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演歌のタイトルですが、裏に対して、表がないのは、何故でしょうか?

A 回答 (2件)

演歌のイメージは


暗い、寒い、東、北、裏、貧 などのイメージですね。
明るい、暖かい、西、南、表、富では演歌にはなりません。
もちろんご当地ソングで西や南の地域を歌っているものもありますが。

歌謡曲の中に演歌というジャンルができたことがひょっとしたら歌謡曲をだめにしたかもしれません。というのも、たとえば演歌の女王などという称号を与えられた歌手が何人かいますが、数人例を挙げてみます。
★都はるみ 確かに「北の宿から」は演歌かもしれませんが「アンコ椿は恋の歌」は演歌じゃないですね。「涙の連絡船」は演歌っぽいです。
★美空ひばり 彼女の歌はほとんど演歌ではありません。
★石川さゆり 「津軽海峡冬景色」は演歌っぽいですが、「天城越え」は演歌ではないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/02/05 12:18

「演歌」と言うジャンルの名付け親は、作家の五木寛之が藤圭子の歌うのを見て聴いて、「彼女の歌は怨歌だ」と言った、と言うのはよく聞く話です。


女の怨念や恨みを腹の底から出すような節回しや冷たく無表情な顔で歌う立ち姿から、そう名付けられたのが、女の人生を演じる歌が多いことから70年代に「怨歌→演歌」と当てられる漢字が変わって、歌のひとつのジャンルとして確立していったらしいと。

まさに見るからに聴くからに、女のうらぶれた人生・男にすがって生きる人生・男に捨てられる人生・男から離れて旅出つ・酒に溺れる人生等々、今ならこんな歌は作れないだろうと思えるような歌も、普通に女性歌手(もしくは男性歌手)が歌っていた時代があったからこそでしょう。
そんなイメージが定着していたので、とても表向きに堂々と語れる人生ではない。それが裏の印象を作り上げたのです。内容的にピークはさくらと一郎の「昭和枯れすすき」だったのではないでしょうか。それは70年代末まで続きましたが、その頃からカラオケが広まって誰もが歌えるような曲調の演歌も出て来ました。特に男女のデュエット曲で暗くない演歌が歌われて(五木ひろし・木の実ナナ「居酒屋」、ひろし&キーボー「三年目の浮気」等)、そこらへんから演歌と言う枠から外れて、変化していったように思います。
今でも通好みのド演歌っぽい歌はありますが、極々少数に限られるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/02/05 12:22

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