14歳の自分に衝撃の事実を告げてください



炎上(ネット用語)ーウェブサイトに批判や非難のコメントなどが殺到する状態。(wiki)

日常生活の中でも、ふと本音を漏らしたときに周囲の人たちから、強い反発やら、苛め
のような行為を受けたという経験を持つ方もおられると思います。
このようなことも広く「炎上」とした場合、現代日本は炎上社会・炎上文化と言ってよ
いのではないかとの指摘は多く存在します。

1.「炎上」という現象、(もはや文化?)についてどうお考えですか?

2.「炎上」が怖くて、本音を封印していますか?

3.本音よりも、周りに合わせることを優先していますか?

4.その他何でも結構です。

A 回答 (12件中1~10件)

概ね同意です。


少し余談を。

最近、タスクが増えすぎて思考を言葉でモニタリングする事が難しくなって来たので、モニタリングをやめて、バックグラウンドで思考を走らせたりタスクを減らしたりしています。

歳を意識した振る舞いをする事は、案外、社会活動をする時に安定をもたらすなと思う次第でして、カタチから入っても良いかなとか思ったりすることもあります。
私はまだ苦労の途中です^^;
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この回答へのお礼

>概ね同意です

了解。

人間、年齢を重ねて、社会的立場が重くなっても基本的には自由に生きたいもの
ですよね。

でも、今の日本の社会ではその自由さが時に炎上の火種になるわけで、全く息苦
しい世の中です。

ですから、良識的な振舞いはするべきではありますが、上っ面を整えただけにな
ってしまうことになったら虚しいだけだと思ってしまいます。

ロックンロールな人間ですから…

お礼日時:2018/07/15 17:23

世代間の断絶について。


大家族から核家族、核家族から一人暮らしと、家庭は縮小して来ました。断絶が行われて来たのは事実でしょう。独身は気楽でいいとか、一人暮らしは自由だとか言うのはどうも短絡的である様に思います。
家族制度に縛られるのは違いますが、家族を失うと言うことはそれだけ生き方が変わって行くという事です。これが吉と出る様に新たな価値観を生み出す必要があります。
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この回答へのお礼

家族の問題も、きわめて重要な問題であるはずです。

近い将来、結婚できる人は極端に少なくなるだろうという指摘があり、私も
そうなるだろうと思っています。

現在でも、収入のしっかりした男性が、結婚について苦労をしていたり、結
婚というものを人生設計の中から外している人が少なくないようですから。

家庭そのものの数が激減するということは、かつて我々が受けてきた恩恵が
受けづらくなるということで、それに代わるあるいは補佐をする存在が必要
だということになるでしょう。

いずれにしましても、「法整備」だとか「仕組作り」といった表面的対応で
事足れりとする風潮は嫌ですね。そんなんでよくなりっこないですもの。

実は彼の考え方はあまり共感できないことが多いのですが、ホリエモン的改革
が必要であろうと思っています、何事においても。

それは、自立した男性が成しえることでしょう。

お礼日時:2018/07/14 01:04

子供の頃、アメリカンホームドラマの様な家庭は存在するのか?と疑問を呈した日記を書いた憶えがあります。

フルハウスだったかな、憧れていたんですね。
私の家は両親が共働きの核家族で、一生懸命育ててくれたとは思いますが、明るい健全な家族と言うものではなかったと思います。

家庭内における役割や立ち位置、責任感などを感じる事なく私は育ってきました。今も社会に対し果たすべき責任と言うものを意識できていません。これは悲しいですが大人になれていないと言うことです。私が考えるのは、いかに自由に生きるのかと言うことです。これはバランスの問題とも見れますが、この自由というものの扱いを誤って、自立性の低い個の集まりが、自立性の高い個達にぶら下がると言う歪な社会の形を生み出しているのかなと思います。

自分勝手に好きに生きるのが自由ではないですし、社会における役割の型通りに生きることが責任を果たすことでもありません。これらのことについて深く再考すべきなのでしょう。個人的には何か見出せそうな地点まで来ている気はするのですが、確定していないです。

人類を大きな家族として見て、社会につながって行くことが、自由や自立、役を持つ事の実現になる気がします。
その初歩が、家庭にあるのでしょうから、提起された同胞嫌悪や依存の話は、実に的を射ていたと思われます。
上下関係ではなく、対等な関係を築くのに自由という概念は鍵になると思われますし、世界の中で生きると言うことは自立して生きるという事であります。

