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日本では真実をいうことを嫌う人が多いですね。何故でしょうか?

もちろん、個人のプライバシーは別です。

A 回答 (11件中1~10件)

真実ですか。


私は真実を知りませんが、日本人の多くは真実を知った上で黙っているのでしょうか。真実を開示するのに相応しい時と場所、相手とがあるのかもしれない。

私が真実を知らないのは悟って無いからだと思いますが、ここで言う真実とは違う意味のようにも思います。
本当のことを言わない、と言うくらいの意味だと思い回答すると、それは、日本では普通が尊ばれるのであり、それから外れると本当の事でも嫌われてしまうからだと思います。はっきり言って私には生きにくい社会ですが、良い面、悪い面あります。本当のことを隠す良い面とは、次のような事です。
例えば人生の背景は人それぞれですよね。中には過酷な背景を持っておる人もいます。その様な人でも表面上は普通として振る舞い接する事で、平均的に生きる事ができます。
一方悪い面とは、そう言う過酷な人生の背景を背負うと言う事がどう言うことか十分に理解しなくても、普通にやって行けると言うことです。これは、いざという時に、底の浅さが露呈しその場を解決できない様な人を図らずも育ててしまう社会態度であると思います。

私としては、本当のことを言える社会であって欲しいですね。誰も自分の人生を恥じる事なく生きて行ける社会であって欲しいです。普通なんてものに囚われる必要は無いと思うのですが、大多数の人はそうでは無いんですよね、日本では。
この普通が尊重され、普通で無いことが排他されがちな背景は何かと言うことですが、多様性によって繁栄すると言う経験をした事がないからではないかと思いました。
画一的な民は支配しやすいですからね。
もっと言えば、日本の支配層に、多様性を理解し受容出来るだけの能力が無いのだと思います。コントロールではない、自由と言うものに到達していないのでしょう。
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この回答へのお礼

とても思慮深いご回答に感謝です。

「真実を開示するのに相応しい時と場所、相手とがあるのかもしれない」
⇒ご指摘の通りですね。

「例えば人生の背景は人それぞれですよね。中には過酷な背景を持っておる人もいます。その様な人でも表面上は普通として振る舞い接する事で、平均的に生きる事ができます」
⇒そう思います。

「一方悪い面とは、そう言う過酷な人生の背景を背負うと言う事がどう言うことか十分に理解しなくても、普通にやって行けると言うことです。これは、いざという時に、底の浅さが露呈しその場を解決できない様な人を図らずも育ててしまう社会態度であると思います」
⇒そこが問題点でしょうね。

「誰も自分の人生を恥じる事なく生きて行ける社会であって欲しいです。普通なんてものに囚われる必要は無いと思うのですが、大多数の人はそうでは無いんですよね、日本では」
⇒その通りだと思います。

「この普通が尊重され、普通で無いことが排他されがちな背景は何かと言うことですが、多様性によって繁栄すると言う経験をした事がないからではないかと思いました。画一的な民は支配しやすいですからね」
⇒その通りですね。
日光東照宮の3猿(見ざる、言わざる、聞かざる)が権力者が作り出した庶民への教えでしょう。

「もっと言えば、日本の支配層に、多様性を理解し受容出来るだけの能力が無いのだと思います。コントロールではない、自由と言うものに到達していないのでしょう」
⇒同感です。
支配層はいつの時代も傲慢です。
何故ならば、傲慢な人間が支配層になりたがるからです。
そして、それにも増して問題なのは、非支配層がその構図を理解しようとしないことですね。

お礼日時:2017/07/16 10:10

そうですね、いくつかの理由があげられると思いますが、一番は「上下関係」


を重んずるという点でしょうか?

例えば私の両親は、とても苦労をしているようなんです。しかし、長い親子関
係の中で、一切明かさないのです。
プライバシーの部分ではあるのですが、自分の子供には少し位明かしたっていい
じゃないかと思います。

なぜかと考えた時に、恥ずかしい過去を子であれ晒すことは、親の沽券に関わる
と、考えているからであろうという結論に至っております。

会社のことでも社会全体のことでも、居酒屋だとか井戸端の場では愚痴が溢れか
えったとしても、いざというときには皆口を噤んでしまう。

それは、社会の秩序としての「上下関係」は守るべきであると考えるからではな
いでしょうか?

