

「屁理屈」を辞書で引いてみると、
まるで筋の通らない理屈、道理に合わない理屈、とあります。
また、「詭弁」を辞書で引いてみると、
論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法、となりますので、
「屁理屈」と「詭弁」はもちろん違うものということになります。
要するに、「間違い」ということでは同じなのですが、「屁理屈」は間違いだと明らかに
分かりますので、「不愉快」ということ以外は実害はないと思います。
問題は「詭弁」です。
「詭弁」には何らかの意図がある場合が多く、またそれを証明することはできません。
そして、一般大衆においては、論理学をキチンと心得ていない人が大多数だと思います。
これは、そう簡単なこととは思えないのですが、「詭弁」に騙されないためには、どの
ような点に注意したらよいのでしょうか?
No.25ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
緑萌ゆる季節になりましたね。詭弁は、論理的思考や論理的対話におけるひとつのシステムと呼びうる地平で、誤謬を交えないことによって、制御できるものでしょう。
・要素であるものは何か、概念や共通理解をとおして明確であること
・作用また機能にかかわるような、必要な要素群は何と何か、明確に挙がっていること
・目的や結論をけっして要素としないこと
・木を見て森を見ないような視点を避け、何が部分であり何が全体であるかを区別し続けること
・論理は複数の論理と繋がっている構造物なので、論理間の正しさだけを問題とするのでなく、下位の論理について、ひとつでも複数でもいずれも正しくあること
こういう態勢にあれば騙されないと思いますよ。
ただ、言語活動の場合、要素とか部分とか、あるいは土台や隣接の論理とかが、経験的な合意形成だけで成り立つものですから、スルーッと流してしまう恐れがありますね。一方で、経験が蓄積されているほど、そうした経験的な合意の妥当性を判別することが出来るとも言えるでしょう。詭弁そのものを情報的要素とすることも可能だし、人間の知性の面白いところですね。
あまがっぱさん、こんばんは。
いや、整理されていますね。さすがです。
かねてから勉強したいと思っていたことの中で優先順位の高かった「論理学」の
学習をちょこちょこ始めました。本当は、私も大学に行ったりしたいのですが、
なかなかその余裕もなく…
因果関係を無視しているわけでもないのに、そう見えるような文章をなぜ書いて
しまったのか、くらいは分かってきました(笑)。
有効な論理的対話を可能にするには、双方のそれなりの力量と意志と準備が必要な
んですね。
簡単ではないでしょうが、これができたら、生演奏で音を一つも間違えずに大好き
な歌をハモリながら歌い切った、くらいの快感を味わえるのではないかと思います。
No.24
- 回答日時:
媒概念曖昧の虚偽については、発言者と受信者の両方で曖昧な場合に問題になるんだと思います。
要は、3段論法自体が最初から、媒概念を曖昧にして詭弁としている場合と、結果的に曖昧になってしまう場合があると言う事です。
wikiの例では、Aはその発信者と受信者は同一の宗教の信仰対象と信者なわけですから、詭弁ではありません。
ただし、その論理には、二つの媒概念が含まれています。
しかし、中段を宗教的な例えと考えれば、それを物理現象だけと考えるから、媒概念が違うと言えるだけなんだと思います。
実際は、物理的にも人間は長い時間をかければ水に溶ける事はあるんですが、Aがそれを意味していないのは明確でしょう。
塩は水に溶ける。→物理的事実として真です。
あなた方は地の塩である。→塩と言っていない事に注意が必要です。 あくまで地の塩です。 ここでは、前提と無関係です。
ゆえにあなた方は水に溶ける→地の塩が、塩のようなものと言う比喩です。 水も前提とは違う意味でしょう。 比喩なので、3段論法ではありません。
この宗教的解釈は、信者だけが考える事でしょう。
要は、Aに関しては、その宗教の信者で無ければ、詭弁にしか見えないし、信者であれば詭弁では無いと言う事です。
