れに乗っている個人や集団の判別ができるようになります。

誰もが気付かないのですから、誰にも咎められず、退避する事も出来ます。

誰もが不思議に思わない範疇で、流れを変える一手を打つことも出来ます。

これらは、自然法則、物理法則を理解し、そこにアプローチする人間の英知と同じです。

その結果も毎回確定的におきます。

これらを知り、悪意をもって操作する異常な人もいます。

そうでない、同等の能力を持つ人(=大人)が多数おり、監視をしているため、

世の中が平安を得ているわけですね。


これらを前提に勘違いを正してみましょう。

人が作る法と言うのは、自然な成り行きで生じる本人の不利益の警告で無ければ成りません。

これらを予め既出パターンとし、警告するような記述表現でなければいけません。

(つまり体験しないと分らない事を予め教える)

また、誰もがその既出パターンを熟知しているわけでは有りませんので配慮が必要です。

熟知している人は当然の成り行きとして受けいれられます。

しかし、そうでない人は前後の関係が分らず、無視をするでしょう。

(納得できない人が多数と成るのが現実でしょう)

そして原因が分らず、自己責任として捉えられず、八つ当たりをするでしょう。

ここには個人差があります。

何れは理解するとしても、現実的には問題になります。

そこで、人が作る法と言うのは、誰もが理解できる前後関係の記載に成ります。

しかし、これでは防止になりません(かなり初期段階での対策以外は効果が無い)。

そのため、罰を与えることで、暫定的に効力を増し、思いとどまる機会を与えているんです。

この罰ですら、自然な成り行きで生じる本人の不利益でなければなりません。

そこで量刑と言う概念が生じます。

自然に生じる哀しい事件を前もって警告することで抑止し、実害を防ぐという発想です。

しかし、警告を無視した人に罰が与えられなければ、この仕組みも効力を持ちません。

そのため、刑罰は仕方なく与えるものであり、喜んで与えるべきではありません。

そして自然法則の如く揺らいではならないのです。



とはいえ、人間が持つ性質とその連鎖に完全に対抗できているとは思えません。

なぜかと言うと、

怒りを帯びていようと、恐怖を感じていようと、愉悦を感じていようと、

犯罪をエスカレーションさせていく当事者は、

幸福を追求している当事者より、多くの苦痛を感じているからです。


一般的には、

分かり合い、思いやり、愛し合って体の絆を結ぶ男女が沢山いるわけです。

これに対して、暴行を加えないと同じ行為が出来ない人生があります。

こちらの方が嬉しいと言う人がいるとは思えません。

つまりは、その前段で、誰にも相手にされないと言う絶望があるはずです。

これらも加えて、一つの流れてとして捉えれば、

本人が気付かない初期(かなり昔の段階)で、罪を作っており、

罪を犯す方が得であると勘違いをするくらい、日常が苦痛に満ちていたはずなのです。

刑法に違反し、国が見つけ出すまでは、誰にも発見されず苦痛を感じて、

罰を受けていた事になります。


さて、私たちは事件の当事者ではありません。

立場が違う以上、当事者の運命を左右する言動はできません。

ここに明確に線を引けなければ、学ぶことも出来ません。

嫌なものを攻撃し、自分は違うと証明しようと躍起なっても、対策にはならないんです。

「その様な性質が仕方なくあり、仕方なく連鎖してしまい、人間自身では消せない。」

と諦めないといけません。


不幸な事件、または幸福な出来事を知ったとき、

「もの凄い努力をして、奇跡が起きて、自分で感動するくらい成功をしたとき、

 神様から褒美がもらえるとしたら、誰の人生を歩みたい?」

と自分に問いかけてみましょう。

A君ですか? B君ですか? そのご両親ですか、それを見ていた旧友ですか?

これに悩む周囲の大人達ですか?

どれを選んでも罰ゲーム以外のなにものでもありません。

「どうして・・・これがご褒美なの? だったら何もしない方が良かったじゃないか。」

と泣きたくなるんではありませんか?


ですので、

「良かった俺じゃなくて。」

と言う素直な気持ち以外は、持っては成らないと思います。

どんなに怖いと思っても、自分にとってはドレも嫌なのですから、

「どうしてそうなったのか?」

真剣に考え、ドレにもならないための対策を考えるべきです。

ここで、誰が悪いかを考えてしまえば、自分にとっての有効な対策を考える余力が無くなります。

そして、こうした人が次の流れに乗るのだと理解することです。

起きたものを無しにしたいと言う我侭から、納得できずに、悶々とすることがあると思います。

しかし、それを早めに切り上げて、幸福を追求するか、休息するか、対策を考えることです。

自分では制御できないものに躍起になっても、それはそれで苦痛であると気付かないといけません。

これも小さな罪であり、ちゃんと罰があると言うことですね。


以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

つらい・・・

回答ありがとうございます。

行間を空けられても 却って読みにくいんですが...

