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哲学カテにおいてはこれがない人はいない。
いや私は違うという方。
私との共通点はなんですか?

A 回答 (3件)

質問文は、



哲学カテは自意識過剰の人ばかりである。
その中で、いや私は自意識過剰ではない。
むしろ、無意識過剰である、という方。
(無意識過剰である)私との共通点はなんですか?

という意味ですか?
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この回答へのお礼

何言ってるのか分からないというのは私d_y_nが自分の事をそう思ったりします。
考えて頭固くなるのは避けたい。
そんな気持ちからいろいろやっています。

お礼日時:2019/05/05 15:27

自意識過剰でない人に共通するのは、



人目を憚らない、
という性格です。

共通しないものは、
疑心暗鬼。

これのない人もいます。
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この回答へのお礼

cyclically orient evaluate
なんかちがうんです
わたくしてきに
すみませんいろいろわかりにくくて
ありがとうございます

お礼日時:2019/05/05 15:32

関係ないコメントで申し訳ないのですが、美味しそうなリンゴですね。

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この回答へのお礼

side u
明るさはあまさ
ありがとうございます

お礼日時:2019/04/29 21:53

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Q哲学とは何か?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学とは何かということについて、野矢氏は、次のように述べています。

ごく簡単に哲学史を述べれば、アリストテレスは哲学を学問として捉えていた。
トマス・アクィナスにとっては、哲学は宗教であった。
デカルトは、哲学は学問の基礎であると考えていた。
現代においては、哲学者の数だけ定義が存在すると言って過言ではない。

私(野矢氏)にとって哲学とは、人間の言葉を使った複雑な思考の中の問題として
1.思考の全体を見通せていない、2.思考を支えている多くの暗黙のものを自覚し
ていない、3.全体の曖昧さ、矛盾を分からないでいる、これらの問題を解決する
ことである、と。

確かに、哲学というものの定義は、様々であることは実感していました。だから、
「さあ統一しましょう」といったところで、そううまくはゆかない。せめて、各々
の定義を理解し合えたら、もう少し意義のある対話ができるかも知れません。

さて、あなたの「哲学の定義」はというと、どういうことになりますでしょうか?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学...続きを読む

Aベストアンサー

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人間の尊厳の確認であったかのような印象があります。

その旗頭であるソクラテスが牢獄に繋がれ、毒をあおって死ななければならなかったため、何か、陰惨な印象を持っていましたが、何年か前、彼の牢獄であったと伝えられている岩屋を訪れる機会があり、その場所が、アクロポリスを見渡せる、風光明媚な場所であったため、何だか、足元のはしごを外された気分、というか、牢獄でさえ、知的でした。

おっしゃる通り、哲学は、対話によって、曖昧なものや無意識に受け入れていた事柄を、明確にしてゆく役割を担っているのだと思います。中世以降のヨーロッパでは、キリスト教が邪魔になりましたが、現代の日本では、いかがでしょうか。

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人...続きを読む

Q玉ねぎの哲学

玉ねぎはふしぎな野菜。どこにでもころがっているありふれた野菜だが、切ろうとして包丁を入れると、泣けてくる。それはもう、パブロフの犬みたいに。

だから、みじん切りにするときは、冷蔵庫で思いっきり冷やしてやる。すると、幾分おとなしくなる。

ときどき、根を自分の中に張り巡らそうとしている玉ねぎを発見することがある。
外部に養分を求めるべきなのに、これは自己矛盾といえる。
自分をむさぼることで生存を図ろうとする。ようにも思える。

ともあれ、玉ねぎは万能野菜。料理の味をまとめてくれるすぐれものでもある。
皆さんは、どんな玉ねぎ料理が好きですか?

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飽和水蒸気爆弾(edible onion)を食べたいです

Qこれまで数千人の命を救ってきた天才外科医1人の命となんの取り柄もないニート50人の命。どっちが大事で

これまで数千人の命を救ってきた天才外科医1人の命となんの取り柄もないニート50人の命。どっちが大事ですか?

