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私は将来、環境問題に取り組む仕事に就きたいと思っています。
もうすぐ受験で、大学もそのような進路を選択しました。
しかし、最近、ある疑問が頭から離れなくなり鬱気味になってしまいました。

それは、“人間という生き物は何故存在するのか”です。
環境問題の現状を目の当たりにする度、泣きたくなるほど悩みます。

日本の朱鷺が絶滅したとき、過去に絶滅した動物のリストを見ました。
自然の流れで消滅していった種もありますが、明らかに
人為的な原因で絶滅してしまった種が圧倒的に多いです。ドードーなどがいい例です。
また、オランウータンなどの希少動物が闇取引されていることも知りました。
実体験では、沖縄の海に潜って死んでしまったサンゴ礁を見たことがあります。
このような現実を知るほど、私は自分も含めて人間が嫌になっていきます。

環境保護は結局人間のためでしかなく、非常に傲慢な考えですよね。
こんなにひどいことをしてきた人間を守ることが環境保護の目的なら、
私はそんな仕事やりたくないと思うようになってしまいました。
「人間がいないことが一番の環境保護なんじゃないか?」とか
「人間さえ存在しなければ絶滅しないで済んだ動物もいるのに」とか
「どうせもう手遅れだしいつか人間は滅びるんだから何をしても意味ない」
という思いがいつも頭のなかをぐるぐる回って、
以前では考えられないほどまで勉強する意欲がなくなりました。

私はどうすればいいんでしょうか?
アドバイスお願いします・・・。

A 回答 (8件)

お気持ち良くわかります。

わたしも同じことをよく考えますから。
人間さえいなければ、と思うんですよね。

でもねー、既に人間の手が入ってしまった部分は、もうどうあがいても元には戻らないんですよね。
ただほったらかしにしても以前のようには戻らない。
人間がいなくなればドードーがよみがえるかと言ったらそれは無理だし、今佐渡で繁殖が進んでいるトキをそのまま空に放したら増えるかと言ったらそうではない。
今人間が消えてしまったら、助かる動物もいるかもしれませんが、消えていく動物もいると思います。今のパンダなんか、全体数が少ないために自然ではとうてい繁殖できません。

人間はどの動物よりも弱いのです。踏みにじることは出来ても、支えることは出来ない。他の動植物が下で支えてくれるから生きていける。食物連鎖の頂点は他の物に何も与えられないのです。
だから一度壊した自然を守ろうとするのも当たり前です。それがなくなったら弱い人間は生きていけないから。守ることが唯一出来る方法なのです。

miulさんが人間の愚かさに涙して、道を変えてしまうのは自由です。
けれど、あなたのように悩みながらも守ろうとする人がいなくなってしまったら、それこそ坂道を転がるように滅びる物があるのではないでしょうか。
人間を世界から消し去ることは出来ません。戦争で滅ぼすか、巨大隕石が落ちるか、不治の伝染病でも蔓延しない限り。けれどその時は一部の他の動植物も一緒に滅びてしまうでしょう。
人間は生き続けてしまう。ならば、他に危害を及ばさないようにくい止める必要があります。miulさんにはそのくい止める人になって欲しいです。
諦めずに頑張ってください。
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この回答へのお礼

>人間はどの動物よりも弱いのです。踏みにじることは出来ても、支えることは出来ない。他の動植物が下で支えてくれるから生きていける。食物連鎖の頂点は他の物に何も与えられないのです。
だから一度壊した自然を守ろうとするのも当たり前です。それがなくなったら弱い人間は生きていけないから。守ることが唯一出来る方法なのです。


この言葉のお陰で目が覚めたような気がします。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/27 14:04

他の方たちから素晴らしい回答が寄せられていますので、


私からは一言だけ。

人間を勉強してください。

具体的には、哲学・宗教の分野になります。
環境問題を専攻した人は、とかく唯物論的な思考に陥り
やすいのが欠点だなと、常々思っています。

人間も動物の一種だ。
 ↓
人間が環境破壊の最大の原因である
 ↓
人間を減らせば、環境問題が解決する

こういう短絡思考に陥りやすいんですね。
また環境問題に関わる人の中には、共産主義から転向
した人も多く、そういう人たちの意見を聞くと、とかく
現在の文明や人の生命を軽視するような発言が多いです。

