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1. 《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》――これが じんるいのさとりである。
2. ところが この命題(ひとの判断)は 《わたし》のその時・その場の―― 一般に一回かぎりの――自己表現であるに過ぎないという特徴=限界をもっている。
3. 言いかえると 《わたし》の一面のみを語っている。
4. わたしは 《わたしがわたしであるわたし》に逆らってものごとを考え さらにそのことを実行に移すこともある。《わたしがわたししていない》わたしも起きる。
5. それでも この命題は 活きる。《わたしに逆らうわたし》も わたしの一部分として内にふくむと見れば足りる。
6. 語ったのは――つまりこの命題は―― つねにわたしの一部であると言える。相対性のもとにある。
7. これが じんるいのさとりである。基本命題が 相対性のもとにあることを以って それゆえに――その非固定的な自由性のゆえに――だ。
☆ コメントをどうぞ。
8. 例証をひとつ挙げます。いぢめという事態は 相手を――それと同時に自分自身を――ほかから区別し その固定化と特別視とで接するということに始まる。
8-1. 他と区別した特別視が その内容のよしあしにかかわらず 差別をおこなうことになる。
8-2. えこひいきにしろ蔑視にしろ 人間性の平等をなみする差別である。
8-3. つまり ほかならぬ自己自身の見下しであり さげすみだ。
8-4. おのれの人間性をないがしろにする自己表現は――その自由度が人間にはあたえられてはいるが―― もともと無効であり いぢめの相手にはただの屁の河童である。
9. したがって そのときわたしは《わたし》の――じつはマイナスの―― 一面を捉えこれに執着し その時その場の自分の命題としている。
10. そういう《わたし》の一部分が起きているというに過ぎない。ジガもエスもチョウジガもヘチマもない。と見ることが出来る。
11. かくて すべての事象は 《わたし》論なる命題におさまる。さとりとする所以である。
A 回答 (10件)
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No.10
- 回答日時:
あ、ちょっと質問したいです。
1.多重人格の方をどう思いますか?(ネットや舞台俳優の演技などは除きます)
2.一人の作者が描く複数の人間が取りなす作品(漫画、小説など)に登場する人間(キャラクター)と作者(人間)をどう思いますか?
3.上記二つの質問の両方で、実体(主人格や作者)と異なる性別や人ならざる存在(悪魔とかゴブリンとかスライムとか)がある場合があります。どう思いますか?
つまり、<わたし>ってなんでしょうね?
…って事なのですが。
だって、「受け入れ内包するワタシ」は限度がある。貴方の説明では全て(「1は全、全は1」くらいに全部)を受け入れ内包し精神の胃袋で消化してるように感じる。だから≪神≫と思ったし、その実践は"とてもむつかしい"と思う。
★ 1.多重人格の方をどう思いますか?(ネットや舞台俳優の演技などは除きます)
☆ きびしいですが 《0:イリ歴史知性》なるわたしが 自分の内に持っておさめている部分的な状態のことです。
★ 2.一人の作者が描く複数の人間が取りなす作品(漫画、小説など)に登場する人間(キャラクター)と作者(人間)をどう思いますか?
☆ そうですね。つねに等号でつながるものであるとは 思いません。
単なる想像上の《ひと》として描く場合はあり得ます。
★ 3.上記二つの質問の両方で、実体(主人格や作者)と異なる性別や人ならざる存在(悪魔とかゴブリンとかスライムとか)がある場合があります。どう思いますか?
☆ それでも――つまり 《人ならざる存在》だと見えても―― 《わたし》の一部なのだと見ます。
★ つまり、<わたし>ってなんでしょうね?
