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三百年の鎖国の後、あっという間に西洋の列強に追いつき追い越したのは日本です。
また、太平洋戦争で破壊された後、僅かな期間で復興をなし、世界第二位の経済大国
になったのも、日本です。「失敗」がなければ、アメリカを凌いでいたことは間違い
ないとする人もいます。

1、日本人のこの「力」の源は何なのでしょうか?

被災地に住む私の実感として思うことは、東日本大震災の後、国が主導する「復興」
はそれなりに進んでいると言えると思いますが、民衆のかつての「力」をほとんど
感じません。頑張っている方はいます。しかし、仮設住宅から出られるのに出ない人
がいるし、「援助」ばかり求める人も、少なくありません。

2、特に平成になって、日本人にいかなる「変化」があったというのでしょうか?

A 回答 (8件)

1《危機感からの「火事場の馬鹿力」からつかんだいい循環》


 背水の陣からのいい意味の開き直りからの右肩上がり志向が、
 現状においては情報過剰によって足るを知る方向に傾いているのではないかと思います。
2《形式への過剰な依存傾向》
 実質からの地に足をつけた肉付けが必要なのではないか、という気がします。
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この回答へのお礼

おっしゃる通り、「危機感からの、火事場の馬鹿力」こそが、
日本人の力の「正体」なのかも知れません。

折角の、先人たちの「遺産」も、危機感のなさゆえに、食いつ
ぶしてはあまりにももったいない。

永続性のある「文明」のために人類は一段上の智恵を持つべきと
言えるでしょう。
日本人には、それができる気がします。

お礼日時:2015/07/18 08:02

1.


自分が死んだ後のこと、次の世代のことも考えているから、ではないでしょうか?
様々な支援を受けたとき、目先の飢えを満たすことより国、ひいては社会の立て直しを優先したからこそ今に至るのだと思います。
その点で、戦後の価値観の変化で個人主義、刹那主義に走った手合いが老害として疎まれるようになりますが。


>民衆のかつての「力」をほとんど感じません。
質問者様は戦後復興期を生きていた世代なのでしょうか? でもなきゃそんなこと言えないと思うのですが。
もっとも、仮にそうだとしても思い出補正だと思いますけど。
「最近の若いものは…」ってやつなのでは?


>仮設住宅から出られるのに出ない人がいるし、「援助」ばかり求める人も、少なくありません。
その人たちのことを質問者様はどれだけ知っているのでしょう。
ほんとうに被災地にいるんですか? PTSDその他もろもろ、出られないし支援が必要な事情なんていくらでも考えられるのですが。
昔ならこういう人たちは怠け者のレッテル貼られて社会から閉めだされ淘汰されていたでしょうね。
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この回答へのお礼

自分の目で見たこと以外は、信じない、判断できないという人は、
私の辞書では、大抵節穴のおめめの持ち主で、決断力、行動力の
ない人、となっております。

被災地に住んでいますので、テレビの報道だけで判断している人
とは、若干違うと思います。

お礼日時:2015/07/18 15:10

お礼ありがとうございます。



私も、誰をも責めていないし責めるつもりもありません。

ただ
>私はあくまで、日本を悪く変化させてしまった「A級戦犯」を
>憎み、炙り出したいと思うのです。
そこに未来が有るのだろうかと危惧するだけです。
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この回答へのお礼

「悪」というものは、紛れもなく存在し、それは「人」ではなく「思想」としての
「悪」である、と。
ですから、「人」は責めるべきでないけれども、「思想」は「言論」と「創造」で
責めなければならない、と。
責めるためには、その全貌を掴んでおかねばならない、と。
善悪の基準は、以前質問させていただいた、「普遍的正義」、だと。

私の基本的方向性はこのようなものです。

お礼日時:2015/07/18 09:33

被災地に住む人の気持ちは、かつての日本人で知るには


終戦で動かなくなった人の方が参考になると思います。
全員が全員、一丸となって復興に尽くせた訳じゃない。

資料的にあまり残っていないかも知れません。

一番いいのは、人を知ることです。
そう言う人を、自分と違う人を理解していくこと。
相手の気持ちを汲めたら少しは理解できると思います。


多くの人と同じく、東日本大震災については
私はメディアでしか復興の状況は分かりません。
それでも、若干は理解できると思います。
復興者の状況と現状と問題を取り上げる番組があるからです。

