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空には鳥の飛ぶ道があり、海には魚が通る道がある。では、人間の道とは
何でしょうか?

例えばこんな意見があります。

「人間には、万物の王者としての偉大な天命がある。かかる天命の自覚に
立っていっさいのものを支配活用しつつ、よりよき共同生活を生み出す道
が、すなわち人間道である。人間道は、人間をして真に人間たらしめ、万
物をして真に万物たらしめる道である。」 ( 松下幸之助)

当たり前のことを言っているだけに思えるかも知れませんが、私には彼の
長い人生経験の結論として、大変に深みを感じる言葉です。

質問者からの補足コメント

  • 知性的にいきましょうよ。

      補足日時:2019/04/05 00:06

A 回答 (24件中1~10件)

経営学ではとうか経営では松下コウノスケは神様なのでh層絵kれど


待つと云うな目を渡井は個人的に嫌いなので、なかなか難しいのですが
競泳の背飲酒も名がテナタイプの人ですね。
活躍してるようで宇賀。

福音書の聖句と松下子の薄怪我何か観江rンしてるのでh層化。
カルロスゴーン藻ないがなにやら見大師毛ではペンギンが何か有るのでh層化。
思考が今後書に似ているなとか思いましたが
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他人に聞く事では無いのは確かですね・・

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この回答へのお礼

なるほどね。

お礼日時:2019/04/04 23:52

ソウルが形状不でいろいろ有るのですね。

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鳥は空のどこでも飛べます。

魚は海のどこでも泳げます。
空にも海にも道などありません。
人間にしても、どのようにでも生きることができるので、道は
ありません。マザーテレサのようにでもヒットラーのようにでも
生きられます。

道がないので、みんなそれぞれ勝手なことが言えるんです。松下幸之助の
発言は「万物の王者」とか「いっさいのものを支配」とか傲慢ですね。

強いて言えば、道の上を歩くのではなく、歩いた跡が道になるんです。
http://www.jlogos.com/d006/5450000.html
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この回答へのお礼

今からでも意識的に人生経験を積むことをお勧めします。

お礼日時:2019/04/04 23:56

こう言うズバリの質問には立ち止まって一案する。


思うにそれは、平等とか、静けさとか、自由とか、言われるものだと思うが、改めて自分なりの語りで表現したいと思えば、それは諍いのない事だと思う。人と人の間の距離は、月と地球ほど離れる事はない。しかし求めごころを離れているので、その距離は天体間の距離以上の開きがある。故にその間にはイザコザが生じない。その想いは皮膚を通さずに触れることができるために、相手に痛みを与えない。人と人の間では言葉が通じる故に、いかなる障壁があろうとも問題にならない。

かかるような離れて通じる道が、人にはあるのだろうと。

哲学者にこの問いを問えば、答えは言葉となるだろう。人の道は言葉の上に成り立つ。しかし、空であるなら何処でも鳥は飛べるわけではないように、言葉を知ってるだけで人は道を歩けるわけではない。微細な、または大きな空気の塊や流れ、気圧や季節、地形や時間、そして強靭に進化した身体という条件が揃って初めて鳥は空に道を見出すことができる。魚も同じ。そうしなければ鳥であっても墜落し、魚であっても(水に)溺れるだろう。
人も同じである。言葉を有しているだけでは道は見出せない。言葉をぞんざいに扱っては自他を損ない赴くべきところではないところに人は赴く。

確かな道を見出すためには、苦しみを知らねばならない。(苦しみを体感するのではなく)
澄んだ眼と、聡い耳と、直き心によって道を見出さねばならない。余計な考えをやめて濁りを去り、矯めた心によって自由を知り、束縛を離れることによって核心に近づけ。

苦しみと言えば少し違和感をおぼえるかもしれない。ただ、苦しみを"知る"と言うところにポイントがあるのだと受け取っていただきたいと思います。いかがでしたでしょうか。文体については勢いを殺さない為に振った感がありますが、そこら辺はよしなに。。
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この回答へのお礼

哲学的な問いは時に強烈な懐疑を伴うものです。つまり、常識を疑うということですから
傍から見れば諍いやイザコザに見えることもあるでしょう。まして、文字だけのやり取り
ですからね。
そして、私は現代の常識をかなり疑っていますし、かなりストレートに表現してきたと思
っています。(それでも、かなり控えめです)