炎上の話からとても根本的な問題へと進むことが出来、良かったと思っています。

ただ、さらに別の観点を用意しておくなら、素朴な人間の思いやり等は、今してきた様な話を必要とするのか?という事です。素朴なものでどこまで生きられるのかと言うのも、今の私の関心ごとの一つです。

賢者について。
物語の中において、腐海一の剣士ユパは紛れもなく賢者ですが、真の賢者はナウシカである事を彼は知ります。何を語るかよりも、何を見出すか、そして如何に生きているかによって賢者足るかどうかが定まるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

欧米でも様々な家族の問題があるのでしょうけれど、日本との大きな違いは
子供を自立させる工夫がいくつもその文化の中に含まれているのではないか
ということです。

日本人は、特に男性は集団になったときは強さを感じるのですが、一人ひと
りを見たときに全くお粗末な人間性をよく感じたものです(ぶっちゃけ)。
それは、私自身の中にも同様に、ときに人並み以上に感じたものです。

一人の人間としての自立の問題は、女性より圧倒的に男性の方が難しいよう
です。

専門家は、女性は小さいころに人格が出来上がるといいます。脳の問題の
ようですが、男性の場合これがとても難しいとのこと。だから、男の子を育
てることにとても気を付けなければならないと指摘する人がいます。

>社会に対し果たすべき責任

というものは、やはり自立した人間が感じるものなのでしょう。
勉強ができた子は、社会の主要な地位に収まったとしても、自立心が弱ければ
それなりの仕事しかできず、それを問題視することもできずに定年を迎えるこ
とがほとんどでしょう。

また、自立心が弱いことに気付いている場合も、そんな自分を面倒見てくれる
場がほとんどないといっていいと思います。
キサラギさんも同様の苦労をしたのだろうと想像しますが、私は自身の自立の
ための苦労を時間をかけてせざるを得ませんでした。

日本社会全体の重要な問題としてこれがあると思いますが、これは「システム」
「仕組み」の問題ではなくて文化の問題であるので、一人一人の日本人がこのこ
とを真摯に考えるということが不可欠であると思います。

>素朴なものでどこまで生きられるのか

うーむ、「人間は素朴のままがいい」とは思います。しかし、文明というものは
権力者の意向がその文化の中に色濃く混じっているものだと思います、特に日本
のような国では。
ですから、いずれにしましても「人間とは」という哲学的問いがなされるべき時
代であると考えています。

お礼日時:2018/07/14 00:45

ふむ、キサラギさんは


相変わらず、面白い意見をお持ちのようですね。

賢者やって見ませんか?
東方14賢者、まだまだ席が空いてますよ♪

スレ主のにゃんぽこりんさんも、それになれる域です。

どうぞ ご両方
ご検討願います ね。申シます
ネ 申す!!


エル ミル システィーア ☆ミ
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この回答へのお礼

まあ、賢者という柄ではないですし、賢いとか天才だとかと自認するということは
阿呆になることだと思いますので、ご辞退申し上げることにします。
キサラギさんも同じでしょう。

お礼日時:2018/07/13 04:29

興味深い視点ですね。

思いつきませんでした。

普通は、芸能人や政治家、有名人、著名人は自分とは違う世界の人々で接点がありません。しかし彼らが一度失態を顕すと、それを機に自分達と同じ地平に下って来た様に思い、ここぞとばかりに叩くことで、さも自分が彼らと等しく偉くなった様な錯覚を抱くのではないでしょうか。これは自分の抱く炎上時の心理を振り返って思う事でもあります。

また、マスメディアに取り上げられる様な人々が、ツイッターやインスタなどのSNSを使う事で、市民寄り、市民目線の活動を開始したことで、親近感が湧くと同時に、仰る様な近親憎悪に転じてしまうこともあるのかなと思います。