とある所の震災者支援に、行ったことがあります。
体育館でギュウギュウ詰めで、着の身着のままで逃げて来てあり
話しを聴いていくと、そこの環境という状態だけでなく
精神面に受けたダメージの方が、かなり心配でした。

人間は、その土地で歴史的に培われてきたものもありますが
その時の状況で大きく変わるものも持っています。
そこが肝心なのかも知れないと思いました。
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この回答へのお礼

私は、被災者を責めようなどという気持ちは毛頭ありません。
被災者の気持ちをどこまで理解できているかは、分かりません
が、津波がすぐそばまできて、助かった私を含めた多くの人達
の、複雑な心境と言うものがあり、それは誰にも注目されるこ
となく、癒されることなく、持ち続けてゆくものだろうなんて
思ってます。

私はあくまで、日本を悪く変化させてしまった「A級戦犯」を
憎み、炙り出したいと思うのです。

この私の「クソ真面目さ」は、つくづく日本人なんだなあと思
います。

お礼日時:2015/07/18 08:41

江戸幕府の体制、および江戸時代の庶民文化が、現代のレベルに匹敵するものだったからでしょうね。


統制の利いた政治、秩序ある経済活動、義務教育もない時代なのに率先して寺子屋に子供を通わせる。
こういったベースになるものがあったので、とても簡単に西洋文化も取り入れられた。
また、武士階級から町人まで「滅私奉公」なる思想があったのも
組織を第一に考え不正や腐敗を忌み嫌う国民性にさせたのだと思います。
不正があると帝国主義の餌食になりやすいですからね。
こういった文化基盤は今でもあるのではないか、と思います。

自助努力を惜しまない性格か、すぐ援助を欲しがる性格か、は
申し訳ないけど地域特性だと思います。
元々富の集まる地域では、何も行動しなくても恩恵を受けるので「くれ」とは言わないけど
そうでない地域では、本心がどこにあっても「くれ」と叫ばないとやっていけない。
ですから「援助を」と言う人が本当はどう思っているのか心のうちを探らないと
正しい評価にはならないと思います。

時間軸にも特性はあると思います。
何もしなくても恩恵を受けれた高度成長も終わった平成においては
何かしら行動しないともらえるものが少なくなる。
怠け者の理屈はよくわかりませんが、その行動が人によっては
「くれ」と言う発言の連呼になるのかもしれません。

ところで、日本が経済力で米国を抜くのは無理だと思います。
現在は第三位の日本ですが、その倍の人口がある米国が
単純に日本の倍のGDPを持つのは当然のこと。
追い抜こうとすると日本人は今の2倍の労働をしなければなりません。

昔のままの生産拠点としての日本なら、大量のマザーマシン導入で機械化を図り
一人あたりの生産性を極限まで引き上げたら米国に勝てたかもです。
でも実際は高価なマザーマシン導入で原価があがり、コスト的に太刀打ちできなくなる。
これが今の日本だと思いますし、それが国民に影響している可能性もありますね。
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この回答へのお礼

江戸時代以前の「文化」を学ぶべきだと改めて思いました。

東北の地域性は16年住んで理解できましたが、「くれくれ坊主」
は全国的で、「もらわなきゃ損だ」というだけのことと思います。

現在の日本は、民衆が勤勉さや真面目さを捨て去りつつあると思
うので、経済でアメリカを凌ぐことなど夢になり、将来は没落を
免れないと見ています。

お礼日時:2015/07/18 07:47

まず、日本は300年弱の間、他国と一切の交易を断絶していません。

江戸幕府はオランダ、朝鮮、中国と貿易を行っていましたし、北海道や東北付近の海域に出没するロシアも警戒していました。江戸幕府が北海道を占領したのも、対露政策の一つだという説もあります。また、オランダ商人や中国・朝鮮の商人から書物や情報を入手し、かなり正確に当時の世界情勢を把握していたと言われています。

1、何事も貪欲で広く受け入れる気持ちです。
日本は昔から「清濁併せ呑む」人間が立派と考えられていました。善悪よりも実利を重視し、過剰にならないのが日本の強みだったと思います。

