
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
>プリンス自動車というメーカーはブリジストンの子会社だった?
御意。子会社というより、ブリヂストン創始者・石橋正二郎氏が会長職にあったという事で、ブリヂストンとの資本関係は完全子会社というものではなく、ちょっと複雑です。
プリンスはトヨタや日産よりも『先を行く』野心的なメーカーでした。
※プリンス自動車は、当時トヨタよりも日産よりも、大型のエンジンを搭載した国内最高の高級車を作っていました。
天皇の御料車で最初の国産車は、日産プリンスロイヤルです(それまでの御料車は、ディムラー→ロールス・ロイス→メルセデス・ベンツ→キャディラックと続いていました)。
このクルマはプリンスが日産に吸収された後に製造されましたが、プリンス側で開発されていたものです。
※今日ではGTの代名詞の様に言われているスカイラインは、元々プリンスのクルマでした。
日本グランプリに於いて、当時2000㏄クラスで最速だったポルシェ904を、殆んどタクシーの様な面白味のない4ドアセダン『スカイライン』が抜いて『スカイライン伝説』が始まりましたが、この時のスカイラインはまだプリンス製です。
また日産自前のレーシングカー、R38シリーズの第一弾R380は、プリンスの設計を日産が製造しただけです。
>タイヤメーカーのブリジストンはタイヤから自動車製造にシフトしようとして失敗した過去がある?
※プリンスは開発に重点を置いた高コスト体質の会社で、経営状況が芳しくなかったのは確かです。
しかし『失敗した』というのは、ちょっと違います。この話は日産の社史ではなく、ブリヂストンの社史編纂本で語られています。
※プリンスの経営が悪化していた時代は輸入自由化の前夜で、自由化の後は大量の海外製品が日本になだれ込むことが予想されました。
この時自動車産業は、敗戦によって消滅した航空機産業やアタマ打ちとなりつつあった船舶産業の次を担う『工業の屋台骨』として育ちつつあり、外車と市場で競合してチカラ尽きる事は、戦後常に雇用問題を抱えていた政府としては見過ごせませんでした。
そこで政府が打ち出したのが、『中小の自動車メーカーを併合させ、体力のある企業として育てる』という政策でした。
この経済政策は早速各経営陣に打診され、例えば国内に100社以上もあったとされるバイクメーカーは、同業で会社規模の大きいバイクメーカーや自動車メーカーに吸収されて消滅しました。
当時はまだ、トヨタも日産もブリヂストンも国際的な商品の域には達してなく、今後世界を相手に商売を続けていけるのか、誰にも確信が持てない時代です。石橋氏はかなり悩んだ様でしたが、既に国内では全ての自動車メーカーを顧客としているブリヂストンに対して、経営状況が芳しくないプリンスを天秤にかけ、結局『政府の指導に沿い自動車産業から手を引き、我々はタイヤ事業に専念して世界に踏み出す』という道を選択しました。
元々石橋氏は地下足袋を発明したので(足袋にゴム底を貼る接着技術の研究が、ゴムの研究に進みタイヤ製造に進出しました)、ゴム関連の技術であれば世界を相手に出来る自信があった、っと思われます。
※それにもう一つ。これは非公式な『うわさ』ですが。
ブリヂストンは当時、既に国内全自動車メーカーにタイヤやゴム部品を納入していましたが、一方自動車産業で国内制覇を目論むトヨタは、技術的に先行しているプリンスの存在が邪魔です。ブリヂストンに対し、『このまま自動車製造を続けるなら、ブリヂストンからはタイヤを購入しない』っという、脅しとも取れる通告を出したと言われています。
今なら『下請けイジメ』としてコンプライアンスに抵触する案件ですが、ブリヂストンはプリンスで世界市場に単身乗り込むよりも、トヨタを始めとした日本の自動車産業の将来性に賭けた、と言える選択をしたわけです。
・・・やがて日本のクルマ達は世界の自動車市場を征服し、トヨタは世界一になり、ブリヂストンも、世界一のタイヤメーカーとして100年間君臨し続けていたミシュランと、世界一の座を争っています。
日本の自動車産業に於いて、経営者の英雄というと豊田喜一郎氏や本田宗一郎氏が上がりますが、彼らはただ『自分がシャカリキに働いて、目標を実現した』に過ぎません。
誰にも将来が見えなかった苦しい時期に正確に未来を見据え、その通りに時代が移り替わっていったという点を見ると、石橋正二郎氏こそが困難な時代を読み切った最高の経営者ではなかったか?っという気がしてなりません。
>よく自動車事業に失敗して今も生き残れましたよね。
・・・ホンダに於ける本田宗一郎氏の存在の様に、ブリヂストンには石橋正二郎氏を崇拝する思想がまだ残っています。