お礼日時:2017/06/24 10:16

捜査して判断ついたからの不起訴でしょう。



両目さされたのは仕返しで過失事故です。

抵抗したら、死んじゃったに近いものですね。
この場合、殺人でも極刑にはなりません。
交通事故並みの量刑で済みます。

他人にやられたからと、両目を失ったのは自己責任です。
犯罪者には当然の報いでしょう。

事件は不起訴なので1億円も支払う必要はありません。
仮に民規制旧がなされても、10年ほったらかしにしておけばなくなります。

両目を失ったB君は一生かかって自分の罪を痛感するでしょう。

そういや不倫してチンコ切られた弁護士がいましたね。
あれもそんな事件です。
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この回答へのお礼

Thank you

回答ありがとうございます。

>そういや不倫してチンコ切られた弁護士がいましたね。
あれは 誰が考えてもやりすぎでしょう。
もっとも、女子中学生を無理やり手籠めにしたのなら、報いとしては当然とも思えますが。

お礼日時:2017/06/24 10:14

大人でさえ、精神的に支配されてしまうと助けを求める事さえ出来なくなる事例が、昨今の凶悪事件により明らかになっています。


尼〇事件などで検索すれば、気分が悪くなる事件の内容が出てくるのでお調べ下さい。

B君がA君に、これほど残虐な違法行為をし続けて容認されるような理由は、法的にも社会常識的にも全くありません。
ですから、B君がA君に失明させられた事は、B君が自らA君に働いた残虐行為の報いを受けたと勘考され、相当因果関係が認められたと思います。
これは、成年者が過蓋行為の違法性を認識しながら報復や復讐をした場合でもある程度は認められます。

A君の判断能力に関しても「正常な判断が出来ない状態だった」と認められますし、A君の理性を破壊したのはB君です。

同害報復は禁じられてはいますが、その替わりに国家の司法当局が公正な裁判によって適切な刑罰を科す事になっています。
しかし自然法の概念上は存在していますから、自然な人間の感情も考慮に入れて、情状酌量するのが普通です。

このような悲惨な事件の再発防止のためにもイジメと表現するのは止め、明確に「学校での未成年者による犯罪」として
法的根拠も曖昧で捜査権も能力も無い教師や教育委員会や第三者委員会による調査など廃止し、警察が刑事事件として
捜査すべきだと愚考しています。
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この回答へのお礼

Thank you

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/06/24 08:25

A君がイジメに遭っている期間、その様な判断力があるか?



遭った人にしか分からない、どん底の闇だと思います。

もはやBのした事は、人権を無視した生涯消えない心身にまつわるイジメですよね。

その傷は消える事がないでしょう。

B君の失明、、この先の世の中を見なくて済むので良かったんじゃないでしょうか?

法では許されないのでしょうが、殺されないだけマシじゃないでしょうか?

A君は、もし彼が死んでも、生きていても、浮かばれる事はないでしょう。

その後のA君の人生、妹さんの人生、家族、全てが元に戻る事はないでしょう。

そこまでやられて、自殺を考えたA君に普通に訴えてやる!などの気持ちをはるかに超えていたんではないでしょうか?

ただし、法律上は貴方が言っている事が正しいのでしょうね。

私がAなら、学校で脅された程度なら大人に訴えて解決策をとるでしょうが、この様な不当な扱いをされたら、毎日いつBを殺すか?考えるでしょうね。
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この回答へのお礼

Thank you

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/06/24 07:11

声をあげれない人間がいじめられるんです。




全部ではないでしょうがね。

コワくてコワくて冷静な判断が出来なくなってしまう子もいるでしょう。

イジメられてる事を知られたくない子もいるでしょう。

やり返したら良い。
それが出来たら…ですょ。


やっぱり人それぞれ背の高い子も低い子も運動得意な子も不得手な子もいるように
心の弱い子もいるわけです。

心の弱い子の方に
イジメに負けない強い心を
持って立ち向かえ!と教えるのと逆のどちらかと言えば強い立場の子にイジメは悪だと教えるのはどちらがイジメを無くせるのでしょうね。

難しいからこういう問題が後を絶たないのでしょうけどね


とことんイジメられていっぱいいっぱいになった子にマトモな判断能力があるとは思えません。
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この回答へのお礼

Thank you

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/06/24 06:49

私が正しいとは思いませんが、私はA君に「良くやった」と言います。


判断能力って、相手が怪我するという考えも、相手がイジメをやめないという考えもありますよね。それをわかっていて、やったんだよね。
外的障害と精神的障害とを比べたら、A君の被害の方が大きいと思いませんか?
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この回答へのお礼

Thank you

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/06/24 06:36

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