2、「清濁併せ呑む」よりも「清浄さ」を重視するようになったと思います。
これまで善悪よりも実利を重視して発展して来たのに、それを捨て去り善悪という空論に振り回されるようになった結果、日本人の力が失われたのだと考えています。被災地に関しても、皆が頑張る必要もありませんし、頑張る人は頑張り、頑張らない人は頑張らない。というのが日本の強みだったのに、今では皆が頑張らないと駄目、我慢しないと駄目、と考えるようになって空回りをしているように思います。
かつて経済が良かった時代の日本では、部署に1人か2人は全く仕事ができないけれど陽気な人がいたと言います。しかし、今はそういった人はいなくなり、皆が一生懸命になって仕事をするので、手を抜くことができず燃え尽きる人が多くなっています。
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この回答へのお礼

「善悪」ばかりに振り回されているというのは、おっしゃる通りだと
思います。
ただそれは、「水戸黄門的勧善懲悪」で自分はあくまで、責められる
ことのない視聴者で、悪人を特定して、責めるだけで終わってしまう
代物だと思います。

手を抜けずに、燃え尽きる人もいましょうが、すべてを悪人のせいに
して、自分を省みない人ばかり増えているように感じます。
「清濁併せ呑む」など理解できないほど、幼いとも言えるでしょう。

お礼日時:2015/07/18 07:27

1、日本人のこの「力」の源は何なのでしょうか?


      ↑
人間は独りでは非力です。
しかし、集団になると神も驚く力を発揮します。
日本人は、この集団力に優れているのです。

ある中国人学者が、日本人と中国人を比較研究しました。
結論は、差がない、それどころか行動力では中国人の
方が上だ。

それで学者は頭を抱えました。
「じゃあ、どうして中国人は日本人に敵わないのだ」

これに対して、台湾の小説家が答えました。
「中国人は独りでは竜だが、日本人はブタだ。
 しかし、三人集まれば、日本人は竜に、中国人は
 ブタに変身する」

日本は、集団社会、和の社会、母性社会です。
集団の利益の為には、自分を抑えて、和を図ろうと
します。
出る杭は打たれる、として突出した能力のある人を抑制し、
のび太が主人公になれる社会です。
そうやって、和を図り、集団力を発揮してきたのです。


”被災地に住む私の実感として思うことは、東日本大震災の後、国が主導する「復興」はそれなりに進んでいると言えると思いますが、
民衆のかつての「力」をほとんど感じません。
頑張っている方はいます。しかし、仮設住宅から出られるのに出ない人
がいるし、「援助」ばかり求める人も、少なくありません。
      ↑
福祉が発達したからだと思います。
総て、国が面倒を診てくれます。
仲間が団結して頑張る必要性が減少しました。

戦後、一環して、こういう体質が日本人に
浸透してきたのでしょう。
公に頼る体質に変遷してしまったのだと思われます。


2、特に平成になって、日本人にいかなる「変化」
 があったというのでしょうか?
     ↑
平成になって、ということはないと思います。
戦後70年。
徐々に徐々にそういう体質になったのです。
311が発生して、それが露わになった、という
ことだと思います。

国がなんとかしてくれる、国がなんとかすべきだ、
我々は国民として、納税者として、それを要求する
権利を持っている。

こういう具合だと思います。
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この回答へのお礼

個人主義は意外と弱く、全体主義に敵わない。
しかし、個々の幸福という点ではどうなのだろう?
また、全体主義は、ファシズムに通じてしまう。

だから、個人がしっかりと自立した、全体主義にな
ればいい、なんてことを思いました。

お礼日時:2015/07/18 07:01

1、日本人のこの「力」の源は何なのでしょうか?



→大和魂です。恥を恥じる気持ちです。

2、特に平成になって、日本人にいかなる「変化」があったというのでしょうか?

→がむしゃらに働く事が馬鹿らしくなっちゃったんです。言い換えれば楽して儲けたい。真面目に働いている人が報われない、メディアで馬鹿やっている人がいい思いする時代かな?
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この回答へのお礼

今の子供たちに、日本人の心は残っているのでしょうか?

報われれば、真面目になるのでしょうか?

お礼日時:2015/07/18 06:48

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