No.10ベストアンサー
- 回答日時:
当人が希望して別の土地に赴く場合、土地や風土、文化、人に期待しているので、得てして「痘痕も笑窪」になりがちです。
相手からしても、一過性のお客さんなので地は隠して笑顔で振舞うでしょう。行った人が飽きて、その土地の人も来訪者に気を遣わなくなってから、初めて一過性でない気候や、風土慣習、文化、価値観などに触れるわけです。最初の期待は裏切られ、互いに地金が見え隠れし、上っ面でない会話になり、それでもその土地や人が好きか嫌いか段々と分かってきます。そこで諦めずに更に滞在すると、妥協できるかどうか互いに距離を測り始めます。
イメージ的には、「憧れ」→「真実が見えてガッカリ」→「でも、意外と良いところもあるね」 or 「あー、やっぱ駄目だわ、ここ」という流れです。ここまで行けば、さすがに自分が生まれ育った土地や文化、風習、価値観と、やっと比較ができるようになります。もちろん憧れからだけ始まるわけではないでしょう。仕事での赴任だから仕方なくということもあるでしょう。そうなると最初は「不安」だとか「疑念」から始まり、「でも、意外と良いところもあるね」とか「やっぱ、思った通りだわ」になり、「それでも・・・」という流れになるのではないでしょうか。
何にせよ、こういう比較ができるまでには、最短で半年、最長で5年ぐらい、下手をすると、子供が地元の学校に通うようになって初めて知ったとかもあるでしょう。時間もかかりますし、その土地での関わり方も関係します。
それでも「日本は・・・」、「日本人は・・・」とまともな比較論を語るには、そういう経験が一箇所とか一カ国では不足しています。個人的にはそういう対象は3つ以上あるべきだと思います(日本を含め4つで比較)。同じような文化風習のところではなく、例えば経済という視点で語るにしても、ニューヨークや上海などの動きが激しいところ、インドやマレーシアのように独特な地域性があるところ、アラブ地域のような特殊な価値観で動くところ、発展途上国というより後進国といった方が適切なところぐらいのパターンを経験しないと、本質的な会話にはなりません。よって、ほんの一部の分野に絞ったとしても、多分、最低で3年、可能であれば20年ぐらいの時間は見た方が良い気がします。
もちろん、ニューヨーク、ロンドン、フランクフルト、香港のように敏感で動きが早いところと比較すれば、日本が敏感であるか、日本の動きが早いかという比較論はできるとは思います。
「日本は・・・」、「日本人は・・・」に限らず、「アラブ地域は・・・」、「アラブ人の思考は・・・」なんて騙るジャーナリストもいますが、原理主義的な地域と世俗主義的な地域では全く違いますし、宗派によっても、近隣の国との友好度合いによっても、呆れる程、幅があります。それとて表の顔で、外国人や異教徒には見せない顔もありますから、一括りにしている時点で「うーん、底が浅い」と看過されます。いえ、別にアラブじゃなくて、「アングロサクソンは」とか「インド系の民族は」とか「東南アジアでは」とかに置き換えても良いんですよ。
>(一般的には、否定的な内容が多いようですが)
否定、批判をするには、より多くのサンプル、より多くの経験、より長期スパンでの比較ができないと難しいでしょう。それができていない癖に批判ぶったり、挙句、自分の足元である日本の知識、理解が不足していたりすると、識者のみならず敏感な人にそれを直感的に察知され「こいつw、浅いな」と見透かされる訳です。
また、こういう言い方をする人は「インドネシアと比べて日本は」とか「パナマ人と比べて日本人は」とは言いません。仮にスペインと比較する人がいればキーワードは「情熱」だったり、イタリアと比較する人がいればキーワードは「デザインセンス」だったり「享楽性」とかだったりしますが、そもそもそういうステレオタイプな捉え方から抜け出せずに無分別に批判しているようですと、「うーん、こいつwww」と思われたりします。思われている人はそんなこと想像だにしていないでしょうけど。
ドイツの職人的工業製品と日本の大量生産工業製品の比較で批判しているような人は、実は日本人には多いような気がしますが(しまった、私自身も「日本人は・・・」を言ってしまったw)、単に工業そのものの考え方の根底に根ざしたアプローチの違いであって、どっちが好きか嫌いかはともかく、実はどっちが優れているという結論には至らない方向違いの議論だったりします。
