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冷静に考えると、この世界ってすごく残酷で、平和なものとは到底言えないですよね?
今までも食べ物に対しての感謝の気持ちはありましたが、生まれてきてからずっと、食べることは当たり前になっていたので、そこまで考えずに生きてきました。
でも、冷静に考えると、植物でも動物でも、何か自分以外の命を犠牲にしないと自分が生きていけないって、どうしてこんなに残酷なことになっているんだろうと思うようになりました。
それについて暇さえあれば考えてしまいます。
それでも、死んでも誰かしらに迷惑をかけることになるので、生きていかないといけないと思うのですが、その頂いた命に値する生き方がどんなものなのかもわかりません。
私は今までが結構辛いことが多かったので、罪悪感はあまり感じていませんでした。
でもその辛いことがあったお陰か色々なことを学んで、今は生きやすくなっています。
人との関わり方や、その関わることの楽しさというものもわかってきたし、人間に対しての恐怖心も無くなってきて、今通っている専門学校もとてもやりがいがあって授業内容が楽しくて、でも、こんな生き方でいいのかと考えてしまうんです。
命を犠牲にする罪悪感も勿論ですが、なんでこんな仕組みになっているのという不信感があり、この世界の残酷さが嫌に思えてしまいます。でもそんな世界で生きていかないといけないことを思うと、辛く感じてしまいます。
モヤモヤを解きたいです。
このことについてどう捉えて生きていけばいいのでしょうか?
また、この考え方になってしまってから、最終的に自殺を選ぶというのは間違っていますか?行動に起こすというわけではないのですが、この考え方が間違っているか正しいのかが知りたくて…。
人生の先輩方からアドバイスを頂きたくて質問しました、お願いします。

A 回答 (10件)

こんばんは。


あなたの気持ちがわかるような気がします。

でも、最終的に自殺を選ぶということは、与えられた命を自ら葬ることですから、それは間違っていますよ。賛成できません。
あなたは、この世界が残酷だと言ってますよね。動物や植物を食料として食べていかないと生きていけない人間。それを残酷だと言っている。あたりまえのこととして私たちは、生き物の命をいただいているのに、今では大なり小なり加工されて店頭に並び、動物や植物本来の命が感じられない、まるで工業製品を食べているような感覚がありませんか?
だから、あなたの感覚は間違っていない。いただいた命に感謝できることは、とても大切なことです。

そのいただいた命に値する生き方がどんなものなのか、今はわからなくていいです。ただ、これからもずっと、そのことを忘れず心にとめておいてください。いつかわかるときが来ます。
あなたが今できることは、専門学校での学びを続け、周りの人とのコミュニケーションを大切にすること。そして、今あなたが思っていることを一人でも多くの人に分かち合うことです。考えすぎないようにね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自殺を選ぶのは与えられた命を自ら葬ること、仰るとおりだと思いました。
回答者さんの回答を読んで、確かに考えすぎていたのかもしれないと感じました。
感謝の気持ちは持ち続けられるような自分でいたいと思います。
今は分からなくていい、いつかわかる時が来るという言葉に安心しました。心強く感じました。
ありがとうございました。

お礼日時:2019/05/12 01:38

ほどよく、虚無主義(ニヒリズム)になる必要があるかも知れません。


あなたがこの世界を残酷だと思う理由になっている問題を全て解決したとしても、他の人はまだ「残酷だ」と言っているでしょう。
残酷な理由を挙げればいくらでも出るし、平和な理由を挙げてもいくらでも出ます。

