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これはアイヌと渡来人の混血だけの話ですか?
それとも日本全体で見て7世紀から縄文人と渡来人が混血し始めたということですか?

A 回答 (2件)

その文章を最後まで読むと、その文章内で縄文人とか渡来人とかがどのような単語として定義されているか書かれています。

これは一般的な縄文人とかの定義とは別物です。

アイヌ人というのはヤマト民族から見たら朝鮮人や中国人と同じかそれ以上に違う人種の人たちで、そのアイヌ人とヤマト民族との混血が~という話です。
とはいえアイヌ人にも縄文人的な遺伝子が見えることから、縄文時代という数千年に渡る長い期間の間に、交流(混血)は広くあったのだと思います。

ちなみにアイヌ人(というかアイヌ文化)は13世紀ころに出来たものなので、それ以前の人たちをアイヌ人と呼ぶのはちょっと正しくなかったりします。そんなこんなもあって、上記の分かりづらい表現(縄文人とか渡来人とか)になっているのだろうと思われます。
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その図は、限定された遺伝子解析を元にしています。


考古学的、比較文化的、形質的など、総合的に考えると;

1.太平洋を往来していた(主にマレーシア、インドネシア
付近にあったスンダ大陸(氷河期後に海没した)を中心とした)、
海洋民族の縄文人(熊襲。南方系原住民(狩猟採集民・O型))

2.氷河期にシベリアから南下して来たツングース系縄文人
(蝦夷、アイヌ。北方系原住民(狩猟採集文化。O型))

3.紀元前後に日本海経由で朝鮮半島から出雲~諏訪~北関東
に渡って来た、遊牧系渡来人(大和朝廷以前。B型)

4.3世紀前後から、(稲作発祥の地)中国・江南地方から
東シナ海を偏西風に乗って(百済経由で)九州北部~山陽~
近畿に稲作を伝承した弥生人(大和朝廷。ジャポニカ米稲作
農耕文化。A型)

大和朝廷は最初、九州南部の熊襲に追われて東遷し、大和地方に
定住し、出雲王国・熊襲も平定して、次第に蝦夷も支配していった。
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