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私が言ったのではないのですが、以下の考え(命題)は正しいでしょうか?間違っているでしょうか?

『はるか昔、してはいけない事(禁止)という事は存在しなかったのだから、本来は全ての行動はしてもよかった事になる。』

間違っていると思う場合もその理由も一緒にお願いします。
ご意見をお聞かせください。

A 回答 (18件中1~10件)

命題の形式的な真偽を中心に調べてみました。



((前置きにして結論))
結論から述べると、上の命題は解釈次第で真にも偽にも、'真なのにほとんど無価値' にもなります。

((一般論と方針))
一般に、文はしばしば解釈により真偽が変ります。上の命題も 'してはいけない事' と 'してもよい事' という言葉の解釈には幅がありそうです。'本来' についても同様です。

そこで先ずは素朴に解釈して、それが形式的に常に真となるか調べます。準備として、上の命題を次のように読み替えます。

((読み替え; 素朴に))
『ある時より以前には、してはいけない事は存在しなかった。従って、ある時より以前には全ての行動はしてはいけない事ではなかった。』... (解釈1)

この解釈を踏まえて、述語論理で表現すると、

((記号化; 構造を視覚化))
(∃t1:時)(∀t:時)(tはt1以前⇒¬(∃x)(xはtの時点でのしてはいけない事))⇒(∃t1:時)(∀t:時)(tはt1以前⇒(∀x)(x:行動⇒¬xはtの時点でのしてはいけない事)) ... (1)

となります。この論理式は(形式的には)常に真になります。

((略証)) ... 少し長いので読みとばして下さい。
次の式
'(∃t1:時)(∀t:時)(tはt1以前⇒¬(∃x)(xはtの時点でのしてはいけない事))' ... (前提1)
を前提とする。このとき、't1' の実例を 'T' とする(... 仮定1) と、
'(∀t:時)(tはT以前⇒¬(∃x)(xはtの時点でのしてはいけない事))'
となるので、't' は任意と約束すれば、
'tはT以前⇒¬(∃x)(xはtの時点でのしてはいけない事)'
を得る。そこで、次の仮定
(仮定2) 'tはT以前'
をおけば、
'¬(∃x)(xはtの時点でのしてはいけない事)'
が得られますが、これは、
'(∀x)(¬xはtの時点でのしてはいけない事)'
と同値です。そこで、さらに 'x' が任意と約束すれば、
'¬xはtの時点でのしてはいけない事'... (2)
を得ます。
ここで、任意の命題A,B について、
'A⇒(B⇒A)'
は常に真なので、式(2) から、
'x:行動⇒¬xはtの時点でのしてはいけない事'
が言え、x は任意なので
'(∀x)(x:行動⇒¬xはtの時点でのしてはいけない事)'
であり、さらに 仮定2 を除去して、(演繹定理)
'tはT以前⇒(∀x)(x:行動⇒¬xはtの時点でのしてはいけない事)'
となり、't' が任意であることから、
'(∀t:時)(tはT以前⇒(∀x)(x:行動⇒¬xはtの時点でのしてはいけない事))'
よって、
'(∃t1:時)(∀t:時)(tはt1以前⇒(∀x)(x:行動⇒¬xはtの時点でのしてはいけない事))' ... (3)
を得ます。
式(3) には 't1' の実例と仮定した 'T' が出現しないので、仮定1 も除去できます。
こうして、式(3) は 前提1 のみを根拠に持つ事がわかりました。従って、前提なしに、
'前提1⇒式(3)'
すなわち、式(1) が成り立ちます。つまり、式(1) は常に真となります。((略証終り))

((一つの結論; 素朴な解釈))
原文の 解釈1 への読み替えと、式(1) への記号化が適切ならば、問題の命題は形式的に真、と言えます。が...

((幾つかの問題点; 解釈は多様なのか!?))
しかし、以上の分析には幾つか考慮すべき点があります。

1. そもそも述語論理で分析できるのかどうか。 問題となる概念(述語) '※1は※2の時点でのしてはいけない事' の真偽が全ての時点で決定可能かどうかは議論の余地があるかもしれません。が、上では割り切って素朴に。

2. 原文に現れる '本来は' を、'原初には', 'はるか昔には' , 程度に狭く解釈していますが、仮に、何か他の含み、例えば...

