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こんばんは。
最近色々な所で過激なヴィーガンの活動や、それを批判するコメントが散見されます。
自主的に調べた所、今問題になっているヴィーガンは「異常な存在」であり、同じヴィーガンの人達からも嫌悪されているようですね。
そこで疑問に思ったのですが、こういった過激派の所為でヴィーガンへの偏見が強まっている中、穏健派なヴィーガンの人達は、一体何をしているのでしょうか。このままでは過激派の悪い印象ばかりが強まりシーシェパード同様にテロリスト予備軍扱いされてしまうかもしれないのに、彼らの暴走を止めよう、という意見をまったく目にしません。つまりこれは、穏健派は過激派と一緒にして欲しくないと口では言いつつも、実際の所は過激派の暴走を黙認している、という解釈で良いのでしょうか。もしそうでないのなら、もっと声を大にして過激派に立ち向かう必要があると思います。
このサイトの中にヴィーガンの方がいらっしゃいましたら、実際のところ、過激派の暴走についてどう思っているのか、肯定しているのか否定しているのか、正しい方向に向かうために、何か努力をしているのか、教えてほしいです。
ヴィーガン以外の方でも、昨今の過激派ヴィーガンの暴走について、思う所があれば教えて下さい。

A 回答 (2件)

#1です。

お礼ありがとうございます。

>活動家としてのヴィーガンは「動物の権利」を主張して肉食文化に対して異議を唱え、抗議活動などを熱心に行っている人達で、
食文化としてのヴィーガン食は「肉を絶って野菜だけを食べる事で健康的な生活を送ろう」という事なのですね。

そうですが、欧米ではヴィーガンは思想であるほうが大きく、ヴィーガン生活を選んだ人で過激派になるかならないかは「その人の行動原理がどれだけ原理主義的で排他的なのか」という度合いによるだけです。

>活動家としてのヴィーガンがあまりにも幼稚な行動ばかり起こすように見えるのが私だけでしょうか。
ここが日本人が最も理解できない部分なのですが、欧米人はヴィーガンかどうかに関わらず基本的に「一神教の原理が善悪の基準である」のです。

だからヴィーガンの肉食に対する過激な抗議も、商業捕鯨に関する強烈な嫌悪感も、動物の福祉に敏感なのも、活け造りの魚がぴくぴくしているのにショックを受けるのも全部同じ価値観なのです。

だから欧米人の感覚では「ヴィーガンの過激な行動は多様な価値観を重んじる社会という視点から見れば許されないが、行動原理的には幼稚とはおもっていない」のです。
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ヴィーガンに過激派も穏健派もありません。


もちろん実行に移さないヴィーガンがいたり、思想的な要素の無いファッションヴィーガンもいます。

しかし、元々ヴィーガンは「思想と実践」なので、単に「ヴィーガン食」だけの人はヴィーガンとは呼ばないのです。
それは日本人がクリスマスを祝っているからと言ってキリスト教徒ではない、のと同じです。
そして日本人で本当の「ヴィーガン=ヴィーガニズム実践者」はほとんどいません。

だから日本ではヴィーガン運動、つまり肉食者を攻撃したりする運動がほとんど起きないのです。

欧米のヴィーガニズムは論理的に「神から与えられた個人の主権を厳格に守れば動物の主権を守ることになる」という方向性を持っています。彼らの思想の最初の出発点に「この世界を作りだした神」があるのです。
17世紀ぐらいの啓蒙思想は「だから神が作りだした人間は本来神から見てすべて平等ではないのか?」という疑問が出発点になっています。日本人の考える「平等」は「お互いに違いがない」ということが論理的な原点で「神」を必要としませんが、欧米の「平等」の出発点は「すべての人間は神と等距離である」ということであり「神と距離が違う人がいないなら、みんな平等」という考え方をします。この発想の源にはプロテスタント的な「神と個人が直接契約を結ぶ信仰形態」があるのです。

