プロが教えるわが家の防犯対策術!

プライドの高い自分が本当に嫌いで、こんな性格の自分を変えたいです。
長い間付き合ってきた性格を今更変えることは難しいのは重々承知ですが、少しでも改善させるためにはどんなことに気をつけて生活すれば良いでしょうか。

具体的には、
友達や後輩から仲が良いからこそだと分かっていても、苗字だけで呼ばれたりタメ口で話しかけられたりすることが苦手です。
またアルバイトで自分がミスをした時、すぐに自分のミスだと受け入れられないことが多いです。心の中で他の人のせいにしてしまいます。そのためミスを指摘してくれた人に謝るのが遅くなってしまうことがあります。

自分は他の人より優れている訳ではなく、むしろ劣っていることの方が多いのに、このような考え方をしてしまい余計自分が嫌いになります。

A 回答 (8件)

性格とは思考パターンです。


思考パターンを変えるためには、「思考を変える」方法と、「思考とリンクした『行動』を変える」方法があると思います。
思考はなかなか変えられません。
したがって、「かたちから入る」つまり「思考とリンクした『行動』を変える」ことによって、「行動しているうちに思考が変わるのを待つ」ということです。

意志の強い人は、習慣にしてずっと続けているのです。
意志が強いから、習慣としてずっと続いているのでしょうか? 
じつはちがいます。
習慣として行動しているから、意志・思考の劣化、意志・思考のダレを上書きして、劣化・ダレを防止しているだけなのです。
結局、「行動しない人」「『変わった自分』を習慣化しない人」は、何十年生きても、変わることができないのです。
「行動と習慣」が「思考」を変えることを信じて、「行動と習慣」から始めてみてください。
    • good
    • 0

心理関係とか、スピリチュアル関係の「ネガティブ」「ポジティブ」とは、「再帰的な自己承認」が可能(ポジティブ)か、不可能(ネガティブ)か、という意味です。


私も勘違いしていたポイントです。
こちらの意味の「ネガティブ」は、「ネガティブ」なままだと、質問者さんのように「穴にはまり込んだ状態」からは、けっして脱却できないと思います。

他方、一般的には「暗く静かに」=「陰の気」が『ネガティブ』、「明るく元気に」=「陽の気」が『ポジティブ』というふうに使います。
そういう分類方法もありますけれども、それは「1つの分類方法」にすぎません。
この意味の『ネガティブ』『ポジティブ』は、静と動、守備と打撃(野球)、夜と昼、女と男、月と太陽などのように、両方とも必要なものです。
一方が他方を否定する性質のものではありません。

これ以降、この回答で使う「ネガティブ」「ポジティブ」は、「再帰的な自己承認」が可能(ポジティブ)か、不可能(ネガティブ)か、という意味です。

再帰的とは、-selfということ、何々自身ということです。

例えば、私が「ダメ人間・クズ」であることを、私自身(-self)がしっかりと認め、そんな自分であったとしても、自分を愛し続けて見捨てない、見放さない。
たとえ「ダメ人間・クズ」であったとしても、そんな自分にとことん付き合って、成長できるまで自分自身を励まし、努力し続ける。
これが「再帰的な自己承認」であり、「再帰的な自己承認」ができている状態を「ポジティブ」と呼ぶわけです。

この「ポジティブ」な状態を続けていかないと、「穴にはまり込んだ状態」のままです。

ここでは、「ダメ人間・クズ」という、ジャッジメントを含んだ言い方で表現しているので、誤解されやすいとは思いますけれども、世間で一般的に使われている言葉ですので、これを使わせてください。
悪意なしに、客観的な意味で「ダメ人間・クズ」という表現を使っているのだということをご理解ください。

ここで「ダメ人間・クズ」という意味を、別の言葉で表現しても、イイタイコトがぼやけるだけです。
例えば、「同じ失敗を何度も繰り返すので学習能力が欠如しているらしい」「弱点を克服する意欲に欠ける」「意志が弱く物事を継続できない(くじけやすい)」「易きに流れる傾向が強く、自己改革能力が不足している」など。

言葉尻に傷つきやすい質問者さんですから、「ダメ人間・クズ」と私が書いたことに、きっと傷つき、立腹されていることでしょう。
それでも、意味を明確にする必要があるので、ここで「ダメ人間・クズ」という表現を使わせてください。

「ダメ人間・クズ」だから見捨てる、見放す、切り捨てる、ということではありません。

「ダメ人間・クズ」でも、そこから自分自身を育て直すことが可能なのだ、回復可能なのだということを原点にしてください。

質問者さんは、「真面目系クズ」で検索すると出てくるパーソナリティに属しているのだと思います。

質問者さんは、ご自分が「ダメ人間・クズ」であることを認めたくないのですよね? 
なぜ認めたくないのかというと、「ダメ人間・クズ」を「価値がない」(自己無価値感に通じる)と思ってらっしゃるのが、質問者さんだからです。