感情論になりますが、いまあなたがネガティブな思考になっているだけでしょう。
脳のドーパミン放出量が増えれば(楽しいとき)、そんな事は考えもしないと思います。私達は生きているだけで迷惑をかけているし、共にメリットもあります。
人間は罪悪感を感じる動物なので、余計なことばかり気にしてしまうのでしょう。
あの明るい人も、世界は残酷だという事実を知っています。しかし、明るく楽しく生きる事はできるのです。
皮肉なことに、生きているだけで様々な倫理的問題がありますが、それを気にしている人は少ないです。なぜなら、その残酷さを前提として土台にし、今の社会が成り立っているからです。そして、その社会は今でも複雑化が進んでいます。
ある意味「当たり前」になってしまっている事を延々と考えつづけて鬱になるより、今の社会を勉強しましょう。
しかし、そのような考えも人生に一度は必要です。社会風刺的な頭は、これから生きる上で強い武器になるでしょう。哲学は辞めないで下さい。

結論を言うと、「残酷だけど当たり前のことだから誰も気にしていない」です。
どうしても罪悪感を感じてしまう人は、宗教を始めるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
この質問をした経緯として、私と同じ考え方を持っている人がいるのか確かめたいという気持ちもあったのですが、回答者さんも、また他の人も、私と同じ気持ちの人がいるんだなと感じました。
文章を読んで、とても納得しました。
もはや当たり前のことになっているのですね。
とても参考になりました。

お礼日時:2019/05/12 01:45

no.1です。

no.2のお礼に対して

>もはや当たり前のことになっているのですね
いいえ、当たり前のことにはなっていません。
no.2さんも、>延々と考えつづけて鬱になるより
と、あなたの考え過ぎを指摘しておられるのだと思います。

事実をありのままに見ることは大事です。
マスメディアの情報は、いわば
きれいにパック詰めされ包装されたもの。
そのまま受け取るのではなく
中身の吟味が大切です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
上手く解釈できていなかったみたいですね汗
ありがとうございました。参考にします。

お礼日時:2019/05/13 07:29

冷静に考えると、この世界ってすごく残酷で、


平和なものとは到底言えないですよね?
 ↑
そうですね。
生命体は皆弱肉強食でお互いに殺し合って
生活しています。

ワタシは犬を飼う前は、そんなことは当たり前だと
思っていました。




このことについてどう捉えて生きていけばいいのでしょうか?
また、この考え方になってしまってから、
最終的に自殺を選ぶというのは間違っていますか?
 ↑
ハイ、間違っています。
アナタが自殺しても、なにも解決しないからです。

本当に解決したいのなら、無機物から食料を
製造する技術なりを開発したらどうですか。
そういう方面に進むとか、資金を提供するとかです。

そうすれば、少なくとも人間界におけるそうした
矛盾感は払拭されます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そんな方法もあるのかとハッとさせられました。
確かに私が自殺したところで何も解決しないですし、何か動くことが大切ですよね。
少し希望が見えてきたような気がします。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2019/05/13 07:31

ヒナさん、こんにちは



この地球の生命は皆、
命を繋ぐようにできているからなのだと思います。
きっと本能もその為なのだと思います。
宇宙も惑星もこの地球も生命も全てバランスなんだと思います。
太陽、月、大気、水等、
色んなものが関係性をもつ、ある意味で奇跡なんだとも思います。

例えば、普通なら草だけ食べる動物だけでもいいじゃん?
って思います。
だけどそれだけだとバランスが悪くなるんですよね。
草食動物だけしか存在していなかったら植物は足りなくなってしまい、
だから肉食動物も存在していれば人間も存在していて、
また人間には人間特有の知恵があり、
この知恵は何かを創り出し生み出すことをします。

その他にもいろんな生命体が存在してて、
一つ一つそれぞれ様々な役割があるんだと。

それは
人間に於いても同じなんだと思います

皆が同じではないから、だから全てに価値があるんだと思います。

命を食べることは、食べた命がなくなることではなく、
私達の体の中に命として宿ります。
命が命を繋いでいくのであり、命の源になるのです。
だから感謝という気持ちがあるのかもしれないし、
命をいただくことは感謝をすることなんだと思います。

