プロが教えるわが家の防犯対策術!

父親の浮気が原因で高校2年生の冬に両親が離婚しました。小学2年あたりで父親の浮気に気づいて、小学3年で母の相談に乗っていました。
母は大好きでしたが、物心ついた頃には父は汚いものと思ってました。母の愚痴を聞いていたからかもしれません。でも、足が臭いとか、シャツの汗ジミが酷くて落ちないとか、物理的な汚さが原因でした。内心は母より物知りで、ピアノが上手で、たまに作ってくれるゴハンが豪華で、母に叱られたら影で励ましてくれる父がほんの少しは好きで、信頼していました。
浮気は私が生まれる前から度々あったそうです。私と同じ名前のキャバ嬢とのメール、怪しい名刺だけならよかった。父が会社でうまくいかず精神を病んだ(フリ)をして家を出たり、自殺未遂(睡眠薬何粒かと酒、浅ーいリストカット跡、本気で死ぬつもりがないのが分かった)をした挙げ句逃げ込んだのが、浮気相手の店でした。家族(母、兄)は本気で心配して捜索願をだして、GPSを辿った先には浮気相手に邪険に扱われてる(ただの客にすがられて困ったのだろう)父がいたそうです。中2の春でした。それまでの浮気(私が知るのは5回)があったから諦めを感じました。いつも人生に絶望しました。
その後父は会社をクビになり、突然の無一文になりました。母の稼ぎが追いつかず、何ヵ月か生活保護を受けました。中3の夏でした。テレビやネットで生活保護者がどう言われてるかよくわかっていました。もとの家に住めないからと引っ越して、お金がないからと公立で確実に受かるところ1校のみの受験しか許されませんでした。恥ずかしくて悔しくて、よく死にたいと思いました。そしてついに、私が大学受験を考えていた高校2年の冬、一円の生活費、養育費も払わず父は離婚届をかいて、何回めかの浮気相手のもとへ発ちました。いきたいところが私立の薬学部だったので、とても母には言えませんでした。母は毎日働いて今通う公立の看護専門学校に送り出してくれました。高校の成績が4,7だったので、指定校推薦で合格しました。面接では嘘だらけの動機を挙げました。世間体や収入の安定、就職の容易さが本当の動機です。
こんな動機で入学したので、筆記試験は優、悪くて良ですが、実習にはいるとボロがでて(人(患者さん)に関心がないと言われます。自分ではあるつもりなのですが。)一つだけ可の成績でした。実習がとても辛く、患者さん、教員、スタッフの方への申し訳なさ、自分の不甲斐なさや自己中心性を痛感し、どれだけ自分がいないほうが周りのためになるのかを思い知らされます。また、近年の若者のメンタルの弱さのせいと言われたらそれまでですが、今年で新入生が10数人辞めるほど厳しく?(理不尽なことが多いのです。)私もある事があり、辞めたいと母におもいを伝えると「あの人にそっくりだね。そうやってすぐ諦めるところ。」と言われ、またそう思われる方が怖くて、毎日学校に通っています。
高校の親友1人だけが友達で、学校には誰も友達はいません。みんな良くしてくれていますが、昼休みなどは一人で勉強をする方が心地よくて、そういう態度でいるといつのまにか「真面目だね」「なんで勉強なんかしてるの」と引かれてしまい、一緒にペアやグループが組めなくなるのです。高校では勉強は学校でしなくても良かったけど、専門では知識量も課題も多く、成績を維持しながら、唯一楽しみな家で寛ぐ時間を確保するために、学校で片付けたいのでしょうがないと思おうとしています。でも、孤独で寂しいです。
昔から人見知りで、一人遊びや兄と二人で遊ぶのが好きな子供だったので、もとから人への関心より自然や絵画への関心が強いのは確かです。しかし、父とのいざこざで、人を信じられない(家族だって裏切るのだから)、信じてはいけない、また傷つくかもしれない(その可能性はけして0にはならない)と、人と関わること自体が傷つくリスクを最小限にするために最大限の配慮をするストレス溢れるものに思えてしまいます。母と友達はそのストレスがごく薄いので、とても居心地がよくて、依存してしまいます。父のような人が全てではないのはわかるのですが、いつも不安なのです。この不安はなにをやっても毎日襲ってきます。患者さんが笑ってくれた日も、友達と遊んだ日も。この不安と同じくらい大きい不安は、母が先に死ぬことです。それを思うと涙が止まりません。だから、先に死んで母に看取って欲しいと、親不孝だとは思っても願わずにはいられないのです。母は唯一の家族です。兄は発達障害の影響か、定職につかず(すぐトラブルをおこす)金が尽きると私達2人の食糧を盗む、年間100万円かかる私立高校(兄の希望で)を2年で成績奮わず退学になるなどで、同居していますが、生活費は別です。(払えなくて結局母1人が払っているが)私には母しかいません。失う前に死にたいのです。
私はこの恐怖は全て自分以外のせい(おかげ)だと思うのです。例えば、この考え方を構成するのは、生来の性格や今までの経験、つまり脳と環境です。脳は自分のようだけど、この脳も父の精子と母の卵子が受精した自分以外のなにかの賜物です。だから私も、私がこう考えることも、自分以外のなにかが決めているのです。なのに、あたかも自分らしく生きる=自分の責任で生きる、ように扱われてるのが怖いのです。自分が分からないのに自分を求められるのが怖いのです。だけど死ぬという訳のわからないものをするのも怖いのです。これは、生きてる人ならみんな思うことなのかもしれません。私が自分を生きることから逃げたいだけかもしれません。
答えが欲しいです。自分が存在するか、存在しないのか。それがわかれば、もう少し生きやすくなると思うのです。楽しいことも、幸せなこともあります。だからといってこの答えを有耶無耶にして生きていくには恐ろしいのです。

