冷戦の形成と崩壊、そしてそれらと南北問題の関係を教えてください。お願いします。

A 回答 (2件)

冷戦(鉄のカ-テン及び竹のカ-テン)及び南北の問題にmichimichi0410に真面目に答え様とすればpei-peiの仰る通りの回答になると思います。


1914年の第一次世界大戦から始まり2001年の歴史を述べろと同じ事で無理な御質問だと思います。
只、michimichi0410さんは概略の知識はあると思いますので共産主義のお金(資本)の循環システムと資本主義のお金(資本)の循環システムを基準線として切り込んで調べていけば判るのではないでしょうか。
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この手の質問に、正答はないと思います。


まずは文献等で調べた上で、自分なりの認識をまとめてから、
皆さんの意見を聴くべきではないでしょうか?
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Q55年体制崩壊と冷戦終結

55年体制崩壊とソ連崩壊および冷戦終結は関係があるのでしょうか?

Aベストアンサー

#2補足です
 少なくとも小沢一郎はソ連崩壊と呼応して、保守2大政党制を目指して動いています。ソ連崩壊が無ければ、小沢が動いたとは思いません。待っておけば、総理の椅子を狙える位置にいたわけですから。細川護煕も多分そうですね。ソ連崩壊とともに世界中の国内政党地図が変更された中でゆっくりと保守対立の構図を目指した一人でしょう。
 なんだか、日本国民って政治家は利権や勢力争いだけで動くと思っているみたいですが、理想のためにも動くことを知っておくべきだと思います。もちろん、選挙区民の利害を抱えなければならない選挙制度(徐々に変わろうとはしていますが)のですから、利権・政略争いも多いでしょうけれど。
 ソ連崩壊という世界史の転換期に幾人もの政治家はここでどう動くことが日本の将来にとって正解なのかを考え、その一部は実際に動いたのだと思います。

Q冷戦とポスト冷戦の特徴について

 上記のテーマでレポートを書かなければならないのですが、ポスト冷戦
の特徴についていまいちよく分かりません。冷戦終結後の世界構造の変化
(グローバリズム化、リージョナリズム化、ナショナリズム化)などの
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Aベストアンサー

イデオロギーの観点から言えば、ポスト冷戦後の特徴は、いわゆる自由主義(民主主義+市場主義)路線が世界秩序になったとういうか、それまでのイデオロギーの対立に一先ず決着がつき、今後、この世界秩序をどのようにインプリメントするかが課題なのかと認識しております。中国及び北朝鮮を自由主義化すりかが、今後の世界構造のキーだと思います。

また、きれいに冷戦・ポスト冷戦の時間軸で切れませんが、コンピュータの発展に伴い量から質への経済構造のパライダイム変換がおこったことは特筆すべき点であると思います。西側陣営とソ連との冷戦の対立も、イデオロギー的対立と言われておりましたが、基本的には量をベースにした経済構造におこる帝国主義的な対立であると思います。冷戦は、貧しさから起こった世界大戦の延長線上にあったと思います。第二次大戦後の世界経済構造では、急速な技術革新により、インフレから物がありあまるデフレへと変わっていきました。この経済構造のパラダイム変換により、冷戦が終結いたという考え方もあるのではと思います。

Q朝鮮は南北に分断されて良かったのか?

朝鮮が南北に分断されたのは不幸だったと思います。
南北に分断されたことを日本のせいだとする韓国人の不満を本で読んだことがあります。しかし、これには同意できません。
仮に日本という国が存在しなかったと仮定してみましょう。コリアは北朝鮮がそうであるようにソ連の影響下に置かれ共産主義政権が誕生し、いまごろはキムジョンイルが半島全部で独裁体制を敷いていたでしょう。韓国人はそれでよかったのでしょうか? そうではないでしょう。たとえ半分であっても自由主義圏に残ることができ、豊かになることができた。将来統一することになれば、南が北を支えることができるというものです。韓国人は日本を目の敵にして機会あれば日本の国旗を焼き日本を罵りますが、ひょっとして「国土が分断されたのは日本のせいだ」とする考えが根底にあるからでしょうか? だとすればとんでもない勘違いです。全部キムジョンイルの国になるより、せめて半分でも自由で豊かな国であるほうが良いとは考えないのでしょうか? 分断された北半分が貧しいのは、ソ連と中国のせいだとは考えないのでしょうか?
もし朝鮮戦争で中国が義勇軍を送らなければアメリカが勝ち全土を自由主義圏にできていたのです。中国が余計な義勇軍を出したため国土が分断され北半分が貧しい暮らしを余儀なくされているのです。どうして韓国人はそう考えないのでしょう?

