真実には3つの側面,偽.虚.贋がある
事を聞いたのですがいまいちよく分か
りません。できたらそれぞれに具体例
をあげて頂きたいです。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (1件)

老子の第一章に「道は道にして常の道にあらず。

・・・名は名にして常の名にあらず・・」とあり。
2章に、人々は善は善であると考え、善が悪であることを知らない・・」とあります。
老子の考え方は、善=善 、では、善ー善=0 となり、意味が起きない、存在にならない。
存在となるためには、善×(1/善)=1 でなければならない。この善の逆数は悪と名付けられ。
善×(一体となっている)悪=1(いち、ではなく、いっ(1っの統一体としての存在単位)となる。
万物の根元も、全体宇宙も、ついでに、1+1、も=1(いっ)として、存在していることになります。
善×悪=1 善があるから悪がある、善がなければ、悪もない、という在り方が、なぜ
善=悪、となるのか。老子の考え方に、0、は存在しない、無い、無、とは、ゼロ、ではなく「×1」の概念なのです。「×1」とは、実体としては存在しないが、現れ方は一体となっている相手によって、規制される。善が現れている時は悪は存在しない(×1となっている)、悪が現れる現れると善が×1となる。前置きはこれくらいにして。
ご質問の。真実には、偽、嘘、贋、という側面がある、と聞いた。ですが、真実に3っの側面があることはありません。真実と一体となっている、名、はあるのかないのか、真実ではない、という概念であり、偽、嘘、贋という、名は、真実でない、という概念と一体として付けられた使われ方、思惑の、名、であり。具体例をあげろといわれても、出来ません(めんどくさいの意味?)ご自分で、偽という、名と一体になっている、言葉は何か、嘘、という名と一体になっているのは、贋と言う名と・・をかんがえられてはいかがですか。
西洋思想の本に(カントとサルトルでしたが)、知らなかったことは、嘘つきとは言わない。と書いてありましたが。嘘、ですよね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「本音とたてまえ」の具体例

 「本音とたてまえ」は対になっている日本的な概念ですが、例を含む説明をしていただけませんか。
 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

本音と建前と言う言葉こそありませんが、本心をストレートに言わないということは、どこの国でも少なからずあることだと思います。

(例えば彼女が本当に一生懸命心をこめて作ってくれた料理がイマイチ。でも「おいしいね!」と言ってあげる。これは「本音と建前」と言えるかもしれませんが、べつに日本的なものではないと思います。)

ではなぜ日本だけが、「本音と建前」という言い方で言われ、日本的な概念になったのか?

よく言われていることは、狭い共同体の中で、和を尊ぶ日本人は他人との軋轢を避けようとして建前を言う事により、平和を保っていると言う事です。

また、世間体と言うものを強く意識する日本人ですから、その中で個が特出することは許されず、個人主張もできにくくなり、世間においては建前のみで接するようになってきます。

そのため、日本は建前社会となり、個人の意見主張など衝突の原因になるようなことは言わなくなり、外国から「日本人は何考えてるか分からない」等の非難を受けるようになったと考えます。


「本音と建前」というと、どうもマイナスイメージがあったり、「日本的なことだ」と考えるのは、そういう諸外国からの視点で言われている要因がかなりあるためだと考えます。

本音と建前と言う言葉こそありませんが、本心をストレートに言わないということは、どこの国でも少なからずあることだと思います。

(例えば彼女が本当に一生懸命心をこめて作ってくれた料理がイマイチ。でも「おいしいね!」と言ってあげる。これは「本音と建前」と言えるかもしれませんが、べつに日本的なものではないと思います。)

ではなぜ日本だけが、「本音と建前」という言い方で言われ、日本的な概念になったのか?