早速のご回答ありがつございました。
wellen様のご体験からの説明なのでしょう。
<「憧れ」→「真実が見えてガッカリ」→「でも、意外と良いところもあるね」 or 「あー、やっぱ駄目だわ、ここ」という流れです。>
<比較ができるまでには、最短で半年、最長で5年ぐらい>ですね。
もっと詳しくは<対象は3つ以上あるべきだと思います(日本を含め4つで比較)。>
<最低で3年、可能であれば20年ぐらいの時間は見た方が良い>のですか。
このような厳しい条件が必要であるので、く「日本は・・・」、「日本は・・・」と、軽々しく言えませんね。そうでないと、<「こいつw、浅いな」>と見透かされる>のですね。
No.11
- 回答日時:
事実認識と客観性の問題を提起しているものと理解しました。
私は日本人ですが、私が日本は~、日本は~と言っても、間違っていることが少なくないと思います。
そしてまた、こう考えるならどうでしょう。
私が私について語る時に、私は~、私は~と言う。その時の、~の内容は間違っていることが少なくないと思います。
主観とは、往々にして偏重するものであるというのが私の経験から来る判断です。
他人のことはよく見える。これも、私の経験から来る判断です。
自分のことは自分自身が邪魔をして見え難い、これは、私が経験と観察と省察をもとにして導いた見解です。
従って、外国に長く住んでいたり、外国人と深く付き合ったり、また国際的な活動に従事していたり、世界の歴史や文化に通じていること、外国語が堪能であること、etc...は、日本を客観視し、その実態を正しく把握することに有利に働くと私は思います。
他者とかかわる事で他者の立場や視点や意見を得て、もって自己を省みることは、自己を知る旅の初歩的なこと、練習の様であります。けだし、”人である”という立場に立って、自らを省みることが正しさに通じるであろうからです。
他者の視点や立場や意見を知ることは通過点のようなもので、総じて人とはいかなるものかを知ることが肝要であると私は考えます。
他者には他者の思惑があり、他国には他国の思惑があり、自分には自分の思惑があり、自国には自国の思惑があります。これら思惑に揺らいでいる見解をいくら集合しても正しい知見は得られないでしょう。しかし、自分と異なる見方、視点、視座、意見、そういうものがあるという事を知るだけでも価値があるのです。
ところで、自己を正しく知るには人というものを知らなければならないと言いましたが、国(くに)というものを正しく知るには何を知るべきであるかというと、それは”世間”でしょう。世間とはいかなるものかを知るために、他国や他国民、異国文化、歴史、etc...に通じている事は無駄にはならない。
ただ、多く他人と触れ合えばそれだけ自己が深く知れるというものでもないという点は知っておくべきことでしょう。そこに内省が無ければ、豊富な人付き合いや社交性も自己の内面の開拓には貢献しない。他国についても同じく、外国に精通すればするほど自国のことが分かるかというと、おそらくそうとは限らない。自国を知るのにも内側の観察が必要なのだから。その契機として、他国をよく知っておくことは有益だと私は思います。
早速のご回答ありがとうございました。
豊富な経験と思索から回答して頂きました。
<主観とは、往々にして偏重するもので><自分のことは自分自身が邪魔をして見え難い>ですね。そして<他人のことはよく見える。>のですね。
<外国に長く住んでいたり>・・・すると、<日本を客観視し、その実態を正しく把握すること>ができるようになるのですね。
しかし、<外国に精通すればするほど自国のことが分かる>とは言えないのですね。<内省が無ければ>ならないのですね。
No.8
- 回答日時:
いえ
外国生活が長いと
日本の現状のことは、知らないところもあるということと
「日本人は〜」と言うかどうかは
また別で(苦笑)
言われるたびに
そう思うなら来るなよ、と思ってしまいますが(苦笑)
再度のご解答ありがとうございます。
<外国生活が長いと日本の現状のことは、知らないところもあるということと
「日本人は〜」と言うかどうかは
また別>なのですね。
No.7
- 回答日時:
「日本人は~」という言い方はかなり一般的で、このカテでもかなりたくさんの人が
使っていますよ(数えていませんが)。
その中でも頻繁に使っている人は私を含めて数人と言えるでしょう。その頻繁に使う
人を特に問題視しているのでしょうか?
