これからの季節に親子でハイキング! >>

「くっそおもんない人生やな〜」


くっそ面白い人生ってどんな人生ですか?

A 回答 (11件中1~10件)

仕事もうまく行ってて、自分の思い通りの人生。


不満もなく、常に笑いが絶えないような・・・
    • good
    • 1
この回答へのお礼

みんなありがとうございました

お礼日時:2018/10/18 19:11

世界が平和になって 無駄な争いや過酷な競争がなくて 人権が保障されてるから自分の好きな事をして



仕事にも生き甲斐が持てて 好きな人と上手く行ってて お金もあって 自由に未来の事も考えられる

最後は未来に希望を託して安らかに微笑んで眠る様にあの世に行ける人生。?
    • good
    • 0

面白いだけじゃなくて、くっそを付けちゃうとしたら、めちゃくちゃだったり、常識外だったりした、でも感情的に、体験的にこれでイイのだと納得している面白さがある、というようなものなのかなと思います。



自分の恋愛ものは、くっそおもしろかったです。
    • good
    • 1

頑張らない人生をやっているからです。



頑張った人生をやっていれば、それなりに
面白いものです。
    • good
    • 0

「くっそおもんない人生やな〜」:この発言の主は、「その人」で、他人ではない。



「くっそ面白い人生」:この発言が存在するとしたら、その発言の主は、「他人」。
           関係ない他人が、人の人生を外から見ているだけ。

           仮に、「その人」で有ると考えると、その人は人生を、表面でしか生きていない人で、
           語る価値のない人生を生きていたに違いない人。

そんな気がする、今日このごろ。
    • good
    • 0

「お前なんかに、そんなことができるわけないだろ!」


と言われながら、そんなことをやってのけてしまう人生。

クソ面白かろう。
    • good
    • 1

面白い=楽しい、ではないと解釈して。



よく云う波乱万丈の人生、ですね。
だから、他人事。

自分の人生?
全く面白くありません。

でも、ここで駄弁っている時は楽しいです。
    • good
    • 1

ベジータと闘ってる時かな・・・。

    • good
    • 1

苦しい、ツライ、だるい、痛い、つかれる、めんどい



でも楽しいからやってしまうよね。
ってのが面白い人生と思う
    • good
    • 0

自分にとってこれ以上ない幸せを感じて笑がこぼれたらそれがもぅ、面白い人生です

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q生物を食べる生物

は、食べられる生物の命を絶ち、それを食べ、生き、生を繋ぎます。
人間もこの種の生物です。

考えてみなくても、これは残酷な事です。
私やあなたが、他の生物に狩られて、その生命を奪われ、食べられた時を考えると、すぐわかります。

生物は、他の生物の生命を奪って生き永らえます。
残酷な事です。

ただ、果物の木は、自分の一部を実として提供して、子孫を残す事に協力して貰い、同時に他の生物も生かします。
ほかの植物にしても、太陽と、大気と、土中の養分から、自分の身を作り、その命を維持します。
植物は、とても進化していると思います。

皆さんはこの事についてどう思いますか?
他の生物の命を絶って、自分の生を繋げる存在として。

Aベストアンサー

>ただ、果物の木は、自分の一部を実として提供して、子孫を残す事に協力して貰い、同時に他の生物も生かします。

たしかに。
ただ、完全に放置された自然環境の中では、植物同士での生存競争は行われています。
ある木の日陰になったために枯れてやがて朽ち果てる木もある。
身近でも、雑草が生い茂る中、毎年生えていた草花が淘汰されてしまう例はいくらもあります。
顕著になっていないだけであり、本質的に弱肉強食である点では変わらないでしょう。

植物も動物も、そもそもが「自分を活かす」ために生を受けるのであって、また、自分を活かすためには何らかのエネルギーを他者から獲得せざるを得ない仕組みになっているのは明らかだろうと思います。
その意味で、生きとし生けるものはすべて残酷性を秘めていると言わざるを得ないでしょう。