しかし、それは結局は自分の身を守ろうとする意識に他ならないのだと思います。
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この回答へのお礼

「なぜかと考えた時に、恥ずかしい過去を子であれ晒すことは、親の沽券に関わると、考えているからであろうという結論に至っております」
⇒そう気持ちはあるでしょうね。

「会社のことでも社会全体のことでも、居酒屋だとか井戸端の場では愚痴が溢れかえったとしても、いざというときには皆口を噤んでしまう」
⇒その通りですね。

「それは、社会の秩序としての「上下関係」は守るべきであると考えるからではないでしょうか?しかし、それは結局は自分の身を守ろうとする意識に他ならないのだと思います」
⇒そういうことなのでしょうね。

まあ、間違ってる上司でも上司、つまりは権力を批判すると自分の身が危ないですからね。

お礼日時:2017/07/17 12:57

日本では、行動が優先されるからです。


未来がどうなるか誰も分からないのに、口先だけでは誰も信じてくれません。
誰かが先に行動して成功したならば、その勝ち馬に乗るということです。

都知事選でも、小池さんに乗っかってたくさんの小池チルドレンが当選しました。
今度は、国政でも国会議員が小池さんに乗っかるでしょう。

日本人は自分の事しか考えないのでしょうか?
まあ、ゲーム理論では、相手の事を考える人間は負け組になります。
国民も自分ファーストとなるのが正解かもしれませんね?
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この回答へのお礼

「誰かが先に行動して成功したならば、その勝ち馬に乗るということです」
⇒そうですね。
前例主義も同様ですね。

「日本人は自分の事しか考えないのでしょうか?」
⇒そうでしょうね。

家族や集落近隣といった寄り合い、塊以外は信用しないですね。
ですから、学校や企業でもある主の塊、閥をつくりますね。

多分、心を開いていろんな人たちと自由で幸せな文化圏を作った経験がないからでしょうね。

お礼日時:2017/07/17 08:40

フーテンの寅さんが言った名言に「それを言っちゃあ、お終めえよ」と言うのがありますね。



寅さんがこう言ったのは、理屈からではなく心情から、ではないでしょうか。

日本人の特性は西洋人と違って理性より情、が勝っているからだと思います。
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この回答へのお礼

「フーテンの寅さんが言った名言に「それを言っちゃあ、お終めえよ」と言うのがありますね」
⇒私の質問が”それ”にあたるということでしょうね。

「寅さんがこう言ったのは、理屈からではなく心情から、ではないでしょうか。日本人の特性は西洋人と違って理性より情、が勝っているからだと思います」
⇒そうなのでしょうね。
その情は複雑怪奇に感じるのですが。

お礼日時:2017/07/17 08:33

日本人は「真実」を疑ってますから、、 。

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この回答へのお礼

「日本人は「真実」を疑ってますから、、」
⇒そういうことはあるかもしれませんね。

お礼日時:2017/07/17 08:20

ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの研究で



太っている人に対して太っていると言うと
太る確率が統計上6倍になった

というのがあって
批判は肥満を悪化させ、解決策にはなりえない
という研究チームのコメントが付いてました。



このことは2つの示唆を含んでいます。

一つは日本以外でも真実を隠すという視座があること。
実際のところ、真実にはいくつか種類があって、
特にネガティブな真実は、どこであっても好まれないのです。



二つ目は真実を言うことが、常に解決にはならないということです。
もちろん真実を隠す態度が行き過ぎてしまっては別の問題が
生じるでしょうが、もし健康に有害なほどのデブにデブと
言わないだけでデブ率が1/6になるのであれば、
それは有益であるとすら言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

「特にネガティブな真実は、どこであっても好まれないのです・・・・・デブにデブと言わないだけでデブ率が1/6になるのであれば、それは有益であるとすら言えるのではないでしょうか」
⇒この例は、そういえるでしょうね。

ただ、ご回答いただいた例は、日本では真実をいうことを嫌う人が多いという指摘と観点が違うように思われますが。

お礼日時:2017/07/15 23:20

日本人は自分の生き方に自信がないのです。



日本の学校・家庭での教育は、「あなたはどう思う?」ということを欧米ほど重視してません。
あなたのオリジナルの考えや意見を他人はさほど尊重しません。
それより「空気を読む」とか「みんなと和する」とか「ほかの人たちと合わせる」などを善しとします。

多くの日本人は、自分とは何モノか、何を望んでいるのか、何を考えているのか、自分の気持ち・心を見つめ、生きてこず、世間や他人の意見をに耳を傾け、自分の評判を気にし、保身してきた生き方をしてきたから、自分に自信がないのです。

