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「drop down mama」という名の古いブルースの歌があるのですが、
和訳(意味)がわかりません。

どこか高い場所から落下した(自殺した)母親?
崩れ落ちた(へたれこんだ)母親?

「drop down (人名)」という形で書かれてある場合、
どういう和訳が適切でしょうか?
できれば「和訳」+「~~なイメージで使用します」みたいに
詳細な回答をお願いいたします。

A 回答 (2件)

そのような場合はよく、Google検索で歌詞を閲覧できますよ。


ざっと見た感じ、怒った女性に「あきらめろよ」と言っているようです。
このように使う drop down という慣用句があるわけでもないようですが、
drop には、stop の意味があって、よく裁判で訴えを引っ込めるのを drop で表すのも連想されます。「もう、それは取り下げてくれ、自由にさせてくれ」と歌っているようです。
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デルタ・ブルース (The Delta blues)


はアメリカ合衆国南部のミシシッピ川流域(ミシシッピ・デルタ)やテネシー州メンフィスなどの地域で発生した、初期ブルースミュージックである。
演奏楽器として、特にギターとハーモニカが一番多く使われた。
またソウルフルで、激しく、そして自己の内面を歌い上げるようなボーカルスタイルもデルタ・ブルースの特徴である。
代表的なミュージシャンにチャーリー・パットン、ロバート・ジョンソンなどがいる。

初のレコーディングは1920年代から行われた。
この時代ライブではバンド形態でプレイすることもあったものの、レコーディングの場合は一人のミュージシャンが自分でギターなどを演奏しながら歌うことが多かった。
(一応、形の上では)奴隷から解放されたアフリカ系アメリカ人たちが季節労働者として
ミシシッピ河口からアーカンソー、ルイジアナ、テキサス、テネシーにかけて恒常的に移動する慣習があったが、
デルタ・ブルースのミュージシャン達もその例に漏れず、南部地域を旅して周った。
その結果この音楽はあちこちに広まり、スキップ・ジェームス、エルモア・ジェームスなど(厳密には)デルタ地域出身でないデルタ・ブルースミュージシャンも生まれるようになる。
後期になるとアメリカ中にデルタ・ブルースは広がり、特に多くのアフリカ系アメリカ人が移住していった
シカゴ、デトロイトなどの北部都市に根付き独自のブルース(シカゴ・ブルース)へと進化してゆく。

学者などの間では、初期のデルタ・ブルースと後期の北部都市ブルースおよび西海岸ブルース
との間に音楽的な区別があるか無いかは意見の分かれる所である。
確かに、基本的なハーモニー構造(ブルー・ノート・スケール、スリー・コードなど)は
デルタ・ブルースもその他のブルースもほぼ同じである。
しかし、シンプルな(アコースティック)ギター奏法や、リズムを強調したデルタ・ブルースに、
他ブルースとの明確な差異を認める者も多い。

1920年代のミシシッピデルタ地域で、白人農場主は相変わらず黒人を奴隷同然に所有していたが、
デルタ・ブルースアーティスト本人がその準奴隷システムからの逃亡者であることも少なくなく、
そういった経験がデルタ・ブルース独自のサブカルチャーを形成している。
逃亡・反乱を企てたり、集会を開いたり、その他主人にとって ’好ましくない’行動をとった者は
「パーチマン農場(Parchman Farm)」と呼ばれるミシシッピ州立刑務所に収監された。
実際その刑務所に入った経験を歌ったアーティスト;Bukka White(「Parchman Farm Blues」)、
レッドベリー(「Midnight Special」)もいる。
ポピュラー音楽において、サブカルチャー的、カウンター・カルチャー的な位置付けになったのは、ブルースが最も初期の例である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AB …

シカゴ・ブルース (Chicago blues)
とは、米国イリノイ州シカゴにおいて1950年頃に登場したブルースのスタイルのひとつ。
主にアコースティック・ギターの弾き語りで演奏されたアメリカ深南部のデルタ・ブルースにエレキ・ギターを持ち込み、
バンド・スタイルに発展させたものであった。
代表的なアーティストにはマディ・ウォーターズが挙げられる。
彼は、シカゴ・ブルース創世記にそのスタイルを作り上げた一人である。