A 回答 (1件)

とても壮絶な人生を歩んでいる最中なのですね。


自我の形成で悩み苦しんでいるのでしょうか。私の母は看護師ですが私が小学生の時に看護専門学校に通っていて実習や人間関係、その後の仕事の愚痴を聞いていたので「大変」の言葉で表せられないような苦悩の中頑張っていられるんだろうなと思います。
『嘘だらけの動機』とおっしゃりましたが、看護師を目指している人100人が100人、世のため人の為正義感を持った奉仕精神で目指しているわけではないので安心してください。世間体、収入の安定、就職の安易さで就職を決めたのは私の母もです。他にも友人が看護師をしているのですが、実家が医療関係の仕事に就いていて親の押し付けで嫌々なったと言っていました。
自分が生きて行くために看護師になりたいと思う投稿者様を自己中心的だと私は思いません。

実の所、私の父も浮気で離婚しており人を信じられない(家族だって裏切るのだから)傷つくかもしれないという考えは共感できます。
傷付くのが嫌で他人に気を遣いすぎてしまいストレスが溢れるというのも共感ができます。

唯一安心できる人が居なくなったら、と考えると不安になりますよね。私も以前は祖母が質問者様にとっての母の様な存在でその漠然とした不安が襲ってきていました。

自分らしく生きる=自分の責任で生きるように扱われるのが怖い、自分がわからない。「何がしたいの?」という質問が怖い。

自分が存在するのか、存在しないのか。の壁にぶち当たった事がありました。

結論から言いますと貴方は存在します。その不安や葛藤に苛まれているのは紛れもない貴方自身なんだと私は解釈しました。
自分が存在しない人はそもそも自我の有無について思考できないと思います。

「自分が存在している」という定義は何か、自己の確立、自己肯定感、総じてアイデンティティを分かりやすく明確に実感するには自分一人だけでは中々難しいかもしれません。
また、疑心を持った信用できない他者から与えられる言葉や評価で実感するのも中々難しいかもしれません。

脳は父と母からの遺伝子で、性格は今までの環境で形成されたものという考えで、それを前提としてアイデンティティが失われている状況と解釈したのですが、遺伝子は変えられませんし性格も変えることは安易ではないでしょう。ですが【思考の選択】は自由です。これからの色々な価値観に触れ、「自分以外の何かの賜物である」脳(道具)を使って思案し得た価値観(スキル)は貴方自身のものになるのではないでしょうか。脳は人間が生きて行く上の道具でしかありません、それを使い何を得たかが重要になるのではないかと思いました。

これから貴方は社会に出て色々な人と接していくと思います。あり得ないぐらいに横柄で傍若無人な人や、自分には無い考え方を持つ人、様々です。
そういった人達の価値観や思考を見て思案し、良いものは取り入れ悪いものは反面教師としアイデンティティの構築、己自身のスキルアップの為にカスタマイズして過去の家庭環境に縛られていない自分を創り上げていくと良いのではないのでしょうか。

ここからは蛇足で私の価値観になってしまうのですが、よく「人間関係は人を信じる事から始めろ」と言う人がいます。ですがそれをあまり良くは思いません。無条件な信頼なんて私には無理です。メリットとデメリットを天秤にかけ自己犠牲の精神でデメリットを選ぶ人間はそうそういないし、他者への期待の押し付けになると思うからです。
かといって信頼していない他者との関係は軽薄になってしまい、なんとも言えない孤独を感じてしまいます。
なので私は「この人にならどんなに酷い裏切り方をされても構わないと思える人を信頼する」ようにしています。中々そう思える人と出会う機会は多くありませんが、そう思える人と出会えた時は気遣いをし過ぎて疲れるのではなく、相手の為に何かしてあげたいと自発的に思えるようになり、生きやすくなりました。

長い文章になってしまいましたが、この文も私自身の一つの考え方です。
「こうでなければいけない」「こうあらなければいけない」ではなく「こうでありたい」と思える出来事や、貴方の人生を豊かにしてくれる人達に沢山出会える様に願っています。

長文失礼しました。
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この回答へのお礼

とても丁寧な回答ありがとうございます。私の思いこみや固定的な考えが余計に自分を怖がらせていたのかもしれません。回答を読んでいると、これらから解放されて、許されているようで安心しました。
志望動機が不純でも、自分が分からなくても、生きることが恐くても、それを悩む自分からは逃げていたから、もっと自分が分からなくなったのかもしれません。まずは、自分がいることを認めることから始めます。
また、見知らずの方(私が信用してなかったはずの)しかも看護の先輩から、こんなに心をかけていただいたことが驚きであり、幸せだと思います。本当に嬉しかったです。ありがとうございます。この質問をかいてよかったです。この質問をした自分の選択まで自分以外のせいにはしたくないと思いました。自分の人生を生きていれば、恐くても幸せなのかもしれません。自分の人生をもう一度諦めないで、少しずつ歩こうと思います。本当にありがとうございます。

お礼日時:2018/03/26 11:34

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