依存という点からでは、現代の日本人は依存的な人は確かに多いと思います。終戦時、日本に来た駐留軍は、当時の日本人一般をして14歳位の精神年齢だと表現したそうですし、一昔前まで、会社にぶら下がる生き方を肯定し、しがないサラリーマンである事を普通と呼び肯定して来ました。一部の実力者やエリートが作り、運営してきた国や会社というものに依存しがちだと言うのは否めない気がします。政治家にしても二世、三世議員が多い。親世代の作った土台に乗っかって出て来た人達で、オリジナリティや覇気の様なものが感じられない。

炎上を近親憎悪という観点から見て、その原因を日本人の依存性に認めるなら、自立性を高める事が、この様な文化の傾向を是正する事になるのだと思います。

依存傾向の強い人に限って文句が多いのはよく分かります。自分をヨイショして欲しいと潜在的に感じていて、まるで他の人々が、自分より劣った存在であるかの様に思いなして愚痴や文句を言うのではないでしょうか。

他者に正しく対峙したり、位置関係を正しく把握するには、自分がまずしっかりと立って、社会関係の中で浮ついていない事が大事なのかなと思います。

ここで気をつけるべき事は、愚痴や文句が多く、炎上を起こす様な人達は、自分よりも劣っているのだと見ない事だと思います。人は境遇によって性格が変わるもので、不遇であれば大概の人はそうなるからです。

誰しもが自立している健全な社会は、ちと遠いかもしれませんが、前進しなければならないでしょう。
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この回答へのお礼

Yes.

私が昔から不思議だったことの一つが、日本人は家族同士で癒し合っていないのは
何故だろうということでした。

仲の良い明るい家庭も少なくないのでしょうが、会話が少なく、何か暗く、重たい
空気というものがある家庭というものも少なくなかったであろうと思います。

私が育った家庭は残念ながら後者でした。では、どういう点が特徴的だったかとい
いますと、

・親子の上下関係に囚われていた。
・父親が精神的に弱かった。
・両親を家庭を誇りに思えなかった。

自分の育った家庭の恥をさらすつもりではなく、これらのことは日本人の家庭に多か
少なかれ「あること」であると思っていますがどうでしょうか?

つまり、日本人が持つ暗さ、重さ、自信のなさ(今も変わっていないと思います)は日
本人の文化として、両親から受け継いだものにほかならないということです。
更には、

・完全に子供中心の人生であるということ
・親が子供の尻拭いをすべてしてしまうこと
・父親、祖父母の厳しさがなくなっていること

これらにより、自立心が育たず依存的に当然なると思います。依存性は思い通りにな
らなければ恨みに変わる、と。

現在の若い世代では、自分らの文化に全く自信を持っていないと思います。
「子供をどう育てていいかわからない」とか「子供がきちんと育っているのか分から
ない」などという話はたくさん聞きます。といいながら、親の言うことは聞けないの
でしょう。

基本的に、古い文化を全く認めようとしないわけですから、これほど深刻な世代間の
断絶はかつてなかったのではないでしょうか?

ですから、中高年の本音は「勝手にしろ」ですよ。
私はそれは無理だと思いますから、何とか「炎上」されながら助言をしてゆきたいと
思っているのです。

お礼日時:2018/07/13 04:25

ふむ。



話の尾ひれ、噂、解釈の捻じ曲げ、過敏反応、これらは炎上ととても相性が良いと私は思ってます。事実にものの良し悪しは存在せず、人の感覚や判断に良し悪しはあります。事実に基づいて炎上するなんて事はなく、事実を見聞きした人々の反応で炎上するのです。そこでもし、人々に嫌悪される様な事をするから悪いのだという論調を立てたなら、人々の気分に左右される弱々しい人生を送ることになってしまう。

もし炎上のメカニズムとか、炎上させる人の心理を知りたいとなると、何故人は嫌悪するのかと言う話になってくると思います。

あと、余談かも知れませんが、私は未来を楽観しているのではないのです。仮に、無関心、スルー文化が表立っても、それは嫌悪するものを感情と共に切り捨てたに過ぎないと見れるからです。そうなると、注目されて忘れられると言うプロセスが、一瞥して捨てられると言うプロセスに変わります。簡単に事案を消費しなくなり、より人々の興味を惹く事案が新たに生まれてくる事が予想されます。
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この回答へのお礼

「近親憎悪」という言葉をご存知でしょうか?

