例えばアインシュタインの脳
テレビではなんか切ってもらってたりしてました
まぁ、研究とかなんやらに使うのでしょうが
はっきりいって嫌でした

そーゆーのってなんか自然の法則っぽいこと(?)反してるようで嫌でした

土とゆーか、自然に還る
それが私の中で当たり前の法則なんでしょうが

ドナーとかもそうでしょうね
自分の臓器とか提供したり
私は絶対嫌です

私は私として
私は私の身体で、ちゃーんと自然に還りたいものです

日本の医学の先端技術による人体をぐちゃぐちゃ扱ったり
みなさんどう思います?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (20件中11~20件)

死の考え方は、宗教観や育ってきた環境の道徳観によって、ひとそれぞれだと思います。


日本人は特に死体に特別な感情を持っているような気がしますね。
私はドナーカードを持ち歩いています。一応全部提供ということにしているのですが、今後わたしの考え方が変わるかどうかは今のところわかりません。
私は、どうせ灰にしてしまうのならば、使える部品をリサイクルできればいいかなという程度の考え方をしています。

でも、大学への献体はなぜかイヤなんです。
    • good
    • 0

僕も他の人に臓器提供してもいいです。


それに自分が何かで体を損なったら人の臓器でもヒヒの臓器(確か肝炎にならないハズ)でも機械のカラダでも生きていたい間は生きていたいです。

医学にたずさわる人たちは死体を冒涜するためにぐちゃぐちゃにしているわけではありません。

下で書かれているのと同意見ですが
死んでしまった体にはこだわりません。
ですが死んだ後に残る自分の名前にはこだわります。
出来るだけ自分の名を汚したくないものです。

生きているうちに何が出来るか。
死んでから何が出来るか。

でも脊髄移植はドナー登録が痛いし一日かかって面倒なのでイヤ。
    • good
    • 1

僕としては、脳死の判定をちゃんとやってもらえれば、あとは臓器でもなんでも自由にしてもらってかまわないです。


ぼくの言っている脳死は脳がドロドロに融けている状態のことです。
脳死した瞬間僕の肉体は単なる物体になると思っています。
    • good
    • 0

私も自分の臓器は提供したくない派です。


以前、大学病院で遺体の解剖に立ち会ったことがあります。私は
例え自分が何百万人に一人のめずらしい病気で、どうしても解剖したい と 
いわれてもいやだな というのが感想です。
でもね、教科書でしか人体を知らない人に たとえ盲腸でも手術してほしくない
とも思います。自分の子供が 誰かの臓器をもらえれば助かる と言う状況になれば どんな事をしても手に入れたい!とおもうだろうし。
とってもとってもプライベートなことだから、身近な人に自分の気持ちを伝えておく 程度にした方がイイのかな。。。誰かの役に立ちたい人はそうして、そっとしておいて欲しい人はそっとしておいてもらう って感じでね。
    • good
    • 0

私の事を言えばぐちゃぐちゃにされてもかまいません、というか必要な人がいれば髪の毛一本まで全部差し上げます。

ただし私の死体を処理するのは身内か関係者のはずですので、逆に言えばあなたや私が身内もしくは他人の死体を処理する場合はどうしますかと言う事しか現実的ではないと思います、当然の事、出来るだけきれいに自然に帰してと言うのが、たいていの人の「思いであったはず」だと考えて慎重に扱う事になることでしょう、これを倫理観と申すのでしょうか、したがって死体処理の選択肢は非常に狭く臓器提供や葬儀の規模(一部方法)を個人の意思を尊重して行う以外ほとんど複数の身内の正常な倫理観に基づいて処理されるのは間違いありません、法律もありますので、あなたの希望がかなえられる事はほぼ確実です。ご安心あれ。
    • good
    • 0

全ての生命が土から生まれて土に還るというのは自然でしょうけど、例えば掘り起こされたアルミナという鉱石はジュースの缶にされたあとゴミになっても土に還されずリサイクルされます。


人間の臓器ももはや使い物にならなくなったものが医療と言う技術によってリサイクルされる‥
そう悪いことのようには思えません。少なくとも他の方の役に立って欲しいと持ち主が望んだことなのですから。

