見学に行くとしたら【天国】と【地獄】どっち?

 日本語を勉強中の中国人です。日本人基本精神のなかの「迷惑」概念について深く理解したいと思います。

 どのようなことは「迷惑」と言えるでしょうか。

 日本の方は「人様に迷惑をかけない」と幼い時から教わっているようです。これは何のためでしょうか。子どもを独立させるためでしょうか。社会をよくさせるためでしょうか。

 もしも日頃迷惑をかけないように気をつけておりますが、万が一、人に迷惑をかけてしまいましたら、普通どのように対処するべきでしょうか。まだ挽回する機会を与えられるのでしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (12件中1~10件)

迷惑行為だと思われているのは、「騒ぐ」「壊す」「捨てる」「放置する」などだと思います。


周りを気に留めないで決まりに従わず自己都合でむやみにやる行為は、基本的に迷惑とみなされます。

短く言うと「礼節を欠く行為」に対してです。
礼節とは、礼儀と節度のことです。


具体的にでしたら、夜中に騒ぐ・公共の物(or自分の持ち物以外)を壊す・ゴミを決まりに従わず捨てる。
自転車や自動車など、邪魔になる所に停める(放置する)などでしょうか。
物や金を借りる、借りた物を返さない、延滞する。

人を待たせる(遅刻する)、約束を守らない、相手が嫌がることをする(言う)、(並んでいる)順番を守らない
などなどの些細な衝突が起きないよう、人間関係が円滑に進むよう配慮します。

自分のことは自分でやる(他の人の手を煩わせない)自立の意味が含まれる場合もあります。


日本は平地が少ない国土で、農耕民族でした。
昔は、助け合わないと生きていけない環境でもありました。
ですから、極力他の人と摩擦を起こしたり衝突をすることを避けてきたのだと思います。

元来、日本の信仰は神道であり、感謝と努力を旨としています。
そこに儒教が入ってきて礼節がより強くなっていると思います。

「迷惑をかけない」は、本来お互いに生活しやすいためですが
それに囚われて「迷惑をかけるな」とすぐに噛みついていく迷惑な人も増えています。
「お互い様」の精神が薄れていってますね。


迷惑をかけたときの対応は「ごめんなさい」と謝ることです。
仕事でなら「申し訳ありませんでした」になります。
謝罪をしたら、その後気をつけることが必要とされます。

迷惑をかけたら、まず謝ってからなぜそうなったのかなどの話しになります。
謝らずに、申し開きをしようものなら印象が悪くなります。


謝罪された方は「許す」のが一般的です。
ただ、事故などで迷惑をかけたら賠償します。
損失を与えた場合、賠償すればいいと言う訳でなく、賠償と謝罪を求められます。

基本的には何事も、挽回する機会は与えられますが、同じことを度々やると駄目です。
同じ迷惑を何度もかけないで、物事がスムーズに進むことを良しとしているのが日本人の特徴です。
スムーズにいかない時、すぐに「迷惑」だと思うのも今の日本人の特徴だと思います。
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この回答へのお礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。わかりやすいと思います。大変参考になりました。理解できるようになりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/29 21:44

 こんばんは。


 まず、質問者様の大変丁寧な文章と真摯な学びの態度に敬意を表します。

 社会思想、国民性も含む、大変興味深い話題です。

「迷惑」……この言葉は日中で複雑な問題を引き起こした歴史のある言葉ですね。
 1972年に日中が国交を回復した際、田中角栄首相が中華人民共和国を訪問した際、通訳によって「中国に多大な迷惑をおかけしました」という言葉が「添了麻煩」と翻訳され、「あの戦争は日本人にとってその程度のモノか?」と周恩来総理が激怒した、「迷惑事件」と言われる出来事がありました。


 さて、本題に移ります。
 日本語における「迷惑」は、相手にかける損害の尺度が軽い場合でも重い場合でも使うことができます。
 例えがあまり適切でないかもしれませんが、電車の中で間違えて足を踏んでしまった場合も「ご迷惑をおかけしました」なら、鉄道会社が事故によって多数の死傷者を出した場合も、「大変ご迷惑をおかけしました」という言葉で謝罪をします。

 そして、「人様に迷惑をかけない」の根底にあるのは、お互いが快適に暮らしていける「共栄の関係」。心理学でいうところの「Win-Win(双方が勝者になれる)の関係」ではないでしょうか。
 「相手を不快にさせないことによって、自分も快適に過ごせる」ことを目指すのが「人様に迷惑をかけない」ではないかと考えます。

・相手に対し、協力できることは積極的に協力する。
・また、相手に迷惑をかけた場合は、それにふさわしく謝罪する。
・お互いの立場や主張が衝突する場合は、落ち着いてお互いに一歩を退き、冷静になって考える。場合によってはその場その時で解決できなくても良いと考える(時間の解決、共同解決)。
……おっと、ここまでにしておきますか。

