【コナン30周年】嘘でしょ!?と思った○○周年を教えて【ハルヒ20周年】

1. こころの琴が おのづから呼応して鳴りだすような言葉には
従いたくないと思うのか?

2. そういう自己の自由な判断をうながすようなものは 信用で
きぬとでも思っているのか。

3. ところが 自分のあたまの上からやって来るありがたい言葉
には うっとりして来るのか。

4. それは 肩書きが ものを言うということか。

5. ということは 肩書きがついていなければ いくら自分の魂
が揺さぶられようが それによって 自分で意志を決めたり まし
てやその決定によって実行をするなどということは ありえないと
いうクセがついてしまったのだろうか。

6. たとえばそのクセによれば 肩書きのない言葉に心がゆさぶ
られるならそれは お上に楯つく大罪だとでも 思っているのか。

7. つまり何事もお墨つきが要るのか。

8. ――いやいや そうではない。という心の言葉を 何が阻み
誰が闇へほうむるのか。

9. ひとは人間的な人間であることを 信用せず 嫌うのか。

10. ひとは ウソにこそひと安心するのか。

質問者からの補足コメント

  • №7お礼欄を継ぎます。

    § 5.

    ★ 現実問題として、そう(=基本方針どおりに)なり難いという背景を
    無視して、一方的に理想論のみ語るなら、それは幼児のダアダアバブバブ
    と何ら変わることが無いんじゃないですかね。
    ☆ 逸脱が 幼児のたわ言だという意味です。

    基本方針があって 現実にはそこからの逸脱があるという世界認識は 現
    実論です。

    ★ それをどうするか、について見解を述べた上で反論していただかない
    と建設的ではない。
    ☆ 中身で判断しなさいという基本方針を言いつづけます。

    面従腹背というとき 《従属や背信》が問題ではありません。何に従うか
    背くか。あるいは 従うにせよ背くにせよ なぜそうするか。こういう中
    身の問題であり 中身が問題なのだと伝道しつづけます。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/06/27 23:38

A 回答 (14件中1~10件)

1.そういう時もある


2.思えない時もある
3.来る時も結構ある
4.全く関係ない
5.だから、関係ない
6.だから、思ってない
7.つまり、ではないが、お墨つきは重要
8.自力でやるしかないことが多い
9.そういう時もある
10.そういう時もある
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この回答へのお礼

せんぞくいけさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

1. こころの琴が おのづから呼応して鳴りだすような言葉には
従いたくないと思うのか?
★ 1.そういう時もある
☆ でも 賛同していることに変わりない――と言ってよいか?

2. そういう自己の自由な判断をうながすようなものは 信用で
きぬとでも思っているのか。
★ 2.思えない時もある
☆ 信用できる時もあるということ。すなわち (1)と同じく賛
同している。


3. ところが 自分のあたまの上からやって来るありがたい言葉
には うっとりして来るのか。
★ 3.来る時も結構ある
☆ 判断力が鈍らせられていないのなら よいのでしょう。

4. それは 肩書きが ものを言うということか。
★ 4.全く関係ない
☆ それは たのもしい。

この(4)と同じ趣旨で 次のふたつの項目への応答です。肩書き
にかんして:
★ 5.だから、関係ない
★ 6.だから、思ってない

肩書きはお呼びでないが 次の《お墨付き》は:
7. つまり何事もお墨つきが要るのか。
★ 7.つまり、ではないが、お墨つきは重要
☆ なんですか。

8. ――いやいや そうではない。という心の言葉を 何が阻み
誰が闇へほうむるのか。
★ 8.自力でやるしかないことが多い
☆ まぁ お墨付きと肩書きとは 互いに中身が重なる場合もあるん
ですが。

9. ひとは人間的な人間であることを 信用せず 嫌うのか。
★ 9.そういう時もある
☆ (1)と同じような趣旨になります。

10. ひとは ウソにこそひと安心するのか。
★ 10.そういう時もある
☆ ん? ウソだと知ってそのウソを受け取って安心する――んです
か?