‥まぁ、アインシュタイン氏は『脳をホルマリン漬けして研究に役立てて欲しい』などとは言わなかったでしょうが。

今のところは選択する自由がありますが、将来、臓器提供するのは人間の責務、法律化すべきっ!なんて思想がでてきたら怖いですね。奉仕活動の一環とかで‥
    • good
    • 0

いや~なんかマジな回答の人が多いな~



オレなんか死んだあとのことなんぞどうでもいいけどね・・・
だって今生きてる『オレ』が大切であって死んだあとの『オレ』なんかどうでもイイからよ・・・
知ったこっちゃないなぁ

臓器が欲しい人があればいくらでもあげますよ
    • good
    • 0

あなたの考えにとっても賛成です!!



というのは、人間のやることをそんなに信用できないからです。

例えば、ここに重態の、すんごい偉くて死んでしまったら何万人の命にかかわる、という人物がいるとする。新鮮な臓器が即提供されれば助かるけど、そんな簡単に見つからない・・・。と、そこに、身よりもなく財産もない、浮浪者が脳死状態で来るとする。とりえはつい最近まで元気で新鮮なだけ・・。意思表示のなんとかカードなんて無論持ってない。

とすると?どういうことに???

これは極端な想定ですけど、やっぱり他人様の臓器で復活!なんて一部の先進国の人間のできることであって、死ぬ時は死ぬ、のが地球全体で見たら普通でしょう。それを科学が進んでいる国の人だけ助かるなんて変だと思います。
全人類が、そうして復活できるようにこれからしていく気でしょうか?まさかね。
知人や親きょうだいが提供するならまだ許せますが、全く他人が提供して、しかもその名前は明かされなくって提供してくれた人の墓参りもできないなんて、あまりにおかしいと思います。なんて変な世の中なの、ごみのリサイクルもできない様子で人間のリサイクル。千年早いって思います。
回答になったかどうかわかりませんが、言わせてくれてありがとうございます。
    • good
    • 0

アインシュタインのケースがどうだったかは知りません


が、臓器提供に関しては本人の同意があれば他人がどう
こう言う筋のものではない、と思います。

>私は私として
>私は私の身体で、ちゃーんと自然に
>還りたいものです

…なら、あなたはそうすればいいだけの話です。
そのために登録制度があるのであって、同意しなければ
勝手にバラされる事は無いのですから。

ところで、逆のケースもお伺いしたいのですが。

仮に、あなたの身体のどこかに命に関わる重大なトラブル
が発生した場合でも、移植を拒否してそのまま死を選びま
すか? 自然の法則云々を言うのなら、そうでないと話の
辻褄が合わないと思うんですが…。
    • good
    • 0

私も 今の社会のあるがままにされたくないです


出来たら動物に食べられて 虫に媒介されて
土に返りたいと思います
死体を汚いとして 焼くという事もされたくないし
動物実験でもそうですが 人間の科学や医学の進歩で殺されるのも嫌だし

でも 死にたくないんで自分以外の人がされるなら別にどうでも良いです
動物だって弱者は虐げられるという自然の法則どうりだし文句は言えないし
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q自家用車で遺体運搬をしてはいけない?

きたるべき親の葬儀を業者にまかせずに身内だけで執り行おうとしている知人がおります。病院から遺体を自宅に引き取る際に自家用のワゴン車を使う予定ということですが、遺体を運搬するには許可を受けた特別な車両でなければならないのではないかという声があったので、詳しい方に事情をお伺いいたします。
おそらく事業として遺体運搬をする場合のことではないかと思うのですが。

Aベストアンサー

業者です。
おっしゃる通りです。
遺体運搬を業務として行う場合は、認可を受けた緑ナンバー車が必要ですが、
個人さまが、ましてや、お身内の方であれば、何の問題もありません。

ただし、先の回答者様が書かれたとおり、
医師が発行した死亡診断書、あるいは、死亡届提出後でしたら、
役所の発行した火葬(埋葬)許可証を必ずお持ち下さい。

ただ、どのようにお運びになるか存じませんが、体液の滲出ってありますよ。汚れます。
それを防ぐには、やはり、寝かせた状態でお棺に入れて運ぶのがベストでしょう。
普通車ではちょっと難しいかもしれませんね。

Q命が私を生きている そうなんだろうけど、そうだなあと思うことが自然だとは思わない。なんかスレてて

命が私を生きている


そうなんだろうけど、そうだなあと思うことが自然だとは思わない。なんかスレてて時を経てきたんだろうなと思います。

最初っからしっくりきてしまっては、
命さんとしては困ることでもあるんですか?