Bも実を言えば、同じ事なんですが、これは普通の言説に見えるから厄介ですし、宗教には見えません。
実際は、国家(もしくは、政権与党)が、野党もしくは、一般大衆に行ったような発言ですよね。
これは、発言者(国家)は、主張しているだけで、それが事実と一致するかは、検証していない事なわけです。
非戦闘地域は、戦闘がおきていない。→非戦闘地域は戦闘しないと言うルールがあるから、ルールは守られると主張しているわけです。 ルールを逸脱する場合もありうるので、偽です。
自衛隊の行く場所は、非戦闘地域だ。→これは、そのように命令するので、真です。
だから自衛隊の行く場所は、戦闘がおきていない→前提が偽ですから、結論は偽です。
ただし、国家が全ての可能性を検討しないと、命令出来ない存在かと言えば、現実にはそうでは無いでしょう。
この発言をどう受け止めるかで、詭弁かどうかが決まります。
Bの論点は、自衛隊が戦闘を行うかどうかです。
非戦闘地域では、戦闘はしてはいけないと言うルールを自衛隊は守ります。
つまり、自衛隊は戦闘を行わないのは真となります。
そう考えると、きちんと書けば、詭弁では無い事になります。
以下に書き換えれば良いわけです。
非戦闘地域では、自衛隊は戦闘を行わない。→自衛隊が命令どおりに行動すれば、真です。
自衛隊の行く場所は、非戦闘地域だ。→これは、そのように命令するので、真です。
だから、自衛隊の行く場所では、自衛隊は戦闘を行わない。→前提が真ですから、真です。
では、自衛隊が戦闘をしかけられたら、どうするのかが問われるわけですが、この場合は自衛すると言う事です。
これを戦闘と呼ぶかどうかは、政治的判断です。(非戦闘地域が、明確に政治的に合意されているならば、そこでの自衛は戦闘では無いと言う論理は成り立つでしょう)
戦闘に自衛は含まれないかどうかが、議論になるはずですが、論理的には成り立っています。
つまり、「媒概念曖昧の虚偽」の虚偽は、発言者と受信者の双方の概念の相違がある場合にのみ成り立つ事象と言う事なんだと思います。
第3者的に判断しても、意味が無い、当事者間だけの問題と言えます。(詭弁自体、そのような事なのかもしれません)
丁寧なご説明ありがとうございました。
私としては、一般大衆がもっと論理的になるべきだという思いからさまざま
考えているわけで、「非知」は例として考えてみただけで、興味があるわけ
ではありませんでした。
しかし、エリート層というものは学歴が高く、一般大衆はそうではないから、
現実というものの難しさに、途方に暮れ、考えることをやめる、というのが
大多数の夢を持った人間の結論でしょう。
ある程度以上の大きさの「組織」が必要で、それを母体として、尋常ならざる
行動力の人が出れば、可能性が出てくるのかもしれません、社会変革の。
No.23
- 回答日時:
>「非知」は「分かるか分からないか分からない」という定義のようですから、得体のしれないものですよね。
そうですねえ。一応、生きた素材ですから、考えてみると面白いことはあるかもしれません。
まず向こうさまの話を簡単にまとめておきましょう。
・非知の次元に詭弁が一切存在しないとは言い切れないことは認める。
・しかし非知の次元では、一般に誤りと認められている結論も真と認める。
・それ故、非知において詭弁は存在するだろうが、一般と異なる。
と言いたいようです。
例。A「塩は水に溶ける。あなた方は地の塩である。ゆえにあなた方は水に溶ける」
一般には、最後の文章を見て「おかしいぞ?」と判定する。人間は水に溶けないと皆が知っているからである。
だがB氏においては、その可能性がありうるのじゃないかと考える。「おかしい」か「おかしくないか」の感覚が異なれば、詭弁か否かの判定ができなくなってしまうのである。
しかしもっと掘り下げてみたいところです。
上の例は、最後の一行だけで判定しているわけでもないのです。分解して見ましょう。
・塩は水に溶ける:現実の次元
・あなた方は地の塩である:比喩、詩的言語の次元
・ゆえにあなた方は水に溶ける:なんの領域か?