ただ 問題は 哲学における判断にかんするものですので ケースバ
イケースと言うんぢゃ 理論にはほど遠いと言わざるを得ないんです
が どうでしょう? と思います。

お礼日時:2017/06/26 16:52

9.の人間的な人間というのが、根本原理に頼った生き方をする人の事だとするなら、それは信用されなかったり嫌われることもあるかもしれません。


何故か。
多くの人は、人間は欲深で無知蒙昧で下賤なものだと思っているからでは無いでしょうか。つまり、お金を好きでない人は居ない。美しい異性に惑わない人は居ない。弱い者いじめを楽しまない人は居ない。
と考えており、お金を好きでないなんて信じられない、性欲に振り回されないなんて信じられない、弱い者の味方をするなんて信じられない、所詮は口だけの綺麗事よ、そう思っているのではないでしょうか。

だから、もし根本原理を頼って生きるような人が現れた場合、自分の持つ人間観が崩され、生き方の価値観が崩され、自分が汚れていることが否応なく示されるので、その人を信用できず嫌うのではないでしょうか。そして、人が頼るべき根本原理などない、と目を瞑ってしまうのだと思います。そしてそのような人々に限って、実は頼るべき根本原理の様なものを求めておるのだと思います。

で、問題ですが、その様な根本原理は果たして存在するのか、存在するならどの様な時に存在し、どの様な時に隠れ、或いはどの様な時に発現し、どの様な時に沈黙するのか。
そう言ったことが気になりました。
もし、ここで言われる様な根本原理が、晴れた日の太陽の様に存在してるなら迷う人など居ません。恐らくは、それが隠れているから人々は迷うのです。
或いは未発現であるから迷うのだと思うのです。
どうすればそれは発現するのか、そこら辺が語られるべきかなと思います。
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この回答へのお礼

次の質問の趣旨説明をもってお応えとします。全部は引用できません。

【Q:《聖なるあまえ》から《きよらかなおそれ》への変態】 ~~~~~
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9223449.html

1. 《聖なるあまえ》は ものごころがつく前の頃のひとの心の状態を言います。

2. 赤子が母親にあまえる――つまり 全面的に考えも計らいもなく身をゆだねる
かのように心をゆだねている――とき これをひとつの典型として言います。

3. ところが 誰しも ものごころが着いて来ます。《考えもハカラヒもなく》と
いうのは おこないがたく成ります。ウソをつくことをも知るという社会的動物たる
ことの洗礼をも受けるようになります。

4. このとき聖なるあまえは どうなるか?――幼虫がさなぎになる。

5. 聖なるあまえは きよらかなおそれへと変態する。



6. きよらかなおそれは 幼虫ないし赤子における聖なるあまえ状態とほぼ同じだ
と言いたいのですが むろん《ものごころがついた》という意味での変態を経て 違
いが出て来ます。

7. けれどもそれでも 後の段階で――ヒトの生まれつきなる自然本性に変わりは
ないと見るかぎりで―― 《聖なる甘え》と同じ状態であると言うためにこそ しか
も言葉を変えて《きよらかなおそれを抱く状態》と呼びます。

8. どういうことか? すなわち 聖なるあまえは 母親への本能的な寄りすがり
であるとき その同じ自然本性の成すハタラキにおいてなのであるが こんどは 母
親なる存在を超えてナゾの何ものかへのおそれにその《身と心とのゆだね(あまえ)》
を置き換える。

9. 言いかえると 聖なる甘えのときは きよらかなおそれすら――おそれすらを
――まだ持っていない状態であった。(意識としてはです)。

10. このきよらかなおそれは 確かにナゾの何ものかに対するものなのであるが 
その同じ内容が 主観の内面における思惟や意思決定のときにも 〔ほぼ同じおそれ
として〕現われる。