最近私は寺山修二という人物に興味を持ち、少々情報収集しました。
昭和52年に「徹子の部屋」に出演していて、(私は黒柳徹子さんのファンでもあります)
その時に、彼は日本は犯罪のうち40%以上が近親間のもので、こんな国はないというこ
とを語っています。

最近の日本は、この近親間の犯罪がさらに増えているということを聞きますから、おそら
く相変わらず、この点について世界一なのでしょう。

「何故」ということについては、この「近親憎悪」そして、それに連なる「同胞憎悪」な
のではなかろうかという見当をつけていますがどうお考えになりますか?

更にこれは多分に「依存的」であり、無関心・スルー文化(確かに楽観とは言えませんね)
とは反対方向にあるという気も致します。

お礼日時:2018/07/11 00:52

炎上現象は、イジメの発端にも通じるものがあると思います。

確かにそういう意味では、大衆であっても怖いものであるでしょう。

昔、お釈迦さんは行く先々の村々に滞在して説法を説いていましたが、ある時、お釈迦さんに若い女との噂が立ち、村々でお釈迦さんが非難の集中砲火に遭ったことがあるそうです。今で言う炎上ですね。弟子達は右往左往し、その噂の出所を探したり、火消しにてんやわんやしましたが、当の渦中のお釈迦さんは泰然として、放って置きなさい、と言う。暫くすればおさまるからと。
お釈迦さんと弟子達は黙って非難を浴びせられること75日だったかな、すると人々の立てた噂は嘘のように静まり、元の平穏な日々が戻ったそうな。

現代ではこのような炎上も長くて一週間と言うところ、SNSなら大抵は一日で忘れられる。あの日大のアメフトの事件だって残念なことにもう忘れられてる。これらの事案、炎上案件、叩き案件は消費物となってしまっていて、良くも悪くも短期間のうちに消化されてしまう。

私は近未来、この様な消費、炎上に飽きた人々が、事案に対して無関心やスルーを決め込む文化が流行るんじゃないかと思って居ます。ただ、今も未来も、心ある人は見聞きしたことについて挙動する自らの心に注意を払いつつ、事の真相に迫るでしょう。長い目で見れば、そのような人々の見解だけが恒常的に残り、世の中の骨となって人々の深い意識に残って行くのだと思っています。

このようなページも見つけました。何にでも文句つけたがる人々に振り回されるなと言う故事です。http://true-buddhism.com/teachings/rumor/
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この回答へのお礼

75日すれば消えるような噂話とか陰口と、「炎上」とは大きな違いがあって、それは
「炎上」は根も葉もないことや、尾ひれのついた話ではなく、事実に基づいた「表口」
であるということです。

引用した山田優さんの件にしても、災害が起きているこの時に、のんきな話をしていて
それを読んだ人が不快な思いをしたかも知れないということは否定できませんし、以前
このカテで話題になった「保母尾田保母夫」の件にしても、LGBTの人達が不快な思いを
したかも知れないということは否定できませんし、事実フジテレビは謝罪をしています。

確かにあっという間に忘れ去られる「消費物」と言えるでしょうが、絶え間なく続いて
いるし、5年前、10年前に比べて増えていてるように思います(どのような数字が存在す
るかは今のところ知りませんが)。

以前話題にした会社の中の「お局さん」、そして「クレーマー」「モンスターペアレンツ」
とこの「炎上」を起こす主犯達、更には「ハラスメント」を受けたと主張する人達。
(勿論、明らかにおかしいものはおかしいと主張すべきですが…)

私には共通点があるように思います。
つまり、相手が悪で、被害者の存在を断定しているということです。

私も経験があって、組織の中である女性と打ち合わせをしていて、少し長くなってしまっ
たことでハラスメントを受けているという態度をとられました。驚きました。

私の中での最大の問題は、何故こういうことをするのか?しないではいられないのか?とい
うことです。

この原因を知らなければ、こういった現象がやがて飽きられて良い方向に行くだろうという
楽観はできないし、更に狡猾に複雑になってゆくということも考えられると思います。