真実の反対は嘘です。

嘘をついている人にとって真実は怖いのです。

真実は嘘を暴くからです。

自分のほんとの意見を言えず、ほんとの気持ちを隠して生きてきた人たちにとって、真実は怖く、故に嫌いなのです。
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この回答へのお礼

「多くの日本人は、自分とは何モノか、何を望んでいるのか、何を考えているのか、自分の気持ち・心を見つめ、生きてこず、世間や他人の意見をに耳を傾け、自分の評判を気にし、保身してきた生き方をしてきたから、自分に自信がないのです」
→そうでしょうね。

「自分のほんとの意見を言えず、ほんとの気持ちを隠して生きてきた人たちにとって、真実は怖く、故に嫌いなのです」
⇒よく理解できます。

お礼日時:2017/07/15 23:12

お金は手アカに汚れた紙切れなのに、みんな必死で手に入れようとする。


権力者に抑圧され搾取されている一般人が、主権者だという。
嘘ばかりの社会体制で、本当のことを言っても損をするだけ。
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この回答へのお礼

「お金は手アカに汚れた紙切れなのに、みんな必死で手に入れようとする」
→確かに、そうですね。

「権力者に抑圧され搾取されている一般人が、主権者だという。嘘ばかりの社会体制で、本当のことを言っても損をするだけ」
⇒嘘というよりも、主権者である庶民が一部の権力者に寄り添って甘い蜜のおこぼれをもらおうとするのでしょうね。
だから、権力者に支配されてしまうのだと思うのですが。

お礼日時:2017/07/15 15:25

日本の悪い所です


水に流す
玉虫色
真実を言わない 分からない
 
日本人の服装の色を見ても 特徴が現れています
海外と比べて グレー系が好まれます

日本人は はっきりするのに抵抗がありますね
宗教一つ見ても なんでもOKの人が多いです
皆に迎合する  自分がないから すなわち哲学がないからです

世界は原理原則を大事にする
日本はその場限りを繰り返す
直ぐ忘れる

内村鑑三は
 経済の背後に政治がある 政治の背後に社会がある 
社会の背後に道徳がある 道徳の背後に宗教がある
と述べていますが  今の社会 それがあてはまります

哲学がないと
膨大な情報に対応できず 損得 好き嫌い で判断します

哲学 宗教はすべての基本です 基準です

日本が滅亡するとしたら これが原因です
古代アテネの社会と 同じです
心配です


プラトン http://rokusann.sakura.ne.jp/newpag27.htm
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この回答へのお礼

書かれていることに納得です。

内村鑑三がそんなことを書いているのですね。
その通りでしょうね。

そもそも、日本人はもっといい社会、住みよい社会を作ろうとしませんね。
自分たちを不合理に縛ってきた様々なしきたりや慣習を改善しようとしません。

古来からの日本の精神風土がお気に入りなのでしょうね。

お礼日時:2017/07/15 11:07

イギリス人、アイルランド人、中国人、アメリカ人、の1人ずつとしかしっかり会話したことがないので、他国との比較をするなんて私には、できません。


かなり、多くのの国の人と交際をしてるのでしょうね。外交官か商社の方ですか?
他に、真実をいうことを嫌う人の多い国は、ありますか?
どちらにせよ、大きな発見ですね。
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この回答へのお礼

「大きな発見ですね」
⇒そんな大きいですか。

お礼日時:2017/07/15 10:09

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 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
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 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
 (4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
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 かくて、(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間と
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まとめ。科学は哲学の一分野である。テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べる。
(0)観察をする。
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(3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
(4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
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(5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
(5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
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 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
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 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

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「正しい」とは全く限らないわけです。
そのあたりを、現代物理学が解明しつつあるように思えます。

もう少し言えば、なぜ変化・成長があるかと言えば、それは個別化された生命に
自由があり、その自由な能動的な創造という行為が変化・成長を産む、と。
その全体から見ればわずかな「歪み」が「例外的存在」となり、それを因として
全体が変化をする、と。

まあ、こんなことを考えて楽しんでいる私です。(^^♪

Q死後は無と考えている人に質問です ひとに死後 魂 心は存在しないと証明できますか?

死後は無と考えている人に質問です
ひとに死後 魂 心は存在しないと証明できますか?

Aベストアンサー

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これが、否定の始まりで、子に対する純粋な愛情の中に親の欲望が入っているだろう
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