
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
せっかく「戒名」に関心をお持ちになっている?のに、もったいないと思った次第です。
お寺や仏教界がどうなろうと、そんなことはどうでも良いことです。払いたくなければそれだけのことです。死の捕らえ方によっては墓石そのもの、死にまつわる全てのこと、葬儀とかその他無用と思いますし、どうでも良い気がします。「戒名」と言うことに触れた縁があったのですから、せっかくの機会を生かすことも出来ますよ。と言うことです。
了解しました。ありがとうございます
私は日本仏教の現在の姿には違和感を感じるのです。
戒名や葬式、遺骨の受け取りなどに莫大な金を要求する『やり方』が汚く見えたので。ま、仏教に対し勉強不足なのは重々承知しています。
当然、私は葬式や戒名などの仏教の『経営』に協力する気はないですが(^_^)
No.8
- 回答日時:
あなたは「仏弟子」でしかも戒名が欲しいのですか?それはズルイ。
戒名は「仏弟子」である証拠。最近は少ないですが戦国など勝手に付けていました、斉藤道三は有名。仏弟子で無くても良いなら戒名など要らない。父の二番目の兄は左翼運動の猛者だったが、ずるいことに某企業の役員だった、奥様とは運動で知り合いましたが、当然無宗派。
一応花を飾るだけ、斎場に行ったら長兄と私、あとはおば様と息子二人、なぜかうちの父方は男ばかり、長兄はあきれていましたが、お清めはカッパ巻きと干瓢巻きだけ、
一応カセットテープで宗教と関係無い音楽を流すだけ。時間になったので、ゾロゾロと焼き場へ移動し、職員が炉に入れるだけ。私と伯父はとっとと帰りました。
伯父曰く「なんだいあれ」(笑)
父の三回忌に来た坊様は「お心ばかりで結構です」。
柳田国男の後継者、東大教授、文学者で歌人、同性愛者で有名な釈・超空は友人が呉れた法名を使っていた。
左派の猛者とは!!
私は宗教がアヘンとは言わないですが、大乗仏教は衆生の救済をメインとしながらも戒名を『商品』にしているように見えるのに違和感を感じたのです。
No.7
- 回答日時:
お葬式とは、亡くなった方のためではなく、残った遺族の社会的パフォーマンス・世間体、ないしは自己満足のために行います。
そもそも、葬式の形態や規模そのものが、残された「喪主」に一任されています。
なので、「戒名」の有無や内容、お坊さんへの「お布施」の額も、多分に「残された遺族の社会的立場(の高さ)」をどのように表明したいかで決まります。それで「需要と供給」が成立するものであり、文句を言う筋合いのものではありません。
(金額そのものが公表されるわけではありませんが、お葬式でお坊さんがお経を上げること、そのときのお坊さんの人数や服装、戒名の中身(字数や院号、位号)によって、一種の「ランク」がありますので、間接的に金額の程度が分かります)
安いものなら安いなりに、不要なら依頼しなければよい、ただそれだけのことです。
>可能ならば戒名など無くなればいいと思っています。
それは喪主の考え方ひとつでどうにでもなります。今はほぼ完ぺきに「自由に選択できる」時代ですよ。
あとは、喪主および親族の「パフォーマンス」「自己満足」の考え方だけです。
No.6
- 回答日時:
坊主の 金もうけの悪知恵
何処の経典にも 出てないない
何処の仏教国にもない
自分で決めるならともかく
クソ坊主に決めてもらい 金次第で 良い戒名
皆 坊主に騙されています
だいたい 葬式に坊主を呼ぶようになったのは
江戸時代の 寺受け制度の悪弊
私の母の葬式 坊主呼ばず 戒名付けず
家族兄弟 皆で なれないが 経典を唱えたよ
ちょい練習すれば 誰でもできる
母はきっと喜んでいるよ 笑っているかも
No.5
- 回答日時:
戒名・・・単なる名前と考えるから高い安いで批判する。
高級な戒名の場合、ボーズが多数来て、盛大な葬式を行う。
そして、お寺に★★★!!!胴物料参百萬円!!!★★★とか貼りだされ、
事後その格にのっとった扱いを受ける。
位牌やら位牌壇、その他諸々高価なものが必要になる。
簡単な戒名の場合、1名か2名のボーズで葬儀を行う。
遺族の満足心を満たすパフォーマンス価格なんです。
いやはや(^_^)
まあ、そーゆー儀式は熱心な信者さんと、一部金持ちにして頂きましょう。
しかし、非合理的な事に莫大な資金を注入するのですから正しく『宗教』ですね
No.3
- 回答日時:
戒名とは、仏教の教えを授かり仏門に帰依し世俗を捨てる際に師から頂く、仏徒としての名のことです。
当然生前に付けて貰うのが筋ですが、一般には死後浄土に転生する際、仏徒である事を証明するため急遽付ける習わしになっています。戒名というIDが無いといわゆる「成仏」できず「迷う」ことになっているので、その不安から、遺族がお寺で発行してもらうわけです。
戒名を付けるということは、仏門に帰依することの意味ですから、その気も無いのに自分で付けることは無意味です。自分勝手に証明書を発行すれば偽造です。また、見かけ上にしろ仏門に入った形となるので、それが嫌なら戒名は付けるべきではありません。
小説家の寂聴さんは戒名としての寂聴を名乗り自分は仏徒である事を闡明にしていらっしゃいます。これは寂聴さんの生き方の問題で、当然ながら他人のとやかく言えることではありませんが、いずれにせよ戒名とは本来そのような物です。
過去を捨て完全に生まれ変わる覚悟を決めるような場面が訪れたとき改めて考えて見てもよいのでしょう。
普通の我々にとっては戒名は、墓に彫りつける訳の分からない漢字の羅列に過ぎないですが、「戒名」という思想については、つまり背後にある仏教の考え方については、一考も二考もする価値はあると思うので、それとこれとは切り離して考えるようにしています。
森鴎外のように「森林太郎」のみの墓もあり、全く文字のない墓石も見たことがあります。墓石の文字はその人の生涯を示すものです。いかに生きいかに死ぬかは大事な問題ですので、「戒名」を通じてそれを考えるのも悪くは無いと思います。
むむむ、難しい。
理解に時間が掛かりそうです。
現実として、戒名に価格はありますよね。
それを要求してるユーザー側にも問題がありますね。それが、日本仏教の衰退を招いてるのでは?
No.2
- 回答日時:
わかります、その思い!
戒名に対するお金を差し出す相手、つまりお坊さんがそれに値するのか、とは常に思います。
戒名→俗世を離れた故人の名前
お坊さん→一般人より俗物
僕の中ではお坊さんはお酒も飲んではダメだし、女性に対する性欲を抱いてはダメ!故にお坊さんにお嫁さんがいるのも???って感じです!
とりあえず普段は生産活動して副業でやってろと思います。そして宗教法人とか関係なしに法人税を払っとけと思います。
戒名のお値段=その時に生臭坊主が欲しい金の値段を言ってるだけ、故人に対する遺族の想いにつけ込んでその想いをお金に現せって感じで現金を懐に入れる俗物ども
叡山の坊主どもを撫で斬りにせよ!
うむむ激烈ですね〜(°▽°)
私は仏教というのは俗人には理解が難儀なほど高度な理論だと思っていますヨ。今の世では誤解を招きやすいのも仕方ないのかな〜って思います。だから尊敬するところもあるんです。
但し、私は俗人には意味不明なお経を聴かせて有難がらせたり、戒名を『販売』するやり方が仏教が高度であるが故に理解不能なんです。
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