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Aベストアンサー

 若干勘違いなされているような気がします。
 本気で南北分断が日本の責任と思っている人はそう多くありません。何となくそう思っている人は多いかもしれませんが、国旗を焼くような反日行動に出るひとはごく少数です。
 行けばわかりますが、反日デモや暴動より内政のデモや暴動の方が規模が大きいケースが多いですね。私が見た範囲では。もちろん、規模の大きな反日デモが無いわけではありませんが。そういった意味で、質問者さんは変なマスコミに洗脳されているかもしれません。
(教科書問題で中韓に「御注進」したマスコミと同程度におかしいマスコミにです。)

 彼らの反日発言は多数派を得るための建前と、自らの正統性を訴えることが目的なので事実等は二の次なのです。(それも韓国の文化ですがそれが世界で存在するのに適合するかどうかは本旨とは離れますので割愛しますが。)

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 彼らの反日発言にいちいち反応していると彼らと同レベルになってしまいます。ご質問の内容などは冷静に放置するのが日本人らしい対応と私は考えるのですが。

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Q朝鮮が南北に分かれたのはどの国の責任でしょうか?

朝鮮が南北に分かれたのはどの国の責任でしょうか? 
複数でも構いません。
責任の重い順番に並べてください。
関係してくるのは、順不同で
朝鮮
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中国
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Aベストアンサー

<責任の重い順番>
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朝鮮
アメリカ
中国
日本
北朝鮮
韓国
 ・・・という順番でしょうか?

Q冷戦時代の中国とヴェトナムの関係について

同じような質問を繰り返してしてすいません。
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中越戦争は国境紛争が原因だろうと思うのですが、同じイデオロギー同士なのだから話し合いでの解決は出来なかったのでしょうか?

Aベストアンサー

中ソ対立を背景としたカンボジアを巡る争いで両国関係は悪化しました。

1975年にヴェトナム戦争が終結すると、カンボジアとヴェトナム国境で紛争が発生し、1978年ヴェトナム軍はカンボジアに侵攻します。
翌1979年にプノンペンを占領するとポル・ポト政権は崩壊し、代わって親ヴェトナムのヘン・サムリン政権が樹立されます。

これに対しポル・ポト派はカンボジア北西部に逃げ込みゲリラ活動を行うなどしてヘンサムリン政府軍・ヴェトナム軍に激しく抵抗したためカンボジア全土で内戦が激化します。
この内戦に対しソ連がヘンサムリン軍・ヴェトナム軍に支援を行った為、ソ連と対立していた中国はポルポト派に支援をするという構図で内戦が続くこととなります。(カンボジア内戦1979~82年)

このため、中国とヴェトナムの関係が急速に悪化し、1979年に中国が北ヴェトナムに侵入して中越戦争(中国=ヴェトナム戦争)が起こることとなります。

侵攻から一ヵ月後に中国軍は撤退しますが、西沙、南沙諸島の領有権をめぐる「海上問題」での対立など両国の対立は、2000年の中越共同宣言まで続くこととなります。

中ソ対立を背景としたカンボジアを巡る争いで両国関係は悪化しました。

1975年にヴェトナム戦争が終結すると、カンボジアとヴェトナム国境で紛争が発生し、1978年ヴェトナム軍はカンボジアに侵攻します。
翌1979年にプノンペンを占領するとポル・ポト政権は崩壊し、代わって親ヴェトナムのヘン・サムリン政権が樹立されます。

これに対しポル・ポト派はカンボジア北西部に逃げ込みゲリラ活動を行うなどしてヘンサムリン政府軍・ヴェトナム軍に激しく抵抗したためカンボジア全土で内戦が激化します。
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