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経理の仕事は人工知能でできますか?

A 回答 (5件)

おそらく、近い将来AIの仕事に成るでしょうね。


中小は、人手に頼るかも知れませんが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/03/24 12:19

経理の仕事は、昔は簿記の知識、そろばん、電卓の実力が必要でした。


でも、自動仕訳の機能を持った経理ソフトが登場して、素人の方でもデータ入力が可能になりました。
とはいえ、実際にお金を扱う仕事がゼロになるわけではないし、いろいろと判断に悩むような部分もあるので、経理の一部の仕事はAIで可能になるけど、全部ではないと思います。
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この回答へのお礼

全部AI化は無理と言うことですね。ありがとうございます。

お礼日時:2018/03/24 12:19

入力方法さえ工夫されればすぐにでも可能です。



1文字入れるだけで連想される仕分けが表示される機能は
既に確立されてて、一般でも使用されてるし、月間取引
(毎月決まって発生する取引、経費)も自動化されてる。

最終チェックも別のソフトウエアやAIが出来ますからね。

事務所の掃除も、完全無人で稼働させれば必要なくなります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/03/24 12:21

会社経営者です。



経理が難しいのは「その領収書や費用がどの項目になるのか分かりにくい」ということと「費用の処理で一定のやり方がある」ということです。

たとえば社用車とかパソコンなどの機械などは減価償却をしなければいけない、というようなことです。

今まではこれを「知識のある人間」が判断していたわけですが、AIも定型的な内容なら判断することができるようになります。社用車の使用年数・購入年・金額などを入力すればAIが自動的に減価償却した経理仕分けを行い、費用処理が難しいものでもAIが以前の処理の仕方を参考にし分けてくれるようになります。

したがって、今一般の社員が行っているような領収書纏めが終われば、それをAIが自動選別して大体の経理は終わるでしょう。後は経営的に必要な資金繰りや税務対策など「プロの経理の仕事」だけが人間が判断するものとして残ります。

経理部に10人ぐらい居るような会社(会社規模は数百人でしょう)は7人までは必要なくなるでしょう。
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この回答へのお礼

人間にしか判断できない部分もあるのですね。ありがとうございます。

お礼日時:2018/03/24 12:22

AIでは出来ないカテゴリの一つだと思っています。



システム化は可能ですが、AIを用いると難しいでしょう。



理由の一つとして法改正などの影響で経理上の判断に変更があるからです。

AIは線形的な解析(つまり数式による解析)が難しいものを、学習によって補完する仕組みです。

一般に道具として使われるシステム(と呼ばれるもの)は、

部品を組み合わせてお客の要望を満たす仕組みです。

なのでAIを部品として使っても問題はありません。

例えば、自動変換や推測などをサポートすることは出来るんです。

しかし漢字変換なども使用者の癖を覚えてしまい、誤変換をすることがありますよね?

これを戻すために、何度も正しい変換をしないといけません。

ここが問題の一つです。

チェスや将棋の様なものは、人が解析できないだけで、必勝手順が存在していると思われています。

この場合は学習量の多いAIが優位に立つはず。

しかし、チェスや将棋のルールが頻繁に変わってしまえば、AIは不利に成るでしょう。

人には話して聞かせ、変更を求められますが、現在のAIはそのインタフェース(手段)がありません。

再学習しか手段が無いということです。


技術が好きな人の多くはAIを好いており、技術者の多くはAIを嫌っているでしょう。

勿論、この両者は同一人物です。

同じ人物がどうして反対の主張をするのか?