人間界に目を向けた場合も同様で、人間は別に天使でもなんでもありません。
生きるために他の生命を犠牲にする「残酷な」生き物であるのは、ライオンやハイエナと何ら変わらない。
自分の手を汚さないで肉を口にするだけ偽善的な残酷性を保持した生き物だとも言えますね。
むしろ、猛獣たちより質(たち)が悪い。
いずれにせよ、生命をつなぐために残酷であることは必要不可欠なのだという認識は必要です。偽善者になりたくなければ、ですが。

その上での話ですが、人間が純粋な捕食動物と異なるのは、質問者さんのように、食われる側の動物に対する想像力が働く、という点です。
ライオンやハイエナに他者に対する想像力というものは、おそらく働かない。
こうした意味で、人間は本能の壊れた動物だと言えるでしょう。つまり、動物としては極めて不自然な発達を遂げた生き物である、ということ。
と言うか、むしろ本能を一部捨てることによって、代替的に大脳が発達するように進化した生き物である、と言うほうが適切かもしれません。
この大脳、特に前頭葉がどのように発達していくものなのか興味深いと思います。
ともかくも、人間は、そうした矛盾を背負って生きざるを得ない動物なのだ、ということを大前提にした上で、それでもなおかつ他の動物や植物、そして他者としての人間に対して、どこまでの想像力を発揮することができるか。
また、その想像力を梃子にしつつ、背負っている矛盾をどこまで解消していくことができるか、などといった方向に思考が進んでいくようであるなら、現在の、このろくでもない世界より、多少はマシな世界へと変貌できる可能性も見えてくるような気がします。

>ただ、果物の木は、自分の一部を実として提供して、子孫を残す事に協力して貰い、同時に他の生物も生かします。

たしかに。
ただ、完全に放置された自然環境の中では、植物同士での生存競争は行われています。
ある木の日陰になったために枯れてやがて朽ち果てる木もある。
身近でも、雑草が生い茂る中、毎年生えていた草花が淘汰されてしまう例はいくらもあります。
顕著になっていないだけであり、本質的に弱肉強食である点では変わらないでしょう。

植物も動物も、そもそもが「自分を活かす」ために生を...続きを読む

Q認めたくない現実

あなたにはありますか?
それはどんな?

Aベストアンサー

おそらくあるであろうと言う事。
それは、過去に自分が過ちを犯しておきながら、それを今も知らないという事。それを今も知らないので、今も同じ過ちを継続している可能性があるという事。そしてそれを知り得ない限りは、その過ちは未来にも続くであろうという事。

自分の外に悪がある事を見るのは簡単である。自分の内に確かに存在する悪を自らで見いだすことは容易では無い。自分自身の影に隠れてしまうからである。そこで、他人からの指摘が大いなるチャンスとなる。その指摘が的を得ていようが外していようが、他人から得たその言葉をきっかけに自らを省察する人は賢者である。一方で、聴く耳のない者、耳触りの良い言葉のみに対しての反応しか出来ない者、この様な者が人生を全うすることなくくずおれる。賢者は自己を健全化し、しあわせに至るが、愚者は自ら犯す過ちによって自己を損ない苦悩を受ける。

人は皆苦しんでいる。見難きことであるが、これを先ず人は観なければならない。

意固地になっていても埒は明かない。以上に述べた見難き真実を見て、人は初めて自己を知るのである。

QHaruさんの存在主義の欠点は何ですか

客観的情報が欲しいのでHaruさん以外の人に回答して欲しいです。

Aベストアンサー

Haruさんとは誰?

Q"アホはほっとけ"は正しいか

どうなんでしょう。

Aベストアンサー

相手の立場に立つ、は一般的に正しい行為みたいです。

その人の立場って何?
ほっとけない行為が相手を理解しているか?
アホに限らず、
他者である存在に、自分が一人よがりでなかったか?とか、伝わらなさに虚しさを感じるときがあるから、このような問いが生まれるのかなと思ったのですが。
ほっとくにしろ、ほっとけないにしろ、往々にして自分の欲望が勝った、後付けや正当化だとも思うんです。
でもやった後で言うのと、やらないで言うだけでは全然価値が違います。