11. これは さなぎからすでに成虫へとさらなる変態をとげつつあるときに起こ
るものであるが まだ さなぎ段階のこととして捉えてみよう。

12. ・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2017/06/30 03:24

#12です。



>中身で判断せよという命題は 《建設的な視点》です。

戦争はいけない、と同類でしょう。
どこが
☆《建設的な視点》
なのやらさっぱり。
まあ、見解の相違なのでやむを得ないのでしょうが。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ 中身で判断せよという命題は 《建設的な視点》です。

★ 戦争はいけない、と同類でしょう。
☆ それはすでに判断した結果だけを言ったものです。

どう判断するか。このことには 人間が限りなく自由に妥当性を求めて
いどむという余地があります。

お礼日時:2017/06/29 19:43

#11です。



>★★ ただ、人間はロボットではないので「盗人」と「重宝」を両立させ
ることが結構難しかったりするでしょう。
☆☆ といったことが問題にはならない。と言っています。
☆ つまり 見解の相違です。

であれば一件落着ですね。
ただ、
★「盗人」と「重宝」を両立させることが結構難しかったりする
ことはある、とお認めになっているわけで、
☆といったことが問題にはならない。
というよりは、
☆’といったことを問題にすべきではない。
とおっしゃっていることになりますよね。
この場合、どうすれば、
☆といったことが問題にはならない。
ようになるのか?
という建設的な視点でアプローチ(問い)を掛ける、という視点が抜け落ちていると言わざるを得ないと思うのですけどね。
まあ、それで良いとしているのであれば、見解の相違と判断されたことでもあり、これ以上は申し上げませんけども。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


☆☆ つまり 見解の相違です。

★ であれば一件落着ですね。
☆ はい。

★ ただ、
★★ 「盗人」と「重宝」を両立させることが結構難しかったりする
★ ことはある、とお認めになっているわけで、
☆ いいえ。いまこの問題については 問題の中に入って来ないという
立ち場を明らかにしています。



☆’ といったことを問題にすべきではない。
★ とおっしゃっていることになりますよね。
☆ なりません。まだ思考や判断の材料として採り入れてはいないと言
ったまでです。