Aベストアンサー

これね、枝雀師匠の座右の銘みたいなものでした。
首を吊ってしばらくして亡くなっちゃったけど、仏教をよく学んでいた人でした。

命さんがお上で、私が手下、という理屈は足すところも引くところもない理屈なんですけれども、〈私〉というのは、〈私〉を否定し続けたら病気になるように出来ていて、〈私〉にOKを出さないと死んでしまうものなんですね。この、能動的な〈私〉に、受動的な〈私〉が否定ばかりされるようなことがあったら、もう、生きて行かれないのです。〈私〉が無いと命も生きず、また、命が生きているなら意識不明でも〈私〉はあるといえましょう。
だから、生きて命を守るためには、〈私〉が上で監視をして、ほどほどにOKし続けないとなりません。そういう心の(脳の)習慣が、一歩間違うと、〈私〉が上にあって命さんをどうとでもできる気持ちになってしまったりと、両刃の剣でもあります。解約希望さんの心が標語にしっくりしないのは、監視役の〈私〉が、〈私〉をOKしつつ命を守っているからで、また、それが人間の自然だからです。

Q遺体の運搬方法は?

父親がA県の病院に入院しており、いつ危篤になってもおかしくない状況です。
父が亡くなったら、親族の集まっている実家のB県の寺で通夜をしたいと考えています。
A県とB県の距離は飛行機で2時間の距離なので、父が亡くなったら、できれば遺体は飛行機で運びたいのですが、可能でしょうか?
それとも、引っ越し業者に遺体の運搬を頼むべきなのでしょうか?

Aベストアンサー

飛行機搬送ですが、そもそもですが、一般乗客の乗っている中で、乗客として乗せるのでしょうか? それとも貨物でしょうか?
まあ、航空会社はよっぽどの理由が無い限り断られると思います。
一般乗客であれば、周りに人の精神衛生上、良くない。貨物であれば、遺体の保存方法で、貨物室には空調が無いので腐敗が進むが・・・ それと、、取り扱ってもらったとしても、別途料金でかなり高額になる可能性があります。どうしてもであれば、航空会社に事前に相談されたらと思います。

自家用車で運ぶのも手ですが、段取りが大変なので、やはり遺体搬送サービスを利用するのが、一般的ではないかと思います。検索すると、AEONでも取り扱っているようです。

Q自然の法則

この質問は物理の欄で聞いてみたのですが、同じ質問を哲学に興味をもっている方はどう考えるか、是非知りたいです。その質問とは:

皆様もご存知のように「自然の法則」という言葉は、「Laws of Nature」と言う言葉の訳として作られた言葉ですね。

そこで質問です。英語には「 Law School」と言う言葉が在ります。同じ「Law」なのに、何故、江戸末期の日本人達は「Law」を「法則」と訳してしまったのですか? 江戸時代末期の日本人には西洋人の心が分からなかったのですか?

と言うものです。

物理欄での遣り取り、と言っても、お二方の遣り取りだけでしたが、

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4200407.html

に載っていますで、それも参考にしてみて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

追伸
「物理学者も含めて,西洋人は神を抜きして自然を語ることができないと理解してよいのでしょうか。」
西洋でも最近では神を抜きして自然を語る者が多いですね。思想的にはニーチェやマルクスが神を否定してますからね。また進化論が行き過ぎたせいもありますね。神を否定した物理学が行き着く先は「偶然性や確率論」ですね。
アインシュタインは神はサイコロを振らないと「偶然性や確率論」を否定してましたが「偶然性や確率論」で積み上げた理論に真理はないということですね。現代物理学も砂上の楼閣ですかね。ただ人間が発見したものは「法」ではなく「法則」程度だと思えばいいんじゃないかな。

