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気勢をそがれるっていいますが、
普通の言い回しだと
気勢がそがれる、じゃないんですか?
どなたかわかりやすくお願いします…<(_ _)>

A 回答 (9件)

非常におもしろい(むずかしい)質問ですね。


 おそらく、「気勢をそがれる」が正統的な使い方です。
 この点はNo.2のかたの回答のとおりでしょう。
 ただ、いろいろ例外もありそうで、正確なところはよくわかりません。もう少し時間をください。
 別の例文で考えてみます。

【1】■殴る(他動詞)1※「頭が殴られる」はヘン
A 頭を殴る(誰かが)
B 頭を殴られる(私が/自分側の誰かが)【受身】
C 頭が殴られる?

 ところが、同じ「殴る」でも目的語(と呼んでおきます)によってはCの形でないとおかしい場合もあります。
【2】■殴る(他動詞)2※「私を殴られる」はヘン
A 私を殴る(誰かが)
B 私を殴られる?【受身】
C 私が殴られる(誰かに)

 B/Cのどちらの形でもおかしくない動詞もありそうです。
【3】■壊す(他動詞)
A 家を壊す(誰かが/何かが)
B 家を壊される(私が/自分側の誰かが)【受身】
C 家が壊される(誰かに/何かに)
 同じ例文で動詞が「流す」でも両方ありそうですが、「家が流される」のほうが自然な気さえします。

 ここから先はうんと乱暴な考え方をします。
 動詞や目的語によって、【1】【2】【3】に分かれる気がします。
「気勢{ガ/ヲ}そがれる」の場合は【3】でしょうね。本来はヲだと思いますが、ガも使えなくはなさそうです。
【3】のように両方が使えるときに、ニュアンスがどう違うのかは関知したくありません。

 このテの微妙なニュアンスを問う質問はこの質問サイトでも繰り返されていますが、そんなことにこだわってどんな意味があるのかわかりません(もちろん、明らかに違うこともあります)。
 両方使えるなら、使いたいほうを使えばよいのでは。

 ちなみに、当方はこの問題について考えていて、下記のやり取りを思い出しました。
【続「する」「させる」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8998066.html

 このときの<自動詞の使役形は他動詞と同じ結果になる>という話でした。
ウ「先生の言葉が生徒を大人しくした」(他動詞用法)
エ「先生の言葉が生徒を大人しくさせた」(自動詞用法の使役形)
 ウとエはほぼ同じ内容を表わします。ニュアンスがどう違うのかは関知したくありません。

 これにならって言うなら〈他動詞の受身形は、目的語をガで受けるときとヲで受けるときがある〉ですかね。
 まったく違いますか(笑)。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます!!
だいたい分かった気がします!!
やっぱ日本語むずかしいです笑笑
例にあげて私にもわかりやすく、丁寧に回答してくれた 1311tobiをベストアンサーにしたいと思います。

お礼日時:2018/08/22 17:58

「が」+自動詞、「は」+他動詞、が一般的。


でも「が」+他動詞、受け身形はつかえそうな気がします、何が違うのか?。
「そがれる」、ではなく「そぐ」だと。
気勢がそぐ、?明らかに違和感があります。
気勢をそぐ、十分通じますね。
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他動詞「殺ぐ」の動的目標なので格助詞「を」が普通の言い回しです。



殺がれる気勢を個別に強調する場合は格助詞「が」を使用します。

「水を飲みたい」が普通の言い回しですが、水を強調する場合に「水が飲みたい」というのと同じです。■
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問題は、正しいとか、間違いだ、とかの文法の問題ではなく、表現の問題だと思います。


文法の問題として、どちらかに決めつけてしまうと、表現の幅を自分でせばめてしまいます。
意地の悪い言い方すれば、機械的に表現することができ、頭を使う、考える必用は少なくなるかも?。
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気勢を上げる○、気勢を上がる×


気勢が上げる×、気勢が上がる○
確かに「を」と「が」は相違します。
「が」+自動詞、「を」+他動詞、「が」自身で動き決定可能、「を」他の動きにより、自身の動きが限定される?。
そこで、気勢が(を)そがれる、の前に「それでは」又は「そんな事では」を付けてみました。
①それでは気勢をそがれる
②それでは気勢がそがれる
此処で参考になるのが、「無い物を出せ」と言われても・・・・・です。
「無い物」、が目的語です、言葉の遊びの類と思っていましたが、そうでもなさそうです。
無い物、は目的語になれない、無いものを目的、目標にはできませんね。
その上で①を解釈すれば(すでにある)気勢をそがれる、無い気勢なら、そがれる事もない。
    ②の解釈は、生まれて盛り上がるハズの気勢がそがれる、(すでにある必要はあ     りません)。
「そんな事では」の場合多少異なる言葉で解釈すれば。
①は、そんな事ではうまくゆかない(成功しない)
②はそんな事では元も子も無くなる(そのための準備もすべて無駄になる)。
主格に指定するには、無ければ発生させれば良いのです、○ができた、○が降って湧いた。
主格であれば、自身の動きとして、無ければわき出せば良いのであり、主格自身に不釣り合いな動きはダメですが、そうで無ければ大抵の動きが可能です。
目的格や目的語、なんて名前を付けた、言語学者?、改めてすごいなーって思います。
言葉遊び?、にもちゃんと筋が通っています。
文法もこんな風に遊び心で持ってすればそれなりに興しろい様でもあります。
結論として、この短い言葉だけで適、不適も正しい、間違いも言えません。
通常の文章による描写では①が多いと思います、文章全体の中で執筆者が何を言いたいのかによっては②の形も十分あり得ます。
読者は全体を理解したうえで、執筆者の意図を理解する必要?。
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「が」助動詞、格助詞の中でも主格。


個人的な感覚ですが、文章の中では主役としてふるまいます。
通常は主役が主体となって動き、その他がそれに合わせて動きます。
なのに、「が」される?、受け身と言うことは、相手の「する」が主役?、になります。
理屈でも説明はできるのかもしれませんが、もはや日本語の感性の問題です。
気勢をそがれる→いわば、平文?。
気勢がそがれる→何かを表現したい、前後の内容によっても変わるのかも?。
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どちらも使える表現です。



「気勢をそがれる」
この「を」は「そがれる」という動詞の【対象を表す】格助詞。
「そがれる」という動作の対象として「気勢」を淡々と指定したい場合には、こちらの表現が適している。

「気勢がそがれる」
この「が」は【主格の特定】という用法の格助詞。
「そがれる」という受身状態になるもの(主体)は「気勢」である、と特定しているニュアンス。
「なにが そがれる かと言うと、それは気勢だ」のような気持ちを強調的に表現したい場合には、こちらの表現が適している。
シチュエーションに応じて使い分けることができます。
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「そぐ」は他動詞です。

だから「ヲ格」を伴って使います。「気勢を上げる」こともあれば、そのあげた「気勢
を削がれる」こともあるわけです。
 「まみのほど、髪の美しげにそがれたる末も」〈源氏・若紫〉
受身形の中に「ヲ格」の受け身というのがあります。「人が金を盗まれた」「私は足を踏まれた」
日本語の受け身形では、「気勢」というようなものを主格にとって受け身形を作りません。近代に西洋から入ってきた「非情」の受身は今では相当はやっていますが。

興趣を弱める。おもしろみなどを薄くする。
*あそび〔1910〕〈森鴎外〉「そして多少の興味を殺がれる」
*妄想〔1911〕〈森鴎外〉「所謂評価の革新さへ幾分の新しみを殺(ソ)がれてしまったのである」
*竹沢先生と云ふ人〔1924〜25〕〈長与善郎〉竹沢先生と花見・五「桜の美感は半分以上そがれちまふにちがひない」
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物事に対する自分のやる気を阻止される、という受け身の意味で、気勢をそがれるが正しい言い方がだと思います。

同じような表現に、出鼻をくじかれる、水をさされる、というのがあり、やはり受け身です。自分の気勢が主語のため、「を」になるのだと思います。

邪魔が入る、横やりが入る、などの言葉がありますが、これは物事が主語ですので、~が入るとなります。 気勢がそがれるというのは、恐らくですが、これらの言葉と混同なさっているのではないでしょうか。
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