最後の一節を詩的次元の真で取るのならば間違いではない。
しかし現実の次元の真で取れば間違いである、ということです。
詩的次元を非知と置き換えれば、話は見えるでしょう。
あらかじめ自分は非知の領域の人で、徹頭徹尾それでしか判断しないというのならば、間違いではありません。
しかしこれを現実の次元に当てはめる結果になるのなら詭弁になります。
余計なことを書くと、B氏が、あれだけ多くの人と話しながら、最後は物別れになる理由は、こういう構図なのではないだろうか。つまり非知の次元での真実を、現実の次元に持ち込み、相手に拒絶され続けているのではないのか。
しかしさらに議論を深めて見ましょう。非知vs現実となると、非知はおいておこうと思うわけです。しかし例えば価値観の違いとして広く捉えると、上のボタンの掛け違えは割と日常茶飯事です。
・近代法とイスラム法の価値観の人が対話した時、上のようなボタンの掛け違えが起きないだろうか。
・右翼と左翼が対話した時はどうだろうか。
・さらにはもっと小規模な価値観の違いにおいてはどうか。
ここから次の仮説が導き出されます。【価値観が同一でない限り、常に詭弁は起きうるということになるのではないか。】
どうです、ちょっと面白いと思いませんか?
人との距離の取り方について考える上も良い素材だと思いましたね。
なるほど。
>一応、生きた素材ですから、考えてみると面白いことはあるかもしれません。
おっしゃる通りなんです。
かの説を知った時に、私は「これは到底真実ではないな」と直感しました。
でも、理屈は通っているようだ、と。ならば、どういう構造になっているのかという一点に興味があり、
じゃあ、論理学を勉強してみようとなったのですが、商売が忙しい時も多く、なかなか勉強が進まなかっ
たというわけです。
彼とのやり取りにおいては、とにかく「何を言っているのか分からない」のです。
私が感じたことは、「非知」というものにすべて吸収されてしまうし、「非知」には手が付けられない
という印象と、最も狭い場所に議論をもってゆこうとすること(得意分野なのでしょう)、相手のいう事を
ひねって、わからなくする、このあたりなんです。
これまで、彼とやり取りした人々も概ね同じだと思います。
私としてはほぼ分かってきましたし、あとは勉強で全貌が分かると思いますので、おそらく彼とのやり取
りはもうないでしょう。
ところで、今勉強をしている論理学のテキストで、はじめの「論理学とは何か」の章で例示された表現で
いきなり二つ目で分からなくなりました。
((今日晴れている→テニスをする)Λ(¬(テニスをする)))→(¬(今日晴れている))
記号が出てくると途端に拒絶反応が出ます。どう読むのでしょうか?
記号は全国共通なのでしょうか?念のため。
→ if...then
Λ and
¬ not
No.22
- 回答日時:
一般大衆がどのくらいの規模なのかと、論理学をほとんど知らない人達が大勢いるのかはわからないです。
質問者個人に答えます自己欺瞞について調べるといいです。自己欺瞞に気づくにはお腹に聞くといいです。no.17を回答する時にお腹に聞くとちょっとマズんちゃうか~と重い感じがしたけど無視して回答しちゃいました。てへへへへぺろ。どうマズいかというと、今ならわかるのだが、一般大衆なんだから大勢だろ。分岐が一個減るんじゃねーの?ってのと、大勢なんだから、質問者がそこに含まれる可能性が高いよな?ってこと。認知コストが払えなくなってめんどかったので、まーいーやって回答ちゃった。ごめんなさい。お礼で言ってる、欲張りだからかな?あるいは、細かいの苦手、だからかな?ってのは質問者の自己欺瞞。めんどいっす認知コスト払えねっすってのが正しい。腹が立ったぜ。no.17にお礼を書くとき、なーんかなっとくいかねーなーって感じたはずなんだよね。一般大衆なんだから大勢だろ。分岐が一個減るんじゃねーの?っていうのはあんまし認知コストを使わずに分かると思う。もうちょい考えちゃうと、大衆と、大衆以外があって、大衆以外の人たちについて、大勢とそのほかに分ける場合、同数に分ける場合があるし、大衆以外の人が一人だった場合は大勢とそのほかに分けられないぞって事にも気づいちゃって、やっぱ分岐するか~つうか分岐が増えるんかい!と逆ギレすることになっちゃったり。たのしーぞー。といいつつ注意。問答相手が自己欺瞞と謝ったら死んじゃう病と洗脳と詭弁を併発してるとすごいぞ。認知コストを削って、なんとなく認めさせようとしつつ、洗脳スクリプトを用意していて、自身の認知コストを温存しながら、矛盾しててもへいちゃらで謝らないし謝ったら死んじゃうのでタフだし詭弁に成功しても失敗してもその結果の責任を取らないし取れないしバックレるぞ。ゲシュタルトの祈りを。No.20