'してはいけない事が存在しなかった = 全ての行動が許可されていた'

... と解釈させる意図があれば、解釈1 の読み替えは的外れとなります。

わざわざ ''本来は'' と強調した上で ''全ての行動はしても良かったことになる'' と続きますがこれは

'本来はあらゆる行動が許可されていたことになる'

と読みたくなるかもしれません。
しかし この解釈の流れは次の文からは正しくなさそうです。

『はるか昔、許可されていないという事は存在しなかったのだから、本来は全ての行動は許可されていた事になる。』

この文は前件が偽(∵はるか昔、最初に誰かが何かを許可する前は、全ての事は許可されていない事だった) なので文全体は真になるのですが、後件の真偽は不明のままですので、条件や推論を述べる文としては無価値となります。
しかし、次の文はそんなことはありません。

『はるか昔、禁止された事は存在しなかったのだから、本来は全ての行動は禁止されていなかった事になる。』

当然の事が述べられています。ところが、次の文は明らかに適切ではありません。

『はるか昔、禁止された事は存在しなかったのだから、本来は全ての行動は許可されていた事になる。』... (解釈Ω)

もちろん、禁止されていないことが許可されているとは限りません。はるか昔、許可とか禁止という概念すらない時代には、全ての行動は許可も禁止もされるはずがないので、解釈Ω は前件が真 なのに 後件は偽 となるので 文全体は偽 になります。(←この主張自体、議論の余地が沢山ありそうです。果てはあるのか... )

3. 解釈や記号化の際に、

'してはいけない事ではない事'='してもよい事'

と解釈して用いましたが仮に、

'してもよい事'='誰かがしても良いと認めたこと'

という、より強い意味を与えた場合には、

'してはいけない事'≠'誰かがしても良いと認めた訳ではないこと'

と見なされる可能性はあります。

'許可はされていないが禁止もされていない。だからしても構わないだろう?'

という精神です。このような解釈, 文脈を採用する場合にはやはり、式(1) への記号化は不適切となります。(解釈1 と 式(1) では次の関係 ; 'x:してはいけない事⇔¬x:してもよい事' ; を用いているため)

((まとめると))
1. 原文は真っ直ぐに解釈すれば正しいように見えますが、斜めから見ると色々と考える余地がありそうです。

2. 問題の命題について真偽を判断せねばならない場合は、解釈を明示した上で行う必要があると考えます。個人的には、

''『はるか昔、禁止された事は存在しなかったのだから、本来は全ての行動は許可されていた事になる。』... (解釈Ω)
という意味なら偽である。禁止事項も許可事項も存在しない時代があったはずだから''

くらいに答えたいと思います。
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この回答へのお礼

前半の述語論理の部分は当方の勉強不足のためすみませんが理解できませんでした。

> 『はるか昔、禁止された事は存在しなかったのだから、本来は全ての行動は許可
> されていた事になる。』... (解釈Ω)
> という意味なら偽である。禁止事項も許可事項も存在しない時代があったはずだから

私もそう意味では偽になると思います。
この命題の論理構造自体はたぶんそんなに難しいものではないと思うのですが、
No.11さんの回答で気づかされましたが「~してもよかった」を「許可」と解釈するか
「自由」と解釈するかで変わってくると思います。「自由」と解釈した場合には
「してもしなくてもよい。どちらでも構わない。それについてなんら干渉しない」
という意味合いになりますし「許可」というと「その行為を認めます」という
行為をやや積極的に認めるニュアンスになるかと思います。

公平な観点からの回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/29 01:28

禁止がなかった、というのは良し悪しの判断自体が無かったということにすぎませんから、そのことに対して「良かった事になる」という解釈はできないでしょう。


してもよかった、ではなく、してもよいかどうかということは判断の対象となっていなかった、つまり善悪の区別は気にされていなかった、という辺りがせいぜいじゃないかと思います。

『はるか昔、放射性廃棄物を出してはいけないという法律(禁止)は存在しなかったのだから、本来は地球が放射性廃棄物のゴミ捨て場になってもよいと人間は考えていた事になる。』
という命題も将来出てくる可能性があります。
まあ、結果的にそういうことになっちゃうんだけど、でも、「良い」と考えていたわけじゃなかったんだよね・・・ぐらいの言い訳をするしかないのかもしれません。
これと似ているかも。
    
     
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この回答へのお礼

私もその時代には善悪の価値判断する規範自体がなかったのでその意味で偽だと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/29 00:56

『はるか昔、してはいけない事(禁止)という事は存在しなかったのだから、本来は全ての行動はしてもよかった事になる。


明らかに、この命題は誤り。
理由ですが、
・してはいけない事以外は何をしても良い。
この命題が間違いならば質問文の命題も間違いです。なぜかは書かなくて良いですよね?で、実際に成立していません。
というのは、禁止事項でないことで、「して良いかして悪いか不明なことが1つでもある」のでれば、
その時点で正しくない。そして、「○○してよい」という言及が全く無い(禁止事項が無いなら許可事項も無いはず。)のであるなら、
全ての行動は、「して良いかして悪いか不明である」という結論になります。