Q遺体の運搬について

友人から聞いた話なんですが、貧乏な知り合いの奥さんが病院で病気で亡くなり、病院から自宅に奥さんの遺体を連れて行く際に通常は葬儀屋さんなどに依頼するのですが、お金がないため自分の車で運んだそうです。
もちろん病院から死亡診断書等の書類はもらったそうですが、遺体を普通に自分の車で運ぶのって何か法律とかに触れませんか?教えてください。
よろしくお願いします

Aベストアンサー

死亡診断書を携行していれば問題ないようですね。
要は、変死体と疑われることがないようにしなさいということでしょう。
私もわが子の遺体を運んだことがあります。

参考URL:http://www.kankon.com/kandir/qa/qasougi.htm

Q自然状態、自然権、自然法?

今、学校で啓蒙主義について勉強しています。そこで三人の人物について読まないといけないんですけどこれがよくわかりません。ホブス、ルソー、ロックの言う、自然状態とはいかなる物なんでしょうか?一応wikipediaは見ましたけど....はっきりとは掴めなかったですね。
自然権、自然法についても詳しく教えていただけないでしょうか。
自分なりに社会契約についてある程度リサーチをしてみたんですけど自然状態、自然権、自然法の三つがよくわからないんですよね。

Aベストアンサー

お邪魔します。
参考ページ、見ましたが、ルソーが書いてありませんね。

確か、ルソーは「人間不平等起源論」で
自然状態では、言葉も、過度の欲望もなく、平等で、孤立した暮らしができ
ポップスの言うような「万人の万人に対する戦争」にはならない、
と言った結論だったようです。

ルソーに関して、カントもこんな事を言っています
「ルソーは文明より未開の状態が望ましいと語ったが、われわれ人類がこれから登りつめようとしている最後の段階を見逃すならば、これはそれほど間違っていたわけではない」と

ルソーの「人間不平等起源論」は、文庫ですし、本文は割と短いですから、
読んで見ると面白いですよ、暇があれば、訳注も面白いですが、長いです。

はい、失礼しました。

Q 左足かかとが痛い!某一流運輸会社にて荷物を運搬中、台車にかかとをぶつけられました。

 じきに病院へ行くつもりですが、お金が不安で自分で治療したいと思い質問しました。

 ケガの応急処置法やケガの名前をご存知の方、どなたか教えてください。
 

Aベストアンサー

ぶつけられた所が腫れていましたら、まずは冷シップ薬をしてください。

腫れが引いても痛みが引かない場合は、医者で診察を受けてください。

腫れが引きましたら、温シップ薬を使用します。

費用は、大した事は有りません。

医者の場合は、触ってみて状態を確認します。
次に、念のために骨にヒビが入っていないか、レントゲンで確認します。
そして、シップ薬を出します。

Q自然は真空を嫌う

 「自然は真空を嫌う」というのは誰がいったことばですか?

Aベストアンサー

古代ギリシャ人のアリストテレスです。
         

Q遺体の焼却費用

葬式をしないで、遺体の運搬・焼却だけを葬儀社に頼んだらどれぐらいかかるでしょうか。

Aベストアンサー

「焼却」というと、死体遺棄みたいで言葉が悪いので「火葬」としましょうか。(私自身は遺骨灰は不燃ゴミにしてもらっていいんですが)

市役所(国保課?)で、「市民葬」(棺と花台のセットに斎場への葬送がプラス)の手続きをしたら、けっこう費用は安いはずです。
国保(あるいは社会保険事務所)のほうで、そのくらいの葬儀費用は出ますから、申請しておきましょう(自動では給付されない)

Q親鸞の自然法邇と自然外道

自然法邇を表す親鸞の言葉として最も適当なものを、次の(1)~(4)から選べ。

(1)悪を懲し善を進むるは、古の良典なり。ここを以て、人の善をかくすことなく悪を見ては必ずただせ。
(2)しからしむといふは、行者のはじめてともかくもはからはざるに、過去・今生・未来の一切の罪を転ず。
(3)貪欲なからんと思はば、先づ須らく吾我を離るべきなり。吾我を離るるには、常を観ずる是れ第一の用心なり。
(4)法華経流布の国に生まれて、この経の題名を聞きて信を生ずるは、宿善の深厚なるに依れり。