よく言われていることは、狭い共同体の中で、和を尊ぶ日本人は他人との軋轢を避...続きを読む

Q「自我の目覚め」の具体例を教えて

 「自我の目覚め」の具体例を教えて
 例えば、私は上司や会社の批判をして、事実上退職になりましたが、その批判とは「社会のため」を思ってのことで、人格を批判したりはしなく逆に面白い上司だったりします。ちなみにその上司はH自動車の請負のH梱包会社の所長です。私は、部長に「所長の解雇または降格」を具申しましたが、案の定、却下されました。
 私は、目覚めているといえますか?
(ちなみに、先日お伝えしたような私の口腔内の異常は「口腔セネストパチー」と正式に診断されました。今後も、大学病院で研究対象になる模様。また高機能自閉症の疑いを多くの人から受けております。)

Aベストアンサー

オタマさんこんばんは。

小っ恥ずかしい話ですが、

私は先天的な内分泌の障害を抱えていて、若い頃には親に向かって「てめぇがこんな体に産んだんだろうが」とか言って泣かしてたわけです。
三十になって、給料で両親を京都に連れて行きました。散策の折り、少し先行した私は、二人が追いつくのをのんびりと待ってました。
その時、
どういうわけか、思っちゃったんですね。
「オレ、この人たちのことが好きなんだ」
て。

これが私にとっての強烈な覚醒体験です。
遅いですか?
恥ずかしいなぁ。

そうそう
全く興味無いかもしれませんが、漫画の話をさせてもらって良いですか?
ジャンプ連載のハンター×ハンターでも、そうした覚醒の物語が描かれていて、今まさにそのクライマックスなのですが、こちらは恋による覚醒です。

オタマさんは、
大切なものを感じたことがありますか?

Q日本が豊かな国だと思う方、その理由を2、3個教えてください。(具体的な例もできれば、、) ちょっとし

日本が豊かな国だと思う方、その理由を2、3個教えてください。(具体的な例もできれば、、)

ちょっとした文を書きたいのですが、深く考えすぎてまとまらないのです。。

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

物乞いをする子供がいない。(ニューヨーク等のアメリカの大都市にはいます。)

ビュッフェでバッグを置いて席を離れても平気。通りに自販機を置いても平気。盗む人なんて滅多に現れないから。(アメリカ・ヨーロッパでは絶対無理!) 街中に置き忘れた物も警察を通して戻ってくる。
「他人の物を盗んだり横取りしたりする人が少ない」=「つまり貧しい人が少ない」ということが、基本的に日本には言えると思います。

生活保護受給者が近年話題になっているが、景気がいい時代が久しく続いていた英国ですら生活保護についてはずっと大問題になっているし、そもそも「貧しい人を金で援助する仕組み」が持てるのは、国民全体は豊かってこと。貧しい人があまりに多い国はいちいち受給なんてしていられない。

Q演繹ってなんですか?具体例お願いします。

帰納というと数学的なものでよく知っており、別のものから一般を導くものですよね。この反対の演繹が辞書をみてもよくわかりません。なにか難しく考えすぎていると思いますので、具体例か何かあれば教えてください

Aベストアンサー

演繹というのは、普通は「論理的に正しい推論を行って、一般的原理から特殊な原理や事実を導くこと」をいうのですが、実際の場面では前提から結論を見出すのは難しいのです。
たいていの場合はすでに結論があって前提からそれに至る論理が正しいかどうかを検証することになります。

それはともかく、演繹的推論の例を一つあげてみます。
前提a:私は1000円持っていて、1000円までのものが買える。

この前提が正しいとしてそこから演繹できることは、まず
私は1円のものが買える。(論理的に正しい)
私は2円のものが買える。(論理的に正しい)
・・・・
私は1000円のものが買える。(論理的に正しい)
という1000個の命題(結論)が導けます。

続いて、推論できることは
私は100円のものを買い、さらに900円のものを買える。(論理的に正しい)
私は100円のものと200円のものと300円のものを買える。(論理的に正しい)
など、(計算する気になれないほど)多くの命題(結論)が導けます。

また、別の推論を行えば
私は1001円のものは買えない。(論理的に正しい)
私は1002円のものは買えない。(論理的に正しい)
と、無数の結論が見出せますが、普通はこれは「1001円以上のものは買えない」と一般的な命題にまとめます。