人間のさだめのようなもので、分かった気になり、自己満足を優先させる。万能じゃない部分でしょう。

どこまでも、目の前のアホのような奴は、自分とは異なる存在の「他者」であると覚れば、ある程度ほっとけるのではないですか。

相手はいずれ成るように成るもので、何を掴むか、受け取らないかは己がやらなきゃ自分の意味にならない。
他人がどうこうする領域じゃないと知っていれば。

お互いに具体的な言葉にするほど自他の異なりが露わになるでしょう。
同じようで違う、違うようで同じ、というのを確認します。
そうした体験すれば作用にも気づきます。
自分の方法は増えるのですが、人間は頭では体験を超えられません。
冷静に相手の立場に立って出来るものなど取るに足らない小ささに思います。
大人?日本人?は関係を怖れている?みたいに見えます。


ある人に悩みを言ってもらい、何人かで聴きます。
それを後で皆で検討してみると、問題点、課題はほぼ同じ意見ですが、その人をどう思うか、感想を具体的にすると其々です。
相手ではなく、自分というものがそこに出てきます。

相手の立場に立つとは、
人間というものや個人を理解した上でやれる力量かもしれないですね。

余談ですがカウンセリングや相談をインターネットの文字の世界でやれると考える人と反対する人がいるんです。
文字では情報が不十分ですからね。

言い合いをしたり、食い違っても、そういう二人が向き合った体験は後に信頼の間柄になれるものでもあるという実感はありますが、使いわけていますね。

言い合いは悪い結果になると思い込んで、ほっとく、避ける一般の人が多いかもしれないです。

ほっとくの意味一つ取っても、自他は違うんですよね。

相手の立場に立ったつもりで言い、その人をよく知らない第三者からすると正論のようですが、肝心のアホにとってありがた迷惑であったりします。

気遣いができるアホは、無理解な正論にお礼を言うかもしれません。
でも、ほっとけない人が、アホを理解しているとは限りません。
ボランティアと同じです。
自分がしたくてするのか、相手の為なのか、自意識の深めがどの程度かです。


人間というものは、相手の立場に立ったつもりが立てていない時、相手はこころを開かない。

すれ違いながらもお互い辻褄を合わせ、共有した時間に意味を感じることで穴を埋め、その代償行為に気づかず、意味を後付けする生き物です。
その時を穏便に済ませるのですが、そういうときは、後から自分に違和感が出るものなのです。

相手の立場に立つ、は一般的に正しい行為みたいです。

その人の立場って何?
ほっとけない行為が相手を理解しているか?
アホに限らず、
他者である存在に、自分が一人よがりでなかったか?とか、伝わらなさに虚しさを感じるときがあるから、このような問いが生まれるのかなと思ったのですが。
ほっとくにしろ、ほっとけないにしろ、往々にして自分の欲望が勝った、後付けや正当化だとも思うんです。
でもやった後で言うのと、やらないで言うだけでは全然価値が違います。


人間のさだめのようなもので、分かっ...続きを読む

Qみんな□民主主義

□には何が入りますか?

Aベストアンサー

民主主義は良いものだと同意するが、民主主義とは何かということにはみんな同意しないのが

Q負け組が愛国心だして何したい?

負け組が愛国心だして何したい?