シカゴ・ブルースの誕生の背景には、第2次世界大戦時に頂点を迎えたアフリカ系アメリカ人(黒人)の大移動がある。
その流れを受けて1930年代から50年代にかけて、南部の州からシカゴへ多くのブルース・ミュージシャンが移住した。
彼らが、シカゴにおいて南部のブルースに新たな息吹を吹き込んだのである。
彼らはライヴハウスを始め、マックスウェル・ストリート(路上でフリー・マーケットとともにライヴ演奏が展開された)
などでも演奏を展開した。
路上での演奏はより大きな音を出すことを必要とし、これもシカゴ・ブルースがエレキ化、バンド化へ進んだ要因と言われている。
初期のシカゴ・ブルースにおいては、主たるリード楽器はハーモニカであった。
ギターはデルタ・ブルース同様、主に伴奏楽器として使用された。
しかし50年代後半、マディよりも若い世代のオーティス・ラッシュ、バディ・ガイ、マジック・サムらの登場により、
シカゴ・ブルースは新たな局面を迎える。
彼らは、ギターをリード楽器として前面に押し出し、それまでのブルースの概念を打ち破った。
彼らのサウンドは彼らがシカゴのウェスト・サイドで主にプレイしていたことから
「ウェスト・サイド・サウンド」となどと呼ばれた。
以後、ギターはブルースの主たるリード楽器として、その重要性を高めていく。

1960年代に入ると、イギリスにおけるブルース・ブームなどと共に、ヨーロッパを始めより広範囲で注目されるようになり、シカゴのミュージシャンの活動の場も広がっていく。
その流れの中で、シカゴ・ブルースも音の幅が広がっていった。
ポール・バターフィールド・ブルース・バンドやマイク・ブルームフィールドを始め、白人のプレイヤーも増えていった。
エレクトリック・スタイルのブルース・バンドも増えてきたが、1965年くらいからシカゴのブルース・シーンは下火になって行く。
今日では、世代交代ともにシカゴのブルース・ミュージシャンたちも、かつてのように南部出身の層は少数派となり、
都市部で生まれ育った人々が多くなっている。これに伴い、シカゴ・ブルースも多様化している。
シカゴでは、バディ・ガイズ・レジェンズ、ローザス、アーティス・ラウンジ、キングストン・マインズといった
ブルース・クラブで連日、ブルースのライヴが展開されている。
また例年6月には、米国最大のブルース・フェスティバルであるシカゴ・ブルース・フェスティバルが開催されており、
ブルースの街としてのシカゴの存在を世界にアピールしている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AB …


Drop down mama
Let your daddy see
You got something down there
That keeps on worryin' me

But my mama don't allow me
To fool around
She's sayin' "son you're too young now
Some woman might put you down."

Go 'way from my window
Stop scratchin' 'round my screen
You're so evil woman
And I know what you mean

Any my mama don't allow me
To fool around
She's sayin' "son, you're too young now
Some woman might put you down."

I got three women livin'
On the same damn road
One does my cookin'
One does my washin'
One pays my room and board

https://genius.com/John-hammond-drop-down-mama-l …

drop down は句自動詞で go down とほぼ同じ意味であり、
Urban Dictionary にはこのように記載されています。

A girl who drops down and gives you a blowjob

Guy 1: Is Lauren your girl?
Guy 2: Nah, she aint nothin but a drop down.

https://www.urbandictionary.com/define.php?term= …

女性に対して drop down(go down) と言えば、それが指し示す行為は自明であり、
この曲においては、先に長々と記述したデルタブルースにおける黒人奴隷解放への希求という、
アイロニーを含むダブルミーニングと解釈するのが自然でありましょう。

またこういったブルースギター奏法における変調調律方法は広く一般的に、
ドロップダウンチューニングと呼ばれており、その特徴はキーを下げることによって、
ヘヴィー且つ情感的な音色を奏でる目的で使用されます。
勿論それを念頭に置いた高度な洒落であることは論を俟ちません。



こういったシカゴブルースのレコードを擦り切れるほど聞き込んだ、1950年代のイギリスの若者の中から
現れ出でたのが、ローリングストーンズでありアニマルズであり、勿論ビートルズであったわけです。
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