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卑弥呼と神日本磐余彦尊はどちらが先の年代でしょうか?

A 回答 (3件)

とりあえず卑弥呼は三国志に載っていて年代もはっきりしています(西暦240年ころ)。


問題は記紀のほうですね。

神日本磐余彦尊こと『はつくにしらすすめらみこと』は、第10代の崇神天皇と同じ名前であり、彼をモデルにした創作である可能性が高い。だいたい間の2~9代も欠史八代として、創作するのも面倒的な扱いのものでアウト。
次の11代の垂仁天皇は良いとして12~14代のタラシヒコ3代はアウト。しかしこのタラシヒコ3代のところに、ヤマトタケルと神功皇后が入っている。この2人の神話は、実際にあったことを2人の話に集約して作り上げた可能性が高く、むしろこの2人の話を入れるためにタラシヒコ3代を創りあげたと言えるほどのものである。
神功皇后の説話に三韓征伐があり、新羅の王子の微叱旱岐(ミシコチ)が人質となったが逃げたという話は、三国史記の未斯欣(ミシキ)の話と同一と考えられ、おおよそ西暦400年ころ(403年だったか419年だったか・・)の話。

人物関係を簡単に書けば、神功皇后は14代の妻で、14代の父がヤマトタケル、13代はヤマトタケルの兄弟、12代は13代とヤマトタケルの父。
全部実在モデルがいたとしても神功皇后(三韓征伐)から4代前が第10代の崇神天皇。頑張っても西暦200年代後半(270年くらい?)でしょうか。12~14代が創作で、11代と10代が親子関係ではなく兄弟関係だとすると、神功皇后の1世代前の年代となり西暦300年代後半(360年とか?)。

それとは別に、神武天皇の東征神話のモデル話があり、それが西暦200年代前半の可能性はあるかなぁと、漠然とですが、考えていたりします。
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この回答へのお礼

ありがとうございましたm(*-ω-)m

お礼日時:2018/07/18 13:50

宮崎県の遺跡からは青銅器は殆ど出土しません。


(一点出土したが懐疑的)

縄文遺跡からいきなり鉄器文化へステップしてしまいます。

北九州 出雲 近畿
この文化からは大きく離れた田舎です。

また、因幡の白兎では、天皇は荷物持ち、
因幡では何度も天皇が殺されています。

出雲は服従したのでしょうが、因幡は従属が難しかったようです。

こう考えると、鉄器文化が広く普及した古墳時代初期
婿養子して乗っ取った。
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この回答へのお礼

Σd(ゝ∀・)ァリガトォ♪

お礼日時:2018/07/18 13:50

歴史時代(3世紀とも言われている)と天地創造紀とでは比べようが無いと思います。

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この回答へのお礼

((^o^))ァリガトォ♪

お礼日時:2018/07/18 13:50

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