《中身で判断する。そしてそれのみ》という立ち場ですから 《誰が言
ったか》は それを問題にすべきともすべきでないともいづれとも触れ
ていません。

★ ~~~~~~~~
この場合、どうすれば、
 ☆ といったことが問題にはならない。
ようになるのか?
という建設的な視点でアプローチ(問い)を掛ける、という視点が抜け
落ちていると言わざるを得ないと思うのですけどね。
まあ、それで良いとしているのであれば、見解の相違と判断されたこと
でもあり、これ以上は申し上げませんけども。
~~~~~~~~
☆ 見解の相違によって《問題にはならない》と言っているのではあり
ません。

《問題にする・しない。すべきだ・すべきでない》といったことが問題
にならない見解であり立ち場だと明らかにしています。

《中身で判断する》という立ち場は 《誰が言ったか》は問題にならな
いという派生的な命題(判断)をともなうということです。その派生す
る分野で 見解が最初に相違するのではないわけです。

中身で判断せよという命題は 《建設的な視点》です。

お礼日時:2017/06/29 18:54

#10です。



>すなわち:
★ ただ、人間はロボットではないので「盗人」と「重宝」を両立させる
ことが結構難しかったりするでしょう。
☆ といったことが問題にはならない。と言っています。

古い話で恐縮ですが、自由党元党首小沢一郎による2011年の記者会見を連想してしまいました。
https://matome.naver.jp/odai/2131911398450886201
以前、ユーチューブで見た内容が印象に残っていたわけですが、小沢一郎に対して質問した読売新聞東京本社編集局社会部次長・恒次徹氏が、小沢氏の説明を発言途中で制止して自分の主張を何度も繰り返したことに、主催者である自由報道協会の岩上安身氏と上杉隆氏が抗議している。
お暇ならこちらを(5:20頃以降)↓

極めて短時間の会見であったため、小沢氏と恒次徹氏だけの掛け合いになってしまったことに対して抗議が行なわれました。
印象に残っているのは、岩上安身氏が「小沢さんの発言にかぶせる形で発言されて、こっちは取材のじゃまになってんだよ!」と言ったのに対して、恒次徹氏は「いえ、じゃまはしてません」と言った場面。
「じゃまになってる」というのは「じゃまになってると感じてる」という意味であるはず。
それに対して「いえ、じゃまはしてません」と言うのは、「じゃまになってると感じてる」という事実を無視しているわけで、まったく不合理な発言と言わざるを得ません。

☆問題にはならない。
とおっしゃいますが、それは、
★人間はロボットではないので「盗人」と「重宝」を両立させることが結構難しかったりする
などという状態になることは無い。
と言ってることになるんですよ?
そんな不合理を臆面もなく言い募りつつ、
☆ これしかないと言おうともしています。
と嘯いたって、誰が耳を傾けるでしょうか。
ほんとどうかしてます。
★ まあ、基本的ベクトルとしては間違っていないでしょうけど。
という理解を示したのがアホらしくなるほど。
まったく情けない話です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★★ ただ、人間はロボットではないので「盗人」と「重宝」を両立させ
ることが結構難しかったりするでしょう。
☆☆ といったことが問題にはならない。と言っています。
☆ つまり 見解の相違です。



★★ 人間はロボットではないので「盗人」と「重宝」を両立させること
が結構難しかったりするなどという状態になることは無い。
★ と言ってることになるんですよ?
☆ そんなことを言っているのではありません。

中身で判断するということは その中身を誰が言ったかについては問題に
しません。という意味です。

それを問題にするという見解を回答の一環として述べられたということに
は 留意します。

これで自由な対話が成り立っているとお伝えします。

お礼日時:2017/06/29 18:04

#9からの続き。



3.
>★ それをどうするか、について見解を述べた上で反論していただかない
と建設的ではない。
☆ 中身で判断しなさいという基本方針を言いつづけます。
面従腹背というとき 《従属や背信》が問題ではありません。何に従うか
背くか。あるいは 従うにせよ背くにせよ なぜそうするか。こういう中
身の問題であり 中身が問題なのだと伝道しつづけしつづます。

端的に言うと、
ある言葉に心がゆさぶられたなら、たとえそれが盗人の言葉であっても有り難く重宝すべきだ、とおっしゃりたいのですよね。