環境問題に取り組むことも大事ですが、それだけでなく、
より広い大きな視点から、人間と環境の関わりについて
考える時期が来たのでしょう。


一口に宗教と言っても、バカにはできませんよ。
原始神道の中には、自然を崇拝し自然と一体となる
思想もありますし、仏教を学べば人や生き物の生命の
大切さに気づかされます。

一つの分野を深く学ぶことも重要ですが、一つにだけ
こだわると、視野が必然的に狭くなります。
環境問題だけにとらわれずに、より広い大きな視点から
問題解決の道を探してください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
私はまだまだ知識がなさすぎですね。
大学ではしっかり勉強したいと思います。

お礼日時:2004/10/27 14:15

>「人間がいないことが一番の環境保護なんじゃないか?」とか


>「人間さえ存在しなければ絶滅しないで済んだ動物もいるのに」とか
>「どうせもう手遅れだしいつか人間は滅びるんだから何をしても意味ない」

具体的且つ実行可能な解決策を放棄して,
人間原理に基いた一番辿り着き易い大元の否定に
辿り着いてしまっているように思われてなりません.

また,視点の問題です.
質問者さまは,人間が絶滅させた天然痘ウィルスの話を聞いて,
オランウータンと同じ観点で考えられますか?
生ゴミをためこんだ台所,ゴキブリやコバエが喜んでいます,
無意識でも結果的に「動物保護」です.
ヘドロろで埋まった川,嫌気性細菌は「なんて素晴らしい環境にしてくれたんだ」と
きっと大喜びです.

>「どうせもう手遅れだしいつか人間は滅びるんだから何をしても意味ない」
その論理は,「どうせ地球は50億年後になくなるんだから,
(環境保護とか動物保護とか)何をしても意味がない」と同じだと思います.

質問者さまや私がいまパソコンで使っているエネルギー,
×10億人,これらは最終的に熱として全て放出されます,
その環境負担は大きなものです.

私は,人間として生まれて来て,そういう問題に気付いてしまった以上は,
自分の出来る範囲で,人間が「いやだなぁ」と思う方向に
環境を変えないように生きて行きたいと思っています.
全ての生物の環境を守ることは出来ません.
ある種の環境は,ある種にとって地獄です.

それならば現状維持,今を努めて変えないことだと思います.

その為に身近なことから始める,そして幸運なことに私は工学を手段として,
地球の喜ぶ仕事をしていると信じています.

みんなで,頑張って行きましょうよ.
そしてそれがもうムリだ,どうやっても他の生物と共に人間も大絶滅に巻き込まれる,
そのときにようやく,人間と言う種は終わった,と言えるまで.
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
地球の寿命をまっとうさせてあげるためにも
みんなで協力して頑張っていかねばと思いました。

お礼日時:2004/10/27 14:13

 私は幼少時に、なぜ自分はここに存在しているんだろうか?と真剣に考え込んだ時がありました。

宇宙の起源、太陽系・地球・生命の起源・・・縄文時代から現代までと・・・。

 今でもこのようなことへの関心は変わりません。地球上で人間が生存して(生活を営んで)いく上での最も必要な物は食糧です。野生の動物や植物を直接確保して食べるのが一番有効なのです。魚や野草など、昔は皆そうでした。でも、次第に産業の技術革新などで大量に生産調達できるようになりました。田畑を開墾したり家畜を飼育したりとすべて本来の自然の回復力を越えた環境を生み出してきているのです。もはや、地球の資源を食い潰し過ぎています。人間(人類)が多すぎるのです。このために、自然を後世に残そうとして国連の地球サミットで「生物の多様性」とか「健全な生態系の持続」などが叫ばれているのです。日本もこれに参画しています。

>という思いがいつも頭のなかをぐるぐる回って、
>以前では考えられないほどまで勉強する意欲が・・
 行く当てもない雪原で、振り返った自分の足跡を見て何か感じるのもよいでしょう。でも、次の一歩(片足)をどこに下ろそうかと考えるのもよいかと思います。自然破壊などのマイナス面も気になりますが、希少動物など人間に保護管理されて個体数が増加後に野生復帰された例もあります。
 あなたのような方に、真摯に環境問題に立ち向かって欲しいと思います。あまり力まずに頑張ってください。
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この回答へのお礼