お礼日時:2018/07/10 18:11

本音を建前で装った大義名分の文化

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この回答へのお礼

「寸鉄人を刺す」ですね。

お礼日時:2018/07/09 23:11

1.炎上した事案に対しては、それを擁護する意見も同時に飛び交います。

炎上することに触発されて、只の非難ではない理由のある意見も湧いてきます。炎上と言えば悪いイメージが先行しますが、湧いてくるちゃんとした意見によって事案に対する理解が深まります。そして、それを非難する人間、或いは擁護する人間に対する理解も生じます。これは良いことです。群集心理によって炎上は演出されるけれど、感情的なうねりは短い時間で鎮火し、筋の通った意見だけが焼け残るように見えます。現代、この一連の作業は主にSNSで行われ、非常に短い時間、リアルタイムに近い時間で情報のストリームは経過します。そのストリームに日単位で遅れて、TVや週刊誌などが事案に関して型にはめられた説を述べているように思います。

2.炎上したことがないし、炎上されるほど注目されてもいないので、私には炎上を恐れて本音を隠す必要がありません。仮に反社会的な本音、不道徳な本音を言っても、世間的にはスルーされます。

3.これは半々でしょう。周りに合わせつつ、本音も織り交ぜています。本音を生で言うと大概は社会規範に沿わないので、批判、非難されます。言葉遣い一つとっても、丁寧語で言わなければそれだけで非難されます。内容にかかわらずです。世間と言うのはそのように、常に本音に対して身構え、怯えているのだと思います。いつ何時自身のあり様が否定されるかどうかわからない、それについての怯え、恐怖があるのです。故に、ある程度、世間が受け入れられる形に言葉を整えて、つまり見慣れた体裁、或いは規範という形式を備えた本音を呈するようにしています。この時は、誰に向かって言うのか、言葉を放つ対象との距離感も意識していますね。こういうネット上なら大して言葉遣いも気にせず本音を言うこともたまにありますが、その場合は過敏な人には嫌がられますね。雑な言葉遣いをされると、馬鹿にされた気分になる人も少なくない。逆に親しみを持たれる場合もありますが。でもやっぱり、本音を生で発信したいという欲求はありますよね。

よくバカな議員が本音を隠さず放言して炎上していますが、あれは自分の立場を理解していないこと、世間をなめてることによる失態と思っています。

4.炎上で無駄に精神を疲弊する人がいます。渦中の人はそうでしょう。であるので、常に客観性は意識しておきたいところです。無駄に疲弊したくなければ必要なことです。それは事案を他人事にしておくと言う意味ではなく、平静さを保つと言うほどの意味です。自分が攻撃されたと思うと臨戦態勢に入ってしまいますが、そうではなく、その現象を見ているというスタンスをとるという事です。
 私は非難されたりコケにされたりするとすぐカチンとくる煽り耐性0人間なので、個人的には炎上しやすい人間ですし、炎上に加担するタイプですし、すぐ冷めます。それに、言われたら言い返しますし。そのようであっても只のモブなので目立たないだけで。
火気厳禁、燃えやすい人間ですので、自分で言っておきながらですが、ここまでに述べてきたことは意識したいですね。
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この回答へのお礼

http://wezz-y.com/archives/56367

彼女のように炎上を恐れないという態度を示す人も増えている気がしますが、
問題は、恐れる人が多いということだと思います。

結局、大人の筋の通った意見でまとまっているような感じはありますが、そん
なことはお構いなしに、隙あらば飛んでくるという感じがします。

以前よく言われた「クレーマー」「モンスターペアレント」の延長線上にある
ような気がします。

ぶっちゃけて言えば、若い人間が(限らないでしょうが)大人のあるいは有名人の
非を見つけ指摘することにより、相手が慌てふためくのだ痛快であるということ、
そして何よりも、自分らの指摘が「社会正義」につながる行動であるという断定
が堪らない魅力になっているというケースが多いだろうということを言いたいで
すね。

何が悪いかといえば、多くの人がこれを恐れて生きてゆかねばならないということ。
それから、有名人でもない我々一般大衆も、その空気のなかで生きてゆかねばなら
ないということです。
一般大衆の日常の中でも、あるいは組織の中で「これって、本来は炎上するような
ことなんじゃない?」と考え、目を光らせている人が結構いると思うんですね。

お礼日時:2018/07/09 23:05

う炎上すればゲーム実況者は儲かるでしょう。


最近、勝ち負けとかとうとう殺し合いをしているのですか。
一方的に片手で握りつぶそうとした京都人の屑が
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