以前引用した野矢茂樹氏のラジオ番組を少し聞いてみましたが、彼はかなり言葉を選んで
しゃべっていたように思います。それでも、聞き手はラジオ番組であるにもかかわらず、
少々イラついたような場面があったように思いました。

哲学的な話というものは、そういう性質があると思いますよ。新しいものが世に出るとき
には、後に消えるにしても残るにしても、反発がありますよね。
それを仮に諍いとし、避けるべきだとすれば、保守的な進歩のない世界になるでしょう。
そして、人の争いというものが「地下化」し見えにくくなってゆくと思います。それは、
つまり、現代の様相です。

現代日本は「炎上社会」ですから、私とて現実には言えないことだらけです。ここで言っ
ているみたいにやったら、人間関係が一発で壊れることでしょう。

ここは、閉ざされた世界で、私も去っていった多くの人達と同じように、とうの昔に限界を
感じていましたが、キサラギさんをはじめ幾人かの話せる人がいたので、今までいたような
ものです。

確かに、ズバズバものを言いすぎたとは思っています(笑)。もう少し集中していれば良かっ
たのですが、仕事の合間に少し無理をしてやっていましたので、それも良くなかったかもし
れません。

ここの質問者が同じ質問を繰り返し、それをやめられない気持ちは分かりました。
ここの回答者が、ここにはアホやバカばかりだと愚痴る気持ちは分かりました。
タマに登場して、裁くカテ奉行の気持ちも分かりました。
また、同じ回答を繰り返す人の気持ちも分かりました。

いずれにしましても、「限界」の様相だと思います。ですから、ここが、良く変化することは
ないでしょう、このままでは。
ここだけではありません。日本社会のいたるところが同じ原理で限界に達していると思います。

どういう原理かと言えば、つまり「公益」を考えているような顔をして考えておらず、「私益」
ばかり追っているということです。
この点はとても重要だと思います。

お礼日時:2019/04/05 09:47

>知性的にいきましょうよ。



知性とは何ですか?
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この回答へのお礼

私は、私の疑問について一緒に考えてくださいとお願いしているわけです。
質問を立てるというのは、そういうことだと思います。

例えば、そこに立てる人が、知性のある人だと思います。

お礼日時:2019/04/05 09:55

知性的にいきましょうよ」←知性的なら 他人に聞かずとも理解しないと いけない事なのだが・・?

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この回答へのお礼

他人の意見を聞かない人は、大抵独善家です。知性的でないですね。

お礼日時:2019/04/05 09:56

当たり前のことを言っているだけに思えるかも知れませんが、


 ↑
キリスト教ヒューマニズムの影響を受けて
いますね。




私には彼の
長い人生経験の結論として、大変に深みを感じる言葉です。
 ↑
心構えとして受け取るべきでしょう。

鳥に道など無いし、魚の道もありません。
本能に従って同じ航路を行き来しているだけです。

同じように、人間にも道など無いのです。
無意味に生き、無意味に死んで行くだけが
人間の道です。

道が欲しければ自分で創るしかありません。

氏もそういうことを言っているのだと
解釈します。

人間は偉大だ。
偉大なんだから、それに相応しい人生を
歩め。
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この回答へのお礼

>キリスト教ヒューマニズムの影響を受けていますね

松下幸之助は、ご存知のように小学校を出ておらず、本というものをほとんど
読んでおらず、「学問的知識はほとんどない」、と言っています。

ですから、そういうことではなくて、現実から学び取ったものであると思います。

学問の理屈は検証する必要があります。人生というものは学問では取り扱えないも
のですから、現実から学び取るものと言えましょう。それは、ある意味、現実での
検証済みと言えると思います。

その中で、鳥の飛ぶ道(生き方)、魚の通る道(生き方)を感じ取るのと同じように、人
間の生き方というか「道理」を感じ取り、それを長い間自分の中で検証をし、信念と
して結実させてきたのが、彼のような「叩き上げ」の人間たちの人生哲学だったと思
います。

大前研一氏が駆け出しのころ、幸之助氏の顧問をしたことがあったそうで、その時の
ことをこう言っています。
「お金をもらって顧問をしたのだけれど、逆に経営というものを教えていただいた」と。