ただ、人間はロボットではないので「盗人」と「重宝」を両立させることが結構難しかったりするでしょう。
この「結構難しい」という極めて人間的な状況を、
☆中身が問題なのだと伝道
し続けることだけで解決できると考えているように見えるところが温すぎるし、ダアダアバブバブではないのか、と申し上げている次第。
まあ、基本的ベクトルとしては間違っていないでしょうけど。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

3.

☆☆ 中身で判断しなさいという基本方針を言いつづけます。

★ 端的に言うと、 / ある言葉に心がゆさぶられたなら、たとえそれが盗
人の言葉であっても有り難く重宝すべきだ、とおっしゃりたいのですよね。
☆ 違います。誰が言ったかは 自分の判断にとって関係ないと言ってい
ます。

すなわち:
★ ただ、人間はロボットではないので「盗人」と「重宝」を両立させる
ことが結構難しかったりするでしょう。
☆ といったことが問題にはならない。と言っています。

したがって:
★ この「結構難しい」という極めて人間的な状況を、
☆☆ 中身が問題なのだと伝道
★ し続けることだけで解決できると考えているように見えるところが温
すぎるし、ダアダアバブバブではないのか、と申し上げている次第。
☆ という問題は起きないところから出発するのですよと言い続けていま
す。

(むろん 現実には この基本の哲学にもとづかない思惟や行動がいくら
でもあります)。

★ まあ、基本的ベクトルとしては間違っていないでしょうけど。
☆ これしかないと言おうともしています。

お礼日時:2017/06/28 17:58

#8です。



無駄なことはしたくないので、瑣末な点にはいちいち反応しませんが、自ら論点をぶれさせている印象を受けますね。

1.
>☆ ですから 《中身が重要だ》と《中身が重視されていないこと》とは
両立します。基本方針とそれからの逸脱とです。

誰が両立しないと言いましたか?
そもそも、
☆《中身が重要だ》
であるのに、
☆《中身が重視されていないこと》
がなぜ起こるのか?
と問うておられるわけですよね?
それに対して、
★盗人に防犯を説かれて唯々諾々と従う人もいないでしょう、
と答えたのですから、何をもって、
☆基本方針とそれからの逸脱とです。
とのたまうのか意味不明。
しっかり頼んます。

>☆ 現在浴びている批判は それ(国民への説得いかん)もあるでしょう
が いちばんは マスコミの誘導によると見ます。

という点に関しても同様でして、
加計に関する小賢しい所作を抜け抜けと遣りおおせると考えていることが明らかな安倍ちゃんのような人物が、国民を説得にかかろうとすること自体がちゃんちゃらおかしいわい、といった仕儀に立ち至っているわけです。
認識が温すぎますね。

2.
>つまり完全に無力となったとしても 哲学は――普遍性を持つかぎり―― 
つねに有効です。

当たり前のことでしょう。
他人に質問をしている立場でそう言うのなら、まず、それを示してからにするのが礼儀というもの。

念のため欄を分けます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 自ら論点をぶれさせている印象を受けますね。
☆ そうでしょうか。

1.

★ そもそも、
☆☆ 《中身が重要だ》
★ であるのに、
☆☆ 《中身が重視されていないこと》
★ がなぜ起こるのか? / と問うておられるわけですよね? / それに対して、
★★ 盗人に防犯を説かれて唯々諾々と従う人もいないでしょう、
★ と答えたのですから、何をもって、
☆☆ 基本方針とそれからの逸脱とです。
★ とのたまうのか意味不明。 / しっかり頼んます。
☆ 基本方針に従いこれを守るということは その基本内容を誰が言おうと関
係ありませんというこちらの見解をもってお応えしたまでです。


★ 加計に関する小賢しい所作を抜け抜けと遣りおおせると考えていることが
明らかな安倍ちゃんのような人物が、国民を説得にかかろうとすること自体が
ちゃんちゃらおかしいわい
☆ その政策措置の中身が問題だとお応えしています。駆け引きだか何だかは
違法でないかぎり 問題になりません。


2.

☆☆ 完全に無力となったとしても 哲学は――普遍性を持つかぎり―― つ
ねに有効です。

★ 当たり前のことでしょう。 / 他人に質問をしている立場でそう言うのなら、
まず、それを示してからにするのが礼儀というもの。
