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もし、動物と人間を分かつ基準があるとすれば、
「己は何者なのか」
「自然は何者なのか」
を問うか否かがあると思われます。
おのれの身体活動、人間の活動、自然現象に対する畏怖、それらを「問う」という活動。
生命豊穣の象徴である男根の石像を作り、身代わりの人形を破壊し、雨乞いをし、それらのアニミズム信仰の起源、「畏れ」
つまり、哲学するかどうか。
この哲学が始まったので、現生人類は宗教を起こしたのでしょう。

では、この精神活動は現生人類だけの特権だったのでしょうか?
ネアンデルタール人は、埋葬の儀式があったそうですが、だからといって、現生人類の作り上げたような宗教を作る可能性はあったのでしょうか。または、実際あったのでしょうか?

A 回答 (2件)

一つ前のご質問も拝見いたしました。


今回のご質問とも関連するようですので、まとめて私の見解を述べさせていただきます。

1.対象となる生命体が、(部分でありながら全体を含む)自己参照系の思考、すなわち「ゲーデルの不完全性定理」(相当)にまで考えを巡らせることのできる知能を有するならば、そうして、宇宙全体に対して、「常に部分でしかない」存在であるならば、宗教は生まれいずることでしょう。

2.もし、上記前提条件の一つでも欠けるのなら、宗教は発生し得ないと考えます。

2-1.たとえば、(部分でありながら全体を含む)自己参照系の思考が不可能な場合、既存の人工知能(機能としての自己参照系を有するが、部分のみの処理に限定される)と同等レベルであり、意識が生じるかどうかすら定かではない。

2-2.たとえば、「常に部分でしかない」ではなく、宇宙全体と等価な存在(すなわち、宇宙全体を意のままに操る存在)であった場合、もう少し判りやすくいえば、宇宙全体が非常に小さく、自分自身しか存在せずに「外部がなかった」場合。「外部」と認識しうる世界が無く、自分自身で完結しているので、「宗教」は生まれ得ない。

3.したがって、「1」の条件を満たす生命体であれば、「宗教」は生じうると考えます。
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わかりにくい表現だったかもしれませんので、簡潔にかいておきます。


「部分でしかないのに、全体を語りうると(知的に)錯覚しうる生命体」
であれば、宗教は発生しうると思います。
ネアンデルタール人がそのような知性を有していたならば、宗教は発生し得た(していたかもしれない)と思います。
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