Aベストアンサー

自己満足。

広い意味で質問者さんと同じです。

Q存在論をどう考えますか? 存在性理論から。

存在性理論と言うのは所謂「存在」と言うものが「どの様にして存在しているのか」を明らかにした理論です

それを語るにはまず「存在とは何か」と言う事を問いかけねばなりません。

私は今の学界、哲学界が「存在」とは何だと説明しているのか知りません。何故ならその定義は学者によって違うし

余りに難しく説明する人が多いからです。

存在と言う言葉が今どのように使われているか そこから考えて行きましょう。

一つの流れは人間存在中心主義。我思うに我ありから実存主義などに至る「我れ」の存在論です。

もう一つは科学などで、或いは日常に使う「この部屋には酸素分子が存在していると考えられる」と言う

「ある」と言う意味での存在である。

私は此処で回りくどく説明しなければならない しかしそれではみなさん飽きてしまう

ですからザックリと分かりやすく説明を加えます。

つまりはデカルトから始まる「我れ」と言う存在は精神の事であり 精神とは心の事であり、心理学が究明する世界でもあります。

その掴み所のない精神をこねくり回しても 灯台下暗しでいまだに分からない。

私はその様な哲学界を背に「では 精神は何で出来ているのか?」と考えてみた。つまり精神の成分である。

精神は言葉で出来ているのか シナプスの伝達物質で出来ているのか 脳波で出来ているのか・・・・・

何だろうと考えた。結果 精神は様々なエネルギー(質量も含む)の持つ「性質」で出来ていると言う結論に当たって説明が付いた。

つまり人間の体がCHINOPS系で出来てDNAによって秩序立ってる様に 人間の心は様々なエネルギーの持つ性質で出来ており

その性質の反応、作用、相互作用で出来ている。自我(自己)を中心として主体化した性質の秩序立った反応、学習、思考によって

精神は誕生する。人間の脳を中心とした内面と人間が感じる外面と人間の持つ愛と理性で精神は出来ている。欲望や本能も影響する。

と言う事です。

ここから言える事はデカルトから実存主義までの「我」は実はどのようなエネルギー、物質の持つ質量も持つ「性質」がその正体だった

と言う事です。分かりやすく言うと 酸素分子の持つ性質も精神を構成する性質の一つと言う事である。

唯物論で言う「性質」も唯心論でいう「精神」も同じ質のものだったのです。

そこで私は存在を定義しました 随分前にですが。存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー(質量を含む)と言う事になります。

これはまだ存在性理論のほんの入り口ですが 後、進化論の普遍性やエントロピーの増大・安定・減少を論じ存在性と言う性質の働き

を論じて行かなければなりません。それを書いた、やや長いHPが此処にあります↓

http://www2u.biglobe.ne.jp/~yuniko37/

これをざっと読んで間違っているところを指摘して下さい。何処に間違えがあるでしょうか?

存在性理論と言うのは所謂「存在」と言うものが「どの様にして存在しているのか」を明らかにした理論です

それを語るにはまず「存在とは何か」と言う事を問いかけねばなりません。

私は今の学界、哲学界が「存在」とは何だと説明しているのか知りません。何故ならその定義は学者によって違うし

余りに難しく説明する人が多いからです。

存在と言う言葉が今どのように使われているか そこから考えて行きましょう。

一つの流れは人間存在中心主義。我思うに我ありから実存主義などに至る「我れ」の...続きを読む

Aベストアンサー

https://www.youtube.com/watch?v=xGficZ-CAUI&list=PL1yfjZppO7NRfKzVKmFYNz7Tc6icO26jQ&index=2

色々分かりました、ハルさんのことも。

私もこの歌は好きです。アグネスは本当に心を込めて歌っているように思います。
だから、この詩は彼女の本心でもあるのでしょう。彼女は純粋で頭のいい人だと思
います。ただ、正直言うと、あんまり好きなタイプではありませんでした(笑)。

彼女のことを偽善者扱いしている人達がいることを知っています。
また、山本伸一の詩がいくつか提供されているということからも、創価学会と中国
韓国あるいは北朝鮮との特別な関係を指摘する声がネット上でたくさんあることも
もちろん知っています。

確たる根拠のない連想ゲーム的邪推であると私は思います。新興宗教が金儲け以外
の目的があるわけがないという固定観念の上に立った連想的思考ですね。

何事もキチンと認識しないといけないとつくづく思う今日この頃です。アグネスに
対する私の認識もある種の固定観念に囚われていたようです。何故そう思ったかと
言えばよく知らないで評価していたことが分かったからです。

ハルさんが主張する、平和、人権、極めて大切であるにもかかわらず、人々は何故か
その正確な認識に戸惑っているように思えてなりませんでした。様々な思惑が社会に
渦巻いているからだと思います。

人類の平和と幸福の為に、その一点においては少なくとも連帯すべきです。そのため
にも、つまらない固定観念は一つづつ捨てていかなくてはいけませんね。

https://www.youtube.com/watch?v=xGficZ-CAUI&list=PL1yfjZppO7NRfKzVKmFYNz7Tc6icO26jQ&index=2

色々分かりました、ハルさんのことも。

私もこの歌は好きです。アグネスは本当に心を込めて歌っているように思います。
だから、この詩は彼女の本心でもあるのでしょう。彼女は純粋で頭のいい人だと思
います。ただ、正直言うと、あんまり好きなタイプではありませんでした(笑)。