さて、日本語の添削としては、
>どのようなことは「迷惑」と言えるでしょうか。
「どのようなことが「迷惑」と言えるでしょうか。」
ある特定の事物を主語として据える場合、助詞は「は」ではなく、「が」ですね。


>もしも日頃迷惑をかけないように気をつけておりますが、万が一、人に迷惑をかけてしまいましたら、普通どのように対処するべきでしょうか。
この一文は、主語を補って適宜文節を並べ替えたほうがよいでしょう。
「私自身も日頃迷惑をかけないように気を付けておりますが、もしも万が一、人に迷惑をかけてしまいましたら、一般的にはどのように対処すればよいでしょうか。」

これでよろしいでしょうか?
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。興味深く拝見しました。いろいろ考えさせられ、大変参考になりました。質問文の添削にも感謝いたします。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/29 22:16

>どのようなことは「迷惑」と言えるでしょうか。



少し違和感があります。

どのようなことが「迷惑」と言えるのでしょうか。

あるいは

どのようなことを「迷惑」と言うのでしょうか。

のほうが日本語として自然です。

または、実例を挙げて

このようなことは「迷惑」と言わないのでしょうか、たとえば…など。

といってもいいとおもいます。

私が日本人的な「迷惑」の例としてあげるのなら、他人の家庭への訪問ですね。
一般に日本人は特に用件がはっきりしない他人の住居への訪問を避ける傾向があります。
ほとんどの日本人の家庭は「ホームパーティ」の経験が皆無であり、他人をもてなす技術を知りません。
他人が訪問してくるのを迷惑に思っているのです。
初めて知り合った他人同士でこんな会話が交わされることがあります。
A「我が家はこの近くなんだ。また機会があったら寄ってくれたまえ、歓迎するよ。」
B「ありがとうございます。そのうち伺います。」

この場合、言われた相手が本当にその家を訪ねることはまずありません。それは儀礼的に交わされた会話だからです。言われたことを真に受けて数日後にたずねた私は、笑顔でしたがあきらかに当惑した若夫婦を発見しました。私は日本人としてまだ未熟な若者でした。

>日本の方は「人様に迷惑をかけない」と幼い時から教わっているようです。これは何のためでしょうか。子どもを独立させるためでしょうか。社会をよくさせるためでしょうか。

何のためというよりも、世間にいらぬ波風を立てたくないからです。お互いに干渉しないでいる、平凡な、何も変わらない毎日が続くのが彼らにとっての平和なのです。

>もしも日頃迷惑をかけないように気をつけておりますが、万が一、人に迷惑をかけてしまいましたら、普通どのように対処するべきでしょうか。

この文章もちょっと違和感があります。

日頃迷惑をかけないように気をつけていても、もし人に迷惑をかけてしまったら、普通どのように対処するべきでしょうか。

あるいは

迷惑をかけないように日頃気をつけていても、、万が一、人に迷惑をかけてしまったら、普通はどのように対処するべきでしょうか。

としたほうが自然です。

回答としては、誠意を込めて謝るというのが普通の対処方法です。

>まだ挽回する機会を与えられるのでしょうか。

もちろんです。その迷惑な行為が単なる偶然か、無知からの失策だったことが明らかなら、当然相手もそれを理解するでしょう。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。質問文までも訂正してくださり感激です。家庭訪問の例は以前何回も聞いたことがあります^^。中国人はそれを本当の誘いだと受け止めてしまいます^^;。やはり文化は違うのですね。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/29 22:09

#8です。


解りにくい文章を書いてしまいました。

再回答です。

他人に迷惑をかけないのは他の人との間に適度な距離感を保つためです。
自分と他人はイコールで結ばれるほど一体では捉えらない「個性」があります。括弧をつけたのは個性という言葉がこの場合に正しいか自信がないからです。あるいは個人差と言ったほうが良いのかもしれませんが。
その多様な「個性」のなかでも自分らしさは主張するのですが、それは押しつけにならないよう他の人の意見に耳を傾けることによって適度な距離感が保たれるのだと思います。
自分の意見も、言い負かすのではなく分かってもらえるように話します。
それは他人に迷惑をかけないということにつながるのでしょうか。

ご質問とははなれてしまいますが、日本でエスカレーターを利用する場合、急いで歩く人のために片側を空けます。
止まっている人と歩いている人がぶつかったりすると危険だということで正式に決められた事ではなく、自発的に始まりました。そのような事情からか関東と関西では右側を空けるか、左側を空けるかで違うようです。
それはさておき、仲間や子どもが空けないでいると、そっと手を差し伸べて「寄りなさい」と促しているのを幾度も見たことがあります。