歴史的に見て、法律にものごとを限定したとしても、
・してはいけない事以外は何をしても良い。(法律で罰せられることは無い)
と、明文化されたは800年前。(マグナカルタ)。
それ以前(それ以後しばらくの間、イギリス以外の国)は、
法律で禁止されていないことを実行 → 法律を追加 → 追加した法律を、過去に遡って適用し、罰則を与える
という行為がアリでした。
つまり、大昔なら、「して良いかして悪いか不明である」ということにほかなりません。
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この回答へのお礼

私も大昔は禁止も許可も善悪も価値判断をする規範自体がなかったと思います。この命題は「行為は禁止されているか許可されているかのどちらかである」という誤った二分法を前提にしている点において少なくとも偽だと思います。つまり許可も禁止もない状態を考慮していない。

ただNo.11の回答者様が言われたように命題中の「~してもよかった」を許可ではなく自由と解釈した場合にはその限りではないようです。

お礼日時:2012/08/28 22:32

 こんにちは。



 (1) はるか昔
 ★ してはいけない事(禁止)という事は存在しなかった
 ☆ かどうかについて考えた人たちがいました。

 ものごとの中には 《おのが心にさからう》ことがあると捉えた。
 心がやましさを感じるか否か これを判定の基準とした。
 顔を赤らめ 胸の動悸がはげしくなり ことばもしどろもどろになる。かどうか。

 そのとき 《かみ》という言葉を用いては こう捉えた。

 おのれがよしとする心に背いてことをおこなった場合 神が こう声をかけて来た。アダムよ きみは どこにいるのか? と。

 (2) つづく昔
 神を心に受け容れたアブラハムなる男は おのが心にやさしくあることとして神に従おうと心に決めたあと 果たして神に従うなら それはわが息子をも神にささげることが出来るということか? とみづからに問うた。

 そう(出来るということ)でなくてはならないという考えをいだき それについてさらに考えを重ねた。
とうとう気も狂うほどのしっちゃかめっちゃかの中で わが子をもささげようと決め すでに刃物を取りほふ(屠)ろうとしたとき あたまの靄の中から光が射して ひとは人をころさない みづからをもころさないとさとった。

 それでよいとさとった。そのヒラメキと考えとで 自分は神に従い おのが心にやさしくあると。

 (3) つぎの昔

 《ひとは人をころさない》というまことを どうしたことか 《なんぢ ころすなかれ》という掟として表わすようになった。
 否定命令ゆえに 禁止である。

 禁止の起源は ここにあると考えます。

 この《心の中の 神との関係》つまり信仰とそのヒラメキ内容を言葉において表現しこれを掟として持ったというのは ひとつに 人びと(民族)のまとまりのためであった。やすらかな生活とそれを保障するためであったらしい。

 (4) それでは あらためてはるか昔
 ★ はるか昔、してはいけない事(禁止)という事は存在しなかった
 ☆ のか?
 禁止という掟ないし法に表わされる前の段階において そのときの人びとの状態は 《してはいけないことが なかった》か?

 集団における掟ないし法は まだ成り立っていなかった時代がある。これは 明らかである。
 禁止もなかったかも知れない。
 ただし そのような法あるいは禁止としての取り決めの中身が拠ってきたる起源は どうであったか?

 という問いに代えることができると考えますが どうでしょう?
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>はるか昔 A




>、本来は B

がどう対応しているかでこの「命題」は成り立つかどうかが変わると思いますが、A=B ならこの一文は同義反復になって文として何も言ってはいないことになります。




「遥か昔、竹島は誰のものでもなかったのだから、本来竹島は誰が奪ってもいいということになる」

文章としては成立しています。遥か昔と本来は対応していますが、この一文が韓国(あるいは日本)の主張を補強するものになっていないことは明らかです。

意味を持たせるなら、A と B をはっきり違うものとして定義づけることが必要です。
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この回答へのお礼

この命題を主張した人は、「はるか昔」と「本来」を同じ意味で使っていたと思います。
そうなると同義反復ということになりますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/28 19:20

何故禁止事項ができたのか、ということを考えれば


この命題は間違っていることが解ると思います。

人間は社会を造る動物です。
社会で育たない人間は、人間になれません。
二足歩行すら不可能だと言われています。
人間存在と、社会の存在は密接不可分の
関係にあります。

そして、その社会があるから、禁止、という概念も
産まれたのです。

社会は人間の集団が基になっていますから、当然
秩序が必要です。
秩序が無ければ、社会は成り立ちません。

その社会の秩序を成り立たせるために、禁止事項が
設けられたのです。

従って、昔は、禁止事項は存在しなかった、というのは
誤りです。
人間が人間になった時には、既に社会が存在し、当然に
禁止事項も存在したことになります。

社会契約説は架空のものとしか言いようがありません。

この回答への補足

この命題の主張者は、人間が人間になるよりももっと昔の話、と言っていました。
その場合はどうでしょうか?