☆ 《それを示して》というところが よく分かりません。

基本方針とそれからの逸脱という見方を 示して来ています。

お礼日時:2017/06/28 17:51

#6です。



1.
>★ 盗人に防犯を説かれて唯々諾々と従う人もいないでしょう、いくら
優れた防犯法であっても。
☆ ですからこの場合も 中身には従うはずです。中身は 誰が言った
かには かかわりません。

現実に対して認識不足でしょう。
ヒトラーは国民を信用させることに成功したからこそあそこまで無茶苦茶できた。
安倍ちゃんは国民を信用させることに成功してないからこそ批判を浴びている。
中身などは、特に大した問題ではないのです。
それを重視するようなら、もっとマシな世の中になっている。

2.
>つまり 《中身を問い 中身を判断
してそれに従う》という方針は たとえその時その場で《肩書きに揺り
動かされそれに従ってしまった》という場合にも 無力にされてはいて
も 有効でありつづけているからです。
悪貨が良貨を駆逐するというとき 依然として良貨は良貨でありつづけ
ています。

ですから、くれた相手が気に入らなければ、人は良貨を使うとは限らないと申し上げているのです。

3.
>☆ 中身で勝負という基本方針は 忖度せざるを得なかったという場合
にも おのが生きることの基礎であり土台です。

繰り返しになりますが、これができるならもっとマシな世の中になっている。
中身よりも意地を通すのが世の常でしょうよ。
一部の例外を除けば。

4.
>☆ そうなんでしょうが これは 基本方針からの逸脱として・つまり
悪貨として ほとんど無効のうちに社会力学じょう有力となっただけだ
と見ます。

温いですね。
☆基本方針からの逸脱として
であろうが、
☆ほとんど無効のうち
であろうが、
☆社会力学じょう有力となった
時点で、それは最強となる。
であるのに、
☆だけだと見ます
と言うのであれば、ほんとに温い。
面従腹背と言いながら、つまり本当はそんなつもりじゃなかったと言いつつも現実に実行してしまったら、それは面従腹従に他ならないわけですから。

5.
>☆ 基本方針を堅持するというのが 人間的な人間です。逸脱があった
としてもです。

現実問題として、そうなり難いという背景を無視して、一方的に理想論のみ語るなら、それは幼児のダアダアバブバブと何ら変わることが無いんじゃないですかね。
それをどうするか、について見解を述べた上で反論していただかないと建設的ではない。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

§ 1.

現実認識の問題ですが:
★ ヒトラーは国民を信用させることに成功したからこそあそこまで無茶
苦茶できた。
☆ たぶん違うと思います。民衆が そういった指導者を願い求めた。ヒ
トラーは それに乗っかっただけだとも。

★ 安倍ちゃんは国民を信用させることに成功してないからこそ批判を浴
びている。
☆ 現在浴びている批判は それ(国民への説得いかん)もあるでしょう
が いちばんは マスコミの誘導によると見ます。

★ 中身などは、特に大した問題ではないのです。
☆ なる見解には 反対します。

★ それ(=中身)を重視するようなら、もっとマシな世の中になってい
る。
☆ ですから 《中身が重要だ》と《中身が重視されていないこと》とは
両立します。基本方針とそれからの逸脱とです。


§ 2.

(あ)☆☆ 悪貨が良貨を駆逐するというとき 依然として良貨は良貨で
ありつづけています。

★ ですから、くれた相手が気に入らなければ、人は良貨を使うとは限ら
ないと申し上げているのです。
☆ というときにも (あ)が――つねに――成り立っているという立ち
場です。


§ 3.

★ 繰り返しになりますが、これ〔≒(あ)〕ができるならもっとマシな
世の中になっている。 / 中身よりも意地を通すのが世の常でしょうよ。一
部の例外を除けば。
☆ 哲学は 普遍性のある世界認識をなるべく理論化して提示します。判
断力は なかなか 形式理論化したものを提供し得ないかも知れません。

つまり完全に無力となったとしても 哲学は――普遍性を持つかぎり―― 
つねに有効です。


§ 4.

★ それ(=基本方針からの逸脱行為)は最強となる。
☆ それだけのことです。逸脱が 少しであっても全面的であっても。

★ 面従腹背と言いながら、つまり本当はそんなつもりじゃなかったと言
いつつも現実に実行してしまったら、それは面従腹従に他ならないわけで
すから。
☆ という認識内容は 当事者本人の主観にとって心理的な(うわべの)