例えば、自分にダウン症の子供ができたとします。
ダウン症の子供を認めて、その子供を心の底から大事に思い、その子供に寄り添って生きていくことができるか否か。

そのことと、ご自分が「ダメ人間・クズ」であることを認め、受け容れて、そんな自分でも、自分自身に寄り添って生きていくことができるか否か。
そのことは、相似形に近いものがあると思います。

「分離」の考え方をすると、ダウン症の子供について、「生まれてこなければよかった」とか、「世間に対して恥ずかしい子だから、できれば隠したい」とか、「どうして自分だけがこんな不幸な目に遭うのか、と嘆く」とか、そうなってしまいます。
それは「今ある状態を承認したくない」という「ネガティブ」な発想なのです。

質問者さんは、ご自身が「ダメ人間・クズ」を見捨てる、見放す、切り捨てるタイプのパーソナリティなのです。
人間として冷たいというか、そんな感じです。

「見捨てる、見放す、切り捨てる」ことができないので、自分は「ダメ人間・クズ」ではない、というふうに、客観情勢を見誤っている。
現状認識を偽ってらっしゃるのです。
それは、ちゃんと洗えばきれいになるのに、「うんこをもらしていない」と言い張る子供のような振る舞いです。

そういう意味で、質問者さんは、たいへん「ネガティブ」です。

そして質問者さんは、「そうだね、うんこはもれていないね。臭くないよね」と言ってもらいたいのですね。
ウソを言ってでも、なぐさめてもらいたいのですね。
そうやっているうちは、穴の中に安住することができるからです。

質問者さんは、穴の中が、じつは心地よいのでしょう? 
本当に抜け出したいのだったら、もがいて脱却するための具体的な努力をしなくてはなりません。

質問者さんは「ダメ人間・クズ」が心に根付いてらっしゃるので、「具体的な行動をしなくていい」「心の持ちようだ」など、「努力しなくていいよ系」の回答を求めておられるのでしょう。

しかし実際には、心の持ちようではありません。
「ミスをしないようにメモを取り、何度も復習する」など、地に足を付けた具体的な努力をして、部分的にでも自己改革を行う必要があると思います。
そうやっていかないかぎり、「ダメ人間・クズ」からの脱却はあり得ないからです。

今回の問題の根本的な部分は、「ダメ人間・クズ」を「価値がない」と決めつけている、質問者さんの価値判断です。
「ダメ人間・クズ」でも、再教育可能、回復可能、更生可能なのです。
「ダメ人間・クズ」でも、愛すべき存在であり、認められるべき存在であり、そこにいても「いい」のですよ。

しかしそれは、「ダメ人間・クズ」のまま、少しも努力をせずに、ダラダラと現状を続けていい、ということではありません。

現状認識をしっかりと行い、それでも捨て鉢にならず、「ダメ人間・クズ」から脱却するための努力を、今日やったかどうか。
そういう具体的な一歩一歩が大事なのだと思います。

「同じ失敗を何度も繰り返すので学習能力が欠如しているらしい」「弱点を克服する意欲に欠ける」「意志が弱く物事を継続できない(くじけやすい)」「易きに流れる傾向が強く、自己改革能力が不足している」などは、単なる「初期状態」です。
「初期状態」というのは、例えば、大きな病気になったり、大きな怪我をした場合などの「現状として認識できる、偽りのないナマの状態」です。

この「現状認識」の段階で、「これはガンに冒された組織であり、あそこにも、ここにも転移している」とか「足首から先が壊死しているので切断するしかない」とか、そういう「厳しいナマの現実」をしっかりと受け止める必要があるのです。

質問者さんの場合、「現状認識」の段階で、ごまかす傾向をお持ちのようです。
したがって、「失敗した事実」「改善点など」を他者から指摘されたときに反発心だけが湧いてきて、「失敗したことを認めない」「言い逃れする」「他者のせいにする」などの逃避行動をとります。
これはプライドではありません。

質問者さんが、仮に「ダメ人間・クズ」と言われたときに、自分自身を嘲(あざけ)ることなしに、真っ正直に「そうだよね、たしかに私には、そういう部分があるよね」「だけど、それでも自分が好きだから、努力していくんだ」と言えるようになれれば、現在の「穴にはまり込んだ状態」から脱却できると思います。
    • good
    • 0

大まかに自分をわかってらっしゃるから、改善できると思うで。

ちょっとした事の積み重ねかな。
    • good
    • 0

周囲の人達とどのように対応していけばいいのか、という生き方の問題です。



いくらでも変えることは出来ます。
ゆっくり考えてみましょうね。
大丈夫ですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

返信ありがとうございます。
時間がかかっても、しっかり考えていきたいと思います。

お礼日時:2017/12/11 03:55

自己分析ができて、偶像視できるなんて素晴らしい。



あなたは少しづつ変わっていきますよ。その気持ちがあれば大丈夫。

失敗した時などに、人からアドバイスを受けることは、あなた自身を否定されたことにはなりません。事柄だけを注意されたに過ぎません。そしてそこが伸びるチャンスです。次からこうしよう!あなたなら、その考えが出てくるはず。