補足日時:2012/08/28 20:03
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偽です。




まずは包含関係の論理式のチェックから。もし命題が真であれば対偶も真ですよね。
というわけで命題の対偶を取ってみましょう。

「すべての行動はしてはいけなかったのだから、してはいけない事が存在した。」---(1)


と同値であるわけです。あれ?ちょっと変ですよね?
つまりすべての行動が否定される状況で、人間の行動として
わざわざしてはいけない事を限定列挙する必要は無いわけです。

(1)を違和感が無いであろう形に書き換えてみると、
「ある種の行動はしてはいけなかったのだから、してはいけない事が存在した」---(2)

これなら(1)よりだいぶマシですよねー。というわけで(2)を元の命題の形に変形します。


「してはいけない事は存在しなかったのだから、本来はある種の行動はして良かった事になる」---(3)

(3)より、してはいけない事が存在しない、という状況が許容しうるのは、
実はあくまで「ある種の行動」に限定される、ということが解るかと思います。




さあ面倒なチェックが終わったところで本題です。(3)は何を言っているんでしょうか。
許可とは何を意味しているか。実は法律用語の「許可(してもよい)」は禁止の解除であって、
あらかじめ認められた行為の存在事実を認める「承認」とは異なる、という考え方があります。


しても良い、と認めるためには行為を限定して禁止し、その上で禁止の解除をする必要があります。
一方でしてはいけない事が存在しない場合、そもそも禁止を解除する根拠が無い。つまり許可できないんです。
命題の、してはいけない事が存在しない状況下では、許可も同様に存在しない、ということでもあります。


つまり、許可のためにはまず、禁止が存在する必要があるのです。
同様に、禁止が存在しないということは、単純にルールが存在していないということを意味しているのであって
ルールが無い状況下では、何人であっても許可することはそもそもできないわけです。
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この回答へのお礼

なるほど、対偶をとってチェックしてみるというのはいい視点ですね。気づきませんでした。
私も人間がいない大昔は禁止も許可もなかったと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/28 22:14

 >許可(~してもよい)する主体もまたいなかったのではないでしょうか?



そうそう、許可する主体もいないでしょうね。善悪が判断出来ないという事です。私はあなたの質問に書いてある「行動はしてもよかった事になる」を、自由を意味すると解釈していました。自由は許可される必要がないでしょう。

ところで、あなたの想定だと、行動する主体(=人間、動物?)はいるのですか。
これがいないと、そもそも質問自体が成立しない事になるなあー。
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この回答へのお礼

あぁ、なるほど。「~してもよい」を自由と解釈したということですね。
私は許可と解釈していました。
自由と解釈した場合には、この考えは「禁止されていなかったから自由だった」となり
なんか当たり前のことを言っている気がしますね。
この命題を主張した本人と現在連絡がとれない状態なので本人が自由の意味で言ったのか
許可の意味で言ったのか真相は闇の中です。

> ところで、あなたの想定だと、行動する主体(=人間、動物?)はいるのですか。

これも正確なところは本人に聞いてみないと分からないですが、たぶん人間が現れる
よりも昔の生物全般のことを言っていると思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/28 21:41

唱える当人にとっては【正解】


周りの他人にとっては【迷惑】

だと思いますよ

【真】と【偽】は相容れないモノじゃないハズ
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この回答へのお礼

当人にとって正解だけじゃなく周りの他人にとっても正解と認めさせられる命題なのかを知りたかったのです。

お礼日時:2012/08/29 00:06

今だって、「全ての行動はしてもいい」のだ。


ただ、それをした時の罰と、しない時の損を比較して、
自らの(時に潜在的な)選択として、行動しているだけで。
「全ての行動をしてもいい」なら、その自由は他人とぶつかり、
結局自由にはならず、その調整のために法規やモラルは
できたのである。
自らの(社会性を通じた)最大限の「行動」のために。
つまり、社会性の乏しい「自由」は、社会性に基づく「不自由」
よりも、自由度が小さいのである。
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