- 回答日時:
わたしの反論は 次の第三段が異なります:
◆(回答№19) ~~~~~~~~
・詭弁とは可知(☆くわしくは経験事象。つまり未知や不可知も入る)を扱っている。
・だが自分は非知を扱っている。
・だから自分は詭弁を扱ってはいない。
~~~~~~~~~~~~
☆ つまり:
x ・だから自分は詭弁を扱ってはいない。
○ ・だから自分の議論はこのリストの詭弁とは かかわりがない。
(別の仕立ての詭弁の可能性はある)。
☆ すなわち:
◆ 非知を扱っていても詭弁を弄することはあるでしょう。
☆ が:
◆ したがってここでは、議論をすり替えているわけです。
☆ とはならないでしょう。議論のカテゴリが違うということでしょうね。
すり替えなら 同じカテゴリになりますから。
◆ 媒概念曖昧の虚偽 (fallacy of the ambiguous middle)に相当すると思いますね。
自分が非知を扱っているか否かは、議論の本質と関係ないわけです。しかしそれを重
要な根拠にして、結論を導き出しています。
▲(ヰキぺ:詭弁) ~~~~~~~
§ 3.6 媒概念曖昧の虚偽 (fallacy of the ambiguous middle)
A「塩は水に溶ける。あなた方は地の塩である。ゆえにあなた方は水に溶ける」
B「非戦闘地域は、戦闘がおきていない。自衛隊の行く場所は、非戦闘地域だ。だか
ら自衛隊の行く場所は、戦闘がおきていない。」
~~~~~~~~~
☆ 経験事象を超えたところの《非知》を扱うと この詭弁が当てはまらないことを
論証します。
A の《地の塩》は イエスの弟子たる人間のことを譬えて言っていますが これをさ
らにアートマン(霊我)としての人間のことだと捉えてみましょう。
つまり 霊としての存在ですから 《非知》なわけです。とすると アートマンとし
ての地の塩たる人間は 《水に溶ける》かどうなのか?
水は 経験事象であり 水に溶けることも 同じくです。いまの仮定における地の塩
は 経験事象を超えているという想定です。
ですから 《霊なる人間が 水に溶ける》かどうかは どこかで推論や前提を間違え
たといった問題にはかかわりがないのです。
この《非知》版の A は 別の次元における詭弁リストをつくる必要があるとなります。
このように:
◆ 自分が非知を扱っているか否かは、〔詭弁かどうかの〕議論の本質と関係
☆ しています。
B は 非知版が つくりづらいですね。
No.19
- 回答日時:
未知論証は絡まれましたか。
議論する気は無いのですし、B氏のことでもないのですが、一言だけ。整理すると次のことのようです。
・詭弁とは可知を扱っている。
・だが自分は非知を扱っている。
・だから自分は詭弁を扱ってはいない。
非知を扱っていても詭弁を弄することはあるでしょう。詭弁はテーマによって変わるものではなく、テーマを扱う手法に他ならないのです。したがってここでは、議論をすり替えているわけです。
で、詭弁のリストに照らし合わせて考えてみます。媒概念曖昧の虚偽 (fallacy of the ambiguous middle)に相当すると思いますね。自分が非知を扱っているか否かは、議論の本質と関係ないわけです。しかしそれを重要な根拠にして、結論を導き出しています。
私が気になっていた点を説明する文章が見つかりました。
《論理的真理を踏まえながらも、前提となる命題の意味の多義性、曖昧さに乗じて
とうてい真とは言えない結論を導く議論》ーー詭弁
=媒概念曖昧の虚偽?