挽回することは特別なことではありません。ごく、普通にあることです。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。わかりやすくてよく理解できました。日本に行ったときに、エスカレーターマナーは確かに印象深かったです。日本とはまだ比べ物になりませんが、いま中国の上海でも、このマナーは人々にだんだん意識されるようになりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/29 22:02

>"どのようなことは「迷惑」と言えるでしょうか"



私は、他人様の時間を盗むことが最も迷惑な行為だと思います。

その理由は、誰も無限の時間を持っておらず、人生の残された有限の時間を消費して、死に向かって進んでいるからです。
残り少なくなる一方の時間を一秒でも無駄にすることが最大の迷惑です。

例えば、電車が5分遅れれば、乗客1000人が人生残りの時間を5分失ってしまう。
例えば、会議の開始時刻が10分遅れれば、参加者10名の人生残り時間を10分失ってします。
例えば、食事中に自分ばかりが話して、相手に話す時間を与えないと、相手の人生の残り時間、、、

という具合に、日本人が迷惑と感じ、できるだけ避けている事は、他人様の時間を「盗む」ことが多いと思います。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。他人様の時間を盗まないことに気をつけます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/29 21:54

たくさんの回答が寄せられ、じっと読んでいました。



”どのようなことは「迷惑」と言えるでしょうか。”

この点だけにお答えしたいです。
他人に迷惑をかけようとする人はいませんよ。ただ、結果的に「人様に迷惑をかけてしまう」ことがあるだけです。そのときは「自分の都合を前面に出して迷惑をかけてしまった」と謝まるしかないです。それは人間関係をより深めるきっかけにもなります。
自分の家庭と隣人の家庭が同じ価値観でいるとは限りません。隣人に自分の(主観的な)価値観を押し付けるのが「迷惑」なのです。
動機が正しいから結果は「止むを得ない」というには間違いで、それこそ「迷惑」な考えです。

「周りの人たちも含めて、豊かになりたい」ということが(私たちの)原点だったのですが、それだけでは抽象的すぎて、具体的な方策を考えなければならない時代だと思います。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。とても参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/29 21:51

"どのようなことは「迷惑」と言えるでしょうか"


  ↑
他人に不愉快な思いをさせることです。

”日本の方は「人様に迷惑をかけない」と幼い時から教わっているようです。
 これは何のためでしょうか。子どもを独立させるためでしょうか。
 社会をよくさせるためでしょうか。”
     ↑
これは、日本が集団主義をとっていることに起因します。
キリスト教文化圏では、神との約束を守る、ということで
秩序が保たれます。
しかし、日本にはそんな神様はいません。
だから、他人の身になれ、他人に不愉快な思いをさせるな
ということで社会の秩序を維持しようとするのです。

”万が一、人に迷惑をかけてしまいましたら、普通どのように対処するべきでしょうか。”
      ↑
迷惑の質や程度にもよりますが、通常は
謝ることにより解決します。
この点、欧米や中国とは異なるようです。
欧米や中国では簡単に謝ってしまうと、
過ちを認めた、ということで追求されますが
日本では、それで終わりになる場合が多いです。

”まだ挽回する機会を与えられるのでしょうか”
     ↑
勿論です。誠意を持って謝れば簡単に挽回できます。
仲良しにだってなれます。

”質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです”
    ↑
完璧です。私の知り合いの中国人の誰よりも
上手です。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。とても参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/29 21:47

日本人の社会の基本は、昔から、稲作でした。


村単位で、田植え、草取り、稲刈りなど、お互いに協力し合って仕事をするのが、稲作における、日本人の伝統です。
それに付随して、春秋の村祭りなどもあります。
春の祭りは、米の豊作を祈念するためで、秋の村祭りは、米の収穫を終えて、お互いに慰労するためと、来年の豊作の祈念のためでもあります。
そうした協力体制に違反するのが、迷惑の起源だと思います。

現代では、農業に携わる人の人口が減りましたが、それでも日本のこうした伝統は根強く残っています。

例えば、日本の小中学校の運動会や、中学校、高校の部活動などです。
日本では、子供の頃からそうした団体活動の中で、お互いに協力し合って一つのことを成し遂げることを学んでいきます。

また、日本の特に地方には、町内会という組織があり、村や町の共同の施設の掃除やメンテナンスを協力し合ってボランティアで行います。
また、祭りなども、町内会の主催です。

会社に就職しても、日本人は、お互いに協力し合う事で、スムーズに仕事を進めようとします。

このような協力体制の邪魔をするのが、本来の「迷惑」であると思います。
日本人は、お互いに協力し合う方が、仕事や社会の運営がスムーズに進むことを子供の頃から学んで行くのです。

