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私は神社や神様というものを凄く信じています。
しかし、私の恩師の先生はあまり信じておらず、神様は心の中にいるもので、自らの心の支えにするために人間が作り上げたものだと言います。
私はそうは思いません。
実際にパワースポットと呼ばれる場所には太古昔からその地に何か強いパワーを感じるとされる場所に神様が祀られたのだと思いますし、実際に神社などが建てられている場所は磁力が凄く強いと言われています。
私もパワースポットへ行った次の日に思っていたことが思い通りになったり、神社に願い事をした次の日に願い事が叶ったりと不思議な経験をしています。
皆さんは信じますか?
また神様、神社に詳しい方、教えて頂けたら嬉しいです。

A 回答 (18件中1~10件)

伊勢神宮の パワースポットに 手をかざしたら 熱く感じとれたのに マイッタ 信じられん

ホント
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神様は信じていますが、神様が何かしてくれるものでなく、神様はこの世の仕組みを作った方であると思っています。


この世の仕組みというのは、心から信じ思ったことは現実になるというルールです。
言葉は言葉にするほどそちらに近づき、想いも想うほどそのようになっていくシンプルな仕組みです。
あなたが叶うと信じるから叶ったんだと私は思います。
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「これが正解」と言うものが無い質問ですが・・。



まず、現代の神は科学ではないか?と思っています。
もし、全ての事象が解明された暁には、人類は神になれると言いますか。

パワースポットなんてのも、マイナスイオンや放射線によるホルミシス効果など、科学的にも説明が出来る範囲は多々ありそうですが。
たとえば生命科学がその代表で、不老不死を実現したり、あるいは死後の世界が解明されれば、まあ人類は限りなく神に近付いたと言えそうでしょ?

あるいは、現代人が大昔にタイムスリップしたとすれば、その現代人は「神」と崇められるでしょう。
すなわち、科学が進歩して、森羅万象の事象が解明されればされるほど、人類は神に近付いているとは言えそうでしょ?

ただ・・一方で人類は、紀元前から、そう言うことを予言してるんですね。
具体的な例で言いますと、創世記によれば、「神は神の姿に似せて、人間を創った」などと。
原始仏教も、「宇宙の意思」みたいな存在を予言していますが、宇宙に意思があるかどうかは別として、人類が宇宙の中で生じたことは間違い無く、人類の意思も、宇宙の意思とは言えるでしょう。
科学を司る人類は、神になる使命を帯びて誕生した存在なのかも知れません。

人類の頭脳が、いずれ神になるのか?
人類の頭脳の中に、予め神が居たのか?
現時点で、いずれなのかは判りませんが、そのいずれにせよ、「神は居る」と言うことにはなりそうです。
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人間は細胞から出来ていますが、その細胞が「有機物」から誕生することは、


材料を集めておいておけば、勝手に飛行機が出来るのに近いそうですよ。
そんなことは、でも、ありえないですよね?
だから、創造神はいらっしゃると考える生物学者の方がいるそうです。
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宗教のイロハが分かったつもりで、


違う考えの人は、バカだの騙されてるだのと言い、
自分だけは、正しい宗教、正しい生き方と言い、
教えて!gooで、リンクを張りまくって、
信者獲得に血道を上げるような宗教よりは、
ご自身の思うパワーや、地元の神社を信じて良いと思いますよ。
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私は神々を信じていますが、同時にこれは「人間が作りだしたモノ」であるとも考えています。



なぜなら「神が実際にいるなら、なぜ世界中で同じ神ではなく、しかも神は人間同士の争いに介入しないのか」という命題があるからです。キリスト教とイスラム教の争いは「同じ神」を信仰しているのに起きています。そしてこの「神」は他の神を許さない神でもあります。

そういう矛盾が「神」にはあり、だから「人間がつくりだしたもの」と考えるほうが妥当だからです。恩師の方はそちらの「実存主義」的な考えを重要視する方なのでしょう。

しかし、そういう「神の意思」ではなく「斎きもの」としての「神々」は存在すると思います。面白いことに、現在キリスト教やイスラム教の神殿が建っている場所ですら、それ以前の神々の聖地だったり、パワーを感じる場所だったりします。

人間は大地のパワーをもらい、同時に自然の脅威を恐れて生きてきた生き物です。ですから自然に「恐怖と安らぎ」を感じるものであるといえます。
そういう点では「自分の感覚と、素朴な宗教心」は大切にするべきでしょう。何が何でも「神はいない、嘘っぱちだ!」というのは、人間の驕りだと私は考えます。

質問者様はそちらの「心」のほうを大切にされている、ということでいいのではないでしょうか。
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宗教のイロハが分からないで 信ずるのは 妄信といいます



最小限度の知識が必要です

何でも信じれば良い、・・・これ間違い


その宗教は  
人間を強くしますか 
人間を善くしますか 
人間を賢くしますか

内村鑑三は
 経済の背後に政治がある 政治の背後に社会がある 
社会の背後に道徳がある 道徳の背後に宗教がある
と述べています
日本人の底辺には 仏教的 儒教的精神があり
大いに誇れるところです