さらに初めの推論と新たな推論を組み合わせると
私は100円のものは買えるが、さらに付け加えて901円以上のものを買うことはできない。(論理的に正しい)
などこれまた無数の結論が導けます。
----------------------------------
今度は「買う」という言葉に「所有権を獲得し、所有権にはそれを自由に処分する」という意味が含まれる(と一般的には考えられますね)とするならば、
私は100円のものを買ってそれを自由に処分することができる。(論理的に正しい)
という結論を導けます。以下同様の命題が導けることは自明ですから省略します。

また「持っている」という言葉にも自由処分権があると推論すれば
私はあなたに1000円あげることができる。(論理的に正しい)
という結論が導けますし、このことから
前提a1.私は1000円持っている。
前提a2.私はあなたに100円あげる。
結論.あなたは100円のものが買える。(論理的に正しい)
という結論が導けます。なお、注意して欲しいのは前提2も前提1から演繹できる正しい命題であることです。

ここで新たに前提を2つ出します。と言っても「100円のもの」、「600円のもの」という抽象的一般的なことに具体的なことを当てはめただけです。
前提b.100円でチョコレートが買える。
前提c.600円でラーメンが食べられる。

すると、前提a1、a2、b、cを組み合わせることによって
結論:私はラーメンを食べられるがあなたはチョコレートしか食べられない。
と言うことができます。

いかがですか。これは当初の前提aからは想像もできない結論であるかもしれませんが、実際には当初の前提の中に含まれていたものです。このように一般的な命題から特別な命題を引き出すことが演繹です。ただし、いまの場合には元の前提aに前提a2、b、cを付け加えました(とは言え無理な前提を付け加えたつもりはありません)から特殊な命題を引き出せましたが普通は----------------------の上の部分だけが推論としてひきだせるもので、考えてみればこれは当たり前のことなんですね。

演繹推論によって意外な結論が出て来るというのは、いくつかの前提の組み合わせによることが多いし、一般命題の個別命題(特殊命題)化の仕方によって、当初思われていたことよりも意外な結論がでてくるということでしかありません。

あまり良い例では無かったかもしれませんが、asao2345さんが、「演繹」についてある程度のイメージを持てるようになれば幸いです。

演繹というのは、普通は「論理的に正しい推論を行って、一般的原理から特殊な原理や事実を導くこと」をいうのですが、実際の場面では前提から結論を見出すのは難しいのです。
たいていの場合はすでに結論があって前提からそれに至る論理が正しいかどうかを検証することになります。

それはともかく、演繹的推論の例を一つあげてみます。
前提a:私は1000円持っていて、1000円までのものが買える。

この前提が正しいとしてそこから演繹できることは、まず
私は1円のものが買える。(論理的に正...続きを読む

Qアリストテレスの考える中庸の具体例で疑問があります

参考書では、中庸の具体例として

不足←中庸→過度
のようにあらわすと


臆病←勇気→無謀
鈍感←節制→放埒
卑屈←自尊心→虚栄


がありますが
節制は逆じゃないですか?

欲望の制御が不足すれば放埒になって
過度になると鈍感になるのではないのですか?


それとも、この解釈は
節制をしすぎた生き方はかえって大量の欲望をうみだし放埒な生き方をしかねないからよくない、ある程度節制を緩めて、ある程度の欲を満たすような生き方がいい

節制が欠けた生き方では、既存のあらゆる欲が満たされてしまい、新しい欲に鈍感になりがちだからよくない、ある程度は節制して欲を生み出した方がいい

よって中庸が好ましい


…と自分なりに考えましたが
どのように考えるのが正しいのでしょうか?

Aベストアンサー

徳の項目がないからいけないのです。

勇気は、「恐怖と平然」に関する中庸です。
節制は、「快楽と苦痛」に関する中庸です。

ですから問題ありませんね。
「快楽と苦痛の不足」が鈍感で
「快楽と苦痛の過多」が放埓です。
その間の節制と抽象化される状態にするのが美徳なのだと。


しかしながらあなたの説や解釈はなかなかでした。

何事も具体性が大事です。具体性によって思索に節度が伴います。


このカテゴリの人気Q&Aランキング

おすすめ情報