彼女のことを偽善者扱いしている人達がいることを知っています。
また、山本伸一の詩がいくつか提供されているということからも、...続きを読む

Qよーく考えてからのお礼文は、

返信に時間が掛かります。
考えた挙げ句、たいした文章も書けなかったりします。
なのでスピードを重視したお礼のほうが良い、という人にはご不満なのかなと思います。
どうでしょうか、これは。

Aベストアンサー

南北朝から室町にかけて全国の武将の間で連歌が流行りました。戦に出る前に数人で連歌を創作の喜びを満喫して死出の旅路に出た。日本人て世界的にも類を見ない不思議な民族だったんですね。そう言えば、日光の裏山で電気も入っていない山奥で生まれ13歳のとき初めて汽車と海を見たという、高等小学校止まりのもう亡くなった母は百人一首を全て諳んじていた。昔は今ほどの楽しみがなかったので、百人一首を遊ぶのが楽しみだったそうです。百人一首の歌どころかそのもじりまで覚えていていました。そのもじりの一つ、

  ももしきや古けて破けてけつが出て 朝の寒さにおちんこちぢまる

なんていうのも母から教わりました。昔の日本人て今の日本人とは人種が違っていたのでしょうか。

当然連歌が流行れば、連歌師なんてのが出て、連歌教師としてお金が稼げた。また、「貴方でも連歌が創れる」なんてなハウツー物の本も何冊も出版された。だいぶ昔に読んだので、誰だったか忘れてしまいましたが、確か二条良基だったかな、連歌の上手くなる見込みのある人とそうでない人の違いを述べていました。順番で自分の番になったとき、一生懸命考えて、なんとか満足のできる上手い歌をつけようと時間をかけて出しているような者は大した上手な連歌師になれない。軽ーく軽ーく考えて、大した歌でもないが、思いつくままにひょいひょい歌を出してくるような者の方が、後でどんどん伸びて行く、と書いてありました。

南北朝から室町にかけて全国の武将の間で連歌が流行りました。戦に出る前に数人で連歌を創作の喜びを満喫して死出の旅路に出た。日本人て世界的にも類を見ない不思議な民族だったんですね。そう言えば、日光の裏山で電気も入っていない山奥で生まれ13歳のとき初めて汽車と海を見たという、高等小学校止まりのもう亡くなった母は百人一首を全て諳んじていた。昔は今ほどの楽しみがなかったので、百人一首を遊ぶのが楽しみだったそうです。百人一首の歌どころかそのもじりまで覚えていていました。そのもじりの一...続きを読む

Qあなたは日本人に生まれて良かったと思いますか?ほかの国ならどこに生まれたかったですか?

日本人は独特な面があって 特に精神面が独特だと思うのですが

人口密度が高いし どこにでも人が居るので 日本の文化に調和しないと

村八分に合うと言う もう忘れてしまった様な 出る杭は打たれると言うか

見ざる言わざる聞かざるとか長いものには巻かれろとか

窮屈な面があります。それで恥の文化が鍛えられます

昔はツッパリとかありましたが今でもあるのでしょうか?

腐った蜜柑の方程式とか ああ言うのはどうなったのでしょうか?

何か「日本人にしか心はない・・・」と言う人さえいました。

日本人の二重の心は、本音と建前は現実をゆがめていないだろうか?

Aベストアンサー

日本で産まれた日本人で、ホンマに良かったと思います。もう、50年以上もいろんな外国で生活してますけど、ただ日本人ってことで「得」をしたことだらけ。これも、昔の人が築きあげたたわものと感謝に感謝しても足りないくらいです。

それじゃ、日本に住みたいかと言われると、住みたくないというより、住めないと思います。こちらは、高齢者になれば、デカい家に住め! ところが、日本は、狭い家に住め! で正反対。
それに、2年半ほど前にヤモメになりましたが、こちらの家は昼間は鍵かけずで、誰か知らないけど近所のおばさんらが、お皿に盛った料理をそっと置いて行ってくれます。食べ終わってお皿を洗って残り物のお菓子でも置いておくと、いつの間にかお皿がなくなっています。日本じゃこんなのは、よほどの田舎に行かないとなくなっていると思います。こちらの人の心には、最高に癒されています。