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政治や経済、そして社会の利益から考えれば、天才外科医1人の命のほうが大事です。

でも、人道的にはどちらも大事、と云うしかありません。

宗教的には、ニート50人の命のほうが大事です。
本質的には、数は関係ありませんが、あえて選択するならと云う事です。
なぜかと云えば、天才はニートよりは理性という点において、数段神に近いという立場を確保しているからです。

だから神は、神にとっての遠い存在である“弱者”への想いが強いのです。

Q人間。神と対等という立場の人間は神と言えるのか?哲学です。

人間。神と対等という立場の人間は神と言えるのか?哲学です。

Aベストアンサー

★ 哲学です。
☆ としては 少し――いえ 大幅に――飛躍があると言わなければならな
いのですが 次に引用するような聖書における文脈では:

★ 人間。神と対等という立場の人間
☆ の存在は 考えられなくはない。と思います。

ただし その人間について:
★ 神と言える
☆ ことはないでしょう。


▲ (ヨハネ福音 15:14-15 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〔☆ キリスト・イエスが言っています〕
わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか
知らないからである。

わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知
らせたからである。

▲ (同上 14:12 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、
もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


▲ 〔イエス・キリストよりも〕もっと大きな業を行うようになる
☆ というのは キリストのちから・あるいはつまり聖霊なる神のはたらき
によってという意味です。

ですから その人間が《神になる》という意味ではありません。



なお不案内のところがあると思いますが 取りあえずこのように。

★ 哲学です。
☆ としては 少し――いえ 大幅に――飛躍があると言わなければならな
いのですが 次に引用するような聖書における文脈では:

★ 人間。神と対等という立場の人間
☆ の存在は 考えられなくはない。と思います。

ただし その人間について:
★ 神と言える
☆ ことはないでしょう。


▲ (ヨハネ福音 15:14-15 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〔☆ キリスト・イエスが言っています〕
わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

もはや、わたしはあなたがた...続きを読む

Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
賛同を求める乞食の輩は、論理的な根拠が提示できなくなると、強引にかぶせてきますからすぐに判別できる。
どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

Q人の強さとは何ですか?

人の強さとは何ですか?

Aベストアンサー

人の強さとは、いざという時に小異を捨てて大同に付けること。

過去の歴史を振り返ると、どうやら民族にはそれができる民族と、いざという時に内部で喧嘩が始まり、足の引っ張り合いを始めてしまう民族があるようです。

例えばアメリカを見ていると、平時には内部で喧嘩ばかりしている。ところが、いざという国難に会うと、彼らは一気に纏まるんですね。これがアメリカの強さなんだと思いました。そういえば、前回の東京オリンピックの時にあれって思ったのは、普段政府の邪魔ばかりしていた当時の野党の旧社会党が、オリンピックが開催されると決まったら、挙国一致で政府に協力し始めた。なるほど、これが日本の底力の強さなんだと思いました。

それと対照的だったのが、ソウルオリンピックの前夜でした。彼らはオリンピックの開催が決まると、これ幸いと野党勢力が外国に向かって国の与党の非をまくし立てていました。オリンピックが近づいてくると、本当に開催できるのか、世界中の人々をやきもきさせていたのを覚えています。

中国もしかり、平時の時は威勢が良くて一見まとまっているように見えるのですが、いざという時には人々は国を信用せずに、纏まらずにてんでバラバラに逃げ惑って、張子の虎と揶揄されてきた歴史があります。

なるほど、民族の中には指導者的な地位につける民族と、いつまでたってもそのような地位につけない民族があるのだと思いました。

明治維新前夜、日本の存亡の危機に晒されたとき、勝海舟と西郷隆盛の合意で、国が分裂することなく一気に纏まった。これが日本を欧米の列強から救いましたね。

私がかつて疑問に思っていたことは、江戸末期に桜田門外の変の時まであれだけ歴史の前面に出ていた水戸藩が、その後パタッと歴史から姿を消してしまったことでした。後に山川菊栄の『武家の女性』を読んで知ったのですが、この日本の存亡が掛かっている大事なときに、水戸藩は内部分裂をして、諸生党と天狗党に別れて殺し合いの死闘を繰り広げていたのでした。なるほどこれじゃあ水戸藩が指導的立場に立って日本を救うことなんてできないと思いました。