それぞれが繋がっていて、
それぞれが必要な存在、
それは私も大切な存在から教わりました。


残酷というヒナさんからは
優しさが伝わります。
そしてその優しさもまた、
バランスの一つだと思いました。

その存在を一つとして考えるのではなく、
全体を通してみてみるとまた見えてくるものが違ったり


自殺という選択肢が正しいかどうかは、物事の捉え方次第になるのかとは思いました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、とてもわかりやすかったです。
でもやっぱり、バランスが悪くなるからといって命を犠牲にしないといけないなんて残酷に思えてしまいますが、命を繋いでいくという考え方に考えさせられました。
人間の役目は何かを創り出すことなんですね。確かに人間にしかできないことは多くありますよね。
参考になりました。

お礼日時:2019/05/13 07:35

私は、高校生のときの通学中の電車の中で、私は生きていることさえ私という存在は罪悪だ、死を選ぼうと思いました。

論理はありません。心の思いです。他者に対して害を与えていませんでしたし、他者から害を被っていない私でした。私が死んだら、家族が悲しむだろう。その考えで自殺という考えをやめました。今では自殺は益でもなければ、善でもないと思っています。

あなたのこの残酷という感慨は、あなた自身の思考で解決しなければならない。私は回を持っていますが、それをあなたに伝えてもあなたにとって何の益もない。あなた自身で回を見つけるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私も、自殺を考えるようになったのは高校生の時からで、家族が苦しむからという理由でやめました。同じ方がいてびっくりです。
益でもなければ善でもない、確かに自殺したら何もなくなるだけですよね。私はまだ自殺の気持ちが消えきってはいないので、心に留めておきますね。
確かに自分で考えて見つけることですよね。
それを見つけられるまで、頑張って生きてみようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2019/05/13 07:38

食べねば死ぬ。


自殺は不要。いつか死ぬから、生きられるだけ生きねばだめ。というより負け。
家族の為とか、悲しむ人がいるから自殺を思いとどまるのではなく、
みな自分のために生きると考えを変えましょう。
生存競争・食物連鎖を学ぼう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自分のために生きるのも大切ですよね。
考えさせられました。
ありがとうございました。

お礼日時:2019/05/16 08:19

あなたは独りで生きている訳ではない。


あなたを今まで育んでくれた全ての命と共にいるのです。
食べる前に全ての命に手を合わせて感謝する…日本人らしいところですね。

あなたが途中で投げ出せば無駄じにではありませんか?

命を投げ出す覚悟があるならあなたに今まで育んだ命に感謝し生きるべきだと私は思います。

恩にむくいらなければ
本当に生きる意味さえ見失うよ。
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この回答へのお礼

途中で投げ出せば今までの命が無駄になるという考え方がとても参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/16 08:20

そのような気持ちになるのでしたら、そのものたちを供養してあげる。

また、供養する気持ちを持つと良い、と思います。

日本人は心優しく、だからいろんな供養をしているようです。
死者への供養はもとより、動物の供養や道具の供養では針供養なんてのがありますね。

そのうえで、自身の命を大事にして無駄な生き方はしない、と心掛けるのです。
こうした生き方だけでも、供養につながると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
供養するという考え方もあるのですね。
意識してみようと思います。
とても参考になりました。

お礼日時:2019/05/16 08:21

川の流れの様に、命は移ろい行く。


そこにあった命は、食物となってあなたと言う別の場所へ移り、また代謝を通じて別の形となる。
あなたの人生と言う形で表出される、無数の命は大河の様な、いや、水の循環のようなものの内にある。全て生命が、全ての生命を通過しており、また全ての生命が、全ての生命を通過している。

この起動している世界の中で静止を知るならば、それを安らぎと言う。
生と死は流転の中にあるが、静止は流転しない。例えば世界中の大河が常に海に流れ込んでいるが、それによって海の体積が目に見えて、体感的に増えると言う事はない。
流転の中で、あなたや私が他の生き物を食べ、また自身死んで朽ちても、静止のあることには変わりがない。川の流れの尽きる場所(海)では、水かさが増減しないように、激しい生死の流転の尽きる場所には、静止がある。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
少し私には難しく感じましたが、読ませていただきました。
命は全て繋がっているのですね。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2019/05/16 08:23

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