この点をどう考えるべきかが念頭にあったので、「前提のすり替え」という言葉を
早とちりしてしまったようです。
「非知」は「分かるか分からないか分からない」という定義のようですから、得体
のしれないものですよね。それで、本人は「理論武装した」と言っていますし、長
いこと練ってきたんでしょうから、どうにもならないのでしょうね。
でも、今回はかなりあせっている感じがしましたね。
それで、私の質問の回答も前回も今回も、言っていることおかしいですし、彼の説
にそもそも興味はないですし、また、以前のようにドロドロにならないうちに彼と
の対話は一旦お休みにします。
論理学入門を勉強し始めたので、いろいろ質問するかもしれませんのでよろしく。
No.18
- 回答日時:
▲ 未知論証 (ad ignorantiam)
☆ は――つまり 詭弁に取り上げられる推論はすべて―― 経験事象
を扱っています。
つまり 《未知》は 大きく可知の問題です。
非経験の場は 非知であり・・・・。
それは 仮説法(アブダクション)によることになります。
No.17
- 回答日時:
質問者を1.一般大衆の、2.論理学を、3.キチンと、4.心得てない、5.大多数の一人と考えて回答すればいいのかな。
1のyes,no、2のyes,no、3のyes,no、4のyes,no、5のyes,noで2^5の32通りの読み方の幅があるよ。論理学をキチンと心得てないと詭弁に騙されるのかな。キチンとってどのくらいかな。心得るってどういうことかな。質問者が騙されないためにと考えて回答すればいいのかな。一般大衆が騙されないためにと考えて回答すればいいのかな。前提がぼやーんとしてるな。私の質問は、大抵問題点を絞らないで、広く受け付けるというスタイルですね。
欲張りだからかな?あるいは、細かいの苦手、だからかな?
そうですね、私を含めた、論理学を「ほとんど知らない」一般大衆が、詭弁に騙されないための
ポイントあるいは勉強すべき点を教えてくれたら嬉しいですね。
論理学入門を勉強し始めたから、こんな質問をしたんだけれど。
No.16
- 回答日時:
それにしてもDRさんの問いが、ウィキの記事の存在を知らしめたことによって、「あんたの論法は、条項xxxに該当する詭弁である」という議論が、このカテでも行われることになりそうですね。
前のHさんの論法は、典型的な「前件否定の虚偽 (denying the antecedent)」に相当しそうな気がします。
「未知論証 (ad ignorantiam)」は、神に関する某人物の議論で、よくお目にかかります。
正直なところ、見本はこの哲学カテにいくらでもあり、私は笑い転げてしまいました。
ただここで、詭弁だから何が悪いのか?という話も起きそうな気がします。詭弁であろうとも真実をついていることがあるはずだという話にはならないのか。そして自分が多用している詭弁のシステムがわかると、一歩賢くなる気がするのですね。
思考の癖がわかるということになります。その癖を自覚して、治せることにもなります。あるいは元をたどり直して、改めて考え直すことができます。というわけで、DRさん、もし私について気がついたことがあったら遠慮なく教えてください。(DRさん限定で願います)
ま、質問の意図から逸れてしまうかもしれませんが。
そうなんです。私は初級者だからそう思わなかったんですが、哲学カテといっても
必ずしもキチンとした論理が述べられているとは限らないという事が、だんだんわ
かってきました。
学者でも時に間違えるといいますから、難しいことなんでしょうけど。
ま、私もよく勉強して、キチンとした思考ができるようになりたいし、それを人を
責めるために使うことなく、お互いのために役に立てばいいと思っています。自他
共に、というやつです。
>もし私について気がついたことがあったら遠慮なく教えてください。
友達同士だからできることですね。
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