この人頭いいなと思ったエピソード

(宗教の戒律)
[憲法と法律]
貴方にはどちらが優先?

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    クライストチャーチでは、法律で大量殺人は極刑なのだが、信じる宗教が違えば、自分に関係ないのにしてしまう?

      補足日時:2019/03/19 07:12

A 回答 (8件)

米国在住です。

そしてキリスト教徒。

アメリカでは、キリスト教徒であるほうが、グンと、生活が楽になります。現在、性虐待で揺れている(ように見えるが、基盤は全く揺らいでいない)カトリックよりも、プロテスタントのほうが、戒律的には、厳しいものがあります。個人同士の集まりでも、ワインは出ませんし、私が社交ダンスに入れあげていた時も、良い評価は得られませんでした。享楽的、ということで。戒律が厳しいほうが、外部社会には、より批判的になります。

911が起きてから、それまで、一枚岩であったプロテスタントの中に、何か、不穏な要素が育ってきたのを、肌で感じていました。安保闘争で学生運動が起こった1960年代の日本に少し似ているかもしれません。若者の意識が根本的に変わっている実感があります。多様化です。イラク戦争で少し、ガス抜きができたと思いましたが、それでは済みませんでした。

真珠湾攻撃が太平洋戦争を誘発したのを見てもわかるように、やられたら、必ずやり返す国民性です。Justice(公平な判決)を得るのが、非常に大切だと、考えます。もし、自分が、不公正に取り扱われたと知ったら、社会正義に訴えます。SNSには、社会的正義を訴える声が、あふれています。SNSは一つの宗教的儀式のように見えますが、それで満足できない人間が、JUSTICEを求めて、粛々と実行したのが、今回の虐殺事件であったように見えます。実行犯がアメリカ人ではなく、オーストラリア人であったのは、私には、ショックでした。

法は、基本的に、国内でしか効力を持ちません。SNSに精通した、現代の若者は、その、制約を飛び越えてしまっています。

ご存じのとおり、いかなる宗教も、殺人を戒めています。ですから、宗教の名において、人殺しを行うのは、自己矛盾です。国家間の戦時でなければ、宗教的には、重い罪を犯すことになります。ですから、日本人が良く言うような、”宗教が殺し合いをさせる”と言うのは、間違いです。殺し合いが始まるのは、”殺さなければ、自分が殺される”と言う、危機感です。イスラム教は、15世紀まで、ヨーロッパを席巻した宗教でした。そして、オウム教も、”終末”と言う、危機感をあおりました。

日本人は、何でも水に流してしまう、神道を、心の中で大切にしています。世界で、そんな風に考えるのは、日本だけです。共産主義という思想をもとに、よど号のハイジャックやテルアビブでのテロ行為、浅間山荘に立て籠もって、彼らなりの社会正義を貫こうとした赤軍派の存在を、もう、忘れてしまったのかなぁ、と、疑問に思います。
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この回答へのお礼

同意

お礼日時:2019/03/19 22:54

人間社会のあり方を規定するのに、宗教、国家、政府という階層があります。

これは決して対等な位置にあるものではないので、それを横並べて比較することは意味がありません。そして、その階層の違いの決定的な要素は、それらの成り立ちの時間スケールです。

事実、政府は精々数十年〜百年のスケールで存在する。国家は数百年のスケールで存在する。そして、宗教は千年のスケールで存在する。

政府を規定するのが法です。そして、国家を規定するのは文化です。さらに、宗教を規定するのは国家を超えて人間の喜怒哀楽に基づいた道徳観念です。ですから、法と戒律を比較するには、その基盤を形作っている時間スケールが違いすぎています。

さらに、国家や宗教と比べて比較的短い時間スケールで存在する政府の形態を安定的に維持するために警察がある。それに対してはるかに時間スケールの長い国家の形態を安定的に維持するために軍隊がある。ですから、警察も軍隊も共に武器をもって強制力を行使する組織ですが、その存在基盤はあまりに時間スケールが違っているので、警察と軍隊を同列で比較することは意味がない。そのことが理解できれば、なぜ国家には軍隊が必要であり、政府には警察が必要であるか理解できるでしょう。さらに、なぜ人類の歴史で同じ武器集団であるにも関わらず、軍隊がクーデターを起こすことがあっても、警察がクーデターを起こしたことがないのかも理解できるでしょう。

このように我々社会の存続に対してあまりにも時間スケールの違う戒律に基づく宗教と、法に基づく政府を同列に並べて比較することが、如何に意味の無いことかお分かりになっていただけるでしょうか。
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この回答へのお礼

もしイラクやイランがキリスト教国だとしたら、宗教の自由が保証されているアメリカでも大統領就任式に聖書に誓うのは何故?

お礼日時:2019/03/19 20:19

良く解りませんが、個人的には、疑いなく「憲法と法律」です。



宗教は「私が作ったものではない」し、時代や人や、思惑で、
「解釈を勝手に変更」している。

「憲法と法律」は、間違っていれば「改正」出来るし、
時代に合わせることも出来る。
(この意味で、「日本国憲法」は奇形ですが・・・・)

唯一神教なるものは、何故、他の唯一神教と共存できるのか?
理解できない。

全ての他の宗教を抹殺、否定、するなら解るが、「共存?」
している。

それこそ、信頼できない証拠。

ご都合主義。
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この回答へのお礼

つまり神の規律は、2000年前では人間が作った憲法よりも神の言葉のほうが優位だった何故神に逆らう!

お礼日時:2019/03/19 20:24

> 法律で大量殺人は極刑なのだが、信じる宗教が違えば、自分に関係ないのにしてしまう?



刑法によって罪と罰を定義するからこそ、それに対応する為の権力を司法機関に与える事ができるし、武力を軍隊や警察に付与する事ができる。これが法治国家の仕組み。

法律があれば事件が防げるわけではない。
ただし起きた事件から教訓を得て、改善する事ができる。
それが人間社会の仕組み。
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この回答へのお礼

テンプル騎士団ソロモン神殿の跡詣でのキリスト教徒を守ると言うだけで、イスラム教徒、ユダヤ教徒を大量虐殺、最近ではオウムが人類救済の為サリンをまく、オウム信者は殺人は悪とわかっていたのに、まるで害虫駆除のように?

お礼日時:2019/03/19 08:46

憲法というのは国家権力を規制する


法ですので、一般庶民が憲法を守る、
ということは、基本ありません。

法律と戒律ですが、法律を破れば国家の
制裁を受けます。
死刑もあり得ます。

戒律を破れば、その宗派の制裁を受けます。

しかし、国家の方が宗派よりも強いので
宗派の制裁は法の範囲に限定されます。

強い方に従うのが合理的です。

そうでないと、オームのように死刑にされて
しまいます。
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お金があれば健保運勉強も舌でh沿うけれど


akbにも拳法の人がいましたよね。
今後の展開が和kリマ線が。
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憲法です。


法治国家に生きる国民としては、当然です。
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憲法と法律では、当然ながら憲法が優先です。



かっこ書きは一般的には捕捉なので、「(宗教の戒律)」は無関係ですよね。
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