この言い方をする人の中には「日本人を悪く言う」ことを目的としている人がいると
思っています。しかし、このカテにはいないと思います。
それを目的とする人は、議論をしても平行線にしかならないはずですので、その点に
関しては放っておく以外にないでしょう。
考えてみて下さい、それ以外の人は何故そういう言い方をするのかを。
「日本人にはそういう欠点があるから、反省すべきである、あるいは少なくとも認識す
べきである」と考え、その点について議論することは吝かでない、ということだと思い
ます。
その目的観に立てば、必ずしも正確な文化比較は必要ないと思います。
その欠点が日本人に本当にあるのかないのか、そして、それは本当に欠点と言えるかど
うか、さらに、努力してそれを変えるべきかどうかなどが問題になり、日本人の顕著な
特徴であるか否かは大きな問題ではないと思うからです。まあ、比較が正確であるに越
したことはありませんが。
正確な文化比較ということについて述べれば、例えば、アメリカに10年、イタリアに10
年、フランスに10年生活をしてきた人がいるとします。交友範囲が狭くて、偏った認識
をしていることもあり得るでしょうし、長くいることによって偏った固定観念がついてし
まうこと、あるいは日本のことを忘れてしまっていたり、変化した日本のことを知らなか
ったりすることもあり得るでしょう。
一方、海外での生活の経験がなくても、長い間に情報収集し思索をし、かなり正確な文化
の比較が出来ているケースもあり得るでしょうから、海外に居た期間、交わった外国人の
数というのは、必ずしも、いや、あまり関係ないと思います。
早速のご解答ありがとうございました。
”日本は・・・”・”日本人は・・・”を使用している人には、
<海外での生活の経験がなくても、長い間に海外での生活の経験がなくても、長い間に情報収集し思索をし、かなり正確な文化の比較が出来ているケースもあり得るでしょうからをし、かなり正確な文化の比較が出来ているケースもあり得るでしょう>ですね。しかし、そういう人は稀でしょうね。実体験が無く、少数の視点からみた偏った<情報収集し思索をし>ているだけのような気がします。それだけに、自分の意見は名刀にように切れ味が良い、と思っているのでしょう。
No.5
- 回答日時:
知り合いで、ヨーロッパ専門の旅行会社を経営してる方がいるんですが
あまり「日本人は」とは言わないかも…言うかな?
親戚で40年くらいヨーロッパで暮らしてるのがいますけど
そうなると逆に
日本の現状を知らないところもありますが…
覚えてるのは
「日本の卵は特別に殺菌されてるから生で食べれるのであって
外国の卵は生で食べちゃだめなんだよね、
知らなくてさぁ」
って話かな?