…って事なのですが。
☆ わたしとは 言葉で《わたしは誰々です》と言ったそのときの本人です。
★ だって、「受け入れ内包するワタシ」は限度がある。
☆ 受け容れることが ほんとうに出来ないと判断したなら その場合は 無理に自己の内におさめる必要はありません。
★ 貴方の説明では全て(「1は全、全は1」くらいに全部)を受け入れ内包し精神の胃袋で消化してるように感じる。だから≪神≫と思ったし、その実践は"とてもむつかしい"と思う。
☆ 前項のことは 《とてもその〈わたしの一部分〉を自分は受け容れることは出来ない》と判断したなら それは確かに《わたしの一部分》ではないということです。
でも その《わたしの一部分》だとひとまづ捉えたその内容を ただ認識としてのみなら 認識し得ると思います。つまり それだけで《わたしの内におさめる》ことが出来ていると見ます。《わたしでないもの》をも。
概念把握だけですから 実践できると考えます。
No.9
- 回答日時:
自己主張を問題としたのは、
「私は私である」「私が仮面を被っても私だ」「私は記憶を失った、それでも私だ」
…であると思ったからです。
そして、インターネットの世界はほぼ常に「仮面を被り、他人を演じるが、それでも私だ」という状態である。仮面(演じ方)は人それぞれではあるが、一切変わらない人は少数であろう。
命題として、「自己主張のぶつけ合い」とは"戦争そのもの"であり、戦争の規模によって、一番小さな戦争が「いぢめ問題」である。喧嘩も小さな戦争の一つだが、いぢめ問題が大問題なのは一方的である場合が多いからである。
「いぢめ問題」は自己主張の否定でもある。いぢめられる側は自己がどんどん小さくなる。
課題として、「蔑み」は自己主張の権化である。というのは、「評価」というのは自画自賛という例外を除いて必ず対外的なモノであり、「本来とは違う評価」や「自己満足の為の過小評価」が「蔑み」であり、同時に「蔑みが出来る自分」という自己主張が発生するからである。
…故に、自己表現を「我思う、故に我あり」と論じたのです。
ところで、「≪「私以外の自己主張」≫をすべておのれの精神の胃袋で消化して ひろく深い≪わたしがわたしであるわたし≫の中におさめていること。」は、もはや≪神≫では?
★ 自己主張を問題としたのは、
「私は私である」「私が仮面を被っても私だ」「私は記憶を失った、それでも私だ」
…であると思ったからです。
☆ そうですね。わたしがさとりについて思っている内容としては ふつうに自然にまた人間的に存在していて生活していることが基軸です。そして 特にその身や心を飾ったりしないということであって そこで《自己主張》をしているといったイメージはなかったのです。
★ そして、インターネットの世界はほぼ常に「仮面を被り、他人を演じるが、それでも私だ」という状態である。仮面(演じ方)は人それぞれではあるが、一切変わらない人は少数であろう。
☆ わたしが《仮面をかぶったわたしも わたしの一部だ》と言ったのは 《仮面をかぶったそのわたしの一面を ひろく常なるわたしが 自己の内におさめている》という意味になります。
仮面のわたしと真実のわたしとが 並列しているというわけではないです。
★ 命題として、「自己主張のぶつけ合い」とは"戦争そのもの"であり、戦争の規模によって、一番小さな戦争が「いぢめ問題」である。・・・
☆ この場合も 《たたかうわたし》や《いぢめるわたし または いぢめられるわたし》もすべて そのような一面としてのわたしであり これらを 《わたしがわたしであるわたし》のもとにおさめているということが 肝心です。
★ ところで、「≪「私以外の自己主張」≫をすべておのれの精神の胃袋で消化して ひろく深い≪わたしがわたしであるわたし≫の中におさめていること。」は、もはや≪神≫では?
☆ まよう自分あるいはちょっとした悪に走る自分 このような芳しくないわたしを 全体としてのわたしが 自己の内におさめている――このことは 取りあえず判断としての行為ですから 必ずしもむつかしい実践ではないように思います。
《「私以外の自己主張」》も その内容を自己の内に見出すということであり これも認識の問題ですので さほどむつかしいものではないと思います。よ。
No.8
- 回答日時:
自己主張の条件はただ一つ
ハッキリと、言葉を、紡ぐ(綴る)事。
その言葉が理解される必要、評価される必要、拡散される必要は、ありません。
もっと言えば、周りに誰も居ない独り言でも問題無い。
そして、その自己主張こそが<我思う、故に我あり>となる。
ただ、条件たる「ハッキリと」が非常に難しい。故に自己主張が出来る人は存外に少ない。
俗に言う、流されやすい人ほど「ハッキリと」が出来ない。
自己主張には自画自賛や唯我独尊、エコ贔屓や誹謗中傷なども含まれる。
故に、世界とは「私の自己主張」と「私以外の自己主張」の永遠なる争いである。
ご回答をありがとうございます。
★ ~~~
自己主張の条件はただ一つ
ハッキリと、言葉を、紡ぐ(綴る)事。
~~~
☆ ちょっと異論を持ちます。
なぜここで《自己主張》が問題になるのか?
