筒井筒 そばに 蜆(しじみ)と 唐辛子 の川柳の意味を教えてください。

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A 回答 (2件)

本歌は、「伊勢物語」にある


筒井筒ゐづゝにかけしまろがたけおいにけらしなあひ見ざるまに

「筒井筒」は筒の如く丸く掘つた井のこと、「井筒にかけし」は子供の時には井筒に丈をくらべた、「まろ」は汝の意、「おいにけらしな」は成長して丈も高くなつたらう。

大意―子供の時から親しみ遊んでゐたが、今はもう両人ともに成長したのだから、夫婦の契りを交さうではないか。

筒井筒 そばに 蜆(しじみ)と 唐辛子

今は大人だが、背比べをしたときは、井筒のそばにあったのは、まだ成長していない蜆(はまぐりと対比)と唐辛子(大根と対比)

(蜆、唐辛子、はまぐり、大根については、参考URL参照)

参考URL:http://www.y-yy.com/newpage3.htm
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この回答へのお礼

お忙しいところ、わざわざ教えていただきありがとうございました。URLの方も参考にさせていただきました。

お礼日時:2001/07/07 14:09

こんばんは。



ちょっと面白いのできました。

「筒井筒」これは、在原業平の伊勢物語に出てくるお話しの中の歌で、

「筒井筒 井筒にかけしまろがたけおいにけらしなあひ見ざるまに」
井戸を囲う井戸枠と背比べをして居た僕だけど、
君に合わない間に大人になったよ・・・という意味。

「くらべこし 振分髪も肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき」
女の人が返歌して、あなたと長さをくらべあった
おかっぱの髪もずいぶん伸びましたよ。(昔は旦那様になる人が
お嫁さんの髪を結ってくれる儀式があったので)あなたでなければ
誰にこの髪を(結い)あげてもらうの・・・という意味。

筒井筒は幼なじみの意味にもなっているしね。

この二人は結婚したのだけれど、それからさかのぼってまだ幼くて
仲よく遊んでいる頃の、二人の女性器と男性器を
面白く歌っているのがこの句です。

川柳ってこういう句が結構あって面白いですよね。
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この回答へのお礼

ご親切に教えていただきまして、ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/07 14:06

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Q俳句の表現技法

今、私は、
俳句の大意、表現技法、季語などを調べています。
そこで水島秋桜子さんの
『滝落ちて群青世界とどろけり』について
表現技法以外は分かったのですが、
表現技法がどうしても分からないのです。
誰か分かる人教えてください。お願いします!

・・あと表現技法ということ自体が
全体的によく分からないので
時間があれば
1から説明していただけるとありがたいです。
たくさんあってすみませんがお願いします!!!

Aベストアンサー

No2です。

>切れ字ですね?

そうですね。

ところで、一つの俳句に使われる表現技法は一つだ、と思い込んではいませんか?いえいえそんなことはないんですよ。全く技巧的な表現がみられないものもあれば、たくさんの技巧が使われているものもあります。

事実、この有名な句は、人によってはテクニック遊びだと批判する人もいるくらい(そんな人は極々少数で、実際には水原秋櫻子の代表作とされていますが)技巧的なんですよ。

この俳句は、目を閉じても、情景をまざまざと美しい色で思い浮かべることができますよね?それは何が根拠かな?

また、表現技法だけでなく大意にもかかわるのですが、次の部分をどう訳しましたか?「群青世界とどろけり」
 群青が世界に とどろいたことだよ
 群青世界が とどろいたことだよ
どうとるかで使われている表現技法も変わってきます。と言うよりも、使われている表現技法のうけとり方で、意味が変わってくるというか……。

この句は研究家が多いので大筋でこう考える……というものがあるようですが、俳人に表現の自由がある以上、読み手にも自由に読み取り想像する自由があります。あからさまな間違いでなければ、色々発想していいんですよ。自分なりに考えてみてくださいね。


※例えば、室生犀星の有名な詩に有名な次のフレーズがあります

「ふるさとは遠きにありて思うもの」

この故郷について、室生犀星の研究家で実際に親交があった学者先生が、『都会で、幼少の頃に良い思い出のなかった作者が、その心境を詠んだ(現実には故郷に戻っていない)』と解釈したために、長くそのように思われていたのです。
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『実際に故郷に帰ってきてみれば、厄介者扱いされて辛いことばかりだ、こんなことなら都会で故郷の事を懐かしんで悲しんでいた方がどんなによかったか…』と訳すことが主流になっています。

つまり、偉い学者が言うことがいつも正しいとは限らないのです。あなたなりの解釈をしてみましょう。


ところで、豆知識ですが、この句の季語はどうとらえましたか?
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自由律俳句で有名な山頭火なら俳句の季語なしは当然でしょうが、水原秋櫻子はそうじゃないですからね。

No2です。

>切れ字ですね?