危機に際して纏まることが出来る、これが人の強さなんですね。

さて、日本に今後いざという時が来たら、かつての日本人のように、日本は纏まることができるのでしょうか、それとも、内部で足に引っ張り合いが始まるのでしょうか。

人の強さとは、いざという時に小異を捨てて大同に付けること。

過去の歴史を振り返ると、どうやら民族にはそれができる民族と、いざという時に内部で喧嘩が始まり、足の引っ張り合いを始めてしまう民族があるようです。

例えばアメリカを見ていると、平時には内部で喧嘩ばかりしている。ところが、いざという国難に会うと、彼らは一気に纏まるんですね。これがアメリカの強さなんだと思いました。そういえば、前回の東京オリンピックの時にあれって思ったのは、普段政府の邪魔ばかりしていた当時の野党の旧社会...続きを読む

Q言葉について

言葉とは人間そのもの、人間と表裏一体だということ、理解できました。

そうすると、人工知能AIの使う言葉は、どのように捉えられるでしょう。プログラミングされた言葉が人を感動させることはあるのか。いわゆる言霊というのは失われてしまうと思うのですが。

それともそういうことがあるのだとすれば、それはプログラミングした人間自身の言葉の反映なのか。
それともAIは自身で言葉を獲得して、詩や短歌、俳句の領域に至るまで凌駕していくのか。

どのように思われますか?

Aベストアンサー

ことばを《ロゴス》として広く捉えた場合 次のように分類できるのではないか
と考えます。

☆☆ ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
【Q:ヒラメキとは 人に起きるいかなる現象か】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10598115.html

〇 ヒラメキの成り立ち (ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理)
(または ロゴスの階層 
つまり 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何が起きるのか) 


 [非思考の庭]
  スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のナゾなる非思考の庭):神
                   ↓
 ----【天使(α’):ロゴス(α)の使い】--------------
                   ↓
 [思考の緑野]            ↓
  インスピレーション=ロゴス(β):異言
       :中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ
                   ↓
  インスピレーション=ロゴス(γ):預言
       :本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間による言葉化
       :概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい?
                   ↓
  ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考〔の緑野〕
       :経験合理性にもとづこうとする論理


   *(註) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   ・ロゴス:ことば

   ・スピリトゥス:霊。聖霊

   ・クレド( credo = I believe. 我れは信じる)

   ・異言(シャリバリ):意味の分からないことば

   ・預言:解釈。経験思考で分かるように表現する。

    〔もともとは 予言= pro-phetia(予‐言)として成ったことば〕

   ・ラチオ( ratio ):理性

    〔 = reason 。《 re-or =思う・考える・数える》から〕

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ロボットや人工知能は インスピレーション=ロゴスつまり ヒラメキとし
ての言葉を受け取ることがあるのか? といったことが気に成ります。

ことばを《ロゴス》として広く捉えた場合 次のように分類できるのではないか
と考えます。

☆☆ ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
【Q:ヒラメキとは 人に起きるいかなる現象か】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10598115.html

〇 ヒラメキの成り立ち (ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理)
(または ロゴスの階層 
つまり 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何が起きるのか) 


 [非思考の庭]
  スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のナゾなる非思考...続きを読む

Qあなたにとって正義とは何ですか?

あなたにとって正義とは何ですか?

