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私が言ったのではないのですが、以下の考え(命題)は正しいでしょうか?間違っているでしょうか?

『はるか昔、してはいけない事(禁止)という事は存在しなかったのだから、本来は全ての行動はしてもよかった事になる。』

間違っていると思う場合もその理由も一緒にお願いします。
ご意見をお聞かせください。

A 回答 (18件中11~18件)

誰が禁止していたのか?を考えればいいじゃないですか。

人がいない遥か昔の話だったら、そもそも禁止する者(主体)がいないのです。したがって、正しいと言えるでしょう。しかし人がいなくても神がいたと考えるのなら、神が禁止するでしょうから、間違いでしょう。
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この回答へのお礼

はるか昔は禁止(~してはいけない)する主体がいなかったというのは同意できますが、
許可(~してもよい)する主体もまたいなかったのではないでしょうか?

お礼日時:2012/08/28 03:29

>人類が誕生するよりも昔、の話でしたらこの命題の真偽はどうでしょうか?



既に書きましたが、
>「人を殺してはいけない」では無く、「同族の人間を殺してはいけない」が正しいと思います。
>これは、知恵が付く以前の人間を含めた、あらゆる動物の本能にすり込まれた禁止事項だと思います。

よく考えてみると、私が述べたのは、「グループの構成員を殺してはいけない」ということであり、グループを構成しない生物には、この禁止事項は当てはまらないと思います。
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No2で書かせていただいた者です。




>結局この命題は真でしょうか偽でしょうか?
(補足より引用)

既に書かせていただいているのですが、人間が人間であり、人間が判断するのであれば「否」です。
人間の進化という生物の進化論の時点で、人間繁栄の障害となって否定されています。

ですが、進化する前の知恵を持たない未熟な人類であれば、生存することが進化する必須条件になりますから「正」になります。

同様に、動物にとっても「正」です。
人類と共存する知恵を持っていない以上、人類とは違った形で生存を続けて進化していく過程にありますから。
そして、知恵を持つということは、少なからず喜怒哀楽の感情を論理的に感じることができるようになり、
次第に高まる知恵でもってこの感情を論理的追求する中で、更なる知識の革命が成され、次第に「本来は全ての行動はしてもよかった事」を自ら否定していく、
喜怒哀楽の内、怒哀といった被害に自分があわない為に、生存本能、防衛本能からそれを望むのが生物だから、と言うといかがでしょうか。


そこに「競争心理」の働き方によって、頭脳か力かにわかれていき、人類は頭脳になりましたが、
個体差の激しい恐竜が知恵を付けた場合、人類史上にも見られない弱肉強食が展開されたかもしれない、
というのを補足として、追加意見とさせていただきます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/28 03:21

はるか昔の話ですか・・・よかったかわるかったかはもはや知ることができない。

この回答への補足

厳密な意味での真実は知ることはできないと思いますが、一般的常識的な想像でもいいですよ。

補足日時:2012/08/28 03:25
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人間に関しては、正しくないと思います。



まず、「同族の 女性 を殺してはいけない」という禁止が必ず存在すると思います。
これをしてもいいとなると、子供が増えにくくなります。
例えば、女性を巡って男性同士が殺しあいをしても、勝ち残った男性と複数の女性さえ居れば、種は存続します。

しかし、男性同士が殺し合う集団は、男性同士が殺し合わない集団によって容易に滅ぼされますので、「同族の 人間 を殺してはいけない」集団の方がより生き残り易いでしょう。

良く、「なぜ人を殺してはいけないか」という質問に対して、皆さんいろいろ理由を述べています。
現代の私たち人間は、「同族の人間を殺してはいけない」集団の子孫なので、これが常識として当然になっているのだと思います。
ですから、「人を殺してはいけない」では無く、「同族の人間を殺してはいけない」が正しいと思います。
これは、知恵が付く以前の人間を含めた、あらゆる動物の本能にすり込まれた禁止事項だと思います。

話が少しそれましたが、こうした理由で、はるか昔でも、してはいけない事は存在しました。

しかし、それはそれとして、私は、「人間のやることに、善悪は存在しない」という命題は正しいと考えます。

この回答への補足

人類が誕生するよりも昔、の話でしたらこの命題の真偽はどうでしょうか?