あるいは 自己表現には レティサンスといった手法もあることです。
★ その言葉が理解される必要、評価される必要、拡散される必要は、ありません。
もっと言えば、周りに誰も居ない独り言でも問題無い。
☆ ううーん。意志疎通というのは 大方の場合に その自己表現の内容が理解されうるということは 必要条件だと思われます。
その相手が 誤解したり理解し得なかったりしたとしても 一般に考えて《理解しうる》という表現であるなら 必要条件を満たしていると。
★ そして、その自己主張こそが<我思う、故に我あり>となる。
☆ このコギト命題は きわめて広く間違って受け容れられています。
《考えるなら》というのであれば そのときには《考えるわたしがいる》ということだけを言っています。それ以上のことは 無理です。
それに デカルトの真意は その《わたし》は ふつうの人間存在を言うのではなく 《非形体的で非物体的なわたし》だと――つまりは 霊的なわたしのことだと――みづからが答えています。
★
ただ、条件たる「ハッキリと」が非常に難しい。故に自己主張が出来る人は存外に少ない。
俗に言う、流されやすい人ほど「ハッキリと」が出来ない。
自己主張には自画自賛や唯我独尊、エコ贔屓や誹謗中傷なども含まれる。
故に、世界とは「私の自己主張」と「私以外の自己主張」の永遠なる争いである。
☆ かんたんに言えば 《「私以外の自己主張」》をすべておのれの精神の胃袋で消化して ひろく深い《わたしがわたしであるわたし》の中におさめていること。――となるはずです。
No.6
- 回答日時:
bragellone さん
素晴らしい・・
素晴らしいです・・
貴殿様は・天に選ばれし・人物のようですね・
____________________
素晴らしいです・
私は・貴殿様を・認めます・
素晴らしいです・
・
BY 逆転地蔵
・
![「《〈わたしはわたしである〉わたしがわたし」の回答画像6](http://oshiete.xgoo.jp/_/bucket/oshietegoo/images/media/a/521843042_6104fcf671a6b/M.jpg)
おお。それは それは。
ご回答をありがとうございます。そして みとめてくださってありがとうございます。
ほかの仮説でみとめてくださる方が ちらほらなんですが このさとりについての命題は おそらくあなたが 初めてです。
ゆるゆるの説明になっていて微妙でもあるのだと思います。わたしは 気に入っています。
もともとは 10に書きましたように 精神分析に対する批判としての意図があったものです。
お察しであるかと思いますが わたしは あなたの宇宙時間方程式など理系のことにうとくて コメントが出て来ません。ざんねんながら。
ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
キリストもブッダも死んだふりですか死に至る病だ王というのが、申告になってきあmしたね。
それにしてもコロナ感染が出郷は偽選挙だけがダジなのですね。物で、
コロナ感染者が本物の
ご回答をありがとうございます。
ううーん。どうですかね。
★ 死んだふり
☆ というのは――或る種の意味で(ペテンをはたらいていて それがバレないように さとりの説明をシャーリプトラにもとめられても 避けたといった意味で) ゴータマ氏には当てはまるかも知れませんが――
〔死んだふりというのは〕 どうもピンと来ません。どうですかね。
No.2
- 回答日時:
いろはにほへと
ちりぬるを
わかよたれそ
つねならむ
うゐのおくやま
けふこえて
あさきゆめみし
えひもせす
ご回答をありがとうございます。
回答№1で いわゆる無常観の問題は出て来ました。
このいろは歌の場合は その上で――つまり 世の中は無常ではあるが それでもなおというかたちで――しっかりと:
▲ 浅き夢見じ 酔ひもせず
☆ という主体的な決意を述べています。
それで いいと言えばいいのですが やはり 基本の命題とするには 理論ではなく主観の意欲にとどまるようにも思われます。
あるいはつまり:
▲ 有為の奥山 けふ越えて
☆ というよりは――敢えて極論すれば―― 有為の山々のその只中にあって《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》というふうに ゆるゆるの規定で述べておいたほうがよいかと思うのです。
No.1
- 回答日時:
天上天下唯我独尊からの
この世の諸行無常
卑怯な事をするのは禁ずるからの
己を知るのは己だけからの 私
ご回答をありがとうございます。
★ 天上天下唯我独尊からの
☆ ではないと思いますよ。
☆☆ 《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》
☆ 断定していても その内容は ゆるゆるですよ。2~7です。
★ この世の諸行無常
☆ 相対性を言ったことで そういう受け取り方になるのかも知れませんが すでに無常という表現にまでおよぶなら それは いわゆる現世忌避のような色合いが混じるのではないですか?
★ 卑怯な事をするのは禁ずるからの
☆ それは いわゆる反抗期の成せるわざであり 一面的だと思われます。
★ 己を知るのは己だけからの 私
☆ その主観〔による自由・主体性〕の問題としてよいのですが――よいはずですが―― 命題として提出するときには それでは一面的だという批判が来ると思います。
《己を知らないという己の一面》をも その己にふくめて議論せよ! といった批判です。どうでしょう。
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