自動車メーカーよりも長いブリヂストンの歴史の中で(自動車メーカーで最古参のいすゞやトヨタの誕生よりも前から、鶴見のフォード工場向けにタイヤを作っていました)、赤字に転落したのはリーマン・ショックをモロに被った1年だけです。バブル崩壊や、北米経済界で大変な騒ぎとなった米国ファイアストーン社買収の時でさえ、ブリヂストンは赤字を出していません。日本の自動車産業界に於いて、赤字の年度が最も少ないのはブリヂストンです。
ブリヂストンは、貴殿が指摘されている様に『生き残った』んでしょうか?ワタシにはそうは思えません。この会社は、『なるべくして今日のポジションになった』様な気がします。勿論、長い歴史の中で常に経営陣や社員の努力が続いたからこそ実現している現在の地位ですが、それは『将来が不安な中、ガムシャラにやった結果』ではなく、『将来に確信があって突き進んだ結果』だと思います。朝鮮特需や高度成長期、バルブ経済など、お祭り騒ぎの様な混乱の中で成長と衰退を繰り返して来たのが日本の経済ですが、ブリヂストンには特別な『将来動向の見極めと、それに裏打ちされた堅実さ』が備わっている様な気がします。
などと言いつつ、最近の世界経済の動向を見ると、まぁ、来年のこともよく判りませんけどね。

No.8
- 回答日時:
・自動車は作っていませんが、一時期二輪車は作っていましたね。
レースにも参戦していましたし350GTRは速かったですよ。・石橋会長がプリンス自動車の会長を兼務していたのは事実ですが、子会社ではありませんでした。
・60年代後半に二輪車製造から手を引いてしまいましたが、自動車製造にシフトしようとしたことはありません。
・60年代後半には二輪車はホンダ・ヤマハ・カワサキ・スズキの4社に収斂されていきましたので、二輪車製造も失敗というよりは、本業のタイヤ製造に戻っていったのではないかと思います。(60年代半ばにはラジアルタイヤが急増していった時期でもあります)
No.7
- 回答日時:
プリンスは、ベース車両自体が今なら1千万円超のクルマ。
あの時代に、そんな価格のクルマは売れなかったのが現実でしょう。
金になりそうな事業に出資するのは、資産家としては珍しく無いことだが、
既設の自動車会社に出資はしたものの、
ブリジストがプリンス自動車を設立した歴史はありません。
>自動車製造にシフトしようとして失敗した過去がある?
ありません。
日本の自動車メーカー自体が
「箱根の山を越えられるか?!」 なんてテストを繰り返していた時期で、
とてもではないが輸出して歓迎されるようなクルマは造れなかったのが事実です。
アメリカ人が「欲しい!」と感じた日本車ってフェアレディZが最初だったでしょうね。

No.4
- 回答日時:
「プリンス自動車」で検索して社史を調べてから質問して欲しいね。
この顛末は大人の事情が複雑に絡んでいるのでお子様の君には理解できないと思うよ。
ともかくブリジストンとプリンス自動車は別会社。
出資者の中に石橋正二郎{も}いた、それだけのこと。
その辺りを勘違いして「ブリジストンの子会社だった?」との発想は稚拙。
ブリジストンがプリンス自動車を子会社としていた事実はない。
No.3
- 回答日時:
石橋正二郎個人が東京電気自動車に出資したことがあると言うだけのことですよ。
ブリジストンは全く無関係です。
ブリジストンは、足袋屋さんがタイヤを作ったと言うだけです。
No.2
- 回答日時:
第6話 プリンス自動車と日産自動車の合併
プリンス自動車設立の発端は、1949年石橋正二郎が東京電気自動車に出資したことに始まります。
1960年代半ば、資本自由化実施を控えて国際競争の激化を予見した通産省は、業界再編成を推進し、
自動車産業においては日産自動車とプリンス自動車の合併を模索しました。
石橋正二郎は、かねてから業界再編成の必要性を痛感していたため、1965年に両社の合併を決意し、1966年両社は合併を完了しました。
石橋正二郎:ブリヂストンタイヤの創業者
第4話 オートバイ事業からの撤退
第5話 液化ガス事業への進出と撤退
いろいろやろうとしたみたい。
No.1
- 回答日時:
ブリヂストンサイクルは、2019年(皇紀2679年)2月現在も自転車を作っている。
https://www.bscycle.co.jp/
タイヤ部の自転車部門が分離独立したみたいですけどね。
プリンス自動車工業は、仏の某自動車会社の元CEO兼横浜市に本社を構える某会長兼東京にある会社の元会長の兼任しており逮捕された会社の横浜が本社の会社ですよ
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