前向きな姿勢、大切にしてね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

返信ありがとうございます。
人からの指摘は自分を否定された訳ではない という言葉、大切にしていきたいと思います。

お礼日時:2017/12/11 03:57

プライド高いのと、


ミスを認めないのは
別の話ですよね

新幹線はグリーンしか
乗らない…とかが、
プライドなんですよね

実力が伴わないと、
単なる偏屈だと
世間で評価されますから
気を付けないとね

有り難う…と
ご免なさい…は、
人間関係を円滑にする
魔法の言葉です

いくら使っても無料です
こんな便利なアイテムを
活用しないなんて、
勿体無いですよ

見てる人は、
ちゃんと見てるから大丈夫
    • good
    • 1

厳しいご家庭で育ったのでしょうか、今時に珍しく礼節ある考え方だと思いますが。

。。
呼び捨てやタメ口は苦手な人はどうしても苦手だと思います。

お仕事での出来事ですが、たしかにあんまり良くはないですね。
ただ、少しの時間で謝ることができるなら、そんなに気にしなくても大丈夫だと思います。

このご時世ですから、人のせいにしたままの人もいると思います。
謝りたくなくて言い訳しかしない方も。。。

実直であるというのも、そう考えるとお辛い時もあると思います。

治す という表現をお持ちのようですが、気にしないようになりたいと言う願望だと思います。

気にならない方が、たしかに生きやすいとは思います。
ですが、元から気になるものを気にしないようにするのは、仰るようになかなか難しいと思います。

少しずつ慣れていくしかないと思うので、極力気にならない相手と付き合うことから始めるといいかもしれません。

お仕事では「心の中で済んでるし大丈夫」と自分を認めてあげてください。

問題であれば、真剣に指摘される時があると思います。
そう言う時は、ご自身の振る舞いが相手にどう見えているのかを少し掘り下げて聞いてみるといいかもしれません。
    • good
    • 0

ご自身で気づいて、認めておられるだけ、えらいと思います。


解決へ向けて、すでに動き出していると思います。

心理カウンセリングとか、スピリチュアルの分野で、「自己無価値感」で調べたら出てきます。
要は「バカにされているのではないか」という恐怖の中で暮らしておられるのだと思います。
だから、ちょっとしたことでカリカリするわけです。

それは「プライドが高い」のではなく、コマでいえば「回転数が足りないので、ヨロヨロしている状態」なのです。
だから指摘されると反発だけはするけれども、失敗を回避するための努力はしませんね、あなたはたぶん。

きつい言い方ですけれども、ズバリ言います。
あなたは、無能なのに、注意されると言い訳と反発ばっかりするので、周囲からは、多重の意味で「クズ」と思われていますよ、きっと。
そしてあなたは、ちょっとしたことですぐに怒り出すので(たぶん顔に出ちゃう)、弱い人間だと思われていますよ、きっと。
そのことが、あたなたをいっそう「他者からなめられやすい状態」にさせているのです。

努力して向上しつつある人は、コマでいえば、回転数が増していき、ますます安定していくので、自分に自信があります。
それは、ひとに見せるための自信ではありません。
関西弁でいう「イキる」のとは別です。
「他者との比較において、優位だから」という理由による自信ではありません。
静かにしているだけで、「しっかりやっている」ことが、からだじゅうからほとばしり出ているのです。
それが、自分を信頼して、自分に安心している状態です。
それが、高速回転している状態です。

それは心の持ちようというよりは、エネルギーが強いか、弱いか。
そういう問題であるように思います。

私の場合、次のように心がけています。

必ず自分自身を根本として生きる。
自分の腑(ふ)に落ちたことだけを信じて、それを完全に身につけるまで、徹底して練習する。

ひとさまのウケを狙って、何かをすることを避ける。
いわゆる忖度(そんたく)をしない。
心の奥底から出てきた素直な気持ちを信じて、それに忠実に生きる。
真っ正直に生きる。

けっして「比較」の中に生きない。
偉い人だからといってへりくだったり、目下の人だからといって尊大になったりすることを、厳重に戒める。
偉い人にも堂々と物申し、目下の人からの意見にもしっかりと耳を傾ける。
特に子供の意見を大事にする。
弱い人、目立たない人にこそ目を向ける。
その一方で、特権意識をもっている尊大な人の「世界」の醸成には協力しない。
例えば、グループのボスを気取っている人の「掟(おきて)」は無視する。

物事を甘く見ない。
なめてかからない。
臆病と言われようとも、しっかりと準備をする。

これは私の「作文」にすぎません。
真に受けることもよくないし、まったく信じないこともよくない。
ご自身の腑に落ちた部分だけを採り入れてください。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!