動きとして問題になるのでしょうが 哲学は 問題にしません。中身で判
断します。

補足欄へつづきます。

お礼日時:2017/06/27 23:33

No.5さんどうぞ。

●´∀`)つ))https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9732494.html

屁理屈と詭弁 no.22
 問答相手が自己欺瞞と謝ったら死んじゃう病と洗脳と詭弁を併
 発してるとすごいぞ。認知コストを削って、なんとなく認めさ
 せようとしつつ、洗脳スクリプトを用意していて、自身の認知
 コストを温存しながら、矛盾しててもへいちゃらで謝らないし
 謝ったら死んじゃうのでタフだし詭弁に成功しても失敗しても
 その結果の責任を取らないし取れないしバックレるぞ。
 ゲシュタルトの祈りを。
「ひとは心で納得したことを むしろ嫌うのか」の回答画像7
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1.2.3.


誰の言葉か、という点が重要なんじゃないですかね。
盗人に防犯を説かれて唯々諾々と従う人もいないでしょう、いくら優れた防犯法であっても。
聞かない振りをして、知らないところでこっそり採用する可能性はあるでしょうけど。

4.5.6.
しかし、たしかに肩書きに弱いということはありますね。
忖度しない官僚はあり得ないように、直接的な利害関係にある場合と、専門家などのように肩書きは努力によって得られるものという幻想がある場合があるのでしょう。

7. つまり何事もお墨つきが要るのか。
:本人の自立具合、つまり自我確立の程度次第です。

8. ――いやいや そうではない。という心の言葉を 何が阻み
誰が闇へほうむるのか。
:7の条件を満たしている場合には、生命体としてのあるいは社会的生存に対する怖れ具合でしょう。

9. ひとは人間的な人間であることを 信用せず 嫌うのか。
10. ひとは ウソにこそひと安心するのか。
:そんなことはありません。ただし、
☆人間的な人間
という意味の解釈が一致していればの話ですが。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

1.2.3.
★ 誰の言葉か、という点が重要なんじゃないですかね。
☆ いや。これは 反対します。つまり 誰のかにかかわらず 中身が
問われるのみだと。(理論じょう。つまり 政治力学はいま別として)。

★ 盗人に防犯を説かれて唯々諾々と従う人もいないでしょう、いくら
優れた防犯法であっても。
☆ ですからこの場合も 中身には従うはずです。中身は 誰が言った
かには かかわりません。


4.5.6.
★ しかし、たしかに肩書きに弱いということはありますね。
☆ 一味違った見方をしています。つまり 《中身を問い 中身を判断
してそれに従う》という方針は たとえその時その場で《肩書きに揺り
動かされそれに従ってしまった》という場合にも 無力にされてはいて
も 有効でありつづけているからです。

悪貨が良貨を駆逐するというとき 依然として良貨は良貨でありつづけ
ています。

★ 忖度しない官僚はあり得ないように、直接的な利害関係にある場合
と、専門家などのように肩書きは努力によって得られるものという幻想
がある場合があるのでしょう。
☆ 中身で勝負という基本方針は 忖度せざるを得なかったという場合
にも おのが生きることの基礎であり土台です。

7. つまり何事もお墨つきが要るのか。
★ 本人の自立具合、つまり自我確立の程度次第です。
☆ これも 基本方針とそこからの―― 一時的な――逸脱との問題だと
見ます。

8. ――いやいや そうではない。という心の言葉を 何が阻み
誰が闇へほうむるのか。
★ 7の条件を満たしている場合には、生命体としてのあるいは社会的
生存に対する怖れ具合でしょう。
☆ そうなんでしょうが これは 基本方針からの逸脱として・つまり
悪貨として ほとんど無効のうちに社会力学じょう有力となっただけだ
と見ます。

9. ひとは人間的な人間であることを 信用せず 嫌うのか。
10. ひとは ウソにこそひと安心するのか。
★ そんなことはありません。ただし、
☆☆ 人間的な人間
★ という意味の解釈が一致していればの話ですが。
☆ 基本方針を堅持するというのが 人間的な人間です。逸脱があった
としてもです。

お礼日時:2017/06/27 21:06

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