早速のご回答ありがとうございました。
1.外国生活が長くなり、<日本の現状を知らな>くなると、逆に”日本は・・・”とは、言いずらくなるのですね。
2.卵の件、お互いに正しい知識や体験が必要ですね。思わぬところに誤解が生じては、互いに損ですね。
No.4
- 回答日時:
>ところで、このような言葉を使えるには、外国へどの位訪問(見物・居住)したり、どの位の外国人と交わらねばならない、のでしょう?(もちろん、その軽重や深浅があり、一律はいえませんが)
文脈によるかと思います。
例えば、「アメリカ人は日本人と比べて実は宗教価値観が強い。その理由は、アメリカの父と言われているピグリム・ファーザーはカルヴァン派であるからである。カルヴァン派とは、30年戦争後に宗教価値観から脱却しようとするヨーロッパから居場所がなくなった者が、アメリカと言う新大陸に逃れてきたもの達である。その様な祖先を持つので、現在のアメリカ人も宗教価値観が強い国民性である。現にアメリカの保守派の支持母体はエヴァンジェリカである。進化論を一切教えず、アダムとイブから人類が誕生したと言う事しか教えない州も存在する。日本人はそれと比べて宗教価値観が薄い。日本で最初の宗教戦争は六世紀の神仏崇拝論争による蘇我・物部の争いであるが、7世紀の律令国家建設過程で解決する。信長の本願寺や延暦寺の焼き討ちを宗教戦争と観る者もいるがあれは宗教戦争ではない。信長は政治に介入する本願寺や延暦寺、他の宗教を攻撃する日蓮宗は容赦なく弾圧したが、宗教活動に留まる限り寛容であった。秀吉のバテレン追放も、カトリックの牧師が日本人を奴隷として売買したり、カトリックに改宗した日本人が仏像の破壊などの他の宗教を攻撃したので弾圧したのである。当時のキリスト教がどれだけ攻撃的であったかは同時代の30年戦争というカトリックとプロテスタントの殺し合いを見れば理解できるだろう。信長の時代ではその危険性は露見しなかったが、信長もそれに気づいていれば当然弾圧しただろう。日本人は歴史的に見て宗教価値観が薄く、攻撃的ではない限り他の宗教に寛容である。それは現在でも、神道と仏教が宗教分布の大半でありながら、30年戦争で宗教価値観から脱却しようとする勢力が勝利し、近代化され攻撃的ではなくなったキリスト教の儀式で結婚式を行う事が一般的となっている事からも明らかである。因みに宗教価値観が薄いと言うのは、道徳心が薄いという意味ではない。宗教と政治を区別する価値観が備わっていると言う意味である。宗教価値観が強い者は、政治に宗教を持ち出す傾向にある。アメリカの人工中絶の問題はまさに宗教問題である。日本においては、そういう問題はほぼ皆無である。」
と言う日本人とアメリカ人を比較する文章があったとします。この場合はアメリカの生活経験は皆無でも良いです。アメリカ人とも合った事がなくても良いです。勿論アメリカ人でも、プログレッシブは無宗教(私から言わせれば無宗教と言う宗教価値観が強いが)に近い人が多いですし、日本人でも、宗教価値観が強い人もいます。しかしこの文章は、歴史の知見による根拠での一個人の見解ですので、経験がなくても構いません。
例えば、「○○人は日本人と比べて、薄情で無礼な奴しかいない」という文章は、宗教、文化、民族的な歴史的知見の根拠も示されず、経験に基づいた根拠も希薄であるため、「お前、○○人にどれだけ合った事あるんだ?」と言いたくなります。「何人合えば良いか」は知りませんが。
経験が重要かどうかは、その人が使う「日本は~」「日本人は~」の文脈によると思います。
ご解答ありがとうございました。
歴史上の出来事・人物は、<歴史の知見による根拠での一個人の見解ですので、経験がなくても構いません。>ですね。
しかし、現在のことは<経験に基づいた根拠も希薄であるため、「お前、○○人にどれだけ合った事あるんだ?」>になりますね。
<経験が重要かどうかは、その人が使う「日本は~」「日本人は~」の文脈>(状況?)<による>ですね。複眼視が必要ですね。
No.3
- 回答日時:
外国暮らし半世紀以上ですが、「日本は・・・」、とか言うことはないです。
数年でこちらの風習も文化も宗教もロクに分かっていない人が分かったふりをして大発言する人に、「日本は・・・」が多いです。まあ、自分勝手な屁理屈を言う日本人男は多すぎますね。
早速のご解答ありがとうございました。
<数年でこちらの風習も文化も宗教もロクに分かっていない人が分かったふりをして大発言する人に、「日本は・・・」が多いです。>ですか。
分かってないから、自分の発言の怖さ(正確さなど)に気がつかないのでしょうか?
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