あなたが言っている「道」とは、その人の生きた足跡としての「人生」のことですね?
私が言おうとしていることは「道理」のことです。

幸之助氏は、人間は一人では生きてゆけない、人と関わりがあるものだ、また万物とも
関わりがある、その道理を見よ、そう言っていることは明らかだと思います。

お礼日時:2019/04/05 10:26

松下幸之助の考え方は素晴らしいと思います。

新しいものを作り出そうとする機運、時代も彼を後押ししたと思います。
しかし、今は新しいものを、新しいものをと求める時代とは少し変わってきた。今あるものをどのように活用していくかにシフトが移っている。限りある資源を大切に有効活用していく時代。それがやはり人間にゆだねられている責任、万物の王者としての偉大な天命だと思います。
資源を乱獲して、結果的に枯渇してしまったりするようなこと(今は随所に見られますが)は避けるべきだと考えます。
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この回答へのお礼

>新しいものを作り出そうとする機運、時代も彼を後押ししたと思います

その通りだと思います。

彼は若いころ、水道から出る水を見て、モノがこのように豊富にあったら幸せだろう、
と思ったといいます。当時はモノのない時代でしたので、夢中になってモノ作りに徹し
たのでしょう。
また、彼は自分は運がいいとも言っていますし、その通りだったと思います。時代に乗
ったというのは、間違いないでしょう。

しかし、PHP研究所などを作り、文化的な仕事も早々に始めています。惜しむらくは、
若い時に時間を作り学問をやるべきではなかったかということです。
そうすれば、文化的事業もより大きな成果があったのでは、と思います。

文明が限界を迎えているという厳しい指摘は、すでに30~40年前からありますが、今だ
に世界経済は資源の消費に頼っています。先進国は加速している感すらあります。
資源の奪い合いは昔からで、今後し烈になるはずです。海の中のプラごみの問題、昆虫が
激減している問題等、深刻な問題は、あまり語られませんし、当然効果的に行動されてい
ないと思います。

つまり、私益よりも公益のことを考え、行動する人が激減したということだと思います。
その上に、そういうことを言う人を「責める」空気さえあると、私は自分の生きている
現実の中で強く感じています。

既得権を守ろうとする人間の力は強いです、これも経験から言えます。理想を持った若者も
地位やら財産やらを手にすると、保守的になるものです。
だから、結局世の中は、変わらないものなのだと思います。

この話の結論として、世の中を憂いている人がいたならば、四の五の言う前に行動したらい
いんです。行動してから四の五の言えばいい。

少々とりとめのない話になりました。

お礼日時:2019/04/05 11:17

いや、僕はこう言うストレート、直球な質問は好きで、その為に一つ考えてみたくなった、と言うことでした。

一応、念のため。正直であることを躊躇う事はないと思います。
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この回答へのお礼

まあ、何と言いますか、キサラギさんの回答を読んで、これまでの(約四年になります)
このカテでの総括をしたくなったというわけです。(今日はちょっと時間がありましたので)

何故そんな心境になったかと言いますと、私の中で迷いが生じているということです。

「男として生まれたからには、自分の信念に生きて、死にたい」ということには迷いはない
のですが、今の自分のやり方で果たしてどうなるのかという迷いです。
それは、現状と自分の力の把握が進んだということだと思います。

例えば、プロスポーツ選手がスランプに陥ったり、ケガをしたりしたときに悩むようなもので
王貞治もイチローも乗り越えてきたし、大谷翔平はこれから乗り越えることでしょう。
一流の人は判断も早いのでしょうが、一流でない私にはそう簡単にはいかないでしょう。もう
少し悩むことになりそうです。

さて、改めて№5を読んでみると、

>求めごころを離れているので、その距離は天体間の距離以上の開きがある

>離れて通じる道が、人にはあるのだろうと

その道は言葉を磨くことによって、歩むことができる、と。

確かにその一面はあると思います。意識の部分ではそうだと、言えるかもしれません。
しかし、人と人とは距離ゼロと思える場面があって、その距離ゼロ感とは、おそらく、
潜在意識でつながっているということでは「なかろうか」と思います。

そこに、まだ解明されていない人間の道が厳然とあって、この道は言葉だけでは難しく
「生の心」がモノを言う世界なのだろうと思います。

※求めごころを離れている、ということがよく理解できませんでした。

また、苦しみを体感することでなく、知ることである、と言うこともよく理解できませ
んでした。

お礼日時:2019/04/05 13:39

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