後者はプロとして、ユーザーからの苦情を受けるからです。

このときに自己責任として自分が対処できれば問題ないのですが。。。。

しかし、

「申し訳ありません。仕組みを作ったのは私ですが、お客様の方で再学習をさせてください。」

「どのくらいやるの?」

「はい。弊社の提供しているAIは学習を2億回ほどくりかえしています。

 大変コストをかけている自慢のものです。ですのでその・・・2億回くらい?」

「あんた・・・。そんな製品売るんじゃないよ。」

と答えるしかありません。

そして、

「そんなことが起きるなんて私は聞いてないよ。何とか成らないのか?技術者だろ?」

と上司に言われるのは目に見えています。

「そうですねえ。じゃ私たちで大半をプログラミングしておきます。」

「それってAIなのか?」

「うーん。AIを使っております、とはいえますよ。」

「だがしかし、既存のものよりメリットが無いと意味がないだろう?」

「大丈夫です。今まで手を抜いていましたので、今回は利口に作ります。」

「おいおい。」

「いやあ、私たち技術者もインテリジェンスを持っていますから。

 これでさえ、人間による学習により磨かれたものです。人工知能ですよ。」

「もうわかった。苦情に対応できさえすればいい。」

となります。

つまり、変更や苦情への対応を考えたとき、言う事が変わるわけです。

ユーザーは苦情しか言えませんから、対象の仕組みが何であってもやることは同じです。

しかし、先ほどの上司さんの立場で考えれば、

技術者に苦情を言える分だけ既存の仕組みのほうがマシでしょう。

2億回ほど学習をする様に求める事態は避けたいですね。


とはいえ、大体の場合は数十回程度の間違い訂正で何とかなるものが大半だと思います。

システムの再開発を行う必要が無いわけですから、ユーザーにとっては大変価値が有ります。

さきほどの誤変換に対する訂正みたいなものです。



しかしこれも用途を限定しないといけません。

一回の間違いでも責任問題になる場合、これは全く使えません。

つまりミスが減点につながるジャンルでは活躍が難しい。

人が諦めていたものに対して、加点を出すジャンルには効果があります。

とはいえこれも「一般の人が」と付け加えないといけません。

大体のものは専門ジャンルで解析が行われており、専門書をちゃんと読めば答えがあります。

AIは、それ以上の良い答えを出せないという証明がされています。

答えの質では、専門家を超えられない部分があります。

ですので何度も繰り返す、わずらわしい部分に対して効果があると言えます。


次に問題になるのは、AIが何を学習しているか人には分からないと言う事です。

学習済みのデータを眺めてみ意味が汲み取れません。

人の脳を解剖して、解析するのと同じです。

人間でさえ、

「この人に何があったのだろう? どうしてこんな事をしたんだ?」

等と悩むことがありますよね。

AIも同じです。

AIが何を経験してしまい、何を学習してしまったのか、誰も責任を負えないんです。

ユーザーが学習させられると言う事は、ユーザーが責任を担わないといけません。

しかし、

「ええと。どうやると悪い学習にならないんですか?

 うちのAIはどうなんでしょう?」

と聞かれても、

「うーん。分かりません。

 人間がお手上げな部分を何とかするために作った仕組みです。

 なのでどのくらい正常なのか?とか、どうすれば治るのか?とか、

 どうすれば良い学習に成るのか?

 と言うのは科学の最先端のジャンルになります。

 私どもにはお手上げですね。」

となります。


優秀なAIほど多くの学習をしていますから、ユーザーの信頼を勝ち得ていきます。

しかし、ユーザーが気がつかないうちに、

ユーザーの責任で突然信頼度が下がるものは怖いと思いませんか?

人間であっても愛情が深まった夫婦、恋人、パートナーが、

知らぬうちに心変わりをしていたら怖いですよね。

「あのとき同じものを見て・・好きだと言った二人の心と心が今はもう・・・」

となります。

ですので、恋人が浮気をしたとき、自分に原因があるとし、

諦めずに再度恋人との愛を構築できるような方に向いています。

例え自分に利が無くても、無償の愛を注ぎ続けられる。

そういう人はAIを愛でられるでしょう。

AIの学習に取り組んでいる人は、実はそういう気持ちで取り組んでいます。

逆に言えば、

信頼していたものに裏切られたとき、怒りを感じる人にはAIの利用は向いていません。



長くなりましたが、

「これに間違いが起きても、私は笑って許せる。」

と言う部分に適用が出来ます。

いまAIの成果が報告されているものは、上に当てはまりませんか?

人間の様に振舞える事と、その間違いを許せるかどうかは別の話です。


少なくても、

「仕方ないとして我慢は出来る。」

と言うあきらめは必要でしょう。

ユーザーの個々の感覚に依存し、ユーザーの自己責任と言うのが本当の答えであり、

技術論ではありません。


AIが求められているのは、

人間社会の細分化(専門分化)と階層構造が閉塞感を生み出し、

ユーザー個人の感じ方や意見が無視されつつあるからだと思います。

相手が人間であっても、

ミスをしても反省しない、

こちらの感じ方を気にしない、

となれば、

人は対話をせず、仕方ないとして諦め続けることになります。

その場合は、既に信頼関係がありませんから、対象が機械であっても同じなんです。

「どうせ、話しても無駄なんだから。」


AIを求める気持ちの背景には、(自分の中に)話しても無駄だという諦めがあるはずです。

「それでも頼りにしないと生きていけない」

という、密やかな怒りが蓄積しているのではないでしょうか。

しかし、対話と言うのは要望だけで良いのでしょうか?

ユーザーであっても、

指導者や専門家がどんな苦労をしているのか知っていないといけないはずです。

「この状況にしては凄いマシ。」

と言う評価を、求める側もしないといけませんよね。

しかし、細分化と階層構造が進みますと、互いの苦労を知ることが出来ません。

そこで私は、自分の手でやってみることを勧めています。

私たち人間は、これ以外で相手を知ることが出来ません。

感動や尊敬、感謝はここから生まれると思っています。


古来から続く社会と言うのは、人が労働をすることを前提に作られています。

そのため、人をマネージメントする立場の人に情報が集まり、

その立場の人は色んな人の苦労を知り、人生を知り、感動を知ります。

しかし、現代では自動化をする技術者ばかりにこの情報が集まります。

マネージメントをする立場の人に成長の糧(学習する情報)が集まらないわけです。



勿論、組織のトップも、

ピラミッド構造にありがちな、現場情報の不足を警戒しています。

しかし、現代は現場の底辺の更に地下に、技術による逆ピラミッド構造ができています。

現場ですら、実施について知らないとなります。

現場が最端ではないんですね。

地下の最奥に汎用的な技術を研究する研究者がおり、

こちらに現場情報が吸い上げられ、

(このサイトのように)インターネットを経由して蓄積され、

人間社会の上層にはエスカレーションされなくなっているんです。


しかし、いまも人は人に苦情をいい、助けを求めます。

しかし、その構造には長いこと人情という情報が流れなくなっております。

これでは対話や感動が生じなくなってしまいます。

互いが互いを信頼せず、機械やAIに置き換えるべきと言い争ってしまいます。

これは全くの無駄でしょう。

私たち人間は何故AIを求めるのかを考え、自らの手で(試しに)実施することが必要です。

ここから対話を生むこと。再度それを思い出すことが大事だと思っています。


以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

AIでは難しい部分もあるのですね。詳しくありがとうございます。

お礼日時:2018/03/24 12:23

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