尚、日本人から見ると、中国人は、個人主義的に見えると思いますが、それが中国の常識ですので、あなた自身の責任ではありません。

日本人に対して、迷惑をかけたと感じたら、その都度、率直に質問し、自分が悪いと思えば、素直に謝るのが良いと思います。
中国では、謝るのは自分の非を認め、賠償の責任を認める事になるそうですが、日本では、まず謝る事が大切で、謝っても賠償の責任を認める事にはなりません。
単なる迷惑の場合、謝ることで、お互いの対立感情を「水に流す」事になり、賠償の責任問題にまで発展することはまずありません。

長く続く人間関係で、片方だけが100%悪いことなどあり得ません。
それが例えば、51:49か、70:30かはケースバイケースですが、自分が悪くないと思っても、自分にも49%なり、30%なりの悪い点が必ずあるはずですので、その部分をまず謝るのが、日本人の考え方です。
日本では、そのような人が、「謙虚な人」として尊敬されます。

「謙虚な人」は、決して「弱い人」ではありません。
謝ることは、自分の面子やプライドが傷つく事と捉えて、自分が悪い場合でも謝れない人もいます。
しかし、謝っても自分の面子やプライドが傷つかない人は、本当に強い人です。
ダイヤモンドは、簡単に傷がつきませんが、ガラスには簡単に傷がつきます。
自分をダイヤモンドのように考えている人が、本当に強い人だからです。

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。とても納得できました。確かに日本の方の団体意識は強いように感じております。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/12 20:44

こんにちは。


完全に専門外ではありますが、私なりに改めて考えてお答えしたいと思います。

まず、どのような行動が「迷惑」とされるのかですが
周囲の人間の行動を阻害する行動・行為、または不快な思いをさせる行動・行為などが「迷惑」とされる行動だと思っています。

何故そのような概念を幼いころから教わるかですが
日本には昔から助け合いや協調の概念がありますから、これらの概念と対極にある「迷惑」行為を行う人は周囲から嫌われてしまいがちです。
社会をよくさせる為と言うよりも子供が独立させる為といった意味合いが強いかと思います。
子供が周囲の人間から嫌われないように「迷惑な行動はしてはならないよ」と教えておくわけですね。

人に迷惑をかけてしまった場合はどうするか
まずは謝罪が重要です。心を込めて誤りましょう。
その後、自分の行動の何が相手の迷惑に繋がったのかを考え(時には相手に確認するのもありです)今後そういった行動をしないよう気を付けましょう。
一度の失敗で見限られることは(普通は)ありません。今後のあなたの行動を相手は見ています。
失敗したことを学んで行動に反映されていることが確認できれば名誉は挽回できます。


このような回答でいかがでしょうか?
ついでに質問文も何点か修正しておきます。
専門家ではありませんので、間違っている場合もあるかもしれません。
個人的に「あれ?」と思った部分を修正しています。間違っていた場合ご容赦ください。

どのようなことは「迷惑」と言えるでしょうか。
→どのようなことが「迷惑」と言えるでしょうか。
この場合「が」を使う方が自然かと思われます。

もしも日頃迷惑をかけないように気をつけておりますが、万が一、人に迷惑をかけてしまいましたら、普通どのように対処するべきでしょうか。まだ挽回する機会を与えられるのでしょうか。
→日頃迷惑をかけないように気をつけておりますが、万が一、人に迷惑をかけてしまった場合、普通どのように対応するべきでしょうか。まだ挽回する機会を与えられるのでしょうか。
「もしも」の位置がおかしいです、「もしも」をつける場合は「万が一」の前が妥当でしょう。ただし、「もしも」と「万が一」は意味がかぶっているので今回は「もしも」を削除しました。(「稀」であることを強調したい場合は両方付けるのもありです)

「対処」を「対応」と変えていますが。これは私個人的に「対処」とした場合、事務的なイメージがして好きではないといった理由によるものです。「対処」でも問題はありません。
今回は「相手に迷惑をかけてしまった」場合ということで、「対応」と言う言葉に変更しています。

こんな感じでしょうか。

熱心に勉強してくれているようで、日本人としてうれしいです。
勉強頑張ってください。応援しております。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。とてもわかりやすい日本語でよく理解できました。質問文への添削にも感謝いたします。よく覚えました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/12 13:32

基本は「迷惑をかけない」とは、「自分がされてイヤな事をしない」です。


しかし、どのような人にとっても『されてイヤな事』をしないようにすると、
矛盾が生じます。
「人がイヤがる事をしない人」が『されてイヤな事』をしないようにする、
これが日本的な集団主義(独裁者なきファシズム)の本質です。

「全ての人が全ての人の最大限の幸福のために生きれば、組織の
最大効率化と同時に、その成果は全ての人のものになる」、即ち
肉体的繁栄と認識的深まりの複合的最大化と、その100%の精神的
充足が可能になるのです(他人との対立や自己の時間的延長での
矛盾がない)。
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/01/12 13:24

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