Aベストアンサー

胡散臭いもの。

典型が戦争です。

勝った方が正義になります。
強いモノが正義です。

ワシントンは米国では正義の人ですが、
英国では反逆者で悪い人です。

現代の価値観で評価すれば、歴史の
英雄のほとんどは侵略者、独裁者、殺人鬼です。

かようにして、正義は胡散臭いものなのです。

Q「陰謀と戦略、沈黙の兵器」とは

あなたが考える「陰謀と戦略、沈黙の兵器」とは、何でしょうか。
自由な発想でご回答ください。

Aベストアンサー

スイス政府が一般家庭に配った『民間防衛』という小冊子によると「武力を使わない情報戦争」は次の手順で行われるとのことです。  

《第1段階》工作員を政府中枢に送り込む。

《第2段階》宣伝工作。メディアを掌握し、大衆の意識を操作する。

《第3段階》教育現場に入り込み、国民の「国家意識」を破壊する。

《第4段階》抵抗意志を徐々に破壊し、「平和」や「人類愛」をプロパガンダに利用する。

《第5段階》テレビなどの宣伝メディアを利用し、「自分で考える力」を国民から奪ってゆく。

《最終段階》ターゲット国の民衆が無抵抗で腑抜けになったとき、大量植民で国を乗っ取る。

Q絶対善はあるのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を優先すること」と言われても何か分からないでしょう。ですから分かり易く言えば愛や思いやりや慈悲心などですと説明しています。これはキリストが説いた愛です、孔子が説いた仁、つまり思いやりです、そして釈迦が説いた慈悲の心です。そしてこれらに内包、共通しているのが「私より公を優先する心、行為」です。

「私より公を優先する」とは分かり易く言えば「私欲という自分の思いを少し抑えて公の為とみんなで考え行うこと」です。自分の私欲の心を少し抑えて、一人一人がみんなの為と考えることです。これは民主主義を示しています。そして「みんなの為」と考えるということは皆さん一人一人がリーダー、その群れのトップの立場に立って考えると言うことです。それは強い責任感をもって考えると言うことです。そのような心を一人一人みんながもって、みんなで考えれば最も正しい答えに辿り着ける確率が高くなるよ、ということです。これ以上に優れた方法が何かありますか? これが私の言う絶対善なのです。

その群れ社会にとって絶対的に正しいことは社会の安寧秩序であり、そのために最も優れた方法が「私より公を優先する事、つまり愛や思いやりや慈悲心」なのです。もちろんこれは最高の方法を示しているので一般的にはなかなかできないことです。しかしそれを目指す事こそが最もより良い社会が創れるのだ、と言う事なのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を...続きを読む

Aベストアンサー

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式組の人がいっぱいいます。そうした方々は、言葉の使用法の形式の方に興味が優先してしまい、たとへそこで使われている言葉が不完全でもそこで言っていることの内容や実態をなんとか理解しようという方向に興味を向けない傾向にあります。

「あんたの言いたことはなんとなく判るんだが、そのような言葉の用法はその内容と矛盾しており、間違っている」

などと言って、言葉の使い方が間違っているから、あなたの言う内容も間違いだ、などと考えてしまう人もいくらでもいます。だから、芯木さんが言いたいことの本質を論じようとするのではなくて、絶対の意味などの言葉の使い方がこだわった回答が多くなっているのです。

そのような人たちは、左を指差しながら、「右、右」と言っている人の心を察することができず、その間違いを言いつのる傾向があります。この場合、常識的に見て、指を差している方向をその発信者が言いたいのは明らかですのに。

物事を論じるためには、その内容も、その言葉の使い方も、両方とも重要です。しかし、その両方を同時に論じることにどれだけの生産性があるか、自明ではありません。大論文でもない限り、それを意識せずに両方とも同時に論じてしまうと誤解を招き、混乱さえ起こしかねません。ですから、何かを論じる場合には、内容か、形式か、そのどちらにより重点を置いているのか、文面から明確にわかるように書いておく方が、生産的な議論のやり取りができます。

ここでの主題は「公に対する奉仕」なのだと思いますが、例えば、「公」という言葉一つとっても、人によってその意味がだいぶ違い、芯木さんが言いたい意味では受け取ってくれない場合が散見されます。いわんや、「絶対」などという、一神教の影響を受けた西洋文化大好連中が好んで使う言葉は、哲学好みの人たちには刺激的すぎて芯木さんの言いたい内容よりも、その刺激的な言葉に拘ってしまう人がいくらでもいます。

出来るだけ刺激的な言葉を避けてご自分で言いたいことを表現することを工夫すると、芯木さんのご主張に賛同する方も増えるのではないでしょうか。また、どうしても「絶対」と言う言葉を使いたいならば、論述を始める前に、ここでのこの言葉は、、、、を意味するものとして特殊な使い方をしている、などと一言を入れておくと、読者もそのつもりで読んでくださると思います。

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

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