日本人の「平等」は「人間としてお互いの違いはない」ですから「動物と人間は明らかに違う」となり、結果日本人にはなかなかヴィーガン思想が広まりません。広まらないというより、ご質問のように「そもそも理解できない」のです。

しかし欧米人から見れば「動物も神が作ったもの」であり「神が作りだした人間が、神のものである動物を勝手に殺していいのか?」というのがヴィーガン思想の基礎になるわけです。
 次は当然「殺していいなら、人間と動物は何が違うのか?」となるのですが、ここに欧米の平等の特徴である「個人の尊厳」が関わっています。

たとえば「人間であれば、植物状態で意思を伝えることもできず、痛みや悲しみなどを感じるかどうか分からない状態でも個人として尊重される」という人権の基本があります。これは人間としては当然なのですが、欧米では「ならば明らかに痛みを感じ悲しみなどの感情がある動物たちは(人間と同じ神の創作物なのに)なぜ尊重されないのか?」ということになるわけです。

ヴィーガンの人々は「いや、感情や痛みを感じることができる動物は人間と同様、個体として尊重されるべきだ」と考え「それが神が求めた本当の平等である」と考えているわけです。
だからヴィーガンは思想なのです。

問題なのはこの考え方はヴィーガンに限らず現代の欧米人には広く普及している、ということです。
なぜ彼等がクジラを殺すことにあれほど嫌悪感を示すのか?それは「痛みも感じ、人間ほどではないが高度な感情をもっている」と考えているからです。

ヴィーガンではない欧米人は「人間と動物は平等ではない」とは考えていますが「では、どこまで動物の権利を守るべきなのか」となると「痛みを感じない、感情が無いと考えられる虫や魚などは権利が低く、一般的な哺乳類は殺す時に痛みを感じさせない配慮をするぐらいには重要で、高度な感情をもつクジラなどは殺してはいけない」ということになるわけです。

ですから、欧米人のいう「クジラを殺すな!」も「生きている魚などを食べるのは残酷」というのも「肉食を一切しないし、するな!」というヴィーガンも根っこは全く同じで、日本人の考え方とは発想の根本が異なるのです。

欧米人の発想の根本はヴィーガンじゃなくてもヴィーガンでも同じですから、ヴィーガンを実践している人のほとんどは「ヴィーガニズム」の信奉者です。ただ「神がそれを命じているのだから、他者にもそれを普及するのが正しい」と考えている原理主義者なのか「他の人が信じている神または神の意志は違うかもしれない」と思って過激な行動をしないか、のどちらかでしかないのです。

そして日本人は根本的に欧米人のような発想をしないというかできないので、ファッションヴィーガンしかいないのです(時々、ものすごく思想を調べたうえで思想的に嵌って実践する人は日本人でもいます)

ですから欧米では「ヴィーガンは異常」とはされていません。ヴィーガンレストランやヴィーガン健康食などは一定の支持を得て、増えているぐらいです。
 ただ「神の言っていることは正しい」としても、さすがに現代の欧米社会は「貴方の神と私の神は同じではない」ということを前提にしているので、過激に思想を押し付ける行為は「迷惑行為」とされているだけであり「暴走しているから止めよう」という考え方にはならないのです。

もちろん肉屋を壊すような破壊的な行為は法律によって罰せられますが、行為の発露自体は欧米人なら理解しており「単にやんちゃなだけ」と考えている人もたくさんいるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
つまるところ、活動家としてのヴィーガンは「動物の権利」を主張して肉食文化に対して異議を唱え、抗議活動などを熱心に行っている人達で、
食文化としてのヴィーガン食は「肉を絶って野菜だけを食べる事で健康的な生活を送ろう」という事なのですね。一緒くたにしていました。反省します。
しかしながら、活動家としてのヴィーガンがあまりにも幼稚な行動ばかり起こすように見えるのが私だけでしょうか。SNSで暴言を吐きまくったり、レストランを襲撃したり、街行く人に思想を押し付けたり、豚舎を占拠したり。これはどこの活動家も同じですかね。

お礼日時:2019/06/13 11:08

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