私は少しネガティブすぎたのかと思います。
環境問題に立ち向かうためにも強靭な精神力を鍛えなければなりませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/27 14:12

全てについて私の意見を述べると、字数が足りないので一点だけ。


>環境保護は結局人間のためでしかなく
質問者さんは一部の人間のせいで人間全体に嫌悪感をお持ちでも、「地球を守る」事には否定的ではないようですね。でしたら、未来の為に頑張れると思いますよ。
つまり、天変地異か自らの環境破壊が原因かは別として、人類が滅びた後の話です。
環境学に興味をお持ちの方に「釈迦に説法」かも知れませんが、地球史の中では人類なんてちっぽけなものです。
どう考えてもいずれ滅びてしまいそうです。
しかし、恐竜が滅びた後に哺乳類が環境に適応したように、残された生物の中から残された環境に適応するものが出てくるかもしれません。
そして、その可能性は残った種族が多ければ多いほど高くなるのです。
現状の環境を守る=なるべく多くの種族を守る、と言う事は未来への希望の種を残すとも置き換えられます。
環境保護は、少なくとも人間の為だけではありませんよ。

もっとも、天文学からすると、地球の寿命も見えてきてしまうし、もっと言えば宇宙すら最後は無に帰るということなので、そもそも自分の生きている時代以降の事を大きく考えると「全て無駄」となってしまうんですけどね。
いずれにしても、質問者さんの優しい考え方は、一歩間違うとテロリストや妙な宗教につけ込まれ易い思考なので、気をつけてくださいね。
愚かな所業をする人間も多い世の中ですが、まともな人、尊敬できる人間も結構いますよ。
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この回答へのお礼

そうですね。最初からあきらめないでできることを尽くしたいです。
こうして意見をくださった人のためにも頑張りたいと思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/27 14:09

地球上に、初めて光合成を行う生物が誕生し、大気中の酸素濃度が急激に上昇したときに、酸素に抵抗性のない多くの生物が絶滅したと考えられています。


このように、他の多くの生物の絶滅を引き起こした生物は、人類のみではありません。

また、氷河期の到来や、その他の様々な環境の激変により、生物の大量絶滅が起こったことも、地球の歴史ではめずらしくないでしょう。

人間のための環境保護を目指すことは、傲慢といえば傲慢ですが、それは悪いことでしょうか?

#1さんもおっしゃっているように、人類も、地球の長い長い生命の歴史の中で生み出された、地球上の生命の一員であるわけで、その人類が住みやすい環境を目指すことも、自然の営みの一つであり、「地球」の進化の一つの段階とは考えられませんか?
地球にとって、確かに人類はわがままで、出来のわるい存在かもしれませんが、人類も地球の子なのです。出来のわるい子供だからといって、地球は、人類の滅亡を望むでしょうか。

むしろ、人類がいなくなればいいんだなどと考えることこそが、人類を特別視した傲慢なことだとも思えませんか?

科学的ではありませんが、あえて、「地球」を擬人化してみました。(ガイアという考え方に近いでしょうか)
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この回答へのお礼

とても興味深い意見でした。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/27 14:07

簡単に選んで何も考えずに進むよりもそうやって悩んで苦しんで一歩一歩進むのが最もよい道ではないかと思います。

人の経済活動そのものが地球環境に悪影響を与え続けているのを認識して、それに目を背け隠遁するのはただの逃げではないでしょうか。
現実を直視・認識したのならばとことん追求し続けるのがあなたの進むべき道ではないでしょうか。仕事として見つめるのであればなにも日本国内だけで考えなくとも国連というところもあります。目線を僅かだけ替えれば視界が大きく変わるものです。どうか意欲を無くさず進んで下さい。
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この回答へのお礼

まだまだ子供なので悩んでばかりです。
でも、無駄な時間ではないのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/27 14:05

環境問題というのは、


人間が生活しやすい環境を整えるためのものです。
極論してしまえば、
全ての生物が死滅しても、放射能が蔓延しても、
地球環境として見た場合では、
なんの問題もないのですから。
        
人間も自然の一部ですから、
「人間が絶滅したほうが・・・」
と考えるのは本末転倒ですよ。
              
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/27 14:02

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