そうですね。

ところで、一つの俳句に使われる表現技法は一つだ、と思い込んではいませんか?いえいえそんなことはないんですよ。全く技巧的な表現がみられないものもあれば、たくさんの技巧が使われているものもあります。

事実、この有名な句は、人によってはテクニック遊びだと批判する人もいるくらい(そんな人は極々少数で、実際には水原秋櫻子の代表作とされていますが)技巧的なんですよ。

この俳句は、目を閉じても、情景をまざまざと美しい色で思い浮かべること...続きを読む

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Aベストアンサー

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文学的な俳句でもいいし、オモシロネタな俳句や
日常の疑問について思わず頷いてしまう様な俳句、
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とにかく沢山の俳句を集めていますので、ご助言よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

歳は人にとらせていつも若恵比寿
蛸壺やはかなき夢を夏の月
石山の石より白し秋の風
美しや障子の穴に天の川
芭蕉

散る桜残る桜も散る桜
裏を見せ表を見せて散るもみじ
どちらも良寛の辞世の句という俗説があります。
真偽は色々語っているサイトがありますので
興味があれば探してください。

露の世は露の世ながらさりながら
一茶辞世の句

耕運機盛りのゲンゲ裏返す
作者失念。

一日も捨てる日もなし梅の花
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秋の蝿追えばまたくる叩けば死ぬ
正岡子規

逝く空に桜の花があれば佳し
三波春夫

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石橋秀野

他にも沢山ありますがまあこんなところで。

Qこの川柳の意味をおしえてください

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Aベストアンサー

女性の肩こりをなおすのは、血のめぐりをよくするのが一番ですから、Hをするのです。ひどい肩こりをなおすためには激しいHをしますから、女性の喜悦の声が江戸から相模(神奈川県)まで聞こえたのでしょう。
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Q俳句について

俳句について勉強をしていく中でいろいろな俳句調べて特に恋に関する俳句や短歌に興味を持ちました。

失恋の俳句は多く知ることができたのですが、初恋に関する俳句や短歌は見つからないです。初恋に関した俳句、短歌にはどんなものがあるのかもしよかったら紹介してほしいです。

Aベストアンサー

飯田龍太、稲畑汀子、森澄雄監修の名句鑑賞辞典(角川書店)から3例の恋愛句を引用します。

虹二重神も恋愛したまへり  津田清子
 昭和24年の作で、恋愛の語が新鮮であった頃の、初々しい感性の所産であるとの解説あり。

気管支を痛める恋や竹の秋  寺井谷子
 平成5年の作で、気管支という部位がエロチシズムを感じさせるとの解説あり。

愛されずして沖遠く泳ぐなり  藤田湘子
 昭和30年の作で、愛がうけいれないという思いを瑞々しく表現した青春の風景との解説あり。

ということで、いろいろな愛が詠まれています。これからも俳句を楽しんでくださいね。

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毎日新聞の万能川柳に「女子のみが残されたわけ今わかり」という川柳がのっていて、秀逸となっていたのですが、自分にはこの川柳の意味がわかりません。どなたか教えてください。

Aベストアンサー

ある科目の授業では男女が別れて受けることがありますよね。
で、仲間どうしで、
「あいつら、なにやってんだろね」
などと興味をもってひそひそ話をしたりします。
ま、女子に聞いても教えてくれないわけで、はぐらかされるのが
いいところで。

ところが、ある日あるとき、女性と付き合うようになって、いつも
していたことが、今日はダメなの、といわれたときに、ああ、こん
なことを女子だけ集めて「教育」してたんだなあと突然視界が開け
てくるわけです。

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俳句には季語があって五七五で、短歌は五七五七七で・・というのはわかるのですが、イマイチ違いがわかっていません。

俳句好きの人は、何故俳句を選んだのでしょうか?短歌ではダメなんですか?短歌好きの人も、俳句ではダメなんでしょうか?

間抜けな質問だと思いますが、教えて下さい。

Aベストアンサー

以下はすべての短歌俳句に当てはまるものではありませんが、こんな感じで自分なりに整理しています。
和歌は作り手の心情をストレートに述べるもので、57577という詩形の短歌が、その心地よいリズムゆえか、多く作られるようになっていった。日本人の心から欲するものが自然と形になったもののように思われます。
その後歴史を刻むにつれて、ちょっとこりだして、心情をズバリと盛り込まず、風景そのものや、それを見つめる作り手の目線によって作り手の心情をあらわそうとするものが作られ始めた。そういう流れの中で、詩形そのものを短くし、まるで写真のように一瞬の場面を切り取り、それによって逆に豊かな心情を盛り込もうとしたのが、俳句なのでは、と思っています。俳句の方が想像の余地が広いのは、そういうことから来ているのかもしれませんね。

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川柳 「ブルシート扱いなれした新社員」について教えてください。 今朝の毎日新聞の川柳に先の句が載っていました。 解釈について、アホな夫婦が、言い争っています。 ホームレスの人が新しく職に就いた句だと夫が言います、妻曰く(私ですが)花見の場所取りをした新入社員のことだと、夫ともめています。どなたか解決してください。

Aベストアンサー

川柳というのは滑稽文学ですよね。
現実にはありえないような「そんなばかな」というようなナンセンスなのもあるでしょう?

いやに花見の場所取りのブルーシートを扱い慣れてるね今度入った人は、前何やってたの?→ブルーシートと言えば… ていう連想というのが正解だと私も思いますね。
花見の席で出そうな冗談ではないですか。

これが新卒が練習してから来たなんていうのではむしろ笑えないでしょう。うがち過ぎ。
「新入りが練習してきたかのように上手い→練習してきたからだ」
これでは冗談が成立していないです。
新聞の川柳は批判とか風刺みたいなのに片寄っているから、そういう解釈もわからないではないですが。
「ブルーシート」「扱い慣れ」これがキーワードですよね。もちろん花見という屋外で、地べたの上でやる行事とセットにして思い浮かべないとおもしろくないでしょう。
風流や遊びでやるのと、しかたなくやっているのとを重ね合わせるから滑稽を感じるわけだと思います。


「ブルシート」も変だし、そんなこんなで確かにそれほど良いできの句とは言えないように思います。


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