今の世間
初詣は神社 結婚式は教会 葬式は仏教
クリスマスのバカ騒ぎ
無宗教の奴等の そのだらしなさは あきれる
今の日本社会を見て 内村鑑三は嘆いている事でしょう

これほど大事な宗教を 
正しく教えるはずの 聖職者 坊主は
宗教の事など語らず 金儲けの道具にしています
そのため 誰も正しい宗教が分からないのです
だから 原始主教のような
占い 霊 お告げ お払い 等の単純な宗教に
エセ宗教に カルトに騙されるのです

余計な事かもしれませんが
人間は宗教なしでは 正しく生きられないのです
 トルストイは人間は宗教なしでは生きられない理由を
第一に 宗教のみが善悪の決定を与えるからだ
第二に 宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを
     知ることが決してできないからである
第三に ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである
第四に 宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである
第五に 宗教のみが人間に生の意義を与えるからである
第六に 宗教のみが人間の平等を樹立するからである
と言っています

儒教の論語の正しさ 仏教経典の奥の深さ
聖書の精神 等 人間精神を養い 科学の暴走を抑えるために
宗教が最大の役割をはたすと思います


仏教 キリスト http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage31.htm
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この文の通りなら、先生は完全に間違っています。


神様に関しては質問者さんが正しく、先生のほうが間違えですね。

神様は、いると思う事も、いないと思う事も、
心の中にいるもので、自らの心の支えにするために人間が作り上げたものと思う事も、
「思う」のは自由です。
主観の答えは、どれも間違えではありません。

ただ、「人間が作り上げたものだ」と、客観で断言してしまうと、
実証出来ない事を持ってして、事実上嘘になってしまいます。

神社のお話しは話し出すとキリが無くなりますが、
 
>私もパワースポットへ行った次の日に思っていたことが思い通りになったり、
>神社に願い事をした次の日に願い事が叶ったりと不思議な経験をしています。
>皆さんは信じますか?

これも「私はそうでした」と言うなら、
それは信じる信じないではなく、事実です。
 
事実は事実として、認められた上で、
解釈や信じる信じないは、自由に考えられて良いと思います。


ちなみに、
クロマニヨン人や、忠犬ハチ公の幽霊を見ないのは、
幽霊が実在する(と言うより外部現象である)ほうの、
根拠になります。

脳の補正機能や、脳の錯覚で幽霊を見るなら、
クロマニヨン人や忠犬ハチ公の幽霊を、見るはずだからです。
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日本には古来から八百万の神様がいらっしゃいますからね。

自然現象の一つ一つにも畏怖を感じるのは尊い事だと思います。
インターネットで見かけた「ある日船でブッダがやってきた。だから神々の一人に加えた。ある日船でキリストがやってきた。
だから神々の一人に加えた」というのは実に日本人らしい宗教観だと思います。
先生の仰る事も正しいんじゃないかな。神様は心の中にもいます。1億人いれば1憶人の神様が。
きっと一神教のキリスト教やイスラム教ですら一人一人の思う神様の形が違ってるんじゃないでしょうか。

神様にお願いして叶ったなら、必ずそこに行ってお礼をしてくださいね。
お願いするだけしてお礼を言わないなんて、普通に人付き合いでもアウトですから(笑)
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「神社」と言えば、天皇家を考えないわけにはいかないでしょう。


天皇と「神様」のわかりやすい例に、昭和天皇があります。
彼は、国家元首(前憲法に置いて、ですが)です。
軍を統帥する立場でもありました。
だからこそ「死んだら靖国でまた会おう」のような概念も生まれたのでしょう。
もしも天皇がイスラム教徒であったりした場合、まさかそれでも「死んだら靖国で」はあり得ないだろうと思います。
あの特攻隊も、「神風」などとは呼ばなかったはずです。
そして、何よりも象徴的な出来事は、それまで「現人神」としていた天皇が、戦争に負けたという程度のことで、ある日突然「いやあ、僕って今日から普通の人間ですんで」と言ったことです。
普通の宗教では、様々な修行を積んで、神や仏という最高権威を手に入れるのに対して、神道に置いては「ちょっとした事情」があれば、昨日まで「俺って神様」と言っていた「神様」が、今日から突然「ただの人間」に変身可能なのです。
まあこれは「神様であるからこそ為せたこと」ということである可能性はありますが、相当に不思議です。
そして、神様である天皇が、国家元首且つ軍の最高統帥者であったにも関わらず、あんなにもこっぴどく負けて、しかもその影響が今もこの国に残り続けているという事実は、更に不可思議です。

「触らぬ神に祟り無し」は本当なのかも知れません。
明治から昭和初期のこの国は、神に触れすぎたという可能性を感じます。
神社でお賽銭とお祈りやおみくじ、パワースポット程度の扱いが、この国の健全性の担保に有効であるように思います。
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