(2)が答えらしいのですが、現代語に訳すとどういう意味なんでしょうか。

他の選択肢についてですが、(1)はなんとなくわかりますが、(3)の「吾我を離るる」、(4)の「宿善の深厚なるに依れり」とは、どのような意味なんでしょうか。

また、道元は自然外道を仏教の教えに背くものと見たそうなのですが、「自然外道」とはどのような意味なんでしょうか。

Aベストアンサー

ちょっと字にミスがあるようですが、正しくは「自然法爾」。
親鸞のいう「自然(じねん)」というのは、natureのことではなくて、「おのずからしかり」「おのずからしからしむ」と読んで、「世界を今あるようにあらしめる働き」といった意味です。「法爾(ほうに)」も同じニュアンスです。この「しからしむ」という言葉を親鸞は非常に多用します。

われわれ人間は、いつも自分の分別を働かせることで、善悪を判断したり好き嫌いの気持ちを起こしたうえで、何かを求めたり避けたりといった努力をするものです。親鸞は、そのような個人の作為や思慮分別(=はからい)を完全になくした時に初めて、世界の現象や事物すべてが良し悪しを超えて「ただただそのようである」という本来の姿を現すのだ、ということを説いたわけです。そのことを親鸞は「阿弥陀仏に受け入れられた状態」とたとえました。

ご質問の部分は、『唯心鈔文意』という書物からの引用。直前で「自然」という言葉を説明して「自然というのは『おのずから』ということ。おのずから、というのは『しからしむ』(=そのようにあらしめる)という働きのことだ」、と書いています。
引用部分はこれを受けて、「『しからしむ』(=そのようにあらしめる)というのは、どのようであれ人がはからい(=思慮分別)を捨てた時に、過去や未来にいたる一切の罪が転じて善となることを指すのだ」と説明しているところです。

道元の批判する「自然外道」というのは、仏教一般の解釈とは少し違うのですが、平たくいうと「人間は何もしないでもそのまま悟った存在である」ということを説く立場のことを指します。その立場の代表が、バラモンの一派であるインドのセーニカ学派です。
彼らの主張は、「人間誰にでも、思考や感覚の中枢である“心”が存在する。これはたとえ身体が滅んでも無くならない常住不変の実体である。これは汚れのない清浄な存在で、その存在に気が付きさえすれば、それを悟りというのである」といったもの。この考えを、道元は『正法眼蔵』という書物のなかで繰り返し批判しています。

ただ、「人は本来、仏である」という思想は、大乗仏教ではいろいろと論じられてきた歴史があって、仏性論、本覚思想など非常に広がりがあります。道元は、必ずしもこういう思想すべてを切り捨てたわけではないので、実態は少々ややこしいものです。
ここではとりあえず、道元が否定したのは、悟りの本質に実体があること、そして、悟りのためには修行は一切必要ないという主張である、ととるとよいと思います。つまり、道元の否定した「自然」とは、「修行をしない、素のままの状態」という意味だということ。

吾我というのは、いわば「欲望や執着を持つ存在としての私」といった意味です。執着の対象の最たるものが自分自身であるので、そのように言うわけです。
「宿善の~」は、「前世で善行をたくさん積んできたおかげで」という意味。「宿」というのは、「宿敵」などと使うように、「前世からの」ということです。

ちょっと字にミスがあるようですが、正しくは「自然法爾」。
親鸞のいう「自然(じねん)」というのは、natureのことではなくて、「おのずからしかり」「おのずからしからしむ」と読んで、「世界を今あるようにあらしめる働き」といった意味です。「法爾(ほうに)」も同じニュアンスです。この「しからしむ」という言葉を親鸞は非常に多用します。

われわれ人間は、いつも自分の分別を働かせることで、善悪を判断したり好き嫌いの気持ちを起こしたうえで、何かを求めたり避けたりといった努力をするものです...続きを読む


人気Q&Aランキング