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他のカテで、仏教におけるあの世について、次のような説明がありました。

<三十三回忌で故人は菩薩の世界に入り、ご先祖様の仲間入りをします。
この間であれば、修行中です>

仏教では、(宗派によるのかもしれませんが)、あの世に行っても修業が続くのだ、そうです。
私のように怠け者は、”あの世に行けば・・・” などと言えません。

ところで、キリスト教では、あの世に行っても、修業のようなものが続く、のですか?

A 回答 (7件)

カトリックとプロテスタントで考えが違います。


カトリックでは、罪の結果としての「死」と捉えられています。

キリスト教では「死」を人間の原罪がもたらした刑罰と見なしています。
新約聖書には来世に関する具体的な表現はないが、教会での教説が精密化するにつれて天国、地獄・煉ごくの区別がつくられてきました。
天国では祝福された魂が無上の喜びを永遠に享受するが、地獄に堕ちた魂は神の領域から閉め出され苦しみを味わうとされています。
イエスは十字架を背負うことで人類の罪をあがない、復活したことを信じる者は、すべての死者が復活する最後の審判の場面において、永遠の生命を与えられると言われています。
死者は死後、次の5つの場所に行きます。(1)地獄:邪悪の人間が行く。(2)天国:キリストを信じ、徳に生きた人が行く。ここには肉の復活の希望がある。(3)辺獄:キリスト以前に生れた義人、徳高い異邦人たちは父祖の辺獄に行く。(4)幼児の辺獄:洗礼を受けないで死ん だ幼児は、幼児の辺獄に行く。リンボは天国と地獄の中間にある。ここでは地獄の苦しみはないが、神を見ることはできない。(5)煉獄:キリストを信じたが、罪を犯しその償いが果たされていない人間が、浄化のために行く。
ここはリンボと地獄の中間にあると言われています。
ここにいる人間は、罪悪感の為、火に焼かれるよ うな苦しみを味わう。もはや行為によって償いをすることができないので、苦悩によって償うのである。生者が死者に代わって功徳を積む場合、そのとりなしによって罰や苦痛が軽減されるという。祈り、喜捨、ミサはそうした役割をもつと言われています。

一方プロテスタントはあらゆる人間は生れながらにして罪人であり、死後永遠の地獄行きが定められている。ただキリストを信じ、「義」とされた人々だけが永遠に天国に入ることができます。
死後の状態は自分の力によらず、キリストの死と復活のゆえに、この恵みに対する信仰によって決定され、死後は神の御手に委ねられています。カトリックとは異なって浄罪界、煉獄もなく、引導や追善供養も無駄であるとプロテスタントでは説明しています。これは無慈悲な世界観だという感じがするが、それにたいして、死後に救いの手を差し伸べたいという気持があるのなら、なぜその人が生きている間に、その人を愛し、救いの手を差しのべなかったのか?それをしなかった埋め合わせとして、死んでから祈っても無駄であると考えています。信仰をもつ者にとっては死は神の祝福であり、プロテスタントの葬儀は生者のためのものであり、そこに集う者が信仰を深めるためのものであると言われています。

また、プロテスタントでは、人間の生涯は3段階に別れます。第1はこの世の生れてから死ぬまでの肉体をもった存 在で、第2は死んでから復活するまでの中間状態で、肉体のない不完全な段階である。第3はキリストの再臨後の復活した体における生活で、永遠に続く段階である。
この間もずっと死者は意識は持ち続けるという。誰も決して死後永眠することはないのである。不信心者は死後黄泉(ハデス)に入り、苦しみながら最後の審判を持っています。
キリストの再臨のとき、体の復活とともに永遠の苦しみである地獄に入る。信者は死後パラダイスに入り「神の御座にいて、聖所で夜も昼も神に仕え」(黙示715)て喜びと安らぎのなかで、 復活を待ち望んでいる。キリストの再臨とともに、故人の体が復活し永遠の喜びである天国に入ります。黄泉とパラダイスの間には大きな深淵があって、行き来することはできない。

これがキリスト教の死後の世界になります。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
丁寧なご説明よくわかりました。
カトリックもプロテスタントも、<精密>にかつ堅固に教義が造られているのですね。(それらは、二つの宗派が切磋琢磨した賜物かもしれませんね)
いずれの方でも、天国へ行けなかった者は、酷い苦しみを味わうのですね。キリスト教の苦しみに比較したら、仏教の修業はまだ穏やかで救いがありますね。(仏教は母親の甘さと言えるかもしれませんね。一方キリスト教は、父親の厳しさでしょうか)
最後に、カトリックとプロスタトに分けて説明して頂き、よく理解でき、私が今まで漠然と抱いていりたキリスト教のイメージが、大幅に修正ができました。

お礼日時:2018/03/16 15:58

とりあえず、いまを頑張って生きなさい。

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この回答へのお礼

回答は?

お礼日時:2018/03/21 06:44

天国へ行く。

そして神やイエスと一体になる。毎日宴会に招かれ、永遠のパラダイスが約束されてます。そういえはイエスの人生は33回のポイントがある。教会の鐘は33回鳴らす。同じだと思いました。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
天国へ行ける見込みのある人は、うらやましいです。
33は良い数で、回忌やキリストの地上での生涯の年数に採用されたのでしょうか?

お礼日時:2018/03/18 15:55

宗派によって異なりますが


キリスト教は天国か地獄(かその他)です。
天国か地獄かは
最後の審判できまります。
教徒は死んでから裁判の日まで、
墓の下で待機しています。
裁判の日はいつ来るかわかりません。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
天国へか、地獄へかが決まる最後の審判まで、
<墓の下で待機しています>
なのですね。不安の日々が続きますね。

お礼日時:2018/03/18 15:35

北山修は死んでない!はしだのりひこ、かとうかずひこ、二人はクリスチャンとなって天国に行ったかも知れない。

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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
誤解していました。
<はしだのりひこ、かとうかずひこ>
だったのですね。二人とも、帰って来てはいないようですね。

お礼日時:2018/03/17 19:48

あの世でも地球の公転周期は通用するのか。

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この回答へのお礼

あの世でも西暦は通用するのか?

お礼日時:2018/03/16 16:00

天国へ行けば修業はない、らくちん生活飯の心配がない、天国良いとこ一度はおいで酒は飲めないねいちゃんはきれいだ、天国へ行くまでが楽しい修業、キリスト教お進め。

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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
北山修は天獄へ行きっぱなしかな?
あるいは、生き帰ったのかな?

お礼日時:2018/03/16 16:15

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