補足日時:2012/08/28 01:02
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そんなことしたらくたばっちめーよ。


そんな間違いが一切なかったと言うなら正しいが、もちろんそうではないだろう。
すなわち死に及ぶ過ちは禁止する必要があった。
昔からだ。
ソクラテスはその働きを鬼神と言い、今も悪魔と言う。
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興味深いですね。

似たような内容を読んだことがあります。

太古の昔、人は生きていく為にありとあらゆる生命を糧にする必要があり、
ありとあらゆる事をしなければ生きていくことのできない世界だった、
それは当時の他の動物も同じ、という前提があってその話が肯定されたとしても、
恐竜には無かった知恵や知識が結果論として人類にあり、人類が人類である以上、と考えた場合、
時間の長短は違えどこれまでの人間史と同じ方向の経緯を辿っただろう、という内容でした。

現在の社会はご存知の歴史の通り、全ては力のように見えますが頭脳が支配しています。
頭脳によって新しい技術が発明され、頭脳によって経済に応用し繁栄に至り、
頭脳によって新しい考え方が提案され、頭脳によって大衆が支配され、頭脳によって軍が動きます。
全ては力のように見えて、頭脳の秀でたものが、その見識や価値観、他によって持っている力を利用しているまでです。

では、人類の進歩に関係なく弱肉強食のままだったら?
人間には文明を起こせる学習能力が備わっていても、強者が弱者を支配する世界、
例えるなら、我々が生きる頭脳や精神を基盤とした法律によって秩序が保たれる世界とは別に、
力によって確立された法によって、秩序が保たれる世界となっただろうし(しかしその世界もまた頭脳)、
これからもそのように変わっていく可能性はある、という事です。

つまり、いずれの世界においても、人間が人間である以上は力の世界も頭脳の世界も同じ弱肉強食、
極端なことを言えば、飛ぶのは血液か数字か?の違いだけで、いずれにしても今も弱肉強食の競争は続いており、
「本来は全ての行動はしてもよかった事」というのは、フェア精神を求めるが故に導かれた制限のように見えながら、
実は、目指す弱肉強食世界がしっかりと理想の形で維持される為に課されているのが現実、
そこにも、頭脳か力かの違いだけで、いずれも能力で導かれたものであって、相反する答えが含まれている、
これらは現代社会の経済が肯定している。


という内容だったと記憶しています(ちょっと曖昧な点が多いのですがorz)。


その「全ての行動はしてもよかった」というのは、人間がまだ人間ではなかったとも言える事実が、
一過性のものとしては肯定し、人類の進化という点では否定されると考えることが出来るために、
相反するとしながらも、一方はその進化が否定する。
ということから、完全な自由郷、ユートピアの世界というのは、人類が未熟だった古来の世界のこと、
ともいう事ができる、という最後の一文だけはやたらと強く記憶しています。


ただ、具体的専門的に研究されている方の見解はまったく違ったものにもなるかもしれません。
それほど、これについては人の潜在意識を擽るという内容だったように記憶しています。
法学だったか、何だったかの方向でも見かけたような・・忘れてしまった事が多く。。

曖昧な記憶ばかりですので意見としてどうかと思いますが、書かせていただきました。
失礼いたしました。

この回答への補足

結局この命題は真でしょうか偽でしょうか?

補足日時:2012/08/28 01:26
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>はるか昔、してはいけない事(禁止)という事は存在しなかった



まずは、これの真偽について判定する必要がありそうです。

この回答への補足

人類が誕生するよりも昔の話、ということでしたらどうでしょうか?

補足日時:2012/08/28 01:05
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