それに、こちらでも、二ョンポコリン2さんのように、女は綺麗であるべき、女王様屋お姫様みたいに誇り高いですが、惚れた男には徹底的につくします。チビでハゲ、超短足、でキモい顔でも容姿などは関係なしで、人間が良ければ、大モテで楽しみまくっています。

誰にでもできることじゃないんですが、日本で日本人として生まれる、そして世界中を旅して、一番気に入ったところで暮らすが、最高じゃないかと思っています。

日本で産まれた日本人で、ホンマに良かったと思います。もう、50年以上もいろんな外国で生活してますけど、ただ日本人ってことで「得」をしたことだらけ。これも、昔の人が築きあげたたわものと感謝に感謝しても足りないくらいです。

それじゃ、日本に住みたいかと言われると、住みたくないというより、住めないと思います。こちらは、高齢者になれば、デカい家に住め! ところが、日本は、狭い家に住め! で正反対。
それに、2年半ほど前にヤモメになりましたが、こちらの家は昼間は鍵かけずで、誰か知らない...続きを読む

Qどうして、人間は殺人や暴力を嫌がるのでしょうか?

小児性愛者やオタクが子供や女性に対して、差別感情と捻じ曲がった性衝動から多くの犯罪、あるいは犯罪を肯定する言動や表現を行っているのは、周知の事実です。彼らの言動や行動に影響を受けて、多くの犯罪が生み出されているにも関わらず、大半の人がオタクに対して言葉を用いた批判、それも攻撃的な言説を避けたものばかりに終始しています。

何故なのでしょう?

多くのオタクが犯罪を行い、また自分たちの犯罪、加害行動を社会が容認するように活動している事実を知りながら、攻撃的な言説を避けたり、実際の暴力を使わない、というのは、彼らの活動を容認しているのと同じなのではないでしょうか?

自慢ではないのですが、学生時代はオタクの同級生や下級生がいれば、級友たちに頼み、男女の差別せず追い込み、学校から排除しました。彼らの中には今でも社会から排除されている者もいます。
また、現在も職場で新人がオタク趣味であれば、他よりも厳しく指導したり、根も葉もない事を吹聴し評価を下げさせたりして、精神や体調を崩させ、学生時代と同様に社会から排除するよう努力している次第です。

しかし、私の崇高な行動を批判する人がいます。子供が被害者となる事件に憤る人でさえも、私の行動を快く思ってくれないです。

小児性愛者やオタクが子供や女性に対して、差別感情と捻じ曲がった性衝動から多くの犯罪、あるいは犯罪を肯定する言動や表現を行っているのは、周知の事実です。彼らの言動や行動に影響を受けて、多くの犯罪が生み出されているにも関わらず、大半の人がオタクに対して言葉を用いた批判、それも攻撃的な言説を避けたものばかりに終始しています。

何故なのでしょう?

多くのオタクが犯罪を行い、また自分たちの犯罪、加害行動を社会が容認するように活動している事実を知りながら、攻撃的な言説を避けたり、...続きを読む

Aベストアンサー

#19です。

>違うでしょう。
生理的嫌悪感を感じる矮小で不衛生な存在と社会を運営するために必要な手段では。

このコメントが、まさに違わないことを証明していますよ。
『生理的嫌悪感を感じる』から、つまり、あなたの感性に合わないから『矮小で不衛生な存在』だとおっしゃっているわけです。(そういう意味の構文ですので否定はできません)

「むきだしになった首筋が、必要以上に性的興奮を助長するから」という感性で、女子高生のポニーテールを禁止した校長先生。
「ユダヤ人は劣等民族である」という感性で、彼らを迫害、追放、ついには虐殺へと突き進んだヒトラー。
彼らとなんら変わらない。

『生理的嫌悪感を感じる』というのは、あくまで個人の感覚の問題であり、独裁者でもないかぎり、それが他者を排斥可能な論理として成立することはない、ということに気づいてください。
僕が嫌だと言ったら嫌なんだよ~~~。
僕は間違ってないよ~。
ってダダを捏ねるのは自由ですけどね。
大人